釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

多摩川を見て思うこと

2006年06月06日 09時05分15秒 | お散歩日記/東京地名の話
先週訪れた生田緑地の枡形山では眼下に多摩川が望めた。
現在の多摩川は、川崎市北部から下流は、東京都と神奈川県の県境になっている。
今こそ違う都県になっているが、両岸には深いつながりがある。

多摩川の両岸に丸子・等々力・野毛・瀬田・二子・宇奈根・布田など、同じ地名が存在していることに気が付かれている方も多いと思う。
昔はここが国境ではなかったからである。
多摩川という名前は、多摩を流れているから多摩川である。昔でいえば武蔵国多摩郡を流れている川である。
今の東京都の多摩地区や川崎市多摩区、さらに二十三区の西部の東多摩郡、後に豊多摩郡といわれた地域に相当する。
いまでも、杉並区に豊多摩高校という都立高校が存在する。

生田緑地からの帰路は南武線を使った。
南武線・・・西武鉄道や東武鉄道のように武蔵に方角をつけた名前だ。
だから南部線は間違え、別に首都圏の南部を走ってるからではない。
南武線には武蔵溝ノ口・武蔵新城・武蔵中原・武蔵小杉という、武蔵を冠する駅が四駅連続してある。
JRの駅名で同名の駅がある場合などに区別するために旧国名が使われる。
だからもちろん、南武線の走るエリアは旧・武蔵国の区域である。

武蔵の国というと、現在の東京都と埼玉県がその区域にあたると思っている方が多いのではないだろうか。
しかしその区域は、神奈川県に及び、現在の川崎市の全域と、横浜市の南西部を除いた地域にまで及んでいる。
南は横浜市金沢区まで西は青葉区、緑区、旭区、保土ヶ谷区までも含む、広大な地域なのである。
横浜市都筑区の名前も武蔵国都筑郡から命名されたものである。

武蔵の国と相模の国の国境は町田付近までは、境川である。まさしく境の川なのである。その後南下すると、内陸の尾根が境目となる。
箱根駅伝で有名な難所権太坂を上りきったところにある境木地蔵はまさに相模と武蔵の境である。
この尾根は東京湾と相模湾の分水嶺で、尾根を通っている横浜横須賀道路がほぼ国境を通っていることになる。

関東地方のようにあまり高い山がない所では、川が国境になることもあるが、多くの場合は、尾根や峠が国境になる場合が多い。
川を国境にした場合は洪水などで流路が変わった場合に、国境がずれる恐れがあるからではないだろうか。
それ以上に川は容易く行き来できても、山は簡単には越えられない、気候や文化を山を境にして変わることが多いことも一因ではないだろうか。

川を境にしたため、武蔵の国でも東部は、非常に境界が入り組んだものになってしまっている。
そのことは次回また書こうと思う。

コメント
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