私のブログ友の「よの字」さんが、馬場俊英さんのアルバム「延長戦を続ける大人たちへ」を買って聞きましたよ~
ってコメントをいただきました。
コメントを読んで何だか胸の奥がグッと熱くなる様な感じだったので、改めて馬場さんの曲を聞いて見ました。そう、歌詞カードもしっかり見ながら聴きました
普段、何気なく耳に入ってくる“
馬場ソング”も良いけど、しっかり聞き込んでもいいですね、馬場ちゃん。
他のアルバムも聞いたり、何巡目かになってくると、感想もくるくる変わってきて、もうちょっと上手に書きたかったけど、取り留めのない、アッチへ行ったりコッチへ来たりですが、お付き合いいただけたらな
馬場さんの歌に出てくる人物は、どこにでもいる普通の人たち。私でありアナタであり。
完璧な人間ではなくて、ヒーローに憧れてたけど現実ヒーローなんていないし。
なかなか自分の思ったようにはならなくて歯がゆかったり、諦めかけたり。
でもそんな弱い心も受容しての包容力にあふれた歌が多いような気がします。
飾り気の無いリアリティーに溢れた詞の中に、いつの間にか馬場さんと対話している自分(私)がいます。
先日、
日ハムのリーグ優勝がありました。
馬場さんの歌を聞いていて、ふと彼等のことを思いました。
今シーズンからセンターを守り、打撃でも活躍した糸井選手は、元々は投手でした。
繋ぐ4番打者、高橋選手は昨シーズン、正捕手の座を争う捕手でした。今シーズンの捕手は主に鶴岡選手と大野選手。
日ハムで規定投球数に達しているのは、ダルビッシュ選手だけで、他は先発→中継ぎ→中継ぎ→抑えのパターンでした。
中継ぎの選手がインタビューを受けるのは、打たれた時だけだと。0点に抑えたり凌いでも、アッパレではなく、それは当然の役割。
監督がインタビューで称えたのは、稲田選手とひちょり選手。苦しい時、いつも彼らが明るくベンチを盛り上げてくれて助けられたと。
それぞれが胸に秘めていることはわからないけど、【ひたむきな姿勢】が優勝という形で報われて良かったナァ~って思いました。
私の中では「明日の旅人」は子どもへ向けたメッセージソング
夢を見るならば 時間をかけてほしい
高く飛び上がって 終りじゃ淋しすぎる
答えが見つからないときも 間違いじゃないのだから
子どもへ
というより、親である私へのアドバイスソングです。
これから就職活動の次男・ジローはまだ、どんな仕事をしたいのかわからないでいます。
早くちゃんと考えて決めてよ
ってイライラした時に、この歌を聞くと、「そうだよな。答えを埋めるのはよくないな。本人が一番苦しいはずなのだから、見つけられないのを責めちゃいけない」って自分を戒めます。
私が望んでいるのはジローの幸せです
つい「どこでもいいから就職して欲しい」っていいますが、就職が人生のゴールでないのは、私が一番わかっていたことじゃない
家計的には、あんまりノンビリされるのも困るけど、せいぜい悩んで納得できる答えを見つけてほしいと思っています。
ジローが高校3年で進路を決める時に云われた言葉があります。
「母さんは、いつもオレのやりたいことに反対する。母さんの思った通りにしようとする。」
とってもショックを受けて、それから約半年、私はジローと口をききませんでした。
誰よりもジローのことを理解していて、本当はこうして欲しいって思っていたことも、押し付けずにジローの思った通りにさせてきたと思っていたから。
でも、ジローは全然違うように思っていたのです。
私にとっては、ジローから私のいままでやってきたことを「全否定」されたようで、まさに【絶望】です。
最近、『絶望の正体』という一文に出会いました。
“「絶望」は、自分が正しいと思う主張が受け入れられないところに生まれてくる。道理が通じないから「絶望」するのだ”
“だが、道理がわからないのは向うであって、自分が正しいという自己正当化の気持ちが「絶望」の裏側に流れてはいないか”
“自己正当化を怪しいと思う気持ちがあれば、「失望」しても「絶望」に陥ることはないのでは”
私は親だから、子どもには弱みを見せられない、親は正しくなければならないって自分で自分を縛っていたのではないだろうか。
あの時、自己正当化の殻に閉じこもらずに、もう少しジローの心に寄り添うことが出来たら、ちゃんと話を聞いてあげることが出来たらよかったのにって後悔しています。
いま、ジローと将来のことなどについて話をするのに、臆病になっている私がいます。
本人を信じて見守るって決めたのに、心はユラユラ。見守るってむずかしいですね。
そんな時に馬場さんの歌を聞いて、【自分自身を信じる】ってことを再確認しています。
今日一番グサリと心に突き刺さったのは、アルバム「人生という名の列車」の中の
風の羽衣
新しい場所に探しに行くなんて 本当はそこから君は逃げたいだけ
自分の気持ちの裏に潜んでいるもう一人の自分探し。
弱くて醜い自分に出会うのは嫌だけど、それを知ると答えが見つかるような気がします。
「道理」を振り回さない私は、理不尽なことも云う。訳のわからないこともする。
だって、まだまだ未熟でアホなんだも~ん。
ってこれ、自己正当化ではなく、自己弁護でしょうか
久しぶりに小難しいことをかんがえたので、頭が疲れました。最後は
甘いラブソングを聞いて、食事の支度をしま~す

コメントを読んで何だか胸の奥がグッと熱くなる様な感じだったので、改めて馬場さんの曲を聞いて見ました。そう、歌詞カードもしっかり見ながら聴きました

普段、何気なく耳に入ってくる“

他のアルバムも聞いたり、何巡目かになってくると、感想もくるくる変わってきて、もうちょっと上手に書きたかったけど、取り留めのない、アッチへ行ったりコッチへ来たりですが、お付き合いいただけたらな

馬場さんの歌に出てくる人物は、どこにでもいる普通の人たち。私でありアナタであり。
完璧な人間ではなくて、ヒーローに憧れてたけど現実ヒーローなんていないし。
なかなか自分の思ったようにはならなくて歯がゆかったり、諦めかけたり。
でもそんな弱い心も受容しての包容力にあふれた歌が多いような気がします。
飾り気の無いリアリティーに溢れた詞の中に、いつの間にか馬場さんと対話している自分(私)がいます。
先日、

馬場さんの歌を聞いていて、ふと彼等のことを思いました。
今シーズンからセンターを守り、打撃でも活躍した糸井選手は、元々は投手でした。
繋ぐ4番打者、高橋選手は昨シーズン、正捕手の座を争う捕手でした。今シーズンの捕手は主に鶴岡選手と大野選手。
日ハムで規定投球数に達しているのは、ダルビッシュ選手だけで、他は先発→中継ぎ→中継ぎ→抑えのパターンでした。
中継ぎの選手がインタビューを受けるのは、打たれた時だけだと。0点に抑えたり凌いでも、アッパレではなく、それは当然の役割。
監督がインタビューで称えたのは、稲田選手とひちょり選手。苦しい時、いつも彼らが明るくベンチを盛り上げてくれて助けられたと。
それぞれが胸に秘めていることはわからないけど、【ひたむきな姿勢】が優勝という形で報われて良かったナァ~って思いました。
私の中では「明日の旅人」は子どもへ向けたメッセージソング

夢を見るならば 時間をかけてほしい
高く飛び上がって 終りじゃ淋しすぎる
答えが見つからないときも 間違いじゃないのだから
子どもへ

これから就職活動の次男・ジローはまだ、どんな仕事をしたいのかわからないでいます。
早くちゃんと考えて決めてよ

私が望んでいるのはジローの幸せです

つい「どこでもいいから就職して欲しい」っていいますが、就職が人生のゴールでないのは、私が一番わかっていたことじゃない


ジローが高校3年で進路を決める時に云われた言葉があります。
「母さんは、いつもオレのやりたいことに反対する。母さんの思った通りにしようとする。」
とってもショックを受けて、それから約半年、私はジローと口をききませんでした。
誰よりもジローのことを理解していて、本当はこうして欲しいって思っていたことも、押し付けずにジローの思った通りにさせてきたと思っていたから。
でも、ジローは全然違うように思っていたのです。
私にとっては、ジローから私のいままでやってきたことを「全否定」されたようで、まさに【絶望】です。
最近、『絶望の正体』という一文に出会いました。
“「絶望」は、自分が正しいと思う主張が受け入れられないところに生まれてくる。道理が通じないから「絶望」するのだ”
“だが、道理がわからないのは向うであって、自分が正しいという自己正当化の気持ちが「絶望」の裏側に流れてはいないか”
“自己正当化を怪しいと思う気持ちがあれば、「失望」しても「絶望」に陥ることはないのでは”
私は親だから、子どもには弱みを見せられない、親は正しくなければならないって自分で自分を縛っていたのではないだろうか。
あの時、自己正当化の殻に閉じこもらずに、もう少しジローの心に寄り添うことが出来たら、ちゃんと話を聞いてあげることが出来たらよかったのにって後悔しています。
いま、ジローと将来のことなどについて話をするのに、臆病になっている私がいます。
本人を信じて見守るって決めたのに、心はユラユラ。見守るってむずかしいですね。
そんな時に馬場さんの歌を聞いて、【自分自身を信じる】ってことを再確認しています。
今日一番グサリと心に突き刺さったのは、アルバム「人生という名の列車」の中の

新しい場所に探しに行くなんて 本当はそこから君は逃げたいだけ
自分の気持ちの裏に潜んでいるもう一人の自分探し。
弱くて醜い自分に出会うのは嫌だけど、それを知ると答えが見つかるような気がします。
「道理」を振り回さない私は、理不尽なことも云う。訳のわからないこともする。
だって、まだまだ未熟でアホなんだも~ん。
ってこれ、自己正当化ではなく、自己弁護でしょうか

久しぶりに小難しいことをかんがえたので、頭が疲れました。最後は

