釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

ハッキヨイ!せきトリくん

2013年04月29日 23時07分02秒 | お散歩日記/東京地名の話
27日、両国にぎわい祭りで国技館。

そこで大相撲のキャラクター、ハッキヨイ!せきトリくんに遭遇。



左が「ひよの山」、右がそのライバル「赤鷲」。

赤鷲はちょっと邪悪。

今はどこでもキャラクターの時代ですね。

ちゃんとまわしをしています。

可愛いのかキモいのか微妙。


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庚申塔

2013年04月26日 16時54分15秒 | お散歩日記/東京地名の話
庚申塔は、庚申塚ともいい、中国より伝来した道教の「庚申信仰」に由来します。

 干支の庚申(かのえさる・こうしん)の日は、干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされていたそうです。

この日には、人間の体内に棲む「三尸」(さんし)という虫が、その人間が寝ている間に天帝に悪事を報告に行くという言い伝えがありました。

それを防ぐために、庚申の日には「庚申講」という集まりをもって、天帝(仏教では毘沙門天・帝釈天)や猿田彦や青面金剛(しょうめんこんごう)を祀って宴会をし、夜通し眠らなかったそうです。

 画像は青山の庚申塔(所在地は西麻布)で、その庚申講を3年18回続けた記念に建立された庚申塔です。

庚申塔は街道沿いに置かれることが多く、道標が彫り付けられているのも多くあります。

 青山の庚申塔は、慶応元年(1865)5月建立。村はずれの分かれ道に立てられたものです。

「右 あをやま 内とうしん宿 ほりのうち 
 左 二十きおくみ 百人おくみ ぜんこうじ」

漢字に直すと

「右 青山 内藤新宿 堀ノ内
 左 二十騎御組 百人御組 善光寺」

 建立した黒沢、山田両家のうち、山田家は現在も当初にお住まいです。



つぎの庚申塔は、板橋区本蓮沼駅そばの南蔵院の境内にあったものです。

青山のもと形が非常に似ていますね。

江戸時代には雛形のようなもの(図面)があって大量生産されていたのかもしれません。



こちらは葛飾区の木下川(きねがわ)薬師浄光寺の境内にあった庚申塔です。

青面金剛像の下には三猿が彫られています。

庚申から猿が連想され三猿が彫られているのです。

こちらの庚申塔の方が正式なものではないでしょうか。

仏教では天帝は帝釈天なので庚申の日は帝釈天のお祭りです。

柴又の帝釈天題経寺でも盛大にお祭りが行われています。




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西新井大師と牡丹

2013年04月24日 17時05分17秒 | お散歩日記/東京地名の話
足立区西新井大師、正式名称は五智山遍照院總持寺といい、真言宗豊山派のお寺です。

大師さまなので、弘法大師空海がやってきたといわれ、井戸を掘ったそうで、その井戸が本堂の西にあるので、西新井の地名が起こったそうです。

この寺には五ヶ所の牡丹園があります。



豊山派の寺院といえば牡丹がつきものです。

それは豊山派の本山の奈良長谷寺が牡丹で有名だからです。

奈良長谷寺は、麻布の長谷寺が作られる時にモデルになったあの長谷寺です。

元禄年間(1700年頃)に植えられた記録があり、それから長谷寺というと牡丹を連想するまでになっています。

東京では落合の薬王院や練馬愛染院も牡丹で有名な豊山派のお寺です。

ほかにも京都の乙訓寺などいくつもあります。

でももうひとつの本山、東京の護国寺では牡丹の話を聞きません。

なぜなんでしょうね。

牡丹の間という部屋はあるらしいのですが。



さて、西新井大師に話を戻します。

牡丹園では大輪の見事な牡丹がたくさん咲いていて美しいのですが、今年は開花が早いようです。

連休まで持たなさそうですね。



少し遅く咲く芍薬が咲き始めています。

連休はこちらのほうが見ごろではないでしょうか。

境内には大きな藤棚もあります。



藤も今年は開花が早そうです。

連休のお出かけには、開花情報に気をつけてくださいね。
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向島百花園

2013年04月07日 23時24分13秒 | お散歩日記/東京地名の話
久々に向島百花園にお散歩。

ここの庭園は、庶民が作ったお庭なので、ほかの大名庭園とは趣が一味も二味も違っています。

そんなところが大好きなんですがね。

たまたまボランィアガイドさんの説明時間に遭遇したので、お話をうかがいました。

お話では、ここのお庭が、明治の大洪水、空襲や戦後の混乱の二回も廃園の危機があったそうです。

伐採のノコギリの刃あとが残るイチョウの木の説明が心に残りました。

ほかにもいろいろな植物の説明も興味深くお聞きしました。

園内のカンザンが満開でした。



そして牡丹が一輪。



季節は確実に進んでいます。

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荒川堤五色桜(江北五色桜)

2013年04月05日 23時10分56秒 | お散歩日記/東京地名の話
今日は足立区にある都市農業公園にお散歩。

ここは交通の便があまりよくありません。

東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の西新井からバスに乗るか、赤羽から大回りしてバスで行くかしかありません。

でも、ここにやってきたのは、ここが現在八重桜といわれている里桜(交配種)の大部分のふるさとだからです。

以前に書いたブログを再掲載します。

里桜の由来を調べていると「荒川堤」にあった桜という言葉がよく出てきます。
そういう意味で「荒川堤」は里桜の原点のような場所なのです。

明治19年(1886年)、江北村(現在の足立区江北付近)では、荒川(現在の隅田川)の堤防の改修工事にあたり、堤防の補強などを目的として、78品種3000本以上の桜を植樹しました。

当時、染井村の桜専門の植木業者が、あまり根が張らず、樹高も高くならない里桜を移植したそうです。

それらの里桜は、白あり紅色あり黄色あり紫ありで、あたかも五色の雲がたなびくように見えたために五色桜と呼ばれ、花の時期にはたくさんの人が集まる桜の名所になりました。

しかし、この桜たちは、受難の歴史を歩みます。

大正2年(1913年)、荒川放水路(現・荒川)の開削で、隅田川上流の流路が大幅に変わり、部分的に放水路の堤に残った桜もありましたが、移植や補植を経ることになります。

それにもめげずに工事途中の大正13年(1924年)に国の史蹟名勝天然記念物に指定されます。

しかし、戦中戦後、戦災の被害があり、手入れが行き届かなかったり、材木不足で切られたりして、昭和20年代にはほとんどなくなってしまったそうです。

実は明治45年(1912年)、ワシントンに渡った桜はこの荒川堤の桜だったのです。
そのときの桜の種類が12種類3000本、荒川堤の桜の枝が台木に接木されたものだったのです。

昭和27年(1952年)、足立区と東京都の希望がかなえられ、桜たちの里帰りが実現します。残念ながらこのときの桜はすべて枯死してしまったようです。
さらに昭和56年(1981年)、700本あまりの桜が里帰りを果たし、足立区各所に植えられているということです。





江北村にあった名勝の碑と解説版

江北村は、現在の都市農業公園よりも下流になります。

現在の都市農業公園には32種類82本の里帰り桜が植えられています。

まさしくいろいろな色です。



ホソカワニオイ(細川匂)・・・・白
ほのかに香りのする桜です。



ウコン(鬱金)・・・・緑・黄色
薄い緑から黄色、そして少し赤みがかった色に変化します。

濃い緑にはギョイコウ(御衣黄)があります。



スジャク(スザク・朱雀)とヒグラシ(日暮)・・・・桜色



ヤエムラサキザクラ(八重紫桜)・・・・紫

などいろいそな桜を見ることができます。

正しく五色桜です。

今日は天気が良くて汗ばむ陽気。

今年はどの桜も開花が早いようです。

桜を見たあとは鹿浜橋を渡って対岸を北上して岩淵水門までお散歩。

本当に初夏のようでした。






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日暮里、谷中、上野桜木あたり

2013年04月03日 18時06分27秒 | お散歩日記/東京地名の話
東京さくら巡りの旅、後半戦の始まりは朝から強い雨に風。

雨が上がった夕方近くに出発。

そういえば台東区の桜はバスの中からしか見ていない。

じゃ台東区へ行きますか、ブログ検索でも一番多い谷中へ。

ついでに日暮里。

ということで西日暮里下車で、谷中方面へ散歩スタート。

諏訪台通りを南へ。

諏方神社のソメイヨシノはほとんど散って、その先の養福寺はソメイヨシノから八重桜に主役が変わるところです。



日暮里駅近くの本行寺のベニシダレザクラは満開、綺麗です。

谷中墓地にはいるとソメイヨシノはほぼ終わり、ウコン(鬱金)が咲き始めていました。

天王寺のエドヒガンのシダレも花は終わり、境内ではハナモモが盛りです。

谷中霊園のなかで満開の桜を発見。



色と今の時期からいってチョウシュウヒザクラ(長州緋桜)ではないかと…。

谷中霊園から寛永寺本坊の裏の墓所へ。



常憲院勅額門のそばにあるベニシダレザクラが満開でした。

国立博物館の裏から両大師へ。

5時すぎていたので境内に入れません。

見事なミクルマガエシ(御車返し)はまた次回。

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桜舞うさくら坂、そして古墳の街

2013年04月01日 22時57分40秒 | お散歩日記/東京地名の話
サクラをめぐる東京散歩、東京23区制覇を狙っておりますが、残すは中央区・大田区・世田谷区となりました。

というわけで今日は南の2区へ出発。

まずは行ったことがなかった大田区さくら坂へ。



あの福山雅治の「桜坂」の舞台だとか・・・・・。

ソメイヨシノはハラハラと散って綺麗です。

でも、木を撮影すると萼の赤が目立ってあまり綺麗じゃない。

ここは旧中原街道沼部大坂という切通しだったとか。

多摩川方面に大きく下っています。



下った先には六郷用水の水路、花筏が美しい。



さくら坂下の東光院にはキクモモが咲いていました。

六郷用水を遡って、東急多摩川駅から多摩川台公園に。

このあたりは荏原台古墳群の中で田園調布古墳群といわれる古墳の多い場所です。



その数は54基、地図を見ていると田園調布4丁目なんかは古代の墓地の中にできた町。

住んでいて大丈夫なのだろうか。

そこかしこに古墳の跡がある。

そして多摩川台公園は桜の名所。



まだ大丈夫。



尾山台の傅乗寺では、五重塔にシダレザクラとシャクナゲとモミジのコラボ。

そして、最終目的地は九品仏浄真寺。





そろそろ桜はソメイヨシノから里桜へ。

カンザン(関山)が咲き始めていました。

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すみだ水族館

2013年03月31日 20時24分43秒 | お散歩日記/東京地名の話
久々に「すみだ水族館」



クラゲを見て



シロワニを見て



エイのお腹を見て



ガーデンイールやカラフルな魚を見て



ペンギンを見て



最後はゆっくりお客さんの観察。w


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中野と桃

2013年03月23日 18時04分45秒 | お散歩日記/東京地名の話
昨日行った中野。

北口の中野通りは桜並木でしたが、南口には花桃が植えられています。

南口のロータリーにもモモが植えられています。

まだそんなに大きくはなっていませんが、赤や白が植えられていて美しいです。


中野通りの街路樹の桃

そういえば中野の南には桃園川という暗渠になった川があります。

今の中野3丁目は住居表示までは桃園町といっていたいいますし、他にも中野区には桃園小学校、桃園第二小学校、桃花小学校など桃の名前が多く見られます。

中野といえば、徳川綱吉の時代に生類憐れみの令で保護された犬を飼育する「お囲い屋敷」があった場所で、その広さ三十万坪もあったそうです。

現在、JRの線路の北側、中野4丁目が旧町名、中野囲町(かこいちょう)であるのはそれによっています。

八代将軍吉宗が江戸の四方に桜を植えたのは有名な話です。

北は飛鳥山、東は墨堤(隅田川の堤)、南は御殿山、そして東がこの囲い屋敷の後だったのです。

しかし植えたのは桜ではなくて桃だったのです。

桃は、中国では霊力がある植物として珍重され、西王母の伝説でも知られるようにその実は不老不死の薬ということです。

中華料理の桃マンや中華街の桃の絵などよく見られているのではないでしょうか。

吉宗は、犬屋敷を不浄のものと考えて、それを桃の霊力で浄化しようとして桃を植えたという話をある先生から聞いたことがあります。

また農村地帯であった中野には桃の実という副産物ももちろん発想の中にはあったのではないでしょうか。

でも、中野の桃って聞いたことないけど・・・・。

そんなわけで、中野の桃園は江戸郊外の行楽地になったのです。

そして桃園は消えて、名前が残ったわけです。

そんな桃の中野の復活、楽しみですね。




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京都に行ったつもりになる花見

2013年03月22日 20時12分02秒 | お散歩日記/東京地名の話
嘘つきです。

Facebookで京都に行ったなんて嘘をつきました。

あの二つの投稿の一連の画像は全て東京です。

今日は、新宿、中野、杉並、練馬、豊島、文京と花見ツアーを決行。

まず、新宿御苑へ。



イギリス庭園の端に数年前に植えられて、今ではすっかり成長したエドヒガン(江戸彼岸)が満開です。



そして、三色の桜、右からヨウコウ(陽光)、オオシマザクラ(大島桜)、アメリカ。

色の違いでグラディテーション、ソメイヨシノだけではできない技です。

アメリカ
って不思議な名前の桜ですけど詳しくはリンク先をどうぞ。

新宿御苑の次は、江戸三大桜、柏木右衛門桜のある柏木(北新宿)の圓照寺へ。



境内はエドヒガンのシダレが満開。

もともとの右衛門桜はヤマザクラだったそうで原木はもうありません。

でも境内には、ソメイヨシノやヤマザクラ、ベニシダレなどが植えられています。



名残は石碑ぐらいでしょうか。

でも、京都の雰囲気あるでしょ。

新宿区から神田川を渡って中野区へ。



神田川中流の桜も綺麗です。

次に杉並の蚕糸の森公園に向かいました。



もともと蚕糸試験場があったところで小さな公園ですが、桜も数種類あり綺麗でした。

次に今日の目的の写真展に新中野へ。



住宅地の中にあるギャラリーでしばし写真鑑賞。

十年ほど前から個展をやるごとにお知らせをいただいている方の個展でした。

芸術鑑賞のあとは、中野へ。



中野駅から北の中野通りは東京でも一二を争う大規模な桜並木が新青梅街道まで続きます。

その先の新青梅街道も桜並木、圧巻です。

中野駅から徒歩で北進。

その中野通りと新青梅街道の交わるところにあるのが哲学堂公園。

脇を流れる妙正寺川や園内は桜の名所です。


妙正寺川



この画像はその哲学堂で撮したもの。

京都に見えるでしょ。

そこから練馬駅行きのバスに乗って降りたのが「南蔵院」









大きなソメイヨシノやシダレザクラが見事でした。

本堂前にはハナズオウが開花中、盛りはこれからです。

今度は練馬から雑司が谷へ。

雑司が谷の法明寺は門前が桜のトンネルです。





下は意地悪な画像



京都ではない証拠に京都には存在しないオオシマザクラを撮しておきました。

次は都電で早稲田に。



お馴染みの神田川です。

ここは、目黒、石神井と並ぶ川沿い桜の名所です。

神田川を下流に歩いていくと椿山荘があります。



椿山荘のお庭には三重塔もあって偽京都画像にはうってつけなので撮影。

一回りして江戸川公園に。

最後は江戸川橋から神田川をパチリ。



そして、帰宅途中にダメ押しの長谷寺の桜。



これで京都に花見に行ったつもりの完成です。








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