鬱屈するような写真は、ルーアンです。荒涼たるノルマンディ海岸に立つ、パリュエル原子力発電所に向かうために、まず拠点となるこの街に入りました。
羽田からフランクフルトへ着き、そこで飛行機を乗り換えてウィーンへ、ウィーンからチューリヒへ、そしてチューリヒからパリへ、アルプスの白い山並みを超えて飛びました。内心では、スキーをしたかった・・・。
パリに着くと、シャルルドゴール空港から何も見ずにサン・ラザール駅に直行して、国鉄でこのフランスの古都に向かったのです。
フランスは犯罪多発の国でもあります。
事件記者をかつて務めたぼくでも、信じがたいような犯罪も、ふつうに起きます。
金曜の夜に、こうした犯罪をめぐってフランスの警察と話す必要が生じました。
ところが日本政府は、月曜になるとフランス語を充分に話せる日本側の人間が出勤するから、それまで待てと仰います。
まさか。
金曜夜の事態を、週末だから見送って、月曜まで待て ? その理由は、言葉に自信がないから ?
非常事態、緊急時にまったく対応できない日本政府の正体を晒すのと同じです。
もちろん、「月曜まで動くな」というその愚かな要請を一蹴し、金曜の夜に、自力でルーアンの警察を訪ねました。
わたしは英語は話しますが、フランス語は話せません。しかし、そんな問題で、緊急対応を先延ばしにしてはいけません。当たり前ですよね、みなさん ?
親切な、ただし高額で、フランス語しか話さない地元のタクシー運転手さんと、海外出張の同行者の女性研究員 ( 英語はネイティヴですが仏語は話しません ) と、ぼくの3人で、深夜の警察署の極寒ともいうべき、入り口すぐの誰もいない待合室で、長時間待ち続けました。
そしてやっと、フランス人の若い警察官が現れて、まずぼくひとりが警察署の奥に入り、彼と向かい合いました。
この警察官が誠実でした。
英語は、予想通りにほとんど話さないけど、懸命にぼくと対話しようと努めて、しかも言葉の壁を越えるかと思うほど、賢かったです。
ぼくは最後に、英語で、それをありのままに褒めました。通じるように願って、ゆっくり、なるべく単純な言い方で褒めました。警察官は、ほっとしたように、そしてほんとうに嬉しそうに笑いました。
▼まもなく、支度を始めて、早朝に自宅を出ます。
とても辛いことを、しかし淡々と、まず、こなさねばなりません。
そのあと国会へ出ます。
国会はまだ閉会中ですが、午後1時から、「派閥の全廃」を掲げる会の初会合を国会内で開きます。
3本柱 ( 父系一系の皇位継承の安定、国土浸食の阻止、カウンター・インテリジェンスの法体系づくり ) を掲げる護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) とは別の、新しい会の発足です。
護る会の幹事長、事務局長、副代表にはそれぞれ直接、伝えてあります。
これはメディアが取りあげるかどうか、分かりません。
そのあとミヤネ屋の生放送への参加です。テーマは「派閥」だそうです。
それを終えて自由民主党本部に入り、海外出張中は参加できなかった「政治刷新本部」に参加します。