日付が変わって7月7日になりました。七夕です。
昨日知りましたが、
7月7日は、「クール・アース・デー」だそうですね。
環境省さんのウェブサイトより「クールアースデー2009」(CO2削減/ライトダウンキャンペーン)
織姫さんが彦星さんにちゃんと逢えるように、
明かりを消すのですかね。
久しぶりにパソコンから投稿しています。
パソコンくん帰宅後初の投稿です^^;
東京ドームでの追加公演が
無事に終わったばかりの(=おつかれさまでした!)、
東方神起さんのライヴツアーのれぽが
ずっと手付かずだ・・・(すみません・・・)
書きたいことがどんどんたまっていくのですが、
パソコンくんお休み中の出来事で
どうしても書いておきたかったのは、
やはり、
マイコー、
マイケル・ジャクソン氏死去のことでした。
仕事場の備品パソコンで、
「Yahoo!JAPAN」のトップページを見ていたとき、
「マイケルさん死去」の文字があったんですよね。
仕事に関係のない話題だから、
その先をクリックして見ることは差し控えたんですが、
「マイケルさん」という文字から連想する有名人って、
「マイケル・ジャクソン」しか正直思い浮かばなくて・・。
「でも、ロンドンでライヴやるんじゃなかったっけ?マイコー」って
思いながら、
お昼休みにケータイでニュース見ていたら、
「マイケルさん」は
マイケル・ジャクソンその人だった。
「え?」
あまりにも突然すぎて信じられなかった。
そして
あまりにも失礼ですが、とっさに思いました。
「で、死因なに?」
マスメディアを通して報じられる
近年(晩年)の彼の行動は
理解できるものではなかったし、
「どうして、ああいうふうに、なっちゃったかなぁ・・」
そう思ってしまうこともありました。
半面、
現在において、いわゆる「ダンス歌手」括りで
語られるひとたち・・
Rainさん、SE7EN、
ジャスティン・ティンバーレイクやオマリオン、
日本でいえば三浦大知さんなんかがそうなのかな・・
ソロとしての大野智さんも入ってくるのかな・・
(「Song For Me」とか「Top Secret」とか・・。
「Song~」のパフォを拝見していたとき、
ふと思ったんですよね。
そういえば、大野さんと、ジャスティンと、クレイグ・デイヴィッドって
ほぼ同世代だよな、って・・)
女性だったら安室奈美恵さんとかBoAちゃんとか
マイコーの妹であるジャネット、
「ダンス歌手」括りじゃないけど
AIとかDOUBLEねーさん・・
彼らをたどっていけば
マイコーにたどり着くと思うし、
マイコーは
たぶん
間違いなく、
「見せる音楽」としての総合芸術の扉をこじ開けた
エンタメ界における世界的な功労者のひとりだと思う。
ポータブルのCDプレーヤーとか
家庭用ビデオデッキが登場したばかりの頃、
「スリラー」のMVが
当時の音楽好きの度肝を抜いて、
当時懸念されていたハードに対するソフトの不備は
杞憂に終わったような記憶があります。
先輩のひとりも、当時
「スリラー」にハマっていました。
「オレたちひょうきん族」で
ウガンダ・トラさんがパロディーをやったのも
「スリラー」MVでした。
そのパロディーが
私は大好きでした。
ウガンダ・トラさんが亡くなって、
今度は
元ネタのマイコーが亡くなったんだなぁ、って・・。
家のパソコンでのインターネット環境が
再び整ったとき、
「SE7ENはマイコーの死去をどう思ったのかな?
どっかに談話ないかな?」
そう思って検索をかけました。
残念ながら、
SE7ENで検索して行き着いた話題は、
音楽とはかけ離れた話題でした・・
いまさらながら改めて
現実とはいえ寂しいなと
正直そう思いました(SE7ENファンの皆様、すみません・・)。
かつてSE7ENは、
日本における横浜アリーナ公演を含めた
自身のライヴや
韓国での音楽番組プログラムの中で、
マイコーの「ビリー・ジーン」や
「デンジャラス」のダンスパフォーマンスの一部分を
よく披露していました。
コスチューム(衣装)もマイコーそのもので。
また、
自身の楽曲「パムセドロク=All Night Long(夜通し)=」を
韓国の音楽番組で披露する際には、
そのイントロの一部分に
「ビリー・ジーン」を使うこともありました。
SE7ENの父上様が
マイコーのファンでいらして、
幼少時のチェ・ドンウク少年(=のちの「SE7EN」)に、
マイコーのMVを見せていた、とかなんとか・・・
詳細は忘れてしまいましたが、
そんなエピソードを
テレビ番組でのインタビューのなかで
SE7EN御本人さんが
語っていたような覚えもあります。
ですんで、
少なくとも私の中では、
自分勝手かもしれませんが、
さきほども書いたように
「SE7EN=マイコーの影響を色濃く受けたダンス歌手」という
括りが出来上がっていた。
「フォウ!」だか「フゥ!」だか「ポゥ!」だか
どう表記すれば適切なのかわかりませんが(すみません)、
曲の合間合間に彼が入れてくる声も、
マイコーの影響をかなり感じていた。
SE7ENとマイコーについての
自分の中の括りの話は
これぐらいにしときます・・
マイコーの逝去のあとに知ったことですが、
MTVでは
黒人の楽曲のオンエアは禁止されていて、
その扉をこじ開けたのがマイコーの作品だったんですってね。
R&Bの裾野を広げたのも
マイコーだったんだな、と。
日本におけるR&Bの裾野を広げたのが
久保田利伸氏やバブルの兄貴たち(BGB)、
いわゆる「シティ・ポップス」としてオシャレに昇華されたかたちでの
山下達郎氏や角松(敏生)だったとしたら、
ワールドワイドに
R&Bの裾野を広げたのはマイコーだったんだな、と・・。
サム&デイブや
JBを知らなくても、
マイコーを知っているひとは
たくさんいると思う。
それに、
かつて
バックスライド(=ムーンウォーク)を
練習していた一般人が、
得意げに披露していた一般人が
どれだけいたことか。
かつておせわになっていた会社の部長(=当時)が、
「きみは音楽が好きだったよな。
ビデオデッキこの先買ったら声かけて。
マイケルとマドンナのビデオ、貸してあげるよ」。
やっとの思いで、
初めてビデオデッキを買ったときに
こちらとしては冗談半分で
その部長にお声をかけたら、
部長は
ほんとうに
御自分のライブラリーから
ビデオテープを持ってきてくださいました。
当時はただ
拝見して圧倒されていただけでしたけど・・。
「スリラー」がはやっていた当時を含めて、
マイコーの全盛期には
特段ファンでもなんでもなかったんです。
いまだに「ファン」ではないですけど・・
とはいえ、
数年前、
改めて、
「マイコーやっぱすげえや」と
思うようになって、
さかのぼってMV集を拝見した記憶があります。
「ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア」のMVなんか
ド素人目ですけど^^;
ダンスかっけーな、と
素直にそう思う。
いまではいろんなひとがやっている
あの
「フゥ!」という声も
マイコーがやると違和感がない。
あの独特な歌いまわしは
正直まねできない。
並外れた
群を抜いた
卓越した
エンターテイナーそのものでした。
5月にキヨシローさんが亡くなって、
6月にはマイコーが突然逝ってしまって、
おおきな存在が
また
いなくなったんだなぁ、って・・。
7月10日深夜に、NHKで
マイコーの特番が放送される予定だそうです。
NHKオンラインより ~MUSIC JAPAN Web Special 「マイケル・ジャクソン “KING OF POP”の軌跡」 (放送予定告知)~
R.I.P.
マイケル・ジャクソンさん。
子供の頃からスターダムに押し上げられた存在。
やっと安らかにいられるのでしょうか・・
あなたの遺した作品を
また振り返ることになるんでしょう。
いなくなって初めて
あなたがどれほど
おおきなことをやろうとしていたか、
そして、
私はそれを
まったく理解していなかったことに、
気づかされるのでしょう。
マイケル・ジョセフ・ジャクソン氏の
御冥福をお祈りします。
=追記=
マイコーとSE7ENで
ひとつ思い出したことがあります。
記憶違いかもしれませんが・・・。
速水もこみちさんとマチャミ(久本雅美)さんが
MCを務められた年の
VMAJ(MTV VIDEO MUSIC AWARD JAPAN)で、
SE7ENもパフォーミングアーティストとして、
代々木第一体育館で
パフォーマンスを披露したんですが
(♪Puzzle~♪ヨルチョン~♪ナン アラヨ)、
そのときのVMAJにマイコーが特別ゲストとして登場して、
何かしら短いスピーチをしたんじゃなかったなぁ?
もう、そのときのVMAJの録画データを
消去してしまいましたので、
確信が持てないんですけどね・・・。