国葬から半日ほどが経ち、ほんとうの悲しみが襲ってきました。
夜が明けると、きょうも公務です。
その準備、情報交換、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の執筆と仕事をしているうち、名状しがたい喪失感、悲痛が、通奏低音のようにわが胸を襲います。
みなさん、ありとあらゆる事どもを、前へじりじりと進む原動力に変えるほかありませぬ。
▼国葬の翌日のきょう、9月28日水曜も国のまつりごとは続きます。
まず、朝9時から自由民主党本部で「経済安全保障推進本部」の役員会が開かれます。
わたしはこの本部の幹事長代理です。
議論のテーマは「わが国が目指すべき経済安全保障の全体像 ( 提言案 ) 」です。
そのあと議員会館の青山繁晴事務所へ戻り、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録をおこないます。
学生インターンの18歳、増野優斗くんが、いつもの通り打ち合わせ皆無という恐るべきやり方に耐えて、MCを務めてくれます。
夜が明けると、きょうも公務です。
その準備、情報交換、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の執筆と仕事をしているうち、名状しがたい喪失感、悲痛が、通奏低音のようにわが胸を襲います。
みなさん、ありとあらゆる事どもを、前へじりじりと進む原動力に変えるほかありませぬ。
▼国葬の翌日のきょう、9月28日水曜も国のまつりごとは続きます。
まず、朝9時から自由民主党本部で「経済安全保障推進本部」の役員会が開かれます。
わたしはこの本部の幹事長代理です。
議論のテーマは「わが国が目指すべき経済安全保障の全体像 ( 提言案 ) 」です。
そのあと議員会館の青山繁晴事務所へ戻り、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録をおこないます。
学生インターンの18歳、増野優斗くんが、いつもの通り打ち合わせ皆無という恐るべきやり方に耐えて、MCを務めてくれます。
▼それが終わると、時間がないのでおそらく昼食は抜きで休みなく、佐渡金山の世界遺産登録について文化庁、外務省、内閣官房の3者と議論します。
それが終わると、自前資源開発について資源エネルギー庁と議論です。
さらに続いて、離婚後の子供の親権について法務省と議論します。
そのあと議員会館を出て、再び、自由民主党本部へ向かいます。
党本部で開かれる、「国防部会と安全保障調査会の合同会議」に参加し、防衛省・自衛隊の給与法一部改正と、9月25日に北朝鮮がまたしても撃った弾道ミサイルについて議論します。
それが終わると、自前資源開発について資源エネルギー庁と議論です。
さらに続いて、離婚後の子供の親権について法務省と議論します。
そのあと議員会館を出て、再び、自由民主党本部へ向かいます。
党本部で開かれる、「国防部会と安全保障調査会の合同会議」に参加し、防衛省・自衛隊の給与法一部改正と、9月25日に北朝鮮がまたしても撃った弾道ミサイルについて議論します。
終わると急いで、議員会館へ再び戻り、安倍元総理暗殺事件をめぐる奈良県立医大の記者会見と、司法解剖の矛盾点について警察庁と議論します。
▼これら息つくいとまのない公務、その始まりのひとつは、上掲の写真説明にある、安倍総理 ( 当時 ) からの「外務省、経産省、自民党議員が変わるな」という異例の電話にあると言えます。
ただし、その電話だけで決意したのではありません。
電話によって、生まれて初めて、目の前に迫る現実として選挙に出るかどうか悩んだということです。
そして実は、安倍さんに断りの電話を入れようとしました。
おのれの人生が粉々に壊れるのが眼に見えていたからです。政治記者の経験から、それが分かっていました。
断ろうとしていることを知った青山千春博士が、海洋調査船に乗り込む晴海埠頭から、「後悔しますよ」と簡潔に言ってきました。
当時は独立総合研究所の社長秘書、清水麻未、現在は産休中の三浦麻未公設第一秘書が「社長、国益のためです」とこれも簡潔に言いました。 ( ぼくは独立総合研究所の代表取締役社長・兼・首席研究員でした )
最後は、『俺は、きっとこの決心のために、苦しみ抜くだろう』と覚悟したうえで、当時の世耕弘成官房副長官と、安倍総理に「お受けします」とお返事をいたしました。
わずか6年と2か月強のあいだに、ここまで変わり、その果てに、暗殺と国葬が待っているとは、世界と、それぞれの人生は何と凄絶なものでしょうか。
セ・ラ・ヴィ。
ぼくはフランス語を知りません。
それでも、フランスの世紀の名歌手エディット・ピアフの分厚い伝記をかつて読んだとき、こころに残った言葉が浮かびます。
「それが人生さ」。
わずか6年と2か月強のあいだに、ここまで変わり、その果てに、暗殺と国葬が待っているとは、世界と、それぞれの人生は何と凄絶なものでしょうか。
セ・ラ・ヴィ。
ぼくはフランス語を知りません。
それでも、フランスの世紀の名歌手エディット・ピアフの分厚い伝記をかつて読んだとき、こころに残った言葉が浮かびます。
「それが人生さ」。
安倍晋三・元内閣総理大臣閣下の死を、無駄にすることは、ありませぬ。
これからも、一緒に考えましょう。
どこまでも、みなさんと共に。
国会議員としてのぼくにあるのは、それだけです。
国葬でたまたま一緒に並んだ議員が、ぼくが団体支持をすべてお断りし後援会を作らず献金を受けずパーティもやらないことを知って驚かれていました。
そうです、ぼくが一緒に歩むのは、なにも利害の関係がない、あなたさまだけです。
安倍さんの「自民党議員も変わるな」という言葉は、それを予め知っておられたからではないかと、いま夜明けを控えてあらためて思います。