「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

琵琶湖一周歩紀9~水郷と近江商人の町を訪ね「湖(うみ)」を渡る~

2025-01-06 03:04:19 | 日記
訪問日:令和7年1月5日(日)
出 発:JR「近江八幡駅」
到 着:JR「堅田駅」

 新年あけましておめでとうございます。

 琵琶湖一周歩紀もいよいよ終盤となりました。令和7年「初歩紀」は、今も堀を舟が行き交う水郷の町、そして近江商人発祥の地として多くの商家が並ぶ「近江八幡」の町歩紀を楽しんだ後、湖岸をひたすら歩き「琵琶湖大橋」で湖(うみ)を渡ります。途中、自販機やトイレはありますが、店は近江八幡を出るとコンビニが1軒あるくらいです。


 今日のスタートは前回バス乗り継ぎのため下車したJR「近江八幡駅」。大阪駅から約1時間20分(1520円)です。今日も最寄り駅の始発でやって来ました。駅1階に観光案内所がありますが営業は午前9時から。しかし前回「安土駅」の観光案内所で近江八幡のマップとパンフをもらっているので午前7時45分、今日も元気に出発です。ここは滋賀県近江八幡市。今日は寒いです。近江八幡地方の最低気温は-1.5度。ただ私が自宅を出発した午前5時の豊能町は-4.0度でした。ここはまだ暖かいよ。


 表玄関である北口はホテルや飲食店などが並ぶ賑やかな「駅前」です。裏に当たる南口も「イオン」ができてから結構賑わっているようです。


 駅の真ん前には「近江商人発祥の地」碑。近江商人とは近江で商売をしている人たちではなく、近江を拠点(本家・本店)として京・大坂、江戸は元より遠く北海道や安南(ベトナム)、シャム(タイ)など海外まで手を広げて商売をしていた人たちのことを言うそうですよ。すごいですね。


 碑のすぐ後ろにある横断歩道を渡って「県道502号線」を遠くに見える山を目指して北に進みます。近江八幡市の市街地は駅の北側に広がるのですが、ちょうど東西に走る「県道2号線」で二分され、南半分は駅前から続く商店や飲食店、ホテル、住宅などが並びます。結構大きな町です。


 和菓子の老舗である「たねや」のビルを過ぎれば官庁街。セブン・イレブン前を過ぎてさらに進めば市街地を二分する県道2号線と交わる「中村町交差点」に出るので、信号を渡り左に曲がって「ガスト」前を通り過ぎ二つ目の辻を右に入ります。


 7~80mほどで「八幡神社」。今日一日の安全を祈願します。歩紀の早い段階で神社参拝をするのが私の流儀です。それほど日本は神社密度が高いのです。(午前8時4分)


 神社裏を右に曲がり県道502号線に戻りますが、このあたりからは「小幡町通り」と呼ばれます。県道2号線を越えると徐々に良い雰囲気の街並みへと変わって行きます。


 「小幡上筋交差点」を左に曲がりましょう。すぐ左には「近江八幡市立八幡小学校」。


 同校のホームページによると歴史的には明治6年4月開校の古い小学校で、大正6年10月、ここに移転新築されたそうです。白い木造瓦葺の校舎が美しいですね。


 小学校を過ぎ二つ目の辻にお堂があるので右に曲がります。


 この道は「池田町通り」。1km四方ほどの近江八幡旧市街地は概ね碁盤の目状に形成されており、南北の通りにはそれぞれ名前が付けられています。50mほど進めば何やら左に煉瓦塀が見えてきました。


 ここは「池田町洋風住宅街」。この後、何度も出てくるのですが「ヴォーリズ」というアメリカ人建築家により建築された洋館の住宅街です。4棟ほど残っていますが現在も住居として使用されているので外観だけの見学です。(午前8時15分)


 そのうちのひとつ「ウォーターハウス記念館」は期間指定で見学ができるそうですよ。


 その先を左折すれば角に大きなお寺が。「本願寺八幡別院」。徳川家康の宿泊所やすぐ北側を「朝鮮人街道」が走ることから朝鮮通信使の食事場所などとしても使用されたそうです。


 旧家をリノベーションしたフランス料理店の先を右に曲がりましょう。


 この道が朝鮮人街道です。古い家が続きます。


 この立派な旧家は「中村四郎兵衛邸」。


 「小幡交差点」で「小幡町通り」を渡れば右に市営駐車場。観光客用のトイレがあります。その前には「朝鮮人街道」碑。(午前8時25分)


 朝鮮人街道沿いの角にある立派な屋敷は「旧伴家住宅」。江戸時代の豪商、伴庄右衛門の本家です。


 明治以降は役場や先ほど訪れた八幡小学校の前身である「八幡尋常高等小学校」として使用されました。


 その向かいの洋館は「市立資料館」。


 そしてこの通りは最も近江商人の町並みが残る「新町通り」です。左に曲がりましょう。


 すぐ右に「森五郎兵衛邸」。江戸時代の商家です。


 その向かいは「旧西川家住宅」。国の重要文化財に指定されています。
 

 これらの旧家は各館共通入場券800円で見学できますが開場は午前9時から。ただ私の目的は「町歩紀」なので大丈夫です。まだ観光客のいない静かな街並みをゆっくりと散歩しています。


 次の四つ辻を右へ。「魚屋町通り」の左角には「ヴォーリズと少女の像」。ヴォーリズは滋賀県立商業学校(現八幡商業高校)の英語教師として明治38年、24歳でアメリカから来日。琵琶湖一周歩紀第3回で「今津」を訪れた時にもお話ししましたが、建築家としても有名で全国に多くのレトロ建造物が残っています。


 フルネームは「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」。留学先のアメリカから帰国した「一柳満喜子」と結婚し、その後帰化して日本名を「一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)」と名乗りました。昭和39年83歳で生涯を閉じるまで近江八幡で暮らし、建築のほか医療や教育などの分野でも大きな貢献をしたそうです。明治時代から戦前・戦後を日本で過ごしたのですね。


 その向かいには「近江兄弟社メンタム資料館」。日本に「メンソレータム」を輸入したのもヴォーリズです。


 さらに進めば左に「八幡堀石畳の小路」。いくつかお店がありますがまだ開店前です。ちょっと覗いて先に進みます。


 その先には右に美しい洋館が。「白雲館」という観光案内所です。(午前8時34分)


 元は近江商人の寄付により明治10年に建てられた「八幡東小学校」です。


 すぐ前に鳥居がありますが、後ほど参拝することとしましょう。その先の「仲屋町通り」を右に曲がります。四つ辻をひとつ過ぎれば左に「旧八幡郵便局」。ヴォーリズの建築です。


 次の四つ辻を右へ入れば右に「アンドリュース記念館」。旧ハーバード・アンドリュース邸でヴォーリズ建築の第一号だそうです。


 その向かいには「旧近江兄弟社地塩寮」。近江兄弟社はヴォーリズが英語教師の職を解かれた後、キリスト教伝道師としての糧を得るため商業学校卒業生らとともに設立した企業です。現在は日本基督教団の牧師館として使用されています。


 次の「為心町通り」を左に曲がります。次の酒屋さんのある四つ辻を左折。その先に「左 永原町通り」という石標があるので左折し「永原町通り」を歩きましょう。


 ここも良い雰囲気ですね。日本の原風景「電柱」がありますが。


 真っ直ぐ進み「尾賀商店」という旧家がある四つ辻を右に曲がります。


 この通りは「東畳屋町」といい畳職人が集まり住んだところだそうです。大工とともに工匠を保護するため年貢が免除されていたそうですよ。増税しか能のない某政権とは違いますね。おっと口が滑ってしまいました。


 「博労町通り」を越え、次の「慈恩寺町通り」の角をちょっと右に入れば「一柳記念館(ヴォーリズ記念館)」。ヴォーリズ夫妻の旧住居で日本建築様式が取り入れられています。見学は予約制だそうです。(午前8時55分)


 さっきの辻に戻り右に入れば「ハイド記念館」。ヴォーリズがアメリカで近代教育を学んだ妻満喜子とともに設立した幼稚園の園舎です。近江八幡を見学していて感じたのですが、多くの施設が開業時間前や内部非公開でも敷地の門は開かれ外観は見学できるようになっているところが多いように思います。素晴らしい町ですね。


 ヴォーリズの妻「一柳満喜子」胸像が立ちます。


 慈恩寺町通りを北に進み次の辻を右へ。すぐ右の立派な校舎が立ちます。「近江兄弟社中・高等学校」。ヴォーリズ学園が運営する私立学校です。前回「長命寺」までのバスで満員だったのはここの女子たちでした。


 学校の正門を背にして路地を北に入ります。少し進めば左に「近江兄弟社幼稚園」。「一柳満喜子記念館」になっているようです。


 突き当りを左に曲がりその先の「薬師橋」で堀を渡ります。


 そのまま町中を抜ければ「かわらミュージアム」の前に出ます。近江八幡は瓦の産地でもあるのです。


 その奥には「八幡堀めぐり」の待合所。(午前9時14分)

 
 石段を下りれば良い感じの堀脇に出ました。


 近江八幡らしい眺めですね。いろいろな映画やドラマのロケ地にもなっています。


 「八幡堀」という運河で小舟が行き来します。その他「西の湖」のヨシ原や水田を行き来する遊覧船もあるそうですよ。


 かわらミュージアム前に戻り左へ。先ほど堀沿いにあったお店の表玄関前の落ち着いた小路を進みます。


 その先には「たねや」。明治8年創業。和菓子の老舗です。左に曲がりましょう。


 そこには「CLUB HARIE(クラブハリエ)」。クラブハリエは「たねや」の次男さんが昭和26年に創業した洋菓子店で高級バームクーヘンが有名です。


 左に曲がれば先ほど白雲館前にあった鳥居に出るので一旦鳥居まで戻り一揖して鳥居をくぐります。「日牟礼(ひむれ)八幡宮」の一の鳥居です。


 鳥居をくぐり改めて「白雲橋」から堀を望みます。元は豊臣秀吉の養子「豊臣秀次」が、この後訪れる「八幡山城」の築城に際し、堀として西の湖から引き入れた水を運河として活用したのが始まりだそうです。


 そのまま進み駐車場を抜ければ「日牟礼八幡宮」。1800年以上の歴史を有する古社です。(午前9時25分)


 近江商人たちの守り神として厚く崇拝されてきました。八幡宮なので「応神天皇」をお祀りします。私は氏神様である「八幡さん」で初詣を済ませています。


 神々しい神社ですね。


 さあ参拝を終え、すぐ隣にある「公園前駅」からロープウエイに乗ります。駅舎に「八幡山山頂ガイド」のパンフがあるので忘れないようにもらっておきましょう。


 近江鉄道グループが運行する「八幡山ロープウェイ」です。25人乗りのゴンドラが15分間隔で往復します。料金は往復950円。午前9時45分発の便に乗ります。


 営業距離543mを約4分で結び「山頂駅」に到着しました。駅のすぐ前にある案内図に従って「お願い地蔵尊」方向に進みます。


 地蔵尊の先に案内標識があります。およそ30分の散策コースです。右が参拝順路ですが、まずは城址見学です。左の「西の丸跡」「出丸跡」方向に進みましょう。


 標識では5分でしたが3分ほどで「西の丸跡」に着きました。だいたい私は通常の+30%ほどの歩速で歩いています。


 西の丸跡は展望台になっていました。今日初めての琵琶湖です。素晴らしい眺めですね。


 標識に従って「出丸跡」に行きましょう。階段を下りればすぐです。岬のように出っ張っています。そこからは270度の絶景。左には近江八幡市街の全景です。


 右はこの後歩くさざなみ街道方面。


 西の丸まで戻り標識に従って「北の丸跡」に向かいましょう。立派な石垣が右に見えます。これは本丸の石垣です。


 「八幡山」の三角点がありました。標高271.9mの山頂付近に天正13(1585)年、豊臣秀次が「八幡山城」を築城しました。


 ここも素晴らしい眺めで「西の湖」方面が見えます。


 先ほどの分岐点まで戻り「瑞龍寺」方向に進みます。しばらくすれば「北の丸跡」からの道と交わりました。北の丸跡から直接来れたようですね。まあいいや。左に曲がれば「村雲御所瑞龍寺門跡」の碑が立ちます。この山門で志納金100円を納めます。


 山門をくぐれば本堂。秀吉の姉「とも」の長男として生まれ秀吉の養子となり「八幡山城」を築きました。


 秀次は近江商人の礎となる商業都市を築きましたが、秀吉に秀頼が生まれたことから謀反の罪を着せられ自害させられた不遇の将です。文禄5(1596)年、京都村雲に創建された秀次の菩提寺である日蓮宗「瑞龍寺」が昭和の時代に入り「本丸跡」に移築されました。秀次の魂が城に帰ってきたのですね。撮影禁止ではなかったので撮影させていただきました。


 本堂の前にある宝篋印塔は「開山塔」の立て札が。


 本堂の右隣には「六角堂」。


 その奥には稲荷社が祀られています。


 境内からの眺めも最高です。遠くに見える円錐形の山は「近江富士」とも呼ばれる「三上山(432m)」です。


 参拝を終え山頂駅方向に戻りましょう。案内標識に従って進めばトイレ横の「二の丸址」と表示された場所には「展望館」が立ちます。


 一階はちょっとしたホールになっています。八幡山城の地形図が掲示されていました。先ほど歩いた位置関係がわかると思います。


 二階と展望館前が展望台になっていますが、先ほどの西の丸跡や出丸跡、北の丸跡の方が景色が良いでしょうね。そしてここは「恋人の聖地」になっているらしく展望台脇には「LOVE」のモニュメントが。


 さあ午前10時45分発のロープウェイで下山します。ゴンドラからは近江八幡の町が一望できます。八幡山ロープウェイは瑞龍寺が移築されたのを機に昭和37年11月に運行が開始されました。地元の人たちは秀次のことを忘れていなかったのですね。


 日牟礼神社の鳥居前まで戻りましょう。そして後しばらく八幡堀の景観を楽しみましょう。たいていの観光地は景観保護や事故防止と称して立入禁止地区を設けているところが多いのですが、近江八幡は堀の際々まで下りれます。良い所ですね。ただ堀に入るような輩が出てくると規制されるのでしょうね。


 ちょうど八幡堀めぐりの舟がやって来ました。


 良い風景です。


 この先の階段で堀沿いから街中に戻ります。


 そして本町通りの延長線上にある「本町橋」で八幡堀を渡り近江八幡の町ともお別れです。正面の市立図書館前を左に曲がりましょう。(午前11時5分)


 集落を抜け「船木町交差点」に出れば右折。200mほどで稲荷神社が見えれば右へ。そこには「西願寺」。浄土宗の寺院です。


 境内は自由に入れます。そして本堂は何と「ヨシ葺き」でした。


 元の道に戻り次の四つ辻を左へ。水路に出るのその手前を右に曲がります。遠くには「比良連山」。


 そしてふと右を見れば先ほど訪ねた八幡山の頂に石垣が見えます。山城って格好いいですね。


 何の目印もない田園地帯を先に見える「さざなみ街道(車がたくさん走っているのでわかります)」目指してひたすら歩きます。風をまともに受けながら。やっと「湖岸白鳥川交差点」でさざなみ街道と合流しました。ここからはひたすらゴールを目指して歩きます。(午前11時39分)


 道端に設置された電光掲示板には「ただ今の温度7℃」の表示。


 「牧町船着場」という小さな船溜まりを過ぎます。
 

 しばらく歩けば「湖岸緑地岡山園地」。時間は。トイレや東屋があったので食事としましょう。


 今日の昼食は近江八幡の旧市街地に入る前にあったセブン・イレブンで買った「おにぎりランチ」(税込399円)です。


 「颪(おろし)受け 湖国の浜で 飯を食う」

 
 午後0時10分、食事を終え出発です。公園の前でさざなみ街道は小さな峠道になります。と言っても数分で越えてしまいますが。


 左は「岡山」という小さな山。かつて「水茎岡山城」という中世の山城があったようです。そして右の「頭山」の麓に「史跡水茎岡山城址」の碑と真新しい五輪塔。横の碑文を読むとこの五輪塔は「足利軍」の供養塔だそうです。


 しばらくすれば右に松林が見えてきます。「日野川」の三角州右岸に広がる「佐波江浜」の松林です。


 日野川を渡ります。日野川は結構大きな川ですよ。遠くには前回渡った「沖島」が。(午後0時32分)


 日野川の左岸にも佐波江浜が広がります。ちょっと浜に出てみました。まるで砂丘のようですね。


 松林も砂地ですので結構広い砂浜です。


 さざなみ街道をどんどん進みます。


 「野洲(やす)市」に入ったようです。(午後0時51分)


 さらに湖岸を進み「家棟(やのむね)川」という川を渡ります。この川も結構大きいですね。


 ふたつほど水門を越えれば「紫式部歌碑」の案内表示があったので浜に入ってみました。「童べの浦」という歌だそうです。


 さざなみ街道を挟んだ向かいには「ローソン」。貴重な給水ポイントです。横断禁止ではありませんが横断歩道がないので気をつけて渡りましょう。温かい缶コーヒーで一息入れました。(午後1時4分)


 ローソンを過ぎれば右に「ビワコマイアミランド」。


 その先には「マイアミ浜オートキャンプ場」。この辺りは「マイアミ」という浜なのですが、いずれも有料のプライベートビーチなのかフェンスで囲まれています。


 そのまま進めば「湖岸緑地吉川公園」。東屋と駐車場脇に簡易トイレがあります。


 ここは浜に出られるようですが、急に深くなっているので遊泳は禁止のようです。


 ビワイチサイクリングロードをひたすら歩きます。結構な距離を歩きますよ。


 しばらくすれば左に大きな施設が見えてきました。「かねふくめんたいパークびわ湖」。明太子の老舗が経営するテーマパークです。入場は無料でフードコートなどがあるようです。(午後1時47分)


 5~600mで「守山市」に入ったようです。ちょっと逆光で看板が見えずらいですね。


 守山市に入ったのですが、すぐ先で「野洲川」を渡ります。「野洲川」は鈴鹿山系を源流とする琵琶湖最長の大河です。遠くに「三上山」。三上山は名神高速を走るとすぐ東側を通るのですが、こちらから見るのは初めてです。


 野洲川を渡れば右に「しあわせの丘」。小さな丘ですが琵琶湖の眺めが素晴らしいですね。この辺りまで来ると湖西や雪を抱いた比良山系が近くに見えますね。


 その先でちょっと湖岸に下りてみましょう。この辺りは砂浜ではなくコンクリート壁と護岸ブロックです。地道は足の裏が楽ですね。私は丸一日歩いても足腰や膝の痛み、疲労感などは感じないのですが、一番最初に「足の裏」に来ます。特に左足親指付け根の裏に水ぶくれができるのです。靴もその部分から破れてきます。おそらくそういう歩き癖なのでしょうね。ただその理由はわかっています。また機会があればお話ししましょう。


 浜が川で遮られるので一旦さざなみ街道に戻り進んで行くと右の公園に「BIWAKOモニュメント」がありました。(午後2時19分)


 ここは「サイクリストの聖地」でもあるようです。東屋やトイレ、自動販売機があります。


 湖岸からは沖島と雪に埋もれた「伊吹山」が見えました。


 大きなホテル前を通過します。


 水門前でさざなみ街道に戻り、ここで右の狭い道に入りましょう。


 ここは「ハマヒルガオ」の養生地のようです。ハマヒルガオは海浜植物らしいのですが、かつて琵琶湖が海と繋がっていた時の名残だそうです。ググってみると「ウルトラライトプレーン」というそうですが、空にはフロートとエンジンが付いたカイトのようなものが飛んでいます。ただ私が小さい頃は琵琶湖には普通に遊覧用の水上飛行機が飛んでいましたよ。


 去年の10月には海上自衛隊のUS-2という救難飛行艇が琵琶湖に着水したそうですね。「海なし県に海上自衛隊」。ただ以前通過した陸上自衛隊の大津駐屯地は、元海軍の水上機基地だったそうですね。

                       (出典:海上自衛隊ホームページ)

 左側は「ピエリ」という大きな商業施設になっています。いろんな店やアスレチッククラブ、日帰り湯などが入っています。(午後2時44分)


 専用の埠頭もあるようですね。


 琵琶湖大橋も見えてきました。実はかなり前にチラっと琵琶湖大橋が見え、その時は「今日中にあそこまでたどり着くかな」と思いましたが、余裕で着きました。


 ピエリの駐車場横に歩行者用通路があったのでピエリの中を通過します。


 駐車場を抜ければさざなみ街道に合流します。


 しばらく歩けば「ローソン」が見えてきました。間もなくゴールです。ただ付近に駅はありません。(午後2時53分)


 大丈夫です琵琶湖を渡りましょう。ローソン前の「琵琶湖大橋東詰交差点」を右に曲がります。途中右のピエリ駐車場脇に「お満燈籠」が見えます。昔、湖西に住む力士に恋をした湖東の娘「お満」がたらい船に乗って力士のもとに通い、99日目に暴風で湖底に沈んだという話に基づき、お満の霊を慰めるため建てられたそうです。以前、バラエティー番組でこの話に因み若手芸人がたらい船で琵琶湖を横断させられ死にかけていましたが、つまらないことをしますね。


 燈籠を過ぎれば「琵琶湖大橋」の料金所です。歩行者と自転車は無料で渡れます。多くの人が徒歩や自転車で渡っていますよ。


 全長約1400m。昭和39年9月に開通しました。その後、平成の時代に入って拡張されています。そして琵琶湖大橋を渡るのは「国道477号線」。別名「花折街道」として私の自宅近くを走る国道です。道は繋がっているんですね。


 湖東側から渡れば前半は平坦な道が続き、後半で急な上り坂になります。


 そしてその頂上付近に展望台。これまで歩いた「北湖」を望むため橋の北側歩道を歩きました。北湖は大きいですね。水平線が見えます。


 琵琶湖歩紀第2回で訪れた「道の駅びわ湖大橋米プラザ」が右に見えれば「湖西」に到着です。


 真っ直ぐ進み「琵琶湖大橋西詰交差点」を過ぎ、次の「琵琶湖大橋交差点」に出れば左折しましょう。(午後3時23分)


 県道に沿って市街地を抜けます。


 「堅田駅前交差点」を右に曲がればJR「堅田駅」。琵琶湖歩紀第1回のゴールであり第2回のスタート地点です。午後3時34分に到着。当初午後4時38分発の快速に乗る予定でしたが1時間近く早く着きました。駅の時刻表を見ると午後3時39分発の網干行き快速があります。急がなくっちゃ。


 ギリギリセーフ。列車に乗りながら歩数計を撮影しました。本日の歩紀「42100歩」(28.62km)。いよいよ次回は琵琶湖一周歩紀の最終回です。


 今日のひとり打ち上げ。「ハイボール」(税込550円)で「かんぱ~い」。その後は「オムライスセットC」(税込1400円)で夕食です。


 そして今日の地酒。八幡山ロープウェイ公園前駅構内の売店で買った湖南市の蔵元「北島酒造」さんの「御代栄一番酒(300㎖)」(税込699円)です。アルコール度数はちょっと高めの19度。おせち料理の残りを肴に温まろ~っと。私は7日(火)まで冬休みです。

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