訪問日:平成31年1月26日(土)
出 発:阪急電車「梅田駅」
到 着:阪急電車「池田駅」
大阪梅田から宝塚を結ぶ阪急「宝塚線」。大阪で一番「高級感」溢れる沿線といわれる。以前、「巡礼街道」で兵庫県下を歩いたが、今日は「梅田駅」から「池田駅」までの大阪府下を歩いてみよう。確かに猪名川を越えた兵庫県の「雲雀丘花屋敷駅」や終点「宝塚駅」周辺。大阪府豊中市・箕面市・池田市の山手に行けば高級住宅街が開けるが、大阪府下の各駅前には結構、庶民的でちょっとレトロな雰囲気も残る。「駅前」に特化したので移動のための「線路沿い」を除いては「駅周辺」にも立ち寄らない。給水・トイレには、まったく困らない。
阪急「梅田駅」。「神戸線」「宝塚線」「京都線」3線の出発点。午前9時45分、4番線に到着。今日は、この時間をもってスタートとする。さすが関西一の私鉄ターミナル。1~9番線を擁する大きな駅だ。
ホーム南端の改札口を出てエスカレーターを下り、ターミナルの南東角にあたるJRガード手前に出る。ここには「阪急イングス」や飲食店ビルが並ぶ。
駅は「阪急17番街」や「阪急三番街」が入る阪急ターミナビル内にあるが「阪急百貨店」とは、JRのガードをはさんで隔てられている。
そのガード下は「新梅田食道街」となっている。「食堂」ではなく「食道」だ。
私の「行きつけの店」もある。
ガード下だが2階建てである。
駅西隣りには「関西空港」行きの空港バス乗り場。
その隣には「新阪急ホテル」が建つ。
「芝田交差」をはさんで「ヨドバシカメラ」。
阪急「梅田駅」ビルの2階から地下2階までは、「阪急三番街」と呼ばれるショッピングモールになっており、それぞれ北館・南館の8ブロックに分かれ、ファッション街、飲食店街などになっている。
特に地下2階には川が流れ、昭和44年のオープン以来「川が流れる三番街」として有名だ。
1階には「紀伊國屋書店」。大阪で最も有名な書店で、待ち合わせ場所としても良く利用される。ただし出入り口は、2階コンコースに向かうエスカレーターをはさんで2ヶ所に分かれるので、すれ違いに注意しよう(特に恋人同士は)。
「紀伊國屋書店」に向かって左側には「地蔵横丁」と呼ばれる小さな飲食店街。
入口には、通り名の由来となる「北向地蔵尊」。線香の香りが漂う。
「飲み屋」ではなく「飲食店」が数店並ぶ。
「地蔵横丁」を抜ければ右に「阪急高速バスターミナル」。
梅田地区には、「阪急」の他「JR」「近鉄」「バスツアー会社」の高速バスターミナルがある。
西日本を中心に北陸や信州・関東・TDLなど各地への夜行バス・長距離バスの発着地となっている。
待合所には、ちょっとした「旅情」が感じられる。
バスターミナルから北に進むとここにも「阪急三番街」。
1階を抜けると「かっぱ横丁」という飲食街に出る。
さらに進みガード下に出て右に曲がれば、ビルの谷間にお社が。
「綱敷(つなしき)天神社御旅所」。本宮は、700mほど南東の堂山町にある。お参りできるので、今日一日の安全を祈願する。こんな都会の真ん中に神社が。神社密度の高さに驚きと感謝。
まだ奥には街が続くが「駅前」と呼ぶには、この辺りが北限だろう。「梅田駅」を後に北へ進む。この辺りは「茶屋町」と呼ばれ「ロフト」や「ちゃやまちアプローズ」などのレジャービルが並ぶ。
「ホテル新阪急インターナショナル」を過ぎれば、阪急ガード下に「済生会病院前」交差。
左を見れば、建て替えられたが石造りの「済生会中津病院」が立つ。
少し進めば「中津陸橋」で「大阪市最後の一等地」と呼ばれる「梅田貨物駅跡」へと続く「JR梅田貨物線」を跨ぐ。視界を遮るものがないので、目の前に「梅田スカイビル」がそびえる。
右には、「神戸」「宝塚」「京都」各線の鉄橋が走る。
すぐに次の駅である「中津駅」への階段が現れるので下りて行こう。
「駅前」というよりは「ガード下」といった雰囲気の改札前に居酒屋などの店舗が数軒。
この駅の高架下は、かつて貸倉庫や貸工場があり、ちょっと「DEEP」な世界が広がっていたのだが閉鎖されたようだ。
いずれこうなることは分かっていたが、またひとつ「昭和」が消えてしまったんだな。
以前、「大阪24区を歩く」で歩いていて良かった。「北区」編を参照してください。
階段があったので「地上(正確には高架上)」へ戻ろう。
そこは「中津浜」交差。「国道176号線」をさらに進めば「十三小橋」で「旧中津運河」を渡る。
そして「十三大橋」で大阪の母なる川「淀川」を渡る。
すぐ上流には、阪急電車各線の鉄橋が3つ並ぶ。
600mを越える橋を渡れば「地蔵尊」が祀られている。
その横には「十三大橋」の由緒が書かれた石碑。
淀川堤防からゆっくりと坂を下り「新北野」交差で「淀川通り」を越えれば右に「十三駅前西商店街」。飲食店や風俗店が並ぶ。もうここは、次の駅「十三(じゅうそう)」の駅前だ。
100mほどの商店街を抜ければ右に「十三駅西口」。
その前は「十三トミータウン」という商店街になっており、酒饅頭で有名な「喜八洲総本舗」などが並ぶ。
三菱UFJ銀行の前に小さな「小便小僧」。「見返りトミー君」と名付けられている。「トミー」は「十三」のあて読み。なぜ「小便小僧」なのか?
「駅西口」前の小さな南北路地には一杯飲み屋が並ぶ。この一角は「ションベン横丁」と呼ばれるが、平成26年3月7日早朝の大火により町並みが一変した。
かつての「闇市」跡に開けた飲み屋街にトイレがなかったことから酔客は立ち小便をし、付近には小便の臭いが立ち込めたことから「ションベン横丁」と呼ばれたという。
横丁北端の路地でUターンし、今は建てられている公衆トイレ前から横丁を南へ戻る。
随分と雰囲気が変わったな。
「駅西口」に戻り、向かって右側の「身長180cm以上」の人は通れない?ガードをくぐろう。
4~50mの長いガードをくぐれば「駅東口」。左には「十三東駅前商店街」。正面の「十三駅前通り商店街」に進む。
アーケードが終われば左側に「神津神社」が現れる。
「応神天皇」らをご祭神とするが、「えべっさん」も祀られ、毎年1月に行われる「戎祭り」は、「十三戎」と書いて「とみえびす」と呼ばれる。
神社西の「十三東公園」を通り抜け、「十三東二仲町商店街」へ。「十三戎小路」や「十三東小路」などの飲み屋街が広がる。「十三駅」周辺は、大阪でも有数の歓楽街だ。
北に進んでいき「英真学園」南館の前を通り過ぎる。かつて「淀女」と呼ばれた「淀川女子高校」が平成12年の男女共学化に伴い名称変更された。
阪急の各線は、「十三駅」で扇を広げるように分岐する。踏切で阪急「京都線」を渡る。踏切の名前は「女子職踏切」。「淀女」の前身は、昭和2年に創立された「大阪高等女子職業学校」。その名残りだろう。
ここにも「英真学園」が。
さらに「英真学園」北館脇を抜け、「市立十三中学校」前の信号を渡る。
路地を抜ければ「野中福祉会館」。そこに「野々宮稲荷大神」が祭られている。
前に見える複雑な五叉路の左側(一方通行路)を進む。
広い道に出れば左に曲がろう。前方には「山陽新幹線」の高い高架線。
踏切手前右には「宮原操車場」。新幹線高架の下を「JR北方貨物線」が走る。
踏切を渡り、分岐した阪急「宝塚線」に沿って北上する。
「三国本町2」交差を越え、さらに進む。
7~8分ほどで左に「三国駅」。駅東側はロータリーになっており、市バス乗り場や交番がある。
駅ビルと高架下は「ヴュール阪急三国」という商業施設やクリニックビルになっている。
駅西側には高層マンションが並ぶ。
時間は正午。今日は三国駅前にあった喫茶店「アシスト」に入ろう。
日替わり定食(カツとじ)を注文(650円)。
食事を終え駅北側に。「サンティフルみくに」という商店街があり、結構賑やかな商店街だが「駅前」から離れるので今日は歩かない。
次の路地を左に入り「三国橋」で「神崎川」を越える。かつては「渡し船」が通っていたんだな。
橋を渡れば、この道が市境なのだろう。右は「大阪市」、左は「豊中市」になっている。「豊中市」に入ったということだな。この道は「能勢街道」らしい。
アーケードではないが「三国橋商店街」という道を抜けて行く。
しばらく歩けば「道田(どうでん)橋」交差。車道のみ立体になった、ちょっと変わった交差点だ。歩行者は、下を抜けていく。
「道田橋」交差を渡れば川の堤防沿いに出る。豊中市内を南北に流れて「神崎川」に注ぐ「天竺川」という川だ。
天井川になっているので堤防はかなり高い。だから「道田橋」交差は、立体になっているんだな。
「砂畑橋」という橋を過ぎて、川の向こうに墓地が見えてくれば、左の一方通行路に曲がろう。かなり高度差があるんだな。おばちゃんは、自転車を押していた。
郵便局を過ぎれば「庄内東町5」交差で「国道176号線」と合流する。すぐ北側に交番と並んで古い木造の建物が建つ。「売り」に出ているようだ。
「庄内東町5」交差に戻って「ヤマダ電機」の前で国道を渡り路地に入って行けば、そこは「駅前東ストリート」。「庄内駅」東側の駅前商店街だ。
かつては「アルサロ(アルバイトサロン~死語!)」などもあった歓楽街だ。
商店街を抜けて「庄内駅」の出入口に出る。
手前の踏切を渡り、駅の西側に出れば正面に「庄内ウェスト」というアーケード商店街が見えるが、中には入らず左折する。
そして次に「西本町商店街」というアーケードが見えるので入って行こう。
1つ目の辻を右に曲がり道なりに進んでいくと、先ほどやり過ごした「庄内ウェスト」と交差するので、アーケードを横切って真っ直ぐ進む。
グルメシティを左に見ながら100mほどで「庄内西口商店街」を右に曲がる。一杯飲み屋などが並ぶ。
商店街を過ぎると阪急の線路に突き当たるので右へ。何だか東淀川区の「淡路駅」に似ているな。
先ほどの踏切に出るので渡って左へ。駅前東から国道までの短い通りは「庄内駅前商店街」。
駅舎の右、線路沿いに走る「庄内銀座」という路地に入る。
おそらく「庄内駅前」が沿線で最も庶民的な「駅前」ではないだろうか。「庄内駅」と次の「服部天神駅」が、高架駅に改築されず平屋のままであることから「昭和」の雰囲気を保っているのだろう。
そして「庄内」と言えば「豊南(ほうなん)市場」。
北大阪でも有名な市場で生鮮品や年末には正月用の食材を求めて多くの人が訪れる。
結構広いな。
「豊南市場」を抜ければ「国道176号線」に出るので左へ。
次の信号で「さくら広場」という公園のある「庄内東町」交差を左折する。私は身長168cm。ギリギリだな。「宝塚線」のガードをくぐろう。
正面は「オペラ通り」。「庄内」には「大阪音楽大学」という大学があるのだ。右に曲がり北に進む。
「名神高速」と「府道」の高架道をくぐれば突き当たるので右に曲がり、次の路地を左に入る。何でもない路地だが、色んな店が並ぶな。
しばらく歩き、突き当たりを右に行けば、左に「神社」が見えてくる。「服部天神宮」だ。
昔、菅原道真が太宰府に流される道中、足を痛めたため平癒祈願したところ、たちまち治ったことから「足の神様」とも言われる。
「歩紀ニスト」として参拝しておこう。そして御守を授かってモンベルのリュックに。
正面の鳥居に戻り左へ。「服部天神駅前」の「服部元町商店街」だ。「男の隠れ家」になりそうな雰囲気の良い店が多いな。
北へ入れば、駅から国道までの広い通りが「服部駅前商店街」。何か地方都市の駅前商店街という感じが良いな。
そして左を見れば「服部天神駅」。木造平屋の駅舎が良い。昔、日本語を習っていた外国の人に「服部」と書いてなぜ「はっとり」と読むのと聞かれたことがある。確かにそうだな。
この駅の特徴は、梅田方面行きホームのど真ん中に「クスノキ」がそびえ、ご神木として祀られていることだ。かつては、駅の敷地まで神社の境内だったという。
踏切を渡れば、ここにも一杯飲み屋。右(北)へ進む。
「宝塚線」に沿って歩いて行くと左に「豊中ローズ球場」というナイター設備のある立派な球場が見えてくる。ここは「豊島公園」。市政が施行されるまでこの辺りは「豊島(てしま)郡」と呼ばれた。この付近には「豊島○○」という地名や施設が多くある。
そして「宝塚線」は、この辺りからまた高架になるので高架をくぐり左へ。「曽根東町6」交差で府道を渡る。目の前には「アクア文化ホール」という立派な建物が見える。
その向かいには「ヴァイキングビル」。飲食店やボーリング場のあるレジャービルだが、壁に描かれた大きな絵が列車内からも目を引く。ここは「曽根駅前」だ。
「曽根駅」は、東側にダイエーなどが並び「駅前」として整備されている。
「JR福知山線」と競合することから、サービス向上のため、この後訪れる「岡町」「豊中」とともに高架化された。高架下は「ティオ阪急曽根」という商業施設となっているようだ。
線路の東側を北に進む。
右には「萩の寺公園」。本来であれば道路から「曹洞宗東光院」が見えるのだが、何やら工事をしているようだ。壁面に「東光院」の絵が描かれている。
工事現場横から公園に入る。「延命橋」から、ちょこっと「東光院」の屋根が見える。
橋の横の階段から上がれば「東光院」の山門。毎年9月には「萩まつり」が開催されることから「萩の寺」と呼ばれる。
線路沿いに戻り北へ。600mほどで左に「岡町駅」。この駅の特徴は、駅東側の真ん前に「原田神社」という古い神社があることだ。
神社を囲むように商店街が形成されている。「昭和チック」な商店街だな。
「岡町商店街」。参拝客を相手に発展した商店街なのだろうか。
「岡町商店街」に入る。
やはり古いお店が多い。
良い雰囲気だな。
ここは、何と店の中に大木が。御神木なのだろう。
歴史があるんだろうな。
その向かいにはお好み焼き屋さん。ここで「桜塚商店街」と交差するので右に曲がる。
少し進めば「原田神社」の入口。今歩いた「桜塚商店街」は「能勢街道」だ。
「駅前」神社に参拝しておこう。4~5世紀創建という古い神社で「須佐之男命」を祀る。
神社の左脇から抜ければ、大きな茅葺きのお屋敷。阪急の車内からも良く見える。
境内に戻り「岡町商店街」を抜け「駅前」へ。この駅も高架化に伴い、高架下の駅構内は「ティオ阪急岡町」という商業施設となっている。
駅西側は、小さな公園として整備され交番などが立つ。「十三駅」を出発して次の「豊中駅」までの「三国駅」「庄内駅」「服部天神駅」「曽根駅」「岡町駅」の5駅は、普通列車しか停車しないので、自宅や勤め先、行きつけの店でもない限り、あまり馴染みはないかもしれない。
高架の西側をさらに進む。この辺りは、高架を走る列車内から見ても立派な邸宅が多い。
7~800mで前方に「豊中駅」が見えてくる。人口約40万人を擁する「豊中市」の玄関口にふさわしい立派な駅だ。
駅をはさんで多くのビルや銀行、商店、ホテルなど並ぶ。
特に、駅の東側に古い駅前商店街が残っているようだ。昔「ジャズ喫茶」があったのだが。
ここも駅構内は「ティオ阪急豊中」という商業施設で、「エトレとよなか」というショッピングモールとも繋がっている。
ただ、急に発展・開発されたためか、駅前は狭く、一方通行や右折禁止などで複雑だ。
駅前交番前を高架線に沿って北へ。右の歩道を歩こう。
「千里川」を渡る。道は軽い登り坂になる。
しばらく歩くと左に踏切が。高架線が終わったようだ。そして、この踏切は、この1軒のお屋敷だけのためにある踏切で、テレビ番組でも取り上げられたことがある沿線ではちょっと有名な踏切だ。
右の土手を上がれば「箕輪池」。
池の北側には「曹洞宗圓満寺」。
長寿・延命の「福禄寿尊」がまつられている。
境内を抜け石段を下れば、小さなロータリーに出て「国道176号線」に戻る。大阪モノレールが走る。
そのまま進み、次の踏切を過ぎれば「蛍池駅」。駅自体は平屋であるが、3階を走る「大阪モノレール」と合同駅舎になっているので切符売り場や改札口は2階にある。
駅入り口を過ぎれば小さな「駅前ロータリー」。交番やちょっとした飲み屋がある。
この駅は「大阪空港」への最寄駅ということで空港バスも停車する。
駅東側の国道沿いに店が並ぶ。
駅入り口に戻り2階へ。「宝塚線」と「大阪モノレール」の連絡口となっている。
そして連絡口は、駅西側の「ルシオーレ」という商業施設と繋がっている。
階下に下り、駅の西口からモノレールの高架線と「宝塚線」に沿って北へ進む。
モノレールが右へと流れれば「池田市」。「豊中市」は広かったな。
前の「中国自動車道」「大阪中央環状線」をくぐり、「市立石橋南小学校」を過ぎて少し歩けば踏切が。この踏切を渡る細い道は「西国街道」。
踏切を渡ったところには「西国街道」の石標と小さな石の「道標」。そして、ここには昔「高札場」があったらしく「道標」の奥に復元されている。
踏切を元に戻り、そのまま北に進む。色んな店が現れ始める。
「国道171号線」の高架をくぐれば正面に「ショッピングストリートいしばし」。ここから「石橋駅前」だ。
以前「大阪24区を歩く」で鶴見区を訪れたが、「北摂人」様からコメントを頂いた和菓子屋の「三松」。イチゴ大福を買いがてら店の方に尋ねたところ「放出駅前」のお店については、その存在も知らず全く無関係のようだ。
すぐに「石橋駅西口」が右に。何か午前中に訪れた「十三駅西口」に似ているなあ。
そういえば線路との間の細い路地も「ションベン横丁」のようだな。「石橋駅」も「高架化」されなかったことから「昭和」な雰囲気が残っているのだろう。しかし「平成」ももう少しで終わるんだな…。
リトル?「ションベン横丁」を抜けると「地蔵尊」。
「地蔵尊」前を左に曲がって「ショッピングストリートいしばし」に戻る。古い昔ながらの商店街だ。パチンコ屋を過ぎて右に曲がりガードをくぐって駅の東側に向かう。
「石橋駅前」は、焼き肉店や韓国ラウンジ、韓国料理店なども多く、ちょっとした「コリアタウン」としての顔を持つ町だ。
また、なぜか焼き鳥屋や鶏鍋などの「鶏料理店」も多い。
すぐ近くには「大阪大学」があり、阪大生たちにとっては「学生街」でもある。確かに居酒屋やコンビニのアルバイトには、阪大生や留学生と思われる外国人が多い(写真と文とは関係ありません)。
「駅東口」に出る。「石橋駅」は「箕面の滝」や「箕面のサル」で有名な「箕面」への乗換駅でもある。
駅の構造上「駅西口」に戻る地下道や陸橋はない。元の道を通ってガードをくぐり商店街に戻る。右へ曲がればここにも「三松」。こちらが本店で、先ほどの店は出店らしい。
この店も良い味が出てるな。
すぐ隣には「平和温泉」。こんなところにお風呂屋さんがあるんだ。
「平和温泉」を過ぎるとアーケードは終わる。赤い橋で「箕面川」を渡る。
橋を渡って振り返れば。この商店街は「能勢街道」だったんだな。
突き当たりを右に曲がり「宝塚線」の高架に突き当たるので左に曲がる。そう「石橋駅」から先は、また「高架化」されているのだ。
阪急車内からもよく見える立派な旧家。
途中、歩道橋で「国道171号線バイパス」を渡り、ここからは、ひたすら高架に沿って歩くことになる。高架の東側を歩こう。
あっ!ガード下に本当に「隠れ家」があった。
阪急車内から見える大きな「長屋門」が残るお屋敷。春は、桜がきれいだ。
「八王子」交差を越え、車内から見えるこのお屋敷も立派だ。
奥には「池田泉州銀行」の本店ビル。
右に「菅原町地蔵尊」が現れると、前方に本日のゴール「池田駅」が見えてくる。
ガードをくぐり駅の西側に出る。有名なラーメン屋。
駅前西口には「ダイエー」や「ファミレス」。
「ファミレス」の隣には、こんな飲み屋街もある。
飲み屋街を抜ければ、沿線ではちょっと有名な「牡蠣」専門の料亭。
駅前まで戻ろう。「サンシティ」というショッピングストアーと駅は繋がっている。
駅前に人工の川が流れる。この駅も高架駅で、高架下は「ブランマルシェ」というショッピングモールになっている。
「ブランマルシェ」に入り、南へ戻りながら歩いて見よう。
「ブランマルシェ」を抜けて「駅東口」に出る。ちょうど「チキンラーメン」仕様の阪急バスが入ってきた。池田市は「チキンラーメン」発祥の地。そう言えば、今やってるNHKの朝ドラ「まんぷく」は、チキンラーメンの発明者「安藤百福」のお話だな。
池田は、かつての酒所。今も「呉春」や「緑一」などの酒を醸す。
駅前には、市役所や警察署・郵便局・税務署・保健所・裁判所などがあり「公務員」相手の店も多いようだ。
「国道176号線」沿いには、沿線ではちょっと有名なお好み焼き屋さん。
駅前に戻る。「駅東口」は、催し物広場や阪急バスのターミナル、タクシー乗り場になっている。午後4時50分到着。本日の歩紀「34828歩」(23.68km)。快速急行で走ればたった20分の距離。時間的にほとんどの店は開店前だったが、各駅前には「男の隠れ家」になりそうな店も多く、それぞれ良い「顔」を持つ。
出 発:阪急電車「梅田駅」
到 着:阪急電車「池田駅」
大阪梅田から宝塚を結ぶ阪急「宝塚線」。大阪で一番「高級感」溢れる沿線といわれる。以前、「巡礼街道」で兵庫県下を歩いたが、今日は「梅田駅」から「池田駅」までの大阪府下を歩いてみよう。確かに猪名川を越えた兵庫県の「雲雀丘花屋敷駅」や終点「宝塚駅」周辺。大阪府豊中市・箕面市・池田市の山手に行けば高級住宅街が開けるが、大阪府下の各駅前には結構、庶民的でちょっとレトロな雰囲気も残る。「駅前」に特化したので移動のための「線路沿い」を除いては「駅周辺」にも立ち寄らない。給水・トイレには、まったく困らない。
阪急「梅田駅」。「神戸線」「宝塚線」「京都線」3線の出発点。午前9時45分、4番線に到着。今日は、この時間をもってスタートとする。さすが関西一の私鉄ターミナル。1~9番線を擁する大きな駅だ。
ホーム南端の改札口を出てエスカレーターを下り、ターミナルの南東角にあたるJRガード手前に出る。ここには「阪急イングス」や飲食店ビルが並ぶ。
駅は「阪急17番街」や「阪急三番街」が入る阪急ターミナビル内にあるが「阪急百貨店」とは、JRのガードをはさんで隔てられている。
そのガード下は「新梅田食道街」となっている。「食堂」ではなく「食道」だ。
私の「行きつけの店」もある。
ガード下だが2階建てである。
駅西隣りには「関西空港」行きの空港バス乗り場。
その隣には「新阪急ホテル」が建つ。
「芝田交差」をはさんで「ヨドバシカメラ」。
阪急「梅田駅」ビルの2階から地下2階までは、「阪急三番街」と呼ばれるショッピングモールになっており、それぞれ北館・南館の8ブロックに分かれ、ファッション街、飲食店街などになっている。
特に地下2階には川が流れ、昭和44年のオープン以来「川が流れる三番街」として有名だ。
1階には「紀伊國屋書店」。大阪で最も有名な書店で、待ち合わせ場所としても良く利用される。ただし出入り口は、2階コンコースに向かうエスカレーターをはさんで2ヶ所に分かれるので、すれ違いに注意しよう(特に恋人同士は)。
「紀伊國屋書店」に向かって左側には「地蔵横丁」と呼ばれる小さな飲食店街。
入口には、通り名の由来となる「北向地蔵尊」。線香の香りが漂う。
「飲み屋」ではなく「飲食店」が数店並ぶ。
「地蔵横丁」を抜ければ右に「阪急高速バスターミナル」。
梅田地区には、「阪急」の他「JR」「近鉄」「バスツアー会社」の高速バスターミナルがある。
西日本を中心に北陸や信州・関東・TDLなど各地への夜行バス・長距離バスの発着地となっている。
待合所には、ちょっとした「旅情」が感じられる。
バスターミナルから北に進むとここにも「阪急三番街」。
1階を抜けると「かっぱ横丁」という飲食街に出る。
さらに進みガード下に出て右に曲がれば、ビルの谷間にお社が。
「綱敷(つなしき)天神社御旅所」。本宮は、700mほど南東の堂山町にある。お参りできるので、今日一日の安全を祈願する。こんな都会の真ん中に神社が。神社密度の高さに驚きと感謝。
まだ奥には街が続くが「駅前」と呼ぶには、この辺りが北限だろう。「梅田駅」を後に北へ進む。この辺りは「茶屋町」と呼ばれ「ロフト」や「ちゃやまちアプローズ」などのレジャービルが並ぶ。
「ホテル新阪急インターナショナル」を過ぎれば、阪急ガード下に「済生会病院前」交差。
左を見れば、建て替えられたが石造りの「済生会中津病院」が立つ。
少し進めば「中津陸橋」で「大阪市最後の一等地」と呼ばれる「梅田貨物駅跡」へと続く「JR梅田貨物線」を跨ぐ。視界を遮るものがないので、目の前に「梅田スカイビル」がそびえる。
右には、「神戸」「宝塚」「京都」各線の鉄橋が走る。
すぐに次の駅である「中津駅」への階段が現れるので下りて行こう。
「駅前」というよりは「ガード下」といった雰囲気の改札前に居酒屋などの店舗が数軒。
この駅の高架下は、かつて貸倉庫や貸工場があり、ちょっと「DEEP」な世界が広がっていたのだが閉鎖されたようだ。
いずれこうなることは分かっていたが、またひとつ「昭和」が消えてしまったんだな。
以前、「大阪24区を歩く」で歩いていて良かった。「北区」編を参照してください。
階段があったので「地上(正確には高架上)」へ戻ろう。
そこは「中津浜」交差。「国道176号線」をさらに進めば「十三小橋」で「旧中津運河」を渡る。
そして「十三大橋」で大阪の母なる川「淀川」を渡る。
すぐ上流には、阪急電車各線の鉄橋が3つ並ぶ。
600mを越える橋を渡れば「地蔵尊」が祀られている。
その横には「十三大橋」の由緒が書かれた石碑。
淀川堤防からゆっくりと坂を下り「新北野」交差で「淀川通り」を越えれば右に「十三駅前西商店街」。飲食店や風俗店が並ぶ。もうここは、次の駅「十三(じゅうそう)」の駅前だ。
100mほどの商店街を抜ければ右に「十三駅西口」。
その前は「十三トミータウン」という商店街になっており、酒饅頭で有名な「喜八洲総本舗」などが並ぶ。
三菱UFJ銀行の前に小さな「小便小僧」。「見返りトミー君」と名付けられている。「トミー」は「十三」のあて読み。なぜ「小便小僧」なのか?
「駅西口」前の小さな南北路地には一杯飲み屋が並ぶ。この一角は「ションベン横丁」と呼ばれるが、平成26年3月7日早朝の大火により町並みが一変した。
かつての「闇市」跡に開けた飲み屋街にトイレがなかったことから酔客は立ち小便をし、付近には小便の臭いが立ち込めたことから「ションベン横丁」と呼ばれたという。
横丁北端の路地でUターンし、今は建てられている公衆トイレ前から横丁を南へ戻る。
随分と雰囲気が変わったな。
「駅西口」に戻り、向かって右側の「身長180cm以上」の人は通れない?ガードをくぐろう。
4~50mの長いガードをくぐれば「駅東口」。左には「十三東駅前商店街」。正面の「十三駅前通り商店街」に進む。
アーケードが終われば左側に「神津神社」が現れる。
「応神天皇」らをご祭神とするが、「えべっさん」も祀られ、毎年1月に行われる「戎祭り」は、「十三戎」と書いて「とみえびす」と呼ばれる。
神社西の「十三東公園」を通り抜け、「十三東二仲町商店街」へ。「十三戎小路」や「十三東小路」などの飲み屋街が広がる。「十三駅」周辺は、大阪でも有数の歓楽街だ。
北に進んでいき「英真学園」南館の前を通り過ぎる。かつて「淀女」と呼ばれた「淀川女子高校」が平成12年の男女共学化に伴い名称変更された。
阪急の各線は、「十三駅」で扇を広げるように分岐する。踏切で阪急「京都線」を渡る。踏切の名前は「女子職踏切」。「淀女」の前身は、昭和2年に創立された「大阪高等女子職業学校」。その名残りだろう。
ここにも「英真学園」が。
さらに「英真学園」北館脇を抜け、「市立十三中学校」前の信号を渡る。
路地を抜ければ「野中福祉会館」。そこに「野々宮稲荷大神」が祭られている。
前に見える複雑な五叉路の左側(一方通行路)を進む。
広い道に出れば左に曲がろう。前方には「山陽新幹線」の高い高架線。
踏切手前右には「宮原操車場」。新幹線高架の下を「JR北方貨物線」が走る。
踏切を渡り、分岐した阪急「宝塚線」に沿って北上する。
「三国本町2」交差を越え、さらに進む。
7~8分ほどで左に「三国駅」。駅東側はロータリーになっており、市バス乗り場や交番がある。
駅ビルと高架下は「ヴュール阪急三国」という商業施設やクリニックビルになっている。
駅西側には高層マンションが並ぶ。
時間は正午。今日は三国駅前にあった喫茶店「アシスト」に入ろう。
日替わり定食(カツとじ)を注文(650円)。
食事を終え駅北側に。「サンティフルみくに」という商店街があり、結構賑やかな商店街だが「駅前」から離れるので今日は歩かない。
次の路地を左に入り「三国橋」で「神崎川」を越える。かつては「渡し船」が通っていたんだな。
橋を渡れば、この道が市境なのだろう。右は「大阪市」、左は「豊中市」になっている。「豊中市」に入ったということだな。この道は「能勢街道」らしい。
アーケードではないが「三国橋商店街」という道を抜けて行く。
しばらく歩けば「道田(どうでん)橋」交差。車道のみ立体になった、ちょっと変わった交差点だ。歩行者は、下を抜けていく。
「道田橋」交差を渡れば川の堤防沿いに出る。豊中市内を南北に流れて「神崎川」に注ぐ「天竺川」という川だ。
天井川になっているので堤防はかなり高い。だから「道田橋」交差は、立体になっているんだな。
「砂畑橋」という橋を過ぎて、川の向こうに墓地が見えてくれば、左の一方通行路に曲がろう。かなり高度差があるんだな。おばちゃんは、自転車を押していた。
郵便局を過ぎれば「庄内東町5」交差で「国道176号線」と合流する。すぐ北側に交番と並んで古い木造の建物が建つ。「売り」に出ているようだ。
「庄内東町5」交差に戻って「ヤマダ電機」の前で国道を渡り路地に入って行けば、そこは「駅前東ストリート」。「庄内駅」東側の駅前商店街だ。
かつては「アルサロ(アルバイトサロン~死語!)」などもあった歓楽街だ。
商店街を抜けて「庄内駅」の出入口に出る。
手前の踏切を渡り、駅の西側に出れば正面に「庄内ウェスト」というアーケード商店街が見えるが、中には入らず左折する。
そして次に「西本町商店街」というアーケードが見えるので入って行こう。
1つ目の辻を右に曲がり道なりに進んでいくと、先ほどやり過ごした「庄内ウェスト」と交差するので、アーケードを横切って真っ直ぐ進む。
グルメシティを左に見ながら100mほどで「庄内西口商店街」を右に曲がる。一杯飲み屋などが並ぶ。
商店街を過ぎると阪急の線路に突き当たるので右へ。何だか東淀川区の「淡路駅」に似ているな。
先ほどの踏切に出るので渡って左へ。駅前東から国道までの短い通りは「庄内駅前商店街」。
駅舎の右、線路沿いに走る「庄内銀座」という路地に入る。
おそらく「庄内駅前」が沿線で最も庶民的な「駅前」ではないだろうか。「庄内駅」と次の「服部天神駅」が、高架駅に改築されず平屋のままであることから「昭和」の雰囲気を保っているのだろう。
そして「庄内」と言えば「豊南(ほうなん)市場」。
北大阪でも有名な市場で生鮮品や年末には正月用の食材を求めて多くの人が訪れる。
結構広いな。
「豊南市場」を抜ければ「国道176号線」に出るので左へ。
次の信号で「さくら広場」という公園のある「庄内東町」交差を左折する。私は身長168cm。ギリギリだな。「宝塚線」のガードをくぐろう。
正面は「オペラ通り」。「庄内」には「大阪音楽大学」という大学があるのだ。右に曲がり北に進む。
「名神高速」と「府道」の高架道をくぐれば突き当たるので右に曲がり、次の路地を左に入る。何でもない路地だが、色んな店が並ぶな。
しばらく歩き、突き当たりを右に行けば、左に「神社」が見えてくる。「服部天神宮」だ。
昔、菅原道真が太宰府に流される道中、足を痛めたため平癒祈願したところ、たちまち治ったことから「足の神様」とも言われる。
「歩紀ニスト」として参拝しておこう。そして御守を授かってモンベルのリュックに。
正面の鳥居に戻り左へ。「服部天神駅前」の「服部元町商店街」だ。「男の隠れ家」になりそうな雰囲気の良い店が多いな。
北へ入れば、駅から国道までの広い通りが「服部駅前商店街」。何か地方都市の駅前商店街という感じが良いな。
そして左を見れば「服部天神駅」。木造平屋の駅舎が良い。昔、日本語を習っていた外国の人に「服部」と書いてなぜ「はっとり」と読むのと聞かれたことがある。確かにそうだな。
この駅の特徴は、梅田方面行きホームのど真ん中に「クスノキ」がそびえ、ご神木として祀られていることだ。かつては、駅の敷地まで神社の境内だったという。
踏切を渡れば、ここにも一杯飲み屋。右(北)へ進む。
「宝塚線」に沿って歩いて行くと左に「豊中ローズ球場」というナイター設備のある立派な球場が見えてくる。ここは「豊島公園」。市政が施行されるまでこの辺りは「豊島(てしま)郡」と呼ばれた。この付近には「豊島○○」という地名や施設が多くある。
そして「宝塚線」は、この辺りからまた高架になるので高架をくぐり左へ。「曽根東町6」交差で府道を渡る。目の前には「アクア文化ホール」という立派な建物が見える。
その向かいには「ヴァイキングビル」。飲食店やボーリング場のあるレジャービルだが、壁に描かれた大きな絵が列車内からも目を引く。ここは「曽根駅前」だ。
「曽根駅」は、東側にダイエーなどが並び「駅前」として整備されている。
「JR福知山線」と競合することから、サービス向上のため、この後訪れる「岡町」「豊中」とともに高架化された。高架下は「ティオ阪急曽根」という商業施設となっているようだ。
線路の東側を北に進む。
右には「萩の寺公園」。本来であれば道路から「曹洞宗東光院」が見えるのだが、何やら工事をしているようだ。壁面に「東光院」の絵が描かれている。
工事現場横から公園に入る。「延命橋」から、ちょこっと「東光院」の屋根が見える。
橋の横の階段から上がれば「東光院」の山門。毎年9月には「萩まつり」が開催されることから「萩の寺」と呼ばれる。
線路沿いに戻り北へ。600mほどで左に「岡町駅」。この駅の特徴は、駅東側の真ん前に「原田神社」という古い神社があることだ。
神社を囲むように商店街が形成されている。「昭和チック」な商店街だな。
「岡町商店街」。参拝客を相手に発展した商店街なのだろうか。
「岡町商店街」に入る。
やはり古いお店が多い。
良い雰囲気だな。
ここは、何と店の中に大木が。御神木なのだろう。
歴史があるんだろうな。
その向かいにはお好み焼き屋さん。ここで「桜塚商店街」と交差するので右に曲がる。
少し進めば「原田神社」の入口。今歩いた「桜塚商店街」は「能勢街道」だ。
「駅前」神社に参拝しておこう。4~5世紀創建という古い神社で「須佐之男命」を祀る。
神社の左脇から抜ければ、大きな茅葺きのお屋敷。阪急の車内からも良く見える。
境内に戻り「岡町商店街」を抜け「駅前」へ。この駅も高架化に伴い、高架下の駅構内は「ティオ阪急岡町」という商業施設となっている。
駅西側は、小さな公園として整備され交番などが立つ。「十三駅」を出発して次の「豊中駅」までの「三国駅」「庄内駅」「服部天神駅」「曽根駅」「岡町駅」の5駅は、普通列車しか停車しないので、自宅や勤め先、行きつけの店でもない限り、あまり馴染みはないかもしれない。
高架の西側をさらに進む。この辺りは、高架を走る列車内から見ても立派な邸宅が多い。
7~800mで前方に「豊中駅」が見えてくる。人口約40万人を擁する「豊中市」の玄関口にふさわしい立派な駅だ。
駅をはさんで多くのビルや銀行、商店、ホテルなど並ぶ。
特に、駅の東側に古い駅前商店街が残っているようだ。昔「ジャズ喫茶」があったのだが。
ここも駅構内は「ティオ阪急豊中」という商業施設で、「エトレとよなか」というショッピングモールとも繋がっている。
ただ、急に発展・開発されたためか、駅前は狭く、一方通行や右折禁止などで複雑だ。
駅前交番前を高架線に沿って北へ。右の歩道を歩こう。
「千里川」を渡る。道は軽い登り坂になる。
しばらく歩くと左に踏切が。高架線が終わったようだ。そして、この踏切は、この1軒のお屋敷だけのためにある踏切で、テレビ番組でも取り上げられたことがある沿線ではちょっと有名な踏切だ。
右の土手を上がれば「箕輪池」。
池の北側には「曹洞宗圓満寺」。
長寿・延命の「福禄寿尊」がまつられている。
境内を抜け石段を下れば、小さなロータリーに出て「国道176号線」に戻る。大阪モノレールが走る。
そのまま進み、次の踏切を過ぎれば「蛍池駅」。駅自体は平屋であるが、3階を走る「大阪モノレール」と合同駅舎になっているので切符売り場や改札口は2階にある。
駅入り口を過ぎれば小さな「駅前ロータリー」。交番やちょっとした飲み屋がある。
この駅は「大阪空港」への最寄駅ということで空港バスも停車する。
駅東側の国道沿いに店が並ぶ。
駅入り口に戻り2階へ。「宝塚線」と「大阪モノレール」の連絡口となっている。
そして連絡口は、駅西側の「ルシオーレ」という商業施設と繋がっている。
階下に下り、駅の西口からモノレールの高架線と「宝塚線」に沿って北へ進む。
モノレールが右へと流れれば「池田市」。「豊中市」は広かったな。
前の「中国自動車道」「大阪中央環状線」をくぐり、「市立石橋南小学校」を過ぎて少し歩けば踏切が。この踏切を渡る細い道は「西国街道」。
踏切を渡ったところには「西国街道」の石標と小さな石の「道標」。そして、ここには昔「高札場」があったらしく「道標」の奥に復元されている。
踏切を元に戻り、そのまま北に進む。色んな店が現れ始める。
「国道171号線」の高架をくぐれば正面に「ショッピングストリートいしばし」。ここから「石橋駅前」だ。
以前「大阪24区を歩く」で鶴見区を訪れたが、「北摂人」様からコメントを頂いた和菓子屋の「三松」。イチゴ大福を買いがてら店の方に尋ねたところ「放出駅前」のお店については、その存在も知らず全く無関係のようだ。
すぐに「石橋駅西口」が右に。何か午前中に訪れた「十三駅西口」に似ているなあ。
そういえば線路との間の細い路地も「ションベン横丁」のようだな。「石橋駅」も「高架化」されなかったことから「昭和」な雰囲気が残っているのだろう。しかし「平成」ももう少しで終わるんだな…。
リトル?「ションベン横丁」を抜けると「地蔵尊」。
「地蔵尊」前を左に曲がって「ショッピングストリートいしばし」に戻る。古い昔ながらの商店街だ。パチンコ屋を過ぎて右に曲がりガードをくぐって駅の東側に向かう。
「石橋駅前」は、焼き肉店や韓国ラウンジ、韓国料理店なども多く、ちょっとした「コリアタウン」としての顔を持つ町だ。
また、なぜか焼き鳥屋や鶏鍋などの「鶏料理店」も多い。
すぐ近くには「大阪大学」があり、阪大生たちにとっては「学生街」でもある。確かに居酒屋やコンビニのアルバイトには、阪大生や留学生と思われる外国人が多い(写真と文とは関係ありません)。
「駅東口」に出る。「石橋駅」は「箕面の滝」や「箕面のサル」で有名な「箕面」への乗換駅でもある。
駅の構造上「駅西口」に戻る地下道や陸橋はない。元の道を通ってガードをくぐり商店街に戻る。右へ曲がればここにも「三松」。こちらが本店で、先ほどの店は出店らしい。
この店も良い味が出てるな。
すぐ隣には「平和温泉」。こんなところにお風呂屋さんがあるんだ。
「平和温泉」を過ぎるとアーケードは終わる。赤い橋で「箕面川」を渡る。
橋を渡って振り返れば。この商店街は「能勢街道」だったんだな。
突き当たりを右に曲がり「宝塚線」の高架に突き当たるので左に曲がる。そう「石橋駅」から先は、また「高架化」されているのだ。
阪急車内からもよく見える立派な旧家。
途中、歩道橋で「国道171号線バイパス」を渡り、ここからは、ひたすら高架に沿って歩くことになる。高架の東側を歩こう。
あっ!ガード下に本当に「隠れ家」があった。
阪急車内から見える大きな「長屋門」が残るお屋敷。春は、桜がきれいだ。
「八王子」交差を越え、車内から見えるこのお屋敷も立派だ。
奥には「池田泉州銀行」の本店ビル。
右に「菅原町地蔵尊」が現れると、前方に本日のゴール「池田駅」が見えてくる。
ガードをくぐり駅の西側に出る。有名なラーメン屋。
駅前西口には「ダイエー」や「ファミレス」。
「ファミレス」の隣には、こんな飲み屋街もある。
飲み屋街を抜ければ、沿線ではちょっと有名な「牡蠣」専門の料亭。
駅前まで戻ろう。「サンシティ」というショッピングストアーと駅は繋がっている。
駅前に人工の川が流れる。この駅も高架駅で、高架下は「ブランマルシェ」というショッピングモールになっている。
「ブランマルシェ」に入り、南へ戻りながら歩いて見よう。
「ブランマルシェ」を抜けて「駅東口」に出る。ちょうど「チキンラーメン」仕様の阪急バスが入ってきた。池田市は「チキンラーメン」発祥の地。そう言えば、今やってるNHKの朝ドラ「まんぷく」は、チキンラーメンの発明者「安藤百福」のお話だな。
池田は、かつての酒所。今も「呉春」や「緑一」などの酒を醸す。
駅前には、市役所や警察署・郵便局・税務署・保健所・裁判所などがあり「公務員」相手の店も多いようだ。
「国道176号線」沿いには、沿線ではちょっと有名なお好み焼き屋さん。
駅前に戻る。「駅東口」は、催し物広場や阪急バスのターミナル、タクシー乗り場になっている。午後4時50分到着。本日の歩紀「34828歩」(23.68km)。快速急行で走ればたった20分の距離。時間的にほとんどの店は開店前だったが、各駅前には「男の隠れ家」になりそうな店も多く、それぞれ良い「顔」を持つ。
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