おなかがすいて目指したのは「イノダコーヒ」。
ご存知のように関西弁では「コーヒー」と語尾を伸ばさないのだ。
シンガーソングライターの故・高田渡さんが唄った「コーヒーブルース」の中で、『三条に行かなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね』と歌われた店だ。(なぜか曲名はコーヒーなのだ。)
これは1971年の曲だから、自分が京都に憧れていたころの曲だ。
でも実際にそのときには訪れていない。
そのころ、ユースホステルを根城に、そこで知り合ったチョッと年上のお兄さんたちの尻尾について行ったのが、出町にある「ほんやら洞」だった。その当時のヒッピー的なにおいのプンプンする場所で、一日うだうだしていた覚えがある。
そんな喫茶店よりずっと高級で、近寄りがたいイメージが「イノダコーヒ」にはあった。
それに、そんな歌に歌われた場所になんかに行くかっていう反抗的な気分もあったが・・・。
仕事で京都に行くようになって、コーヒー好きの舞台監督の大先輩が毎朝、旅館から「イノダコーヒ」に寄ってから劇場にやってくるという話を聞いた。
行ったこともない「イノダコーヒ」の名前が懐かしかったが、朝寝坊で、その上仕事で体力を使い果たしていた自分はまたも訪れる機会を逸してしまった。
そして数十年、今回初めて「イノダコーヒ」の扉を開けた。
外の喧騒をよそに、客席に空きがあったので、すぐに座れた。落ちつた店内、教育の行き届いた従業員、やっぱり高級店だ。
今は亡くなった大先輩が「イノダ」で何を飲んでいたかは今となってはわからない。でも、名物らしい『アラビアの真珠』と腹の足しにサンドウィッチを注文した。ミルクと砂糖の入った独特の濃いコーヒは、飲んだこともないのに懐かしかった。
少し休んで元気が出たので、祇園祭を行っている八坂神社に向かうことにした。
店を出ようとしたときには、空席待ちの長い列ができていた。
ご存知のように関西弁では「コーヒー」と語尾を伸ばさないのだ。
シンガーソングライターの故・高田渡さんが唄った「コーヒーブルース」の中で、『三条に行かなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね』と歌われた店だ。(なぜか曲名はコーヒーなのだ。)
これは1971年の曲だから、自分が京都に憧れていたころの曲だ。
でも実際にそのときには訪れていない。
そのころ、ユースホステルを根城に、そこで知り合ったチョッと年上のお兄さんたちの尻尾について行ったのが、出町にある「ほんやら洞」だった。その当時のヒッピー的なにおいのプンプンする場所で、一日うだうだしていた覚えがある。
そんな喫茶店よりずっと高級で、近寄りがたいイメージが「イノダコーヒ」にはあった。
それに、そんな歌に歌われた場所になんかに行くかっていう反抗的な気分もあったが・・・。
仕事で京都に行くようになって、コーヒー好きの舞台監督の大先輩が毎朝、旅館から「イノダコーヒ」に寄ってから劇場にやってくるという話を聞いた。
行ったこともない「イノダコーヒ」の名前が懐かしかったが、朝寝坊で、その上仕事で体力を使い果たしていた自分はまたも訪れる機会を逸してしまった。
そして数十年、今回初めて「イノダコーヒ」の扉を開けた。
外の喧騒をよそに、客席に空きがあったので、すぐに座れた。落ちつた店内、教育の行き届いた従業員、やっぱり高級店だ。
今は亡くなった大先輩が「イノダ」で何を飲んでいたかは今となってはわからない。でも、名物らしい『アラビアの真珠』と腹の足しにサンドウィッチを注文した。ミルクと砂糖の入った独特の濃いコーヒは、飲んだこともないのに懐かしかった。
少し休んで元気が出たので、祇園祭を行っている八坂神社に向かうことにした。
店を出ようとしたときには、空席待ちの長い列ができていた。