「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

なぜか東京見物~皇居外周歩紀~

2016-07-24 20:25:30 | 日記
訪問日:平成28年7月23日(土)
出 発:JR「東京駅」
到 着:地下鉄「日比谷駅」

 私は、以前3年間、東京で働いていた時期がある。そして、この土曜日(7/23)の夜、かつての同僚との懇親会が東京「有楽町」であり、今回上京することになった。深夜バスに乗り、早朝「東京駅」に着いたので、夜の宴会まで「皇居外周」を歩くことにしよう。東京は坂が多いが、皇居周辺は比較的平坦だ。もちろん「大東京」給水・トイレにも困らない。


 ちょっと早めの午前8時30分、JR「東京駅」丸の内北口を出発。
 

 全国の駅舎が近代的なビルに建て替えられる中、「東京駅」は大正3年建築当時のレンガ造りのまま保存されている。国の重要文化財に指定されている。
 

 「行幸通り」から「東京駅」を眺める。駅前は再開発中であり、若干、通路が複雑になっている。
 

 振り返り「行幸通り」から「皇居」方向を望む。「行幸(ぎょうこう)」とは、天皇陛下が外出されることを言う。
 

 「馬場先濠」から「皇居」に入る。「皇居」とは、「天皇」の「お住まい」であるが、かつての「江戸城」、当然「城」としての面影が残る。
 

 すぐ左は「皇居外苑」。芝生と松林と砂利広場(?)が広がる。「皇居前広場」と呼ばれる広大な広場だ。
 

 案内表示に従い左へ。公園の真ん中に「楠木正成像」。建武中興の忠臣であり、別子銅山の銅で造られている。銅像の後ろにある「皇居外苑事務所」で地図付きパンフレットを入手する。
 

 「内堀通り」を越え進む。そこにはあの「二重橋」。正面に見えるのは「正門石橋」。その奥にある「正門鉄橋」が、昔、木造の二重構造であったことから「二重橋」と呼ばれているそうだ。
 

 正門前で警戒にあたる皇宮護衛官。暑い時期なのに正装しているのだな。
 

 「二重橋」前から「丸の内」の高層ビル街を望む。
 

 「皇居外苑」を濠に沿って北へ。そこには「坂下門」。ここからは入れない。ここの皇宮護衛官は普通の制服だな。
 

 「坂下門」前の「蛤濠」越しに「宮内庁」。いま、天皇陛下の「生前退位」発言で何かと話題が多い。
 

 「蛤濠」沿いに歩いて行くと正面に「桔梗門」。
 

 ここは、事前に整理券をもらった人たちが団体で見学する際の入口になっているようだ。観光客の大部分は「外国人」、その大部分が「中国人」のようだ。
 

 「桔梗濠」と名を変えた濠沿いに進むと石垣の隅に「巽櫓」。櫓越しに先ほどの「桔梗門」と木々に隠れた「富士見櫓」が望める。
 
 
 「内堀通り」をはさんだ一角は「和田倉噴水公園」。休憩所のほか洋風の噴水公園がある。
 

 しかし、その奥は石垣に囲まれた「枡形」になっている。
 

 「和田倉濠」という濠に「和田倉橋」が掛かる。
 

 「内堀通り」に戻り北へ進むと「大手門」。つまり「江戸城」の正門である。
 

 門をくぐれば、やはり「枡形」になっており「多聞櫓」が残る。ここは「皇居東御苑」への入口である。「江戸城跡」は、天皇陛下の「お住まい」である「皇居」部分を除き、先ほどの「皇居外苑」と今から訪ねる「皇居東御苑」、そして「北の丸公園」が公園として一般に公開されているのだ。
 

 公園に入れば、すぐ右に「三の丸尚蔵館」。無料の展示施設で、この日は「駒競べ」という「馬」に関した展示会が行われていた。
 

 更に進めば「同心番所跡」。門番の詰所である。
 

 その前に「百人番所跡」。長さ50mほどの建物で、「根来組」「伊賀組」「甲賀組」「廿五騎組」が4交代で詰めて警護にあたり、常に同心が100人いたことから「百人番所」と呼ばれたそうだ。
 

 「百人番所跡」前から北に上ると左に「白鳥濠」。芝生内立ち入り禁止なのでよく見えない。
 

 その向かいから「雑木林」に入る。武蔵野の面影がそのまま残されている。
 

 そして、その奥には「新雑木林」。「昭和天皇」の御発案に基づき、平成14年に拡張整備されたそうだ。
 
 
 林を進んで行けば「二の丸庭園」。
 

 拳銃を吊った皇宮護衛官がパトロールをしている。やはり、普通の公園ではないのだな。
 

 「諏訪の茶屋」。吹上地区にあったものを明治45年に再建・移転したそうだ。
 

 茶屋の隣は、「都道府県の森」となっている。
 

 「二の丸庭園」を抜ければ「汐見坂」という坂が見えてくる。
 

 そして、坂を上れば、先ほど見えなかった「白鳥濠」を見下ろすことができる。
 

 坂を登り切れば、そこは「本丸跡」。正面に「天守台」が見える。
 

 慶長12(1607)年、二代将軍秀忠により完成されたが19年後の「明暦の大火」で高さ58mの天守閣は焼失、以後、再建されることはなかった。
 

 天守閣跡から南側に広がる「旧本丸」を望む。ここに「大奥」など多くの御殿が並んでいたという。
 

 「天守台」の北から「北桔梗門」を抜けると「北の丸」へと続くが、とりあえず反対側の南方向へ進む。すぐ右に「竹林」。
 

 その隣には「石室」。非常の際の保存庫だったらしく、伊豆石で囲まれた約20平方mの倉庫である。
 

 森に囲まれた小山を上れば「富士見多聞」。「多聞」とは、石垣の上に造られた長屋造りの防御施設のこと。
 

 少し進めば、忠臣蔵で有名な、あの「松の大廊下跡」。「殿、殿中でござる!!」
 
 
 さらに進めば、先ほど「巽櫓」越しに望んだ「富士見櫓」。非公開なのか鉄柵に囲まれている。三層の堂々たる櫓で、天守を焼失した後は、天守閣として代用されたこともあるという。
 

 道なり進めば右に「中雀門」という門の跡が見えるので右へ。
 

 坂を下ると左に「大番所跡」。
 

 そして、すぐ右の石垣の間に先ほどの「百人番所跡」が見える。そう「旧本丸」を一周したのだ。
 

 石垣の間を抜け、「百人番所跡」の前で振り返れば、それは立派な石垣だった。それもそのはず、これは天守閣に続く「本丸中之門」の石垣跡だ。
 

 皇宮警察の車両がパトロールする。
 

 「大手門」から城外に出て「内堀通り」を北へ。
 

 遠くに何やら大きな「像」と「大木」が見える。
 

 像は「和気清麻呂像」。光仁・桓武天皇に仕えた文人で、最初に訪れた「楠木正成」とともに「文武」の二忠臣の象徴として建てられた。大木は、関東大震災で奇跡的に焼け残った「震災いちょう」。残念ながら、エレベーター拡張工事のため見物できなかった。
 

 「大手濠」と名を変えた濠に沿って進むと、遠くに橋が見えてくる。
 

 「平川橋」と呼ばれ、江戸時代そのままの姿を残す唯一の橋である。渡ろう。
 

 皇居には、このような皇宮警察の警備詰所がたくさんある。
 

 橋を渡れば「平川門」。
 

 「鉄砲狭間」は、以前「大阪城」で見た、伏せた姿勢で射撃できる構造だ。
 
 
 門をくぐれば、再度、「皇居東御苑」に入る。「皇居外苑」と「北の丸公園」は、自由に出入りできるが「皇居東御苑」のみ無料だが入口で「入場札」をもらって入る。
 

 すぐに「天神濠」。
 

 「天神濠」を過ぎれば右に「梅林坂」という坂道が見えるので上ろう。
 

 坂を上れば「書陵部」。「書陵部」って、天皇陵を管轄する部署だな。
 

 そのまま進めば「天守台」の北側に出る。
 

 そして「北桔梗門」で「入場札」を返して出る。
 

 この門を境に、右が「平川濠」、左が「乾濠」と呼ばれるが、どちらも石垣が高い。天守の直近なので警備が厳しかったのだろう。
 

 濠を渡れば正面に「国立公文書館」。
 

 その前の歩道橋で道を渡ると「北の丸公園」に続く。
 

 右に「科学技術館」を見ながら進む。
 

 案内表示に従って右の小さな道へ入ろう。突き当たりの左に石段が。「清水門雁木坂」と呼ばれる。
 

 石段を下れば「清水門」。
 

 門をくぐれば左に小さな門が。
 

 門をくぐると城外に出てしまうが、門を出たところは「牛ケ淵」と呼ばれる濠の水を「清水濠」へ流す水門になっている。
 

 「清水門水門」と呼ばれる、江戸時代から残る石垣式の水門だ。
 

 「清水門」を再度くぐり城内に戻る。
 

 「清水門雁木坂」を下から眺める。
 

 元の道へ戻るが、右に「吉田茂」像。さっきは気づかなかったな。
 

 「科学技術館」に続く道には、何やら行列が。
 

 元の道に戻り右へ、そこには見覚えのある建物が。
 

 その前では「豆剣士」たちが竹刀を振っている。
 

 そう「日本武道館」だ。いつか私もここの舞台に立つことが(あるはずない)。
 

 時間は、午前11時30分。少し早いが昼食にしよう。「ザ・フォレスト北の丸」。公園事務所が運営するレストランだ。
 

 「フォレストバーガー」と「アイスコーヒー」を注文(880円)。
 

 食事を終え、ちょっとトイレへ。トイレ前から「日本武道館」を望む。これだけ離れれば、全容が分かるな。
 

 「日本武道館」を過ぎれば「田安門」。
 
 
 門を出たところは「九段坂」。
 

 歩道橋で「靖国通り」を渡る。遠くには「東京スカイツリー」の頭が。
 
 
 そして、歩道橋を下りたところが「靖国神社」。
 

 ♪ 天をつくよな 大鳥居~ ♪
 

 参道途中には、日本陸軍の祖「大村益次郎像」がそびえる。
 

 「靖国神社」は、明治以降の戦没者らを祀る。皇居の外だが、お参りしよう。
 

 手水舎で身を清めた後、一礼して神門をくぐる。
 

 私の先祖も明治38年3月、日露戦争に出征し中国で戦死、ここ「靖国」に神として祀られている。二礼二拍手一礼で参拝。
 

 拝殿から右へ進むと「遊就館」。明治15年に開館し、戦没者らの遺品等を収蔵・展示する。
 

 入館料は800円だが、1階の展示ホールと売店までは無料で入場できる。館内は、写真撮影禁止。
 

 展示ホールには、大砲や「零戦」が展示されている。
 

 館外にも「軍馬」や「軍犬」「軍艦関係者」の慰霊碑などが並ぶ。「靖国神社」を「軍国主義復活の象徴」とか「戦争美化」などと唱える人がいるが、私はどう考えても「慰霊」の対象だと思うのだが…。
  

 

 「靖国神社」からJR「飯田橋駅」方向にかけての街中に足を進める。あっ東京は、いま話題の「都知事選」まっただ中なんだ。
 

 実は、私はこの界隈に「個人的」な思い出がある。
 

 特に「コメント」はしないが、あと7枚ほどお付き合い願いたい。
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
  
 
 「靖国通り」に戻り、歩道橋を渡って右へ。
 

 「大山巌陸軍大将」の像。
 

 「千鳥ヶ淵」に沿って左に曲がる。
 

 ボート乗り場。
 

 その前には「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」。「靖国神社」が宗教施設であるのならば、ここは国立の慰霊施設だ。
 

 ただ、ここは「先の大戦」の戦没者をお祀りするので、私の先祖は祀られていない。
 
 
 「代官通り」を渡ると、濠は「半蔵濠」と名を変える。
 

 「皇居」西側の濠は「土塁式」と呼ばれる構造になっている。この石垣の向こうは「皇居」。天皇陛下の「お住まい」だ。
 

 前方に「半蔵門」が見える。
 

 奥は皇宮警察が、手前は警視庁が厳重に警備していた。
 

 「半蔵門」を過ぎれば「桜田濠」となる。
 

 右側には「国立劇場」。
 

 「桜田濠」の向こうに「霞ヶ関」と呼ばれる中央官庁のビル街が。
 

 「国立劇場」の隣には「最高裁判所」。
 

 そして「三宅坂」を過ぎれば「国会議事堂」。日本の「三権」が集中する。
 

 「国会議事堂」に向かって左側は「和式庭園」。
 

 右側は「洋式庭園」になっている。
 

 「国会前」の交差点を過ぎれば、遠くに「桜田門」が。
 

 「桜田門」は、正式には「外桜田門」と呼ばれるそうだ。万延元(1860)年3月3日、この門外で「大老井伊直弼」が、水戸脱藩藩士らに暗殺される「桜田門外の変」が起きる。
 

 門をくぐれば、やはり「枡形」になっており「内桜田門」という多門櫓になっている。
 

 振り返れば「外桜田門」の間から「国会議事堂」が。
 

 そして「内桜田門」をくぐれば、朝、訪れた「皇居外苑」へと続く。ここで「皇居」を後にする。
 

 目の前には、別名「桜田門」と称される「警視庁」の庁舎がそびえる。
 

 その前には、美しいレンガ造りの建物が。
 

 「旧法務省」。
 
 
 その隣が「東京高等・地方裁判所」の門。有名な訴訟があれば「原告団」が列を成して歩いてくる場所だ。
 

 日本の中心部も休日は閑散としている。「霞ヶ関一丁目交差点」を左に曲がる。
 

 突き当たりは「日比谷公園」。かつて、大藩の屋敷が並んだという。
 

 明治4年、練兵場となったが、その後、明治35年、公園として開園した。
 

 開園当初から営業する洋風喫茶「松本楼」。
 

 芝生の向こうでは「オクトーバーフェスト」が開催されていた。
 

 日比谷公園の北東角から園外に出れば本日のゴール「日比谷交差点」。午後2時20分到着。この下に東京メトロ千代田線・日比谷線、都営三田線の「日比谷駅」がある。
 本日の歩紀「あっそうだ。」今日は歩数計を持ってきていないのだ。でも、かなり歩いたぞ。
 そして、「日比谷」は、「有楽町」駅前(西口)でもある。今日の宴会は、このあたりであるはずだ。まだ、少し時間があるので、ホテルにチェックインし、シャワーでも浴びよう。
 
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