釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

飛鳥山と石神井川、そして染井

2013年03月20日 20時29分46秒 | お散歩日記/東京地名の話
バスに乗って東京の北の桜めぐりに出発。

まずは飛鳥山。

ご存知暴れん坊将軍吉宗が植えたという江戸時代からの桜の名所。



標高24.5mの歴とした山です。

吉宗の時代にはもちろんソメイヨシノはなかったので、ヤマザクラやエドヒガンを楽しんでいたのでしょうね。

ソメイヨシノは少し早い感じでしたが、



タカトウコヒガン(高遠小彼岸・あの高遠の桜です。)が散り始めで綺麗でした。



また、ピンクのヨウコウ(陽光)もいい感じ。

さて次は山からおりて隣の石神井川へ。

石神井川、またの名を音無川。

城北の桜の名所です。



音無川親水公園から上流を目指します。

あまり密集はしていませんが、綺麗です。



紅葉寺付近。

紅葉寺といいながら桜もなかなかです。

圧巻は埼京線の鉄橋付近。





桜が川を覆い見事です。(今日は少し早かったけど)

混雑の目黒川より人は少ないし、川が曲がっているので色々な表情が楽しめます。

最後は板橋から少し歩いて西巣鴨へ、そこからバスで巣鴨とげぬき地蔵前バス停へ。

一本裏の道へ入ると染井霊園。

ここも桜の名所です。



ご存知ソメイヨシノの名前のふるさと。

あと数日で見事な桜が見られるのではないでしょうか。

ここから駒込駅にかけてはいたるところにソメイヨシノが見られ、まさに江戸時代の植木の産地染井を体感できオススメです。

夕方になったのでバスに乗り帰路につきました。
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文化じゃなくて文花

2013年03月07日 19時22分06秒 | お散歩日記/東京地名の話
昨日の続きの話です。

墨田区文花の地名の由来について調べてみました。

この辺りは東京になる前は南葛飾郡吾嬬町(村)といった地域でした。

明治22年(1889年)に小村井村、葛西川村とほか五ヶ村の一部が合併してできた村で、当初は宮城(皇居)の東の方にあるので「東村」と命名しようとしたところ、当時の東京知事が村に由緒ある吾嬬神社があるからその名前をなのったらどうかいうことになり、「吾嬬村」となったということです。

昭和になり、吾嬬町になって、吾嬬町東1から8、吾嬬町西1から9の17地区に分けられて、その後向島区吾嬬町になりました。

この名前のもとになった吾嬬神社は、明治通りが北十間川を渡る福神橋のそばにあります。

お祭りされているのは弟橘媛(オトタチバナヒメ)。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が相模から上総に渡るときに海が荒れて、それを鎮めるために海中に身を投じた媛です。

東京湾沿岸には弟橘媛にまつわる地名が多くあります。

例えば「袖ヶ浦」、弟橘媛の袖が流れ着いたところとされ、有名なのは千葉の袖ヶ浦ですが、他にも神奈川宿の袖ヶ浦(横浜市)、品川浦の別名の袖ヶ浦(潮干狩りで有名だった。)などがあります。

武蔵国の郡名にもある「橘樹(たちばな)郡」も弟橘媛からでた名前です。

川崎市高津区子母口にある橘樹神社は弟橘媛を祀り、近くの富士見台墳は媛の流れ着いた遺品が葬っていると伝わっています。

この墨田区の吾嬬神社もこの地に媛の着物が流れ着き、塚を作って納めたところだといわれています。

もちろん古墳説もあります。
中川流域には古墳が多いですからね。
立石熊野神社とか柴又八幡神社は古墳の上にできた神社ですから。

この一帯は吾嬬の森とか浮洲の森とかいわれた少し小高い島の形状をした場所だったのでしょう。

江戸時代には、広重も題材にしています。

特に連理の樟は有名だったようですが、戦災で焼失して無残な姿になっています。


連理の楠

江戸時代も参詣する人が多かったらしい。

あの浅草の吾妻橋もこの神社に行く道だったからついたという説もあるくらいです。

さてさて「文花」の地名の話から大きくそれてしまいました。

この吾嬬神社があるところの住所は「立花」、「嬬」は当用漢字じゃないから吾嬬は使えない。

ただし「橘」は難しから平易に「立花」にしました。

ところが明治通りで分断されて西の地域は、名前が無い。

というわけで、文化施設が多いから「文化」ならぬ「文花」にしたという嘘のような話。

ちょっと見、字面も似てるし、というか間違えやすい。

そんなこんな住居表示がなせる話でした。
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有栖川公園の梅林

2013年02月23日 12時05分45秒 | お散歩日記/東京地名の話
有栖川宮記念公園+あざ六プラスのまち歩き第一弾のお手伝いに有栖川公園に行ってきました。

梅は三分から四分咲き。

まだまだ蕾は多いです。

有栖川公園に梅の木は15本ほど。

公園の中央の踊り場のようなところに植わっています。

紅梅白梅は半々。

種類が多いのか咲き具合は様々です。

まだまだ楽しめそうです。

一本、枝ぶりのいい古木があります。

盛岡藩の時代からか、宮様の屋敷の時代からか、公園を見守っているのでしょうね。


*画像の背後に見えるのは末日聖徒イエス・キリスト教会の東京神殿の尖塔
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下北沢から三軒茶屋

2013年02月18日 20時03分55秒 | お散歩日記/東京地名の話
下北沢から散歩は茶沢通り沿いに三軒茶屋へ。

下北沢は渋谷のように谷の街で、駅の東を流れていた森厳寺川と西側を流れていただいだらぼっち川の合流にあります。

だから井の頭線ははるか頭の上を通り過ぎて行きます。

茶沢通りはその森厳寺川の谷に沿って南に進んで、橋場橋で北沢川を渡ります。

そこから、代沢十字路までは緩い上りになっています。

代沢十字路のある淡島通りは尾根道にあたります。

そこから、今度は烏山川の谷に向かって下って行きます。

先ほどの北沢川と烏山川は、下流の三宿付近で合流して、目黒川になる川です。

そして、また三軒茶屋に向かって上り坂になります。

世田谷の中央部は、いくつもの川が谷を作って面白い地形がたくさんあります。

三軒茶屋の玉川通り、世田谷通りを過ぎると今度は蛇崩川の谷に下っていきます。

尾根に道、谷に川、昔の風景がふと思い浮かびます。

散歩の最後は、三軒茶屋のランドマーク、キャロットタワーの展望台に登りました。

ちょうど日没の時間。

ダイヤモンド富士にななりませんでしたが、富士山と太陽が美しい時間を作り出していました。


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梅ヶ丘から下北沢、小田急線に沿って

2013年02月17日 19時52分31秒 | お散歩日記/東京地名の話
来月は東京の鉄道は色々なニュースがあります。

大きなニュースは、副都心線と東横線の相互乗り入れです。
3月16日にあの東横線の渋谷駅がなくなってしまいます。

同じ日に「アホの壁」といわれた半蔵門線と新宿線の九段下駅ホームの壁がなくなります。
そして、日比谷線秋葉原駅と新宿線岩本町駅が乗換駅になります。
地上で神田川を渡る乗り換えですが、料金が安くなる区間があるようです。

もうひとつあまり知られていないのが小田急線の地下化。
3月23日から、東北沢、下北沢、世田谷代田の三駅が地下化されます。

あの狭いホームに次から次へといろいろな電車がくる下北沢の駅も、渋滞が激しかった東北沢の踏切もなくなってしまいます。
あの雑然としてるけど、下町の温かみのある下北沢の駅周辺が大変身する第一歩です。

そんなわけで、梅ヶ丘に行ったついでに小田急線ウオッチング。


下北沢駅上りホーム


下北沢下りホームから井の頭線の高架を望む


東北沢6号踏切から隣接する下北沢駅上りホームから出発する電車


一番風情のある東北沢5号踏切


下北沢駅跨線橋から見下ろすホーム


世田谷代田1号踏切


世田谷代田1号踏切から世田谷代田駅方面を望む

踏切待ちでイライラしたり、事故もあったのに、無くなると思うと愛おしいですね。
とりあえず地下駅になりますが、この区間の複々線化はこれからだそうで、まだ時間がかかりそうです。







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「せたがや梅まつり」

2013年02月16日 22時19分37秒 | お散歩日記/東京地名の話
小田急線梅ヶ丘駅北側にある羽根木公園のせたがや梅まつりに行ってきました。

調べるまで羽根木公園が梅で有名だから、梅ヶ丘っていうのかと思っていましたが、違うんですね。

小田急線が開業してから少し遅れて昭和9年できた駅に「梅ヶ丘」と命名して、それにちなんで、昭和31年に開園した公園に梅を植えて、それが今名所になっているということらしいのです。

じゃその「梅ヶ丘」は何かというと、駅名をつける時に土地の旧家の庭の梅からという説や、その家の家紋が梅だったとか、埋めが丘という古墳があったとかいわれているようです。

そういえば今の時期に世田谷の住宅地を歩いているといたるところで庭木の梅を見ることができます。
それだけ梅にあった土地柄なのかな。

さて羽根木公園ですが、ここを「根津山」と呼ぶと聞いたことがあります。
もともと根津家の持ち物だったそうで、根津美術館とも関わりのある場所なのです。

現在の住所は代田で梅丘ではないのも、これで解決しました。
梅ヶ丘の駅名と羽根木公園の梅は直接関係ないんですからね。

でも、代田にあるのに羽根木公園なんだ。
羽根木の住所はもっと北、井の頭線の北側に広がっています。

この理由は、この公園と住所が羽根木の地域は、荏原郡世田谷村の飛び地で羽根木と言われていたようです。
「羽根木」自体に飛び地という意味があるとか。

さてさて、蘊蓄はこの辺にして。



今日は風はきつくてゆっくり梅見どころではありませんでした。
花は三分咲き、もう少しで見ごろを迎えます。

たくさん地元の方の模擬店も出て賑やかでした。

そこから下北方面に散歩開始。
続きはまた明日。
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武蔵国のスカイツリー

2013年02月12日 22時19分26秒 | お散歩日記/東京地名の話
いつもスカイツリーの辺りをうろうろしていますが、なかなか日没に当たりませんでした。

それが数日前にやっと遭遇。

スカイツリーの足元に沈んでゆきました。

スカイツリーの高さは634メートル。

武蔵の語呂合わせだそうです。

でも、江戸時代以前、ここは下総の国。

武蔵の国じゃなかったんですけど。

武蔵の国じゃなかった証拠に、墨田区には氷川神社がありません。

大宮の氷川神社は武蔵の国の一宮だから、分社の氷川神社が都内には多くありますが、隅田川以東の四区(墨田・江東・葛飾・江戸川)にはありません。

じゃ、何があるのかって?

下総の国の一宮、香取神社の分社があります。

だだ一つの例外(赤羽の香取神社・これは謎です。)を除いて隅田川以西(足立区をのぞく、足立区は武蔵国足立郡)には香取神社はありません。

東武鉄道はどうも武蔵好きなようです。

私の出身大学「武蔵大学」も根津育英会で東武鉄道絡みですから・・・・・・。


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写真でたどる渋谷の街と東横店の軌跡

2013年02月11日 19時41分43秒 | お散歩日記/東京地名の話
渋谷の東横店東館が三月三十一日で閉館するということで、一階の東館と西館を結ぶ通路で「写真でたどる渋谷の街と東横店の軌跡」というパネル展がかいさいされています。

本当にささやかな展示ですが、興味深い写真を見ることができます。

自分的には特に「東横ホール」の展示は興味深く拝見しました。



もう三十年以上前に仕事をしたことがありました。

ほかには、今の代々木公園がワシントンハイツだった時代の写真や東横店の屋上ロープウェイ、玉電などいろいろとありました。

お時間のある方はぜひどうぞ。

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旧中川と亀戸中央公園

2013年02月10日 20時04分45秒 | お散歩日記/東京地名の話
亀戸中央公園に梅を見に行きました。

でも、咲いてない。

梅は品種によって咲く時期がだいぶ違いますね。

亀戸中央公園の脇には旧中川が流れています。

川の両岸は最近整備された遊歩道や親水公園になっています。

公園側の右岸は江東区、対岸は江戸川区平井です。

画像は北を望んでいます。

橋は江東新橋で道路は蔵前橋通りです。

橋のすぐきた側で隅田川から続く北十間川が流れ込んでいます。

その川の北は墨田区になります。

ちょうど三区が接する地点です。

昭和20年3月10日の東京大空襲ではこの川のほとりでたくさんの方が亡くなったということです。

亀戸中央公園はサザンカで有名な公園です。

そういえば江東区の花はサザンカでしたね。

他にも都内で珍しいアンズの花が三月下旬に咲きます。

旧中川と亀戸中央公園はのんびりできる場所です。
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荒川を歩く

2013年02月05日 23時21分11秒 | お散歩日記/東京地名の話
二月二日のお散歩は足立区へ。

足立区で降りたことのない駅を探すとありました・・・・・五反野。
未踏の地です。(笑)

足立区はいままでにいろいろ歩き回っています。

西新井をキーステーションに都市農業公園(鹿浜)
北区東十条駅から新田経由、都市農業公園
西新井駅からTX青井駅方面
お隣、草加市の蒲生駅から花畑経由、TX六町駅
大師前駅から舎人公園、舎人方面
西新井駅から竹の塚駅
竹の塚駅から元淵江公園
北綾瀬駅から綾瀬駅
梅島駅から西新井橋を渡って尾竹橋を渡って荒川区町屋
お隣葛飾区亀有駅から綾瀬駅
同じく堀切菖蒲園駅から綾瀬駅
大師前駅から舎人ライナー高野駅
小台駅から尾竹橋
千住大橋駅から北千住駅
町屋駅から北千住駅
北千住駅周辺散歩
北千住駅から牛田駅
墨田区方面から北千住駅
相当歩いています。

で、未踏地があったわけです。

五反野駅で降りて、北東に行くか南西に行くか思案。
でもここまできたら大好きな荒川が見たいので、南へ。

思ったよりのお店がたくさんある駅周辺から南へ。
生活感あります。

少し歩くと民家やアパートがきっしり、遠くに荒川の土手をはしる首都高中央環状線がみえる。
環状線の高架の下をくぐると荒川の左岸の堤防。
正面にスカイツリーが見える。(冒頭画像)

荒川はご存知のように人口河川。
明治43年(1910年)8月に荒川・隅田川下流域に未曾有の被害をもたらした大水害を契機に、国は水害対策として放水路の建設をけいかくしました。
大正2年(1913年)に工事は着工され、1924年(大正13年)に岩淵水門完成により放水路へ注水されるまで10年、関連工事がすめて完成したのは1930年(昭和5年)で、17年間の歳月を要した大工事でした。
工事途中には1917年の台風の高潮や1912年の関東大震災などの天災や第一次大戦による不況なども工事を長引かせる要因となったようです。

今はまるで自然の川のようで、そんな大土木工事が嘘のようです。

そして、私たちが子供の頃は「荒川放水路」と呼ばれていましたが、1965年(昭和40年)荒川の本流とされました。
それに伴って、それまでは綾瀬川合流地点付近までが荒川、それより下流が隅田川と呼ばれていた荒川本流は、岩淵水門より下流がすべて「隅田川」となったのです。
ですから、「荒川」も流れていないのに何で「荒川区」の謎を解けるわけです。


荒川と隅田川の分かれる場所、岩淵水門付近の地図


都市農業公園から上流赤羽方面を望む

荒川(旧・荒川放水路)は川幅も広く、河川敷も広いので本当に気分爽快な場所です。
土手も見晴らしよくて遠くまでよく見えます。

足立区では荒川五色桜の復活も行われるようです。
ますます、素敵な行楽地になるでしょうね。

少し左岸を上流に歩いて、千住新橋を渡りました。
この橋も日光街道が放水路で分断されたのでかけられた橋です。
こんな大きな川なのに向こう側に渡ってもまだ足立区です。

日光街道から左に入って少し歩くと旧日光街道、千住宿です。
接骨医の代名詞「名倉医院」や旧家が数軒見られます。
裏道に一歩入ると、寺や神社も多く宿場の名残を見ることができます。

交通の要所、北千住駅を迂回して、駅の南側に回りました。
南口は最近電気通信大学が移転してきて近代的な街並みが現れましたが、少し歩くと細い路地や軒を連ねた民家がぎっしり並んでいます。
歩みを進めていくとやがて東武スカイツリーラインの牛田駅と京成本線の関屋駅に辿り着きます。


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