釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

原宿の逆襲

2010年04月15日 19時46分55秒 | お散歩日記/東京地名の話
東京メトロの3月のダイヤ改正で、休日、副都心線の明治神宮前駅に急行が停まるようになりました。
それと同時に、駅名が明治神宮前(原宿)と変更になったのです。

もともとJRの原宿駅の接続駅としたできた千代田線の駅は、なぜか「原宿」とはならず「明治神宮前」を名乗っていました。

さて、この地域の歴史を振り返ってみましょう。

明治36(1906)年10月30日、原宿駅開業
昭和14(1939)年9月16日、銀座線「青山六丁目」駅を「神宮前」駅と改称
昭和40(1965)年8月1日、神宮前の住居表示施行
昭和47(1972)年10月20日、千代田線「明治神宮前」駅開業、同時に銀座線「神宮前」駅が「表参道」駅に改称
平成22(2100)年3月6日、「明治神宮前」が「明治神宮前(原宿)」に改称

現在、住居表示で「渋谷区神宮前」となっている場所の旧町名は、原宿、隠田(おんでん)、竹下町などでした。

おおむね、表参道の東側から外苑西通り辺りまでが、「原宿」。
竹下通り周辺が「竹下町」。
そして、竹下通り、表参道の西側が「隠田」でした。
原宿駅は、旧住所は「隠田」、なぜかというと、原宿駅は開設時は、今よりも代々木駅よりにあったそうで、その場所は「原宿」の区域だったからです。
中世の原宿村は、中心は現在の外苑西通り付近で、鎌倉街道の宿駅だったようです。
私が住む西麻布辺りにも原宿村五反田という飛び地があったようです。

住居表示の話に戻ります。
当時の風潮で、住居表示該当地域に複数の地名があるとその合成地名をつけたり、まったく新しい地名が採用されました。
その結果、歴史を無視した地名や、東西南北、上中下、中央などという、方向地名が出現したのです。

そうなると、この地区も新町名をつけなければなりません。
まず、隠田は読みにくいので却下、そうするともう一方の原宿だけ残すわけにもいかなかったようです。

そこで、新地名の候補に挙がったのが、地下鉄の駅名にあった「神宮前」。
しかし、銀座線の駅は、渋谷区ではなく港区青山にあり、もちろんこの住居表示地区にはありません。
ですから、住居表示施行から「神宮前」駅の改称までの7年間、地名と駅が違う場所にあるという不思議な現象が起こっていました。

渋谷区は住居表示施行前にも愚行に走っています。
昭和40年3月に渋谷区町名で当時の国鉄に「原宿」駅を「神宮前」駅に改称するように陳情を出したそうです。
しかし、あっさり国鉄に断られたということです。
その当時、地下鉄「神宮前」が存在していたのですから、そう簡単に改称はできなかったはずです。
このときに駅名が変わっていなくて良かったんじゃないでしょうか。

しかし、住所「神宮前」はなかなか定着、浸透しませんでした。
今でも一般的に、あの区域は「原宿」あるいは「表参道」と呼び、だれも「神宮前」とは呼びません。

メトロが「明治神宮前」を名乗っても、あそこはあくまでも「原宿」なのです。
副都心線ができ、土日の東上線、西武池袋線方面から乗客を誘導するのに、土休日の急行を停車させても、「明治神宮前」ではどこだかわからないということになったのでしょう。
それで、「原宿」併記が行われたと思います。

これぞ長年、虐げられてきた「原宿」の逆襲。

そんなに客が欲しかったら「原宿(清正井)」なんって改称したほうがいいのかもしれません。


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