前の日曜日夜半に体調を崩しまして、
ブログの更新をサボっている間に、
こよみは日々更新されて
きょうは5月31日。
早いですねぇ・・・
中国の四川大地震は衝撃でした。
天災っていきなり来るじゃないですか(あたりまえか)・・
気持ちのうえで、北京五輪どころじゃない方々も
おそらくたくさんいらっしゃるのでしょうね・・・
幸い私は大地震被災経験がありませんが、
たまたまないだけの話で、
阪神淡路大震災の朝のことは
(広島もけっこう揺れましたから)
いまだに覚えています。
芸予地震のときは職場にいて、
とっさに机の下に身をひそめてしまいました
(周囲の方に大げさだと笑われました^^;)
背にしている本棚が倒れたら怖かったもんで・・・
その後、新潟でも大きな地震がありましたものね・・・
今回の四川大地震もそうですが、
職場至近のコンビニに置いてある
地震被災救済募金箱から
小さな思いを託すぐらいしか・・・
いまできることしかやってません・・・
北京五輪といえば、
オリンピック候補地に
名古屋市も立候補していたんじゃなかったですか?
記憶違いかな?
もしも仮に、名古屋がオリンピック開催地だったら
どうなっていただろう?
ふと思ってしまいます。。。
そういや
5月も終わりなのに
夏物まだ出してないや・・・
ブログのテンプレだけでも衣更えしようと思って
梅雨っぽいデザインをさがしていたのですが、
なかなか思うものがみつからない。
結局これで妥協(←gooに失礼でしょうがっ!)しました。
母親の話によると
四国は梅雨入りしたらしいです。
きのうは広島も蒸し暑かったですよ。
蒸し暑さ・・・というか湿気が大の苦手です。
あすから6月。
へばらんように加減しながら頑張りましょ。
「ワンムーンアフター」・・・
(↑ある方から頂戴したメールの中に、こんな表現がありまして、
個人的にウケまくってしまいました)
7月になれば
お楽しみが待ってますから。
=長い長いついしん=
某一般紙にも小さな記事が掲載されておりましたが、
SHOGUNのキーボーディストであり、
作曲家・編曲家でいらっしゃる
大谷和夫さんが
18日に亡くなったそうです。
御病気だったようです・・
その一般紙には、
アンパンマンマーチの編曲や、
西城秀樹さんの「YOUNG MAN」の編曲家としても知られる、といった
紹介文が添えられていたように記憶しています。
秀樹サウンドの根幹を支えていらした中のおひとりでした。
多岐にわたる「大谷和夫編曲」作品が
どれだけあることでしょうか・・・
あの「ギャランドゥ」も大谷さんのアレンジだったかと思います。
作曲家さんの譜面やデモテープが素材だとすれば、
最終的な味付けを決定してしまうのはアレンジャーさんです。
楽曲の第一印象がアレンジによって左右されてしまいます。
編曲・・・アレンジというお仕事は
もっと評価されてもいいんじゃないのかなぁ?って
私個人的には思っております。
他の著名な某編曲家さんに
一度だけお会いしたことがあります。
もう10年以上前のことになりますでしょうか。
目黒のヤマハさん本社内で
おそらく・・時間にして10分あるかないかぐらい。
柔和なお顔立ちのかたでしたが、
その時間帯が、あまりにも流れが速くて、
何歩も先の空気を読みとりながら
音の世界で表現して仕上げなければいけないような
厳しさがビンビン伝わってきて、
正直、その空間がとてつもなく怖かったことを
場違いに思えたことを
いまでも覚えています。
だからこそなお
アレンジャーを生業とされている方には
ただただ敬服するしかないと思うのです。
SHOGUNはスタジオミュージシャン結集バンドでした。
芳野藤丸さんがヴォーカルとギターを担当なさっていて、
某動画サイトにも「サウンドインS」(TBS)の出演シーンなどが
あがっているかと思います。
「男達のメロディー」という軽快な曲がありまして、
♪運が悪けりゃ死ぬだけさ~ 死ぬだ~け~さ~~ というフレーズで
終わるんですけど、
ちょっとツライです。。。
大谷さんのご逝去で
藤丸さんがお気を落とさなければいいんですけどね・・・
昨秋見られなかった
秀樹さんのライヴでは、
大谷さんとita-shinさん(板倉真一さん)が
バックでツインキーボードを務められていたそうです。
おそらく大谷さんがバンマス(バンドマスター)だったのでしょう。
もう大谷さんの演奏を聴くことはできないのですね・・・
スタジオミュージシャン、ツアーバックミュージシャンという仕事も
考えてみれば過酷なんだろうなぁと・・。
角松(敏生)サウンドを支えてこられた青木智仁さんも
ブッチャー浅野さん(浅野祥之さん)も
もう演奏をナマで見聞きできない世界へ旅立たれましたから・・。
大谷和夫さん。
CDや動画でしか
これからはあなたのお仕事を知ることができなくなりますが
たくさんの作品に携わってくださり
ありがとうございました。
あなたのお仕事がどれだけ偉大だったか
今後改めて・・ますます・・わたしたちは知ってゆくのだろうと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
ブログの更新をサボっている間に、
こよみは日々更新されて
きょうは5月31日。
早いですねぇ・・・
中国の四川大地震は衝撃でした。
天災っていきなり来るじゃないですか(あたりまえか)・・
気持ちのうえで、北京五輪どころじゃない方々も
おそらくたくさんいらっしゃるのでしょうね・・・
幸い私は大地震被災経験がありませんが、
たまたまないだけの話で、
阪神淡路大震災の朝のことは
(広島もけっこう揺れましたから)
いまだに覚えています。
芸予地震のときは職場にいて、
とっさに机の下に身をひそめてしまいました
(周囲の方に大げさだと笑われました^^;)
背にしている本棚が倒れたら怖かったもんで・・・
その後、新潟でも大きな地震がありましたものね・・・
今回の四川大地震もそうですが、
職場至近のコンビニに置いてある
地震被災救済募金箱から
小さな思いを託すぐらいしか・・・
いまできることしかやってません・・・
北京五輪といえば、
オリンピック候補地に
名古屋市も立候補していたんじゃなかったですか?
記憶違いかな?
もしも仮に、名古屋がオリンピック開催地だったら
どうなっていただろう?
ふと思ってしまいます。。。
そういや
5月も終わりなのに
夏物まだ出してないや・・・
ブログのテンプレだけでも衣更えしようと思って
梅雨っぽいデザインをさがしていたのですが、
なかなか思うものがみつからない。
結局これで妥協(←gooに失礼でしょうがっ!)しました。
母親の話によると
四国は梅雨入りしたらしいです。
きのうは広島も蒸し暑かったですよ。
蒸し暑さ・・・というか湿気が大の苦手です。
あすから6月。
へばらんように加減しながら頑張りましょ。
「ワンムーンアフター」・・・
(↑ある方から頂戴したメールの中に、こんな表現がありまして、
個人的にウケまくってしまいました)
7月になれば
お楽しみが待ってますから。
=長い長いついしん=
某一般紙にも小さな記事が掲載されておりましたが、
SHOGUNのキーボーディストであり、
作曲家・編曲家でいらっしゃる
大谷和夫さんが
18日に亡くなったそうです。
御病気だったようです・・
その一般紙には、
アンパンマンマーチの編曲や、
西城秀樹さんの「YOUNG MAN」の編曲家としても知られる、といった
紹介文が添えられていたように記憶しています。
秀樹サウンドの根幹を支えていらした中のおひとりでした。
多岐にわたる「大谷和夫編曲」作品が
どれだけあることでしょうか・・・
あの「ギャランドゥ」も大谷さんのアレンジだったかと思います。
作曲家さんの譜面やデモテープが素材だとすれば、
最終的な味付けを決定してしまうのはアレンジャーさんです。
楽曲の第一印象がアレンジによって左右されてしまいます。
編曲・・・アレンジというお仕事は
もっと評価されてもいいんじゃないのかなぁ?って
私個人的には思っております。
他の著名な某編曲家さんに
一度だけお会いしたことがあります。
もう10年以上前のことになりますでしょうか。
目黒のヤマハさん本社内で
おそらく・・時間にして10分あるかないかぐらい。
柔和なお顔立ちのかたでしたが、
その時間帯が、あまりにも流れが速くて、
何歩も先の空気を読みとりながら
音の世界で表現して仕上げなければいけないような
厳しさがビンビン伝わってきて、
正直、その空間がとてつもなく怖かったことを
場違いに思えたことを
いまでも覚えています。
だからこそなお
アレンジャーを生業とされている方には
ただただ敬服するしかないと思うのです。
SHOGUNはスタジオミュージシャン結集バンドでした。
芳野藤丸さんがヴォーカルとギターを担当なさっていて、
某動画サイトにも「サウンドインS」(TBS)の出演シーンなどが
あがっているかと思います。
「男達のメロディー」という軽快な曲がありまして、
♪運が悪けりゃ死ぬだけさ~ 死ぬだ~け~さ~~ というフレーズで
終わるんですけど、
ちょっとツライです。。。
大谷さんのご逝去で
藤丸さんがお気を落とさなければいいんですけどね・・・
昨秋見られなかった
秀樹さんのライヴでは、
大谷さんとita-shinさん(板倉真一さん)が
バックでツインキーボードを務められていたそうです。
おそらく大谷さんがバンマス(バンドマスター)だったのでしょう。
もう大谷さんの演奏を聴くことはできないのですね・・・
スタジオミュージシャン、ツアーバックミュージシャンという仕事も
考えてみれば過酷なんだろうなぁと・・。
角松(敏生)サウンドを支えてこられた青木智仁さんも
ブッチャー浅野さん(浅野祥之さん)も
もう演奏をナマで見聞きできない世界へ旅立たれましたから・・。
大谷和夫さん。
CDや動画でしか
これからはあなたのお仕事を知ることができなくなりますが
たくさんの作品に携わってくださり
ありがとうございました。
あなたのお仕事がどれだけ偉大だったか
今後改めて・・ますます・・わたしたちは知ってゆくのだろうと思います。
ご冥福をお祈りいたします。