訪問日:令和6年12月15日(日)
出 発:近江鉄道バス「長命寺バス停」
到 着:JR「安土駅」
寒い季節になりましたね。特に内陸部である「琵琶湖」は極寒の地でもあります。積雪の世界記録は昭和2年2月14日「伊吹山」で観測された11m82cmだそうですね。厳しい冬に入る前に「琵琶湖歩紀」8回目です。ただ今回は日本で唯一湖上に浮かぶ有人島「沖島」に渡ろうと思うのですが、連絡船の時刻の関係でどうしても時間配分ができず、前回ゴールのJR「安土駅」のひとつ大阪寄りである「近江八幡駅」から近江鉄道バスに乗り、最初に西国31番札所「長命寺」にお参りをします。その後、いわゆる「逆打ち」のような形で「安土駅」を目指します。給水・トイレには困りませんがオフシーズンです。飲食店はネット情報で。
朝4時に起きて最寄り駅の始発に乗り午前7時38分、JR「近江八幡駅」に到着。大阪駅から約1時間20分(1520円)です。川西能勢口駅で乗り換えた阪急電車が「トム&ジェリー」のラッピング車両でした。朝からラッキー!
近江八幡駅北口の近江鉄道バス「6番のりば」から午前7時45分発「長命寺」行きバスに乗車します。途中にある私立高校の女子たちで満員でした。
約20分(500円)で「長命寺バス停」に到着。「ICOCA」が使えました。午前8時7分、今日もニコニコ出発です。ここは滋賀県近江八幡市。
決して「怪しい者」ではありません。今日の「野里町歩紀」です。
バスロータリーのすぐ後ろは「長命寺港」です。漁港のほか竹生島クルーズ船も発着する観光港です。東屋や公衆トイレがあります。
その名のとおり「長命寺」への入口です。案内表示に従って進めば正面に車で上れる林道の入口がありますが、私は「歩紀ニスト」などで入りません。林道は結構狭いらしいですよ。
林道入口の右には「日吉神社」。これからお寺にお参りするのですが、いつものように神社で今日一日の安全を祈願します。
神社の右に「是よりくわんおん(観音)六丁」と刻まれた石標が立ちます。その奥に長命寺への石段がありました。入って行きましょう。六丁=約660mです。
標高333mの中腹(250mくらい)にある長命寺まで続く808段の石段です。
ゆっくりと石段を上って行きます。この石段を上ると寺名どおり長生きするそうです。
階段なのでほぼ直線的に上って行きます。
100歳まで生きてやるぞ。
「聖徳太子礼拝石」と刻まれた石碑を過ぎればまもなく到着です。車で来ればここからスタートです。駐車場の端に公衆トイレ(水洗)があります。
100段ほどで山門にあたる「冠木門」に到着しました。(午前8時29分)
石段を上れば正面には「三重塔」。
三重塔の左には「護摩堂」。いずれも国の重要文化財に指定されています。
元に戻り境内に進めば左に「琵琶湖周航の歌」歌碑がありました。
これで1番から6番までのすべての歌碑を訪れました。
♪ 西国十番 長命寺 汚れの現世 遠く去りて 黄金の波に
いざ漕がん 語れ我が友 熱き心 ♪(6番)
右には本尊である「千手十一面聖観世音菩薩」を安置する「本堂」。重要文化財です。長命寺は天台宗寺院で戦国時代の兵火により焼失・再建を経ていますが、推古天皇の時代に聖徳太子により開基されたと伝わる古刹であり西国31番札所です。琵琶湖周航の歌では「十番」になっていますが、気になる方はネットで調べてくださいね。
本堂の左には「三仏堂」。天正年間(16世紀後半)に建てられたと伝わり、「釈迦如来」「阿弥陀如来」「薬師如来」の三尊を安置します。
その奥には「鐘楼」。慶長13(1608)年の建立です。これらも重要文化財です。
鐘楼の右には「修多羅(すたら)岩」。
そして境内からは琵琶湖が一望できます。
参拝を終え上って来た石段を下って行きます。つまずかない様に。特に高齢者は。
今回は歩紀の最初なのでまだまだ疲れはありませんが、娘たちからもらったモンベルの2WAYグリップを持ってきました。上りでは足への負担がかなり軽減できますし、下りではしっかりと体重を支えてくれます。
無事に808段の石段を下ることができました。右に曲がり「長命寺温泉天葉の湯」という日帰り温泉の前を進みます。(午前9時8分)
ここは「松ヶ崎」という岬です。
少し進めば左に米田雄郎という地元出身の歌人の歌碑がありました。
対岸に見える比良山系は中腹まで雪化粧です。滋賀県は近畿地方の天気予報では「近畿中部」に属しますが、冬期のみ滋賀県北部は「近畿北部」になるそうです。
雪化粧をした比良山系を眺めながら湖岸を進みます。
湖岸沿いの県道なのですが、途中「鬱そう感」が漂う道もあります。
しばらくすれば沖にはこの後訪れる「沖島」が見えてきます。何だか「ひょっこりひょうたん島」みたいですね。大小二つの島のように見えますが、山と山の間に小さな平野があり、そことそれに続く湖岸沿いの途中まで集落が続きます。それ以外はすべて山地です。
さらに歩けば右に「休暇村近江八幡」。ホテルやレストラン、キャンプ場などがあります。(午前10時11分)
その先の標識に左へ入れば「水泳場」と書かれていたので、ちょっと浜に出てみましょう。「宮ケ浜水泳場」です。今の時期は冷たい波が打ち寄せていますが広い砂浜です。向かいには沖島。その奥には比良山系が望めます。
しばらく歩けば「小田ケ浜園地」の駐車場。山手に芝生公園があるようです。
休暇村を過ぎれば「堀切港」に着きました。ここから「沖島」までの連絡船が発着します。(午前10時43分)
午前11時台には船がないので出港まで時間があります。ここで1時間ちょっと時間をつぶさなければなりません。
とりあえず歩いて7~8分ほど先にある「ファミリーマート」に行きましょう。お土産屋さんや来島者専用駐車場を左に見ながら進んで行きます。
こんな時間です。沖島にはいくつか飲食店があるのですが予約制のようです。私は今日来られる確約がなかったので予約はできませんでした。ちょっと早いですがここでダラダラと買い物をした後、昼食としましょう。
今日はファミマのイートインで昼食です。「おむすび2個セット」(税込280円)「どん兵衛きつねうどん」(税込274円)。私の歩紀は「グルメ旅行」ではないのでこれで十分です。どん兵衛「温かかった」です。
食事を終え、午後0時15分発の船に乗るので港に戻ります。待合室の横に自販機はありましたが、見た感じトイレはありませんでした。そしてファミマではこんなものも売っていました。「おきしまえびせんべい」(税込770円)。沖島の天然スジエビを使っているそうです。
連絡船が来ました。運賃は片道500円。乗船券は船内の自販機で購入します。小銭と1000円札(新札OK)のみ使えますが、島内で宿泊しないのであれば1000円で往復分買えば良いと思いますよ(往復券ではなく片道券が2枚出ます)。
定員50人に25人ほどの乗客が乗っていました。私のような観光客と島民が半々くらいでしょうか。船が出港すればおじさんがチケットを回収にきます。往路で1枚渡し復路でもう一枚渡します。なお船内のトイレは故障のため使用不可でした。
およそ10分の船旅です。沖島に到着しました。結構大きな港ですね。そしてまず最初に行くところがあります。(午後0時25分)
それは港西側の高台にある「奥津島神社」。
島の神様に参拝です。祭神は宗像三女神の「奥津島比売命」。やっぱり「海」なんですね。
境内からは沖島の集落が一望できます。良い眺めですね。沖島は日本で唯一、湖上に浮かぶ有人島です。面積は約1.53㎢ですがほぼこの一角に密集しています。約250人の人が住んでいるそうですが、元は無人島で源氏の落ち武者がたどり着き「島の祖」となったそうです。つまり先祖は漁民ではなく武士なんですね。
さあ島を探索しましょう。一応グーグルマップをプリントアウトしてきましたが、細い道が複雑に交わっているので全然役に立ちませんでした。ただ狭い集落ですので、どの路地に入ってもどこかに行きます。
参拝を終え集落に入れば「沖島郵便局」。おそらく日本で唯一湖上に浮かぶ郵便局でしょう。ちゃんとATMもあります。
すぐ先に公民館(沖島コミュニティセンター)がありました。集落の中心でしょうか。手前に自販機がありましたが、それ以外自販機は見ませんでしたので給水は先ほどのファミマか堀切港でしておきましょう。
その前には何やら歌碑がありました。
民家の角に「蓮如上人御旧跡」の石碑とお地蔵様。
その横の路地を入って行けば浄土真宗「西福寺」。さっきこの路地を入って行った住職さんは若い女性でした。
見学というよりもさ迷っている感じです。
島民の方たちの足はもっぱら「三輪自転車」のようです。そして何故かサドルには空き缶が被せられています。
路地を抜ければ「沖側?」に出ます。湖岸には小さな桟橋がありました。こちらからは「湖西」方向が望めます。比良山からの風(おろし)で結構湖(うみ)は荒れていました。対岸は近江舞子あたりでしょうか。
カフェなどもあるようです。
「陸側?」に戻ります。路地を入れば浄土真宗「願證寺」。島には先ほどの西福寺と合わせて2つの寺院があるそうです。
港に戻り湖岸に沿って歩きます。
桟橋には私たちを運んでくれた「おきしま」が停泊しています。
港の端にこんなものがありました。沖島に車はありません。消防車の代わりに消防艇が。初めて見る光景です。ただ消防団ではなく東近江市消防本部の立派な消防艇が係留されていました。救急艇もあるそうです。沖島は近江八幡市ですが消防は東近江市が管轄しているのでしょうか。
湖岸を進みます。自転車の路駐です。
湖岸を歩いて行けば「沖島資料館」。沖島の生活様式などを展示した「手作り感」満載の施設ですが12月1日から翌3月31日までは要予約です。「残念」
その先には「汀(みず)の精」。フナや小アユ、ビワマスなど「湖の幸」を味わえるちょっとお洒落なお店です。
湖岸に沿って歩きます。
少し歩けば桟橋があり小さな港になっていました。(午後0時57分)
その向かいには「近江八幡市立沖島小学校」。「山の学校」「島の学校」ならぬ「湖の学校」。当然、日本唯一湖上に浮かぶ学校です。
同校のホームページによると明治8年、先ほど訪れた西福寺というお寺のいわゆる寺小屋から始まった古い小学校のようです。
ピーク時(昭和35年)には129人の児童がいたそうですが、今は何人の児童がいるのでしょうか…。幼稚園もあるようです。
ここの体育館にあるトイレが観光客用に開放されています。きれいに使用しましょう。
この先で集落は終わりますが道は続きます。
「杉谷浜」という10mほどのとても小さな砂浜に出ました。
航空写真で見ると沖島小学校には小さなプールがあるようですが、夏になれば子どもたちはこの浜で泳ぐようです。そうですよね「湖の子」ですから。
そしてついに道は終わりました。そこには鳥居が。(午後1時17分)
向かいにある山手の結構きつい階段を上ります。しかし毎日3階建ての校舎を行ったり来たりしている私にとって何てことはありません。そこは「厳島神社」別名「弁才天社」。弁才天は神仏習合では「市杵嶋姫命」。つまり最初にお参りした奥津島神社の「奥津比売命」と同神。「安芸の宮島」と同じです。何度も言いますが、やっぱり「海」なんですね。
同じ道を戻ります。沖島小学校を過ぎ突き当りを右に曲がって山に沿って歩けば右に「おきしま展望台」と書かれた石段が。上ってみましょう。
展望台だけあって素晴らしい眺めです。そして案内板によるとここは先ほど訪れた沖島小学校の跡地だそうです。昔は山の上にあったんですね。本州の真ん中から本州を眺める。何か不思議な感覚ですね。
集落を抜けます。
ぐるっと回って港に戻ってきました。真ん前には「沖島漁業会館」。漁業協同組合の建物です。
「湖島婦貴(ことぶき)」という漁協のお母さんたちが経営する食堂。予約すれば食事を準備してくれるようです。
会館右に公衆トイレがあります。島内のトイレはここと先ほどの小学校体育館だけです。その裏には沖島に流れ着いた流木で作られた「RYUBOKU HUT」というオブジェ。
会館の左には「漁村の碑」と「魚介類供養塔」。連絡船の出港10分前です。約1時間30分の滞在でした。夏の時期にいくつかある飲食店や山のハイキングコースなどを訪ねながら一日かけてゆっくり過ごしたいところですね。午後2時発の船に乗ります。
沖島よ「さようなら」
堀切港に到着しました。「本土」に上陸します。
先ほど昼食をしたファミマまで戻り、ファミマ前でカーブする県道に沿って右へ曲がります。この道は「さざなみ街道」です。
途中「だいなか愛菜館」という農産物直販所がありました。干拓地ではお米のほかイチゴやスイカなども栽培されているようですね。(午後2時24分)
田んぼの中の一本道を進みます。
干拓地は新しく開発された農地であるため道路は「碁盤の目」状に走っています。
私は旧「大中の湖」の西端を歩いています。
「白王町東交差点」を過ぎて真っ直ぐ進みます。(午後2時47分)
小さな丘沿いに進み「湖周白王交差点」の信号を過ぎると左に曲がる小径があるので入ります。真っ直ぐ進めば水路に突き当たるので右に見える「白王橋」で対岸に渡りましょう。
この水路は琵琶湖と琵琶湖最大の内湖「西の湖(うみ)」を結ぶ「長命寺川」です。
橋を渡れば左へ。長命寺川に沿って歩きます。前方には西の湖が見えてきました。
やがて小さな集落に入ります。(午後3時2分)
集落の沖合には石垣で囲まれた大きな「島」が。これは「権座」と呼ばれる湖に浮かぶ水田で、舟に乗って通い米作りをしているそうですよ。琵琶湖って本当にいろいろなものがありますね。この隣にはもうひとつ「南権座」があります。
集落の手前を左に入り西の湖に沿って歩きます。轍(わだち)はありますが道は地道になりました。湖面では「よし」が群生しています。
内湖に沿って進んで行くうち左にサイクリング道が見えてきました。水辺に沿って進むこの道は「びわ湖よし笛ロード」というサイクリング道です。
途中、水路にかかる小さな橋を渡って進めば景色の良い場所に出ました。「西の湖ポケットパーク」。(午後3時32分)
目の前に景色が広がりました。西の湖は前回歩いた「大中の湖」が干拓された残りの水域でおよそ3k㎡あるそうです。ということは大中の湖はかなり大きかったんですね。水鳥の生息地として重要な湿地を保護するための「ラムサール条約」により登録されているそうです。
しばらく歩けば右から合流してきた農道に下りることができるので下りましょう。広大な農地の中の一本道を進みます。
ここも農道は碁盤の目状に走っています。4つ目の四つ辻を左に曲がり、大きなJA(農協)施設を目指します。
振り返れば何やら森が。「新開(しがい)の森」といい、心霊スポットとしていわれがあるそうです。私は近江平野によく見られる鎮守の森だと思うのですが。興味がある人は自分で調べてください。
川を渡りJAの施設前を右へ。100mちょっとでセブンイレブンがある「常楽寺交差点」に出るので信号を渡りましょう。ここから「安土」の町歩紀が始まります。(午後3時53分)
水路を渡れば右へ入ります。ここは「常浜水辺公園」。昔ここに港があったそうです。地図を見るとわかるのですが、ここから西の湖を経て琵琶湖につながります。だから港があったんですね。
春にはサクラがきれいだそうですよ。
ここは「船溜まり」だったのでしょうか。
公園奥の橋に案内板が。かつてこの辺りに「木村城(常楽寺城)」というお城があったようです。
この石垣や水路もその名残でしょうか。
水路に沿って歩きます。
前回「伊庭水郷」を歩いた時の「カワト」のようなものでしょうか。
そのまま水路を進んで行くと料亭の前に出ます。
突き当りのお地蔵様の下から湧き水が。「音堂川湧水」です。安土は湧き水でも有名な町です。地元の方々によりきれいに清掃されています。静かに見学しましょう。(午後4時10分)
料亭の前の道に戻り右へ。次の四つ辻をちょっと右に入って見ましょう。もう枯れていますが、ここにも小さな湧き水跡がありました。
「梅の川」と言うそうです。
四つ辻に戻り右へ。次の四つ辻を左に曲がれば良い雰囲気の街並みに出ました。
この道は常楽寺交差点からの延長線上です。左には立派な蔵と漆塗りの白壁。
その向かいには篆刻文字で彫られていますが浄土真宗「西性寺」。
小さな金毘羅宮を過ぎます。
ガソリンスタンドがある三叉路に小さな欄干がかかります。この水路は先ほどの常浜水辺公園に続きます。間もなくゴールです。
案内板によると江戸時代から昭和初期まで船着場があったそうです。
その向かいにある50mほど水路に沿って歩いてみましょう。
その先に地蔵堂が立ちます。(午後4時18分)
このお地蔵さんは「円満地蔵尊」といい、お地蔵さんの下から湧く霊水に足をひたせば「家族円満・夫婦円満」のご利益が得られるということから「足涌(あしゆ)」と呼ばれているそうです。
ここは「北川湧水」。
きれいな水ですね。
道なりに進み消防器具格納庫の先で左に道が曲がります。このような案内表示がたくさんあるので助かります。
その先の突き当りを右に曲がって県道を横断。「惣構え土手跡(推定地)」という案内板が立つ「安土コミュニティーセンター」を右に見ながら進みます。
その先のキリスト教会がある四つ辻の角には何やら石碑が。(午後4時25分)
「朝鮮人街道」と刻まれています。右に曲がりましょう。この道は中山道「高宮宿」から彦根を結んだことから「彦根道」というそうですが、中山道の脇街道で「朝鮮王朝」からの使節団である「朝鮮通信」の通行が許されたことから「朝鮮人街道」とも呼ばれるそうです。
ただ結構宅地化が進んでいるようですね。
200mほどで右に神社が。歩紀最後にお参りしましょう。
「上豊浦八幡神社」です。由緒の詳細は不詳ですが八幡社なので「誉田別尊(応神天皇)」をお祀りするのでしょう。
その向かいには「天台宗平等寺」という立派なお寺が。
その突き当りを右に曲がり駐在所前を過ぎれば本日のゴールJR「安土駅」。午後4時35分到着。前回は南口でしたが今日は北口です。午後4時51分の電車に乗ります。
1階には観光案内所。営業時間は午前9時から午後5時までです。まだ時間がありますね。次回の「近江八幡町歩紀」に備えてパンフやマップをもらいましょう。
駅前ロータリーでは「織田信長公像」がお見送りです。
本日の歩紀「39451歩」(26.82km)。古刹参拝と島歩紀、町歩紀。良い歩紀でした。これからどんどん寒くなります。雪が降らなければいいのですが。滋賀県は豪雪地帯でもあります。
今日は「ハイボール」(税込550円)と「にぎり鍋やきうどん」(税込1400円)でひとり打ち上げです。「かんぱ~い」。
そして昼食のため立ち寄ったファミマには何と「地酒コーナー」がありました。
ということで今回の地酒です。ワンカップではありませんが、地元東近江市の蔵元「増本藤兵衛酒造場」さんの純米酒「薄桜(300ml)」(税込503円)。「おきしまえびせんべい」を肴にいただきま~す。
出 発:近江鉄道バス「長命寺バス停」
到 着:JR「安土駅」
寒い季節になりましたね。特に内陸部である「琵琶湖」は極寒の地でもあります。積雪の世界記録は昭和2年2月14日「伊吹山」で観測された11m82cmだそうですね。厳しい冬に入る前に「琵琶湖歩紀」8回目です。ただ今回は日本で唯一湖上に浮かぶ有人島「沖島」に渡ろうと思うのですが、連絡船の時刻の関係でどうしても時間配分ができず、前回ゴールのJR「安土駅」のひとつ大阪寄りである「近江八幡駅」から近江鉄道バスに乗り、最初に西国31番札所「長命寺」にお参りをします。その後、いわゆる「逆打ち」のような形で「安土駅」を目指します。給水・トイレには困りませんがオフシーズンです。飲食店はネット情報で。
朝4時に起きて最寄り駅の始発に乗り午前7時38分、JR「近江八幡駅」に到着。大阪駅から約1時間20分(1520円)です。川西能勢口駅で乗り換えた阪急電車が「トム&ジェリー」のラッピング車両でした。朝からラッキー!
近江八幡駅北口の近江鉄道バス「6番のりば」から午前7時45分発「長命寺」行きバスに乗車します。途中にある私立高校の女子たちで満員でした。
約20分(500円)で「長命寺バス停」に到着。「ICOCA」が使えました。午前8時7分、今日もニコニコ出発です。ここは滋賀県近江八幡市。
決して「怪しい者」ではありません。今日の「野里町歩紀」です。
バスロータリーのすぐ後ろは「長命寺港」です。漁港のほか竹生島クルーズ船も発着する観光港です。東屋や公衆トイレがあります。
その名のとおり「長命寺」への入口です。案内表示に従って進めば正面に車で上れる林道の入口がありますが、私は「歩紀ニスト」などで入りません。林道は結構狭いらしいですよ。
林道入口の右には「日吉神社」。これからお寺にお参りするのですが、いつものように神社で今日一日の安全を祈願します。
神社の右に「是よりくわんおん(観音)六丁」と刻まれた石標が立ちます。その奥に長命寺への石段がありました。入って行きましょう。六丁=約660mです。
標高333mの中腹(250mくらい)にある長命寺まで続く808段の石段です。
ゆっくりと石段を上って行きます。この石段を上ると寺名どおり長生きするそうです。
階段なのでほぼ直線的に上って行きます。
100歳まで生きてやるぞ。
「聖徳太子礼拝石」と刻まれた石碑を過ぎればまもなく到着です。車で来ればここからスタートです。駐車場の端に公衆トイレ(水洗)があります。
100段ほどで山門にあたる「冠木門」に到着しました。(午前8時29分)
石段を上れば正面には「三重塔」。
三重塔の左には「護摩堂」。いずれも国の重要文化財に指定されています。
元に戻り境内に進めば左に「琵琶湖周航の歌」歌碑がありました。
これで1番から6番までのすべての歌碑を訪れました。
♪ 西国十番 長命寺 汚れの現世 遠く去りて 黄金の波に
いざ漕がん 語れ我が友 熱き心 ♪(6番)
右には本尊である「千手十一面聖観世音菩薩」を安置する「本堂」。重要文化財です。長命寺は天台宗寺院で戦国時代の兵火により焼失・再建を経ていますが、推古天皇の時代に聖徳太子により開基されたと伝わる古刹であり西国31番札所です。琵琶湖周航の歌では「十番」になっていますが、気になる方はネットで調べてくださいね。
本堂の左には「三仏堂」。天正年間(16世紀後半)に建てられたと伝わり、「釈迦如来」「阿弥陀如来」「薬師如来」の三尊を安置します。
その奥には「鐘楼」。慶長13(1608)年の建立です。これらも重要文化財です。
鐘楼の右には「修多羅(すたら)岩」。
そして境内からは琵琶湖が一望できます。
参拝を終え上って来た石段を下って行きます。つまずかない様に。特に高齢者は。
今回は歩紀の最初なのでまだまだ疲れはありませんが、娘たちからもらったモンベルの2WAYグリップを持ってきました。上りでは足への負担がかなり軽減できますし、下りではしっかりと体重を支えてくれます。
無事に808段の石段を下ることができました。右に曲がり「長命寺温泉天葉の湯」という日帰り温泉の前を進みます。(午前9時8分)
ここは「松ヶ崎」という岬です。
少し進めば左に米田雄郎という地元出身の歌人の歌碑がありました。
対岸に見える比良山系は中腹まで雪化粧です。滋賀県は近畿地方の天気予報では「近畿中部」に属しますが、冬期のみ滋賀県北部は「近畿北部」になるそうです。
雪化粧をした比良山系を眺めながら湖岸を進みます。
湖岸沿いの県道なのですが、途中「鬱そう感」が漂う道もあります。
しばらくすれば沖にはこの後訪れる「沖島」が見えてきます。何だか「ひょっこりひょうたん島」みたいですね。大小二つの島のように見えますが、山と山の間に小さな平野があり、そことそれに続く湖岸沿いの途中まで集落が続きます。それ以外はすべて山地です。
さらに歩けば右に「休暇村近江八幡」。ホテルやレストラン、キャンプ場などがあります。(午前10時11分)
その先の標識に左へ入れば「水泳場」と書かれていたので、ちょっと浜に出てみましょう。「宮ケ浜水泳場」です。今の時期は冷たい波が打ち寄せていますが広い砂浜です。向かいには沖島。その奥には比良山系が望めます。
しばらく歩けば「小田ケ浜園地」の駐車場。山手に芝生公園があるようです。
休暇村を過ぎれば「堀切港」に着きました。ここから「沖島」までの連絡船が発着します。(午前10時43分)
午前11時台には船がないので出港まで時間があります。ここで1時間ちょっと時間をつぶさなければなりません。
とりあえず歩いて7~8分ほど先にある「ファミリーマート」に行きましょう。お土産屋さんや来島者専用駐車場を左に見ながら進んで行きます。
こんな時間です。沖島にはいくつか飲食店があるのですが予約制のようです。私は今日来られる確約がなかったので予約はできませんでした。ちょっと早いですがここでダラダラと買い物をした後、昼食としましょう。
今日はファミマのイートインで昼食です。「おむすび2個セット」(税込280円)「どん兵衛きつねうどん」(税込274円)。私の歩紀は「グルメ旅行」ではないのでこれで十分です。どん兵衛「温かかった」です。
食事を終え、午後0時15分発の船に乗るので港に戻ります。待合室の横に自販機はありましたが、見た感じトイレはありませんでした。そしてファミマではこんなものも売っていました。「おきしまえびせんべい」(税込770円)。沖島の天然スジエビを使っているそうです。
連絡船が来ました。運賃は片道500円。乗船券は船内の自販機で購入します。小銭と1000円札(新札OK)のみ使えますが、島内で宿泊しないのであれば1000円で往復分買えば良いと思いますよ(往復券ではなく片道券が2枚出ます)。
定員50人に25人ほどの乗客が乗っていました。私のような観光客と島民が半々くらいでしょうか。船が出港すればおじさんがチケットを回収にきます。往路で1枚渡し復路でもう一枚渡します。なお船内のトイレは故障のため使用不可でした。
およそ10分の船旅です。沖島に到着しました。結構大きな港ですね。そしてまず最初に行くところがあります。(午後0時25分)
それは港西側の高台にある「奥津島神社」。
島の神様に参拝です。祭神は宗像三女神の「奥津島比売命」。やっぱり「海」なんですね。
境内からは沖島の集落が一望できます。良い眺めですね。沖島は日本で唯一、湖上に浮かぶ有人島です。面積は約1.53㎢ですがほぼこの一角に密集しています。約250人の人が住んでいるそうですが、元は無人島で源氏の落ち武者がたどり着き「島の祖」となったそうです。つまり先祖は漁民ではなく武士なんですね。
さあ島を探索しましょう。一応グーグルマップをプリントアウトしてきましたが、細い道が複雑に交わっているので全然役に立ちませんでした。ただ狭い集落ですので、どの路地に入ってもどこかに行きます。
参拝を終え集落に入れば「沖島郵便局」。おそらく日本で唯一湖上に浮かぶ郵便局でしょう。ちゃんとATMもあります。
すぐ先に公民館(沖島コミュニティセンター)がありました。集落の中心でしょうか。手前に自販機がありましたが、それ以外自販機は見ませんでしたので給水は先ほどのファミマか堀切港でしておきましょう。
その前には何やら歌碑がありました。
民家の角に「蓮如上人御旧跡」の石碑とお地蔵様。
その横の路地を入って行けば浄土真宗「西福寺」。さっきこの路地を入って行った住職さんは若い女性でした。
見学というよりもさ迷っている感じです。
島民の方たちの足はもっぱら「三輪自転車」のようです。そして何故かサドルには空き缶が被せられています。
路地を抜ければ「沖側?」に出ます。湖岸には小さな桟橋がありました。こちらからは「湖西」方向が望めます。比良山からの風(おろし)で結構湖(うみ)は荒れていました。対岸は近江舞子あたりでしょうか。
カフェなどもあるようです。
「陸側?」に戻ります。路地を入れば浄土真宗「願證寺」。島には先ほどの西福寺と合わせて2つの寺院があるそうです。
港に戻り湖岸に沿って歩きます。
桟橋には私たちを運んでくれた「おきしま」が停泊しています。
港の端にこんなものがありました。沖島に車はありません。消防車の代わりに消防艇が。初めて見る光景です。ただ消防団ではなく東近江市消防本部の立派な消防艇が係留されていました。救急艇もあるそうです。沖島は近江八幡市ですが消防は東近江市が管轄しているのでしょうか。
湖岸を進みます。自転車の路駐です。
湖岸を歩いて行けば「沖島資料館」。沖島の生活様式などを展示した「手作り感」満載の施設ですが12月1日から翌3月31日までは要予約です。「残念」
その先には「汀(みず)の精」。フナや小アユ、ビワマスなど「湖の幸」を味わえるちょっとお洒落なお店です。
湖岸に沿って歩きます。
少し歩けば桟橋があり小さな港になっていました。(午後0時57分)
その向かいには「近江八幡市立沖島小学校」。「山の学校」「島の学校」ならぬ「湖の学校」。当然、日本唯一湖上に浮かぶ学校です。
同校のホームページによると明治8年、先ほど訪れた西福寺というお寺のいわゆる寺小屋から始まった古い小学校のようです。
ピーク時(昭和35年)には129人の児童がいたそうですが、今は何人の児童がいるのでしょうか…。幼稚園もあるようです。
ここの体育館にあるトイレが観光客用に開放されています。きれいに使用しましょう。
この先で集落は終わりますが道は続きます。
「杉谷浜」という10mほどのとても小さな砂浜に出ました。
航空写真で見ると沖島小学校には小さなプールがあるようですが、夏になれば子どもたちはこの浜で泳ぐようです。そうですよね「湖の子」ですから。
そしてついに道は終わりました。そこには鳥居が。(午後1時17分)
向かいにある山手の結構きつい階段を上ります。しかし毎日3階建ての校舎を行ったり来たりしている私にとって何てことはありません。そこは「厳島神社」別名「弁才天社」。弁才天は神仏習合では「市杵嶋姫命」。つまり最初にお参りした奥津島神社の「奥津比売命」と同神。「安芸の宮島」と同じです。何度も言いますが、やっぱり「海」なんですね。
同じ道を戻ります。沖島小学校を過ぎ突き当りを右に曲がって山に沿って歩けば右に「おきしま展望台」と書かれた石段が。上ってみましょう。
展望台だけあって素晴らしい眺めです。そして案内板によるとここは先ほど訪れた沖島小学校の跡地だそうです。昔は山の上にあったんですね。本州の真ん中から本州を眺める。何か不思議な感覚ですね。
集落を抜けます。
ぐるっと回って港に戻ってきました。真ん前には「沖島漁業会館」。漁業協同組合の建物です。
「湖島婦貴(ことぶき)」という漁協のお母さんたちが経営する食堂。予約すれば食事を準備してくれるようです。
会館右に公衆トイレがあります。島内のトイレはここと先ほどの小学校体育館だけです。その裏には沖島に流れ着いた流木で作られた「RYUBOKU HUT」というオブジェ。
会館の左には「漁村の碑」と「魚介類供養塔」。連絡船の出港10分前です。約1時間30分の滞在でした。夏の時期にいくつかある飲食店や山のハイキングコースなどを訪ねながら一日かけてゆっくり過ごしたいところですね。午後2時発の船に乗ります。
沖島よ「さようなら」
堀切港に到着しました。「本土」に上陸します。
先ほど昼食をしたファミマまで戻り、ファミマ前でカーブする県道に沿って右へ曲がります。この道は「さざなみ街道」です。
途中「だいなか愛菜館」という農産物直販所がありました。干拓地ではお米のほかイチゴやスイカなども栽培されているようですね。(午後2時24分)
田んぼの中の一本道を進みます。
干拓地は新しく開発された農地であるため道路は「碁盤の目」状に走っています。
私は旧「大中の湖」の西端を歩いています。
「白王町東交差点」を過ぎて真っ直ぐ進みます。(午後2時47分)
小さな丘沿いに進み「湖周白王交差点」の信号を過ぎると左に曲がる小径があるので入ります。真っ直ぐ進めば水路に突き当たるので右に見える「白王橋」で対岸に渡りましょう。
この水路は琵琶湖と琵琶湖最大の内湖「西の湖(うみ)」を結ぶ「長命寺川」です。
橋を渡れば左へ。長命寺川に沿って歩きます。前方には西の湖が見えてきました。
やがて小さな集落に入ります。(午後3時2分)
集落の沖合には石垣で囲まれた大きな「島」が。これは「権座」と呼ばれる湖に浮かぶ水田で、舟に乗って通い米作りをしているそうですよ。琵琶湖って本当にいろいろなものがありますね。この隣にはもうひとつ「南権座」があります。
集落の手前を左に入り西の湖に沿って歩きます。轍(わだち)はありますが道は地道になりました。湖面では「よし」が群生しています。
内湖に沿って進んで行くうち左にサイクリング道が見えてきました。水辺に沿って進むこの道は「びわ湖よし笛ロード」というサイクリング道です。
途中、水路にかかる小さな橋を渡って進めば景色の良い場所に出ました。「西の湖ポケットパーク」。(午後3時32分)
目の前に景色が広がりました。西の湖は前回歩いた「大中の湖」が干拓された残りの水域でおよそ3k㎡あるそうです。ということは大中の湖はかなり大きかったんですね。水鳥の生息地として重要な湿地を保護するための「ラムサール条約」により登録されているそうです。
しばらく歩けば右から合流してきた農道に下りることができるので下りましょう。広大な農地の中の一本道を進みます。
ここも農道は碁盤の目状に走っています。4つ目の四つ辻を左に曲がり、大きなJA(農協)施設を目指します。
振り返れば何やら森が。「新開(しがい)の森」といい、心霊スポットとしていわれがあるそうです。私は近江平野によく見られる鎮守の森だと思うのですが。興味がある人は自分で調べてください。
川を渡りJAの施設前を右へ。100mちょっとでセブンイレブンがある「常楽寺交差点」に出るので信号を渡りましょう。ここから「安土」の町歩紀が始まります。(午後3時53分)
水路を渡れば右へ入ります。ここは「常浜水辺公園」。昔ここに港があったそうです。地図を見るとわかるのですが、ここから西の湖を経て琵琶湖につながります。だから港があったんですね。
春にはサクラがきれいだそうですよ。
ここは「船溜まり」だったのでしょうか。
公園奥の橋に案内板が。かつてこの辺りに「木村城(常楽寺城)」というお城があったようです。
この石垣や水路もその名残でしょうか。
水路に沿って歩きます。
前回「伊庭水郷」を歩いた時の「カワト」のようなものでしょうか。
そのまま水路を進んで行くと料亭の前に出ます。
突き当りのお地蔵様の下から湧き水が。「音堂川湧水」です。安土は湧き水でも有名な町です。地元の方々によりきれいに清掃されています。静かに見学しましょう。(午後4時10分)
料亭の前の道に戻り右へ。次の四つ辻をちょっと右に入って見ましょう。もう枯れていますが、ここにも小さな湧き水跡がありました。
「梅の川」と言うそうです。
四つ辻に戻り右へ。次の四つ辻を左に曲がれば良い雰囲気の街並みに出ました。
この道は常楽寺交差点からの延長線上です。左には立派な蔵と漆塗りの白壁。
その向かいには篆刻文字で彫られていますが浄土真宗「西性寺」。
小さな金毘羅宮を過ぎます。
ガソリンスタンドがある三叉路に小さな欄干がかかります。この水路は先ほどの常浜水辺公園に続きます。間もなくゴールです。
案内板によると江戸時代から昭和初期まで船着場があったそうです。
その向かいにある50mほど水路に沿って歩いてみましょう。
その先に地蔵堂が立ちます。(午後4時18分)
このお地蔵さんは「円満地蔵尊」といい、お地蔵さんの下から湧く霊水に足をひたせば「家族円満・夫婦円満」のご利益が得られるということから「足涌(あしゆ)」と呼ばれているそうです。
ここは「北川湧水」。
きれいな水ですね。
道なりに進み消防器具格納庫の先で左に道が曲がります。このような案内表示がたくさんあるので助かります。
その先の突き当りを右に曲がって県道を横断。「惣構え土手跡(推定地)」という案内板が立つ「安土コミュニティーセンター」を右に見ながら進みます。
その先のキリスト教会がある四つ辻の角には何やら石碑が。(午後4時25分)
「朝鮮人街道」と刻まれています。右に曲がりましょう。この道は中山道「高宮宿」から彦根を結んだことから「彦根道」というそうですが、中山道の脇街道で「朝鮮王朝」からの使節団である「朝鮮通信」の通行が許されたことから「朝鮮人街道」とも呼ばれるそうです。
ただ結構宅地化が進んでいるようですね。
200mほどで右に神社が。歩紀最後にお参りしましょう。
「上豊浦八幡神社」です。由緒の詳細は不詳ですが八幡社なので「誉田別尊(応神天皇)」をお祀りするのでしょう。
その向かいには「天台宗平等寺」という立派なお寺が。
その突き当りを右に曲がり駐在所前を過ぎれば本日のゴールJR「安土駅」。午後4時35分到着。前回は南口でしたが今日は北口です。午後4時51分の電車に乗ります。
1階には観光案内所。営業時間は午前9時から午後5時までです。まだ時間がありますね。次回の「近江八幡町歩紀」に備えてパンフやマップをもらいましょう。
駅前ロータリーでは「織田信長公像」がお見送りです。
本日の歩紀「39451歩」(26.82km)。古刹参拝と島歩紀、町歩紀。良い歩紀でした。これからどんどん寒くなります。雪が降らなければいいのですが。滋賀県は豪雪地帯でもあります。
今日は「ハイボール」(税込550円)と「にぎり鍋やきうどん」(税込1400円)でひとり打ち上げです。「かんぱ~い」。
そして昼食のため立ち寄ったファミマには何と「地酒コーナー」がありました。
ということで今回の地酒です。ワンカップではありませんが、地元東近江市の蔵元「増本藤兵衛酒造場」さんの純米酒「薄桜(300ml)」(税込503円)。「おきしまえびせんべい」を肴にいただきま~す。
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