雑感「日々是好日2」

NO MUSIC,NO LIFE.音楽好きなのんびり屋さんの日常をつづってゆきます。きょう一日が良い日であるように…。

そういえば東京滞在中に・・

2009-07-26 23:17:42 | Weblog
出先でお昼ごはんを食べていても、
店内のBGMに
つい耳が行ってしまう自分について、

つくづく

NO MUSIC,NO LIFE だよなぁと
あきれて
心の中で
苦笑いしてしまいました。

出先のひとたちとの
御一緒ランチじゃなくて
まだ良かったと、
これが
ひとさまと御一緒だったら
不謹慎このうえないですから。

なんなんでしょうね・・。



初日は、
駅なかランチだったんですが、
トニ・ブラクストンの
「アンブレイク・マイ・ハート」が
流れていたんですよね。

トニ・ブラクストンなんて
ほんと
久々に聴いたよなぁ。
何年ぶりのレベルじゃないよなぁ・・。


当時は
それほど好きな曲でもなかったんですけど、
いま聴いて
癒される感じがするのは
なぜだろう・・?





2日めの
「パク森」さんでは
Superflyさんの新曲?
何かのCMタイアップがついてる曲が
流れていたんですよね。

以前にも書いたことがあると思いますが、
Superfly=越智志帆さんって
愛媛県の御出身ですから、

「がんばれ、元愛媛県人」とでも
言われたような気分になってしまいました。




たったそれだけの話なんですけどね、
「で、それが何か?」というレベルの。

それでも
書き留めておきたかったんですよね。




なんでやろな・・・
まぁいいか・・・。


「はぁぁぁ、うぜーしだりーし、やってらんねぇ~っっ!」リターンズ。

2009-07-26 21:49:08 | Weblog
きょうも雨の広島です。

そんな雨のなか、
「ジャパニーズ『ピアノ・マン』」光田健一さん のライヴが
広島であったというのに、
バタバタにかまけて
チケットをとうとう取りそびれましてね、
足を運ぶことができませんでした。

もし仮にチケットGetできて
ライヴに行けたとしても、
結果として
ライヴの途中から参入だったでしょうから、
それはそれで失礼なことなので、
結局チケットそのままダメにしたのかなぁ・・
17時開演のライヴなのに、
19時15分ぐらいに会場到着ってのは、
もうその時点で
入る勇気がないんですよね・・・
ライヴハウスですしね・・・



金曜日遅くに広島駅へたどりつきまして、
土日はちょこっと留守中の仕事処理ふくめて
事務所に出てました。


昨日の土曜日、仕事がひけた後、
光田さんのライヴチケットをなんとかしようと、
事務所近くにあるファミマのファミポート、
市内中心街にあるローソンのLoppiで
探索したものの、
時すでに遅し、アウト!


「あ!『歌おに』のDVD引き取りに行ってないや!」
予約時に、「とりおき2weeks!」という注意書きを
店員さんが備考欄に記入なさっていたことを
ふと思い出してしまいました。

「歌おに」とは
テレビ朝日系で、この冬クールに放送された
連続テレビドラマ
「歌のおにいさん」
です。


NO MUSIC,NO LIFEの
タワレコ広島店さんへ
「歌のおにいさん DVD-BOX」を
引き取りにうかがいました。



「はぁぁぁ、うぜーしだりーし、やってらんねぇ~っっ!」

矢野健太が、
とーちゃんが、さくらねーちゃんが、
かっちゃんが、
王子とうらら姫が、
マモルくんが、
眞鍋さんが、
明音ちゃんが、
帰ってきました!



(改めて健太の私服が好きです。
 健太の中のひとが小柄な男性ですし、
 ああいう洋服の合わせ方っていいなぁ、と思いながら
 拝見しておりました。
 健太の私服を見て、
 ウォレットチェーンに興味を持つようになった愚か者です・・
 結局ウォレットチェーンには手が出ませんでしたけど・・^^;)



「痛快」なんて言葉は
もはや忘却の彼方なんでしょうが、

その
「痛快」という言葉を
思い出させてくれたのが、
「歌おに」であり
矢野健太でした。




これからも、
たぶん、
「うぜーしだりーし、やってらんねぇ~~っっ!」って
思うようなことは
こちらの予想をはるかに超えるような出来事は
日々やってくるんでしょうが・・・

いいタイミングで
矢野健太リターンズだよなぁ、ホントに^^;





タワレコさん店内で、
ちらっと横を通っただけですが、
レジ前で
PRスポットが流れていた
椎名林檎さんのDVD・・・

実は
事変(東京事変)名義じゃない
ひさしぶりのオリジナルアルバム
「三文ゴシップ」を
聴いていなかったのですが、

そのアルバム「三文ゴシップ」収録曲である
♪流行 とか ♪旬 とかの
PVが
店内で流されていたんですよ。



かっけーな。
歌詞も曲も。

林檎さん流石だな、としか
思えませんでした。 

余分な講釈
なんもいらん。

EMI Music Japan ~椎名林檎特設サイト「三文ゴシップ」 (※「流行」「旬」のPV試聴ができます)~




光田さんから矢野健太、
さらに林檎さん・・・


話が飛びすぎて収拾つかん・・・
すみません。




それにしても


このところの酷い雨・・・


山口県も九州も東広島市内も
たいへんなことになってしまったようです・・



やんでくれませんかね・・・

窓の外は激しい雨

2009-07-24 22:19:51 | Weblog
列車は広島県内にいます。

広島駅のホームが満線で、
この新幹線がホームに入れないのだそうです。

東広島駅で列車は止まっています。



…いま動き始めました。
ホームあいたんだな。

外は激しい雨です。

新幹線減速運転

2009-07-24 21:07:42 | Weblog
新幹線の中です。
いま兵庫県内走行中です。


大雨のため、小倉~博多間で運転を見合わせているそうで、
その影響で、前の列車が連なって運転している状態なのだそうです。


そのため、列車減速運転しているそうで、
さっきから、
減速のお詫びのアナウンスと、
乗り継ぎ列車接続についてのアナウンスが、
繰り返されています。



福岡県内は大変な雨だそうです。
雨に雷に…竜巻警報?まで出ていて、
避難勧告も出たとか…


お天道様は、何に怒って、大雨を降らせているのでしょうか…

from Tokyo

2009-07-24 12:56:19 | Weblog
…というタイトルの、西城秀樹さんのアルバムがかつてありましてね、
凄く良く出来た、飽きの来ないアルバムなんですが、
アルバムタイトル曲とも言うべき
♪City Dreams From Tokyo のフレーズを
ついつい思い出してしまった昨日今日。


去年上京したときは
「日本だからできる、あたらしいオリンピック TOKYO2016」でしたっけ?
あちこちに旗(?)があった気がします。

今年は少し落ち着いた感じなのかな。




電車で見かけるサラリーマン風のかたは
凄く疲れ切っているように見えて、
駅構内を行き交うひとたちは速足で、
ボヤボヤしてたら、すぐに蹴落とされるような感じがして、
東京って怖いな、といつも思います。
そんなときは、私のアタマの中では、
角松(敏生)の
♪疲れった ビジネ~スマン
(from「I CAN GIVE YOU MY LOVE」)
というフレーズが流れているんですけどね^^;


きょうは雨が降ったり曇ったりという空模様なんですが、
蝉の声が聞こえてきます。
夏なんだな。
季節感ありありのメガロポリス東京。
案外、東京って緑がありますよね。
窓の外の緑にほっとします。





お昼は、パク森さんというカレー屋さんで頂きました。
山陰に住んでいた頃に突如
「パク森のカレーは美味しいっ!」
と、一部で盛り上がっていて、
ぽっかぁ~ん という状態で聞き役をしてましたが、
そのパク森さんで
「パク森カレー」をいただきました。




きょう広島に帰ります。
きょうで帰れると思うとうれしくて。



午後の日程に入ります。

From Hiroshima To Tokyo

2009-07-23 06:41:48 | Weblog
おはようございます。
このところの激しい雨(山口県内は大変なことになっているみたいです…)が嘘のような、
今朝の広島です。
蒸すことなく凌ぎやすい、というか、
少し肌寒く思えるぐらい。


これから上京です。
仕事での上京は、いつも気が重いけど…
久しぶりに広島駅で「こだま」の車両を見かけて、
「あぁ、もう、愛らしいだんごっ鼻車両じゃないんだったなぁ」と
思ってしまいました。



新幹線の車窓から、ボンヤリと景色を眺めるのが好きです。

仕事の書類も車中で目を通しますけど、
新しい球場を眺めて
「行ってくるけぇね」
という気持ちになり、
大阪、名古屋、横浜、東京。
高いビルを見ると
気持ちが引き締まる。
緊張する。

毎回その繰り返しです。



行ってきます。

「去年と違う夏。」

2009-07-19 22:34:11 | Weblog
きょうは、事務所に出てから
とても落ち込むような事がありまして・・

アップダウンが激しいなと
自分でも思うきょうこのごろです。



仕事を終えてから、
携帯電話の機種変更に行きました。


機種使用履歴「25ヶ月目」の表示を待って
変更しようと
前々から思っていましたからね。

時機到来したものの
それからいろいろありましたので、
延び延びになっておりまして、
やっとこさ家電量販店さんへ行きました。



「じゅーでん、充電!」というCMでおなじみの
(♪BGM=Everything)
SHARPさんのソーラー携帯の青色モデルに
しようと決めていたのですが、

鮮やかな色のケータイって持ち慣れていないので
違和感がぬぐえなかったのと、
価格の関係と、
「ワンセグ要らないなぁ」という思いから、


結局、
店頭で見かけた、
iida misora」という機種に
してしまいました。

手にしたときの持ちやすさとか、
シンプルなところに
ひかれてしまいました。



カメラの画素数とか
本体に保存できるデータの容量とか
電池の持ちが、
ソーラーフォンに比べると落ちるんですけど、
それはもう
しょうがないなぁ。


またもや
京セラさんの携帯電話を選んでしまいました^^;




引き算の美学。
去年と違う夏。



ちなみに
写真は
広島パルコ本館で見かけた、
「じゅーでん、充電!」のソーラーフォンPR。
あのCM、好きなんですよね。
KDDI au:NEW COLLECTION 2009 SUMMER

きのうはひさしぶりに

2009-07-19 08:51:50 | Weblog
きのうは一日お休みをいただきました。


午前中、予約診療日だったお医者さんへ行きまして、
ここのところの事の顛末をお話ししまして、
対処の御相談。

「う~ん。むずかしいね。」

お医者さんから頂戴したのは
そのひとことでした。
・・・もうそれしか言いようがないんだろうね。



身体が動きましたんで、
ヤマハさんへひさしぶりに行きました。

広島のヤマハさんで、
いわゆる発表会イベントを
11月に行うことになっているんですが、
その選曲などの打ち合わせが
中途になってしまったまま、
ずっとヤマハさんへは行けていませんでした。

広島のヤマハさんの場合、
これまでだと、
発表会当日の・・早くて1ヶ月ぐらい前かなぁ?
遅ければ2週間前に
出演のオファーが来て、
曲名を言い渡されて、
楽譜があればそれを頂いて、
音源は自分で探して。
それから、メロディーと歌詞を覚える作業にはいってゆく・・

・・そんな感じの段取りでしたから、
今回は異例で開催告知が早いんですよね。


これまで、私は3回
このイベントに出させていただいてまして
(山陰のヤマハさん含めると4回になりますけど)、

しょっぱなが、
スティービー・ワンダーの「アナザー・スター」。
発表会当日の2週間前に
「出て歌ってくれん?」とオファーされたのがこの曲でした^^;
歌詞と音源は自分で探して、メロ譜も自分で起こして。
あれは正直、いい勉強になりました。いい経験をさせていただきました。

その後は、
プロコルハルムの「青い影」と、
キャロル・キングの「空が落ちてくる」。

なぜか、
いずれも外国語曲なんですよね。
歌詞覚えるのがツラいんですけどねえ・・^^;

今回は日本語がいいなと思っておりました。


先生から、選曲リストを見せていただいて、
「うたいたい候補曲選んどってね」と言われましたので、
松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」と、
ミスチルの「TOMORROW NEVER KNOWS」を
選んでおいたんです。
とりあえず、曲知っているし、日本語だし(笑)。
「SWEET~」は、いろんなひとがカヴァーしているんで、
スタレビの根本要さんの解釈でやってみたら面白そうだな、と
思っておりました。

先生からは、
「もしほかの生徒さんと、希望がダブったら
 ほかの曲に回ってもらうけど、ええ?」
というお話が併せてありまして、
もちろん「かまいませんよ」というお返事を
させていただいておりました。

マーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイン・オン」とか、
クイーンの「伝説のチャンピオン」あたりは、
希望者が少ない見通しなので、
そっちに回ってもやむをえない、ぐらいのことは
既に先生とお話をしていたかと思います。



その後・・
ほかの生徒さんからの希望が上がってきたらしく、
私は、
クイーンの「伝説のチャンピオン」と、
ホワイトスネイクの「オール・フォー・ラブ」(・・だったかな?)を
うたうことになりそうです・・。

 (追記:ホワイトスネイクの曲名は
     「Fool For Your Loving」
     でした。)



ホワイトスネイクとか正直知りません^^;
B’zがブレイクする前か、ブレイクしたばかりの頃だったかなぁ?
(これまた古い話だ・・)
稲葉浩志氏が、アマチュア時代にやっていたのが、
ホワイトスネイクのヴォーカリスト、
デヴィッド・カヴァーディルのヴォーカルスタイル、というような
音楽雑誌のインタビュー記事を読んだことがありまして、
「ホワイトスネイクってどんなん?」と思いましたので、
レンタルCD屋(当時某大手家電量販店の近くにあったTSUTAYAさん)で
ホワイトスネイクのアルバム1枚を借りて聴いたんですよね。

ひととおり聴いたはずなんですけど
まったくピンと来なくて・・・
印象に残らなくて・・・
そのままお返しした記憶がありますね。
どっちかと言えば私は
ロックを毛嫌いしてますので・・^^;


2曲とも外国曲で
ロックかよ!(苦笑)

先生に
「私が歌ったらタダの歌謡曲になってしまいそうですよ~^^;」と
申し上げたところ、
「それはそれでアリなんじゃないん?」と笑顔の先生。





ヤマハさんでのボイトレと
発表会関係の話で
妙なテンションの上がり方をしておりました。
自分でも「おかしいな、ヤバイな」と
思いましたが、
喉にエンジンがかかってきたのと、
地声でどこまで声が張れるのか確認しておきたい、という
気持ちが強くなってきて、
ただ、無性にガンガン歌いたい、
そういう衝動にかられてしまいました。
地声で高音域をひたすら張り上げるような歌い方を
平生まったくやりませんからね。



平生私が聴くのは
ミディアム~スローの系統です。
いわゆるR&Bの括りで語られるものだったり、
かつてブラックコンテンポラリーと呼ばれていたものだったり。
16ビート系統は聴きなれているし歌いなれてもいますけど、
それ以外のジャンルの曲は正直弱い。



その後
某シダックスさんで
集中して
地声を使う練習を
してきました。

知らない曲は歌えませんので、
結局
ミティアム~バラードが中心でしたけど、
とりあえず
根本要節から始めまして^^;
あの高音域を、身体を反りながら絞り出すような
要さんの、あの独特の歌い方から復習することにしました。

「君のすべてが悲しい」とか「追憶」とか
何年ぶりにうたったんだろう・・?




集中して歌う作業を通して
自分自身とがっぷり四つに向き合って。
現時点で出来ることと出来ないことを確認して。

歌うことは
内側のものを吐き出す作業でもあるんですよね。

マグマみたいなものが
溜まっていたんでしょうね。



貴重な休日になにやってるの、
バカじゃないの、って
思う自分が
一方でいるんですけどね、

よくわからんことをしてますよね・・・。



まぁ、これもアリなのか・・。




山陰に住んでいた頃には
「がいな祭便乗ライヴ」というフリーイベントが
某ライブハウスさんでありまして、
そちらに参加させていただいておりました。
ちょうど、いまの時期ぐらいに
あったんですよ。
なつかしいな・・。



ガッツリうたいたいよなぁ・・。




ちなみに、広島ヤマハさんでの練習曲は
JUJUとJAY’EDさんの
「明日がくるなら」に
変わっておりました。
むずかしい曲なんですよね、特にAメロが。
JUJUってやっぱすげえよなぁ。

「奇跡を望むなら・・」はついていけましたけど、
今回の曲は、
譜面初見では正直、Aメロがうたえていませんでした。

まだまだ
応用がきかないんだろうな。
出来るようになっておきたいよなぁ。



私の中で着火した。
火がつきました・・。





きょうは午後から事務所です。
日常へ戻ります。

なぜ・・・

2009-07-15 05:37:58 | Weblog
日付が変わったので
昨日のことになるのですが、


昨年、短い期間だけですが、
同じ事務所で机を並べて
お仕事をさせていただいていた
大先輩が、
郷里で亡くなったという知らせを受けました。


この春、
定年を迎えて、
広島から
郷里の山陰へ越されたばかりでした。


あまりのショックと
やるせなさと
むなしさと
くやしさと
怒りが
こみあげてきて
私は
泣いてしまいました。



その大先輩は
在職中に
がんが見つかり
入院されました。

いま思えば
早い発見ではなかったのかもしれません・・
わかりませんが・・

のどが痛かったのだそうです。
部署柄、ストレスの多い、休みの取りづらい、
神経のやすまらないポジションです。
「風邪薬もらって飲んで
 『治った治った』と思ってたら
 違った」というようなお話を
うかがったこともありましたから・・。
食道がんでした。

初回の闘病時には
復職のために、
切除ではなく、
放射線治療を選択されて、
入院、自宅での療養を経て、
いったんは復職されました。

その復職時に
たまたまですが、
隣で机を並べていたのが
私でした。


定年前のラスト1年を迎えた
大先輩おふたりとともに
3人で事務所を守る毎日が
約2~3か月続いたのかな?

とにかく、
卒業式を
おふたりとも笑顔で
迎えていただきたい。
その一心で
お仕えしておりました。



亡くなったTさんからは、
短い間に
ほんとうに
いろいろなことを
教えていただきました。

短い間でしたが、
毎日が
ほんとうに楽しくて、
ためになって、
生き字引が隣にいるありがたさを
感じる日々でした。



Tさんは
もともと技術職のかたで、
根っからの文系&事務職である私とは
畑違いのかたでした。

若くして
肺がんで亡くなってしまった
理系出身のYちゃんと同様、
Tさんもまた、
鳥取の御出身でした。
鳥取のかたって、
実直で、現実的で、賢いんですよ。
Tさんはまさに
実直で、現実的で、合理的で、賢いかたでした・・・。


私は四国出身で山陰勤務の経験があり、
Tさんは山陰の御出身で四国勤務の御経験がある。
診療科が違うとはいえ、
同じ病院さんでの入院生活を送った仲間でもありました。


一年前、
私が出張や
容態の急変による応急措置で
事務所をあけるとき、
代わりに実務を助けてくださっていたのが
Tさんだったんです・・





昨年の秋
Tさんが再び闘病生活に入られて、
手術による喉の切開を選択せざるをえなくなったとき、
お守を携えて、
お見舞いにうかがいました。

かつて自分が右目にメスを入れる前に、
手術成功祈願をしに伺った
NHK広島放送局にほど近い神社の神主さんに
願掛けをしていただいて、
その足で、
通いなれた某大手病院さんを訪ねました。

Tさんは、点滴中にもかかわらず、
身体を起こそうとされました。

私は
「そのままでおってください」と申し上げて、
手短に要件をお伝えして
失礼させていただいたのですが、
その間もTさんは、
ベッドサイドに置かれた眼鏡を取ってかけられ、
私や、同室の患者さん、看護師さんへの気づかいを
ずっとなさっていました。


「あ~、お友達じゃ~」
 (点滴袋&点滴袋携行用ストレッチャーのことを
  「お友達」と呼んでいました)
「お友達^^;」

「痛いんじゃが、看護師さん忙しくしとってじゃし、
 言えんのよね」
「ここでは『痛い』言うちゃってええんですよ。
 そのために入院しとるんじゃし。
 『痛い』言わにゃあ、わからんし^^」




その後、Tさんへ
ゆっくり、ゆっくりでいいから、
お友達~おもゆ~おかゆ と
少しずつ、少しずつ
回復されるように願っています、と、

私は、栗ご飯が食べられるようになって、
栗ご飯がこんなにうまいとは思わなかった、と、
すごくうれしいです、と、
おはがきを書きました。

その後、Tさんからは、
手術は成功して、お友達は卒業しました、と、
これから抗がん剤の投与で通院します、と、
あなたも身体に気をつけてください、と、
おたよりを頂戴しました。



年が明けて、
2月ぐらいだったかなぁ?
デスクの中の私物整理に、
Tさんと奥様が
事務所へお見えになりました。

Tさんは手術で声帯を切除されているので、
お声は出せない状態でしたが、
サイレントで話しかけてくださるので、
それだけで充分聞き取れました。
そのときは、
とてもお元気そうにお見受けしました。


ついこの間のことのように思えます・・・
何もかも・・・





Tさん、
一年前に、
申し上げましたよね。

「なんのために、
 一生懸命働きづめに働いて
 なんのために、
 長いこと苦労してきたのか
 分からんようなことになるのだけは、
 絶対イヤなんですよ。
 Tさんには、
 いいおじいちゃんになってほしいんですよ。
 いいおじいちゃんになって、
 田舎でのんびりと
 楽しんで暮らせるようになってください。
 約束ですよっ!」って。

Tさんはそのとき
こんなふうなことを笑っておっしゃってましたよね?
「わし、おじいちゃん^^;
 すでにおじいちゃんなんよ。
 上のおねえちゃんのほうなんじゃけどね。
 下のおねえちゃんはまだじゃがね」

「だったら、『下のおねえちゃん』の
 ウエディングドレス姿見なきゃ^^」


Tさん、
あまりに早すぎるでしょう・・?
約束がちがうじゃないですか・・?


Tさんのような善良で真摯なかたが
なんで報われんのんか、
やっとこれから、というときに
なんで
こんなことにならなあかんのんか・・




Tさん、
おつかれさまでした・・

ありがとうございます・・


心から
御冥福をお祈りします。





Tさんのその実直さは
決してまちがいじゃないです。
むしろ
それは誇りだと
胸を張っていいんだと
私は思います。




Tさん、
まだまだ学びたかったです・・





CONFUSION

2009-07-13 01:13:34 | Weblog
・・・って曲がありませんでしたっけ?
大沢誉志幸氏の曲で。


大沢誉志幸氏といえば、
初期のキッカワ(広島弁をこよなく愛する吉川晃司氏・・えらい!)に
楽曲提供なさっているんですけど、
大沢氏とか、NOBODYさんとか、
一連の曲が当時はカッコ良く思えて
しょーがなかったですね。
愛媛を離れるときに残念ながら手放してしまったのですが、
「LA VIE EN ROSE」という
キッカワの初期のアルバムがありましてね、
そのなかの
「NO NO サーキュレーション」という曲が、
ぶちかっこえーんじゃけぇ!!(←なぜにここだけ広島弁?^^;)
いや、今聴いても
たぶん「かっけぇ~~っ」って思ってしまうんだろうと
思うんですよ。
特にアレンジが。
よく出来てるの。




・・・それはさておき(前置きか!)。




木曜の朝に倒れてしまいましてね、
救急搬送されてしまいまして。

結局
木曜はほぼまる一日
休んでしまいました。

その後、
土曜日に、相談かたがた、
主治医である開業医さんを訪ねまして、
「よく考えて
 決断してください」と言われました。


====================================


このところ、
ハードな状況が続いていたんですよ。
倒れた日も前夜から働きづめだったんです。
パソコンに向かって
デスクワークやってて、
4時(=午前)ぐらいに突然、
あまりの痛さで
座っていられなくなって、
身体を支えることが出来なくなったの。


とっさに段ボールをフロアに並べて
身体を横にして、
容態が落ち着くのを待ったんです。
早朝まで
なんとか持たせようと思っていた。


持たなかった。


警備員さんにお願いして、
時間外通用口を開けていただくように
連絡を取り、
事務所の施錠をして、
エレベーターで階下までなんとか降りた。
タクシーを呼んで帰るつもりでした。

私の様子をごらんになった警備員さんが
「こんなのがまんすることないよ!救急車呼んであげますから!」って
おっしゃって・・。

私は
「意識があるから、税金で搬送してもらうことはないから、
 大丈夫ですから、タクシー使うから、
 救急車呼ばないでください・・」って
申し上げたんですけど
(搬送受け入れ先があるのかどうかも不安でしたから・・)、
しかし、
その時点で、身体を起こすことは
もう出来なくなっていた。


まもなく救急隊の方が来られて、
私の症状と持病を訊かれました。
搬送先は2か所に絞られた。

救急隊員さんは、はじめに
某総合病院さんへ連絡をされました。
某総合病院さんはお返事を渋られたようで、
某他院さんへの連絡を救急隊員さんに勧められたようでした。
その他院さんが断ってきたら
ウチへもう一回かけてください、とのことだったようです。

その某他院さんは受け入れ拒否の返事をされたようでした。
最初の某総合病院さんが
結局搬送を受け入れてくださることになり、
そちらへ私は搬送されました。



救急隊員さんには
ほんとうに
もう
申し訳なくて申し訳なくて
しかたなかった。


おそらくノウハウがないに等しい状態なのに
今回搬送受け入れを決断してくださった
某総合病院の内科当直医さんに対しては、
ありがたいと思うしかなかった。

血圧が上108、下48だったので、
水分を点滴されました。
口からは最小サイズのソラナックスを1錠投薬。
「主治医の先生に、
 今回みたいな急性の発作が起こったときの対処を
 訊いておいてくださいね」
当直医の先生からそう言われました。




私の身体に
時々少し効いてくれていた
唯一の薬
ソラナックス。

緑内障禁忌薬です。

このところ
最大錠数を使い切るペースで
効かなくなってきていて、
次の選択肢が
なくなりつつありました。


以前にも書いたことがあるかと思いますが、
左目の狭隅角眼のため、
緑内障禁忌薬は
使わないでほしい、と
眼科医さんから言い渡されています。



緑内障禁忌の注意書きのない薬は
まったく効かないので、
やむなく
綱渡りで
使っていたのが
ソラナックスでした。




薬の選択肢を広げるために、
眼球の硬直が進行している左目に
メスを入れて、
白内障の手術と同時に、
狭隅角を広げる施術を受ける、という
選択肢を、
先月
かかりつけの眼科医さんから
提示されていました。


ただしそれは、
むずかしい手術だと。

私の右目を手術してくださった
某大手病院が
その難易度のために
断ってきた手術であると。

入院を希望するのであれば、
相談はするが、
入院設備のある病院で
その手術を引き受けてくれるかどうか、
それは正直難しいでしょう、と。

かかりつけ開業医さんが
執刀してくださる場合は、
日帰りになり、
その際、もちろん
術後のケアは自己責任になる。
滅菌処理とか、物にぶつかってはいけない、とか・・・
片目で日常生活をしながらのケアに
自信があるかといえば、
正直こころもとない。
入院させてもらったほうが
はっきり言えば安心する。


いずれにしても
術後1週間は
目を使う生活はできない。
いまの状態では
その間のフォローは
正直むずかしい。



手術そのものをとるのか、
その後のアフターケアまで考えるのか、
よく考えて
自分で決めてください、と
そう言われています。


広島じゃなく、
どこか遠いところを探すことも
考えました
ほんの少しだけ・・・。
でも、
手術をする前のひととおりの検査とか
これまでの履歴とか
手順を踏むことを考えると、
まったく新規で
土地勘のない場所へ頻繁に通って
手術を受けることを
ためらいました。
経済的にも
仕事場への段取りの面でも
正直持たないと思った。



いずれにしても
賭けに等しい。


現状を打開するための方法、
つまり、
もっと強い薬に切り替えるために、
もっとムリのきく身体にするために、
与えられた選択肢は
これしかない。







他方で、
線維筋痛症のお医者さんには(代診の先生でしたが)、
救急搬送の件をお話しして、
容態が急変したときの対処があるのか?と
お尋ねしました。
正直、酷な質問だと分かっていました。

メカニズムも治療法も解明されていない疾病なのですから。



先生は、
「こういう急変が起こらないように
 身体に負担をかけない態勢を
 配慮してもらうしかないのではないでしょうか。
 そのほうが先なのではないでしょうか」
そうおっしゃいました。


前回診察にうかがったとき、
「ここ以外に、
 あなたのふだん通っている開業医を、
 教えてもらえませんか。
 そちらと連携を取りながら、
 あなたの治療を進めていきたいんです。
 僕がこれからその開業医へ
 手紙を書くから」
主治医の先生は親身になってくださって、
そこまで踏み込んでくださいました。

そのとき私は
眼科医の先生のことをお話ししました。

お手紙を
前述した眼科医の先生のところへ
私は持参しておりました。

その眼科医の先生から、
線維筋痛症の先生へ宛てた返信を
私は持参しました。



主治医の先生がいらっしゃらなかったので、
代診の先生が
お手紙を読んでくださいました。

ソラナックスの使用については
責任は持てないということ、
左目の手術は難しい手術であることが
書かれていたそうです。





左目にメスを入れるのかどうかということ、
仕事場とのこと、
よく考えて決断してください、と
言われました。





倒れてしまえば、
自力で病院の通用口から
時間外受付窓口のある場所まで
たどりつくことさえ
むずかしくなる。

タクシーの運転手さんが
肩を貸してくださったことも
一度や二度ではない。

「こういうとき救急車使っていいんです。
 甘えちゃっていいんですよ。
 がまんしないでください」
運転手さんはそう言ってくださいます。

運転手さんに
御迷惑がかかるんです。



救急車を呼べば、
救急隊員さんや
搬送先として連絡を受けてしまった病院さんに
御迷惑がかかる。
受け入れたくても
受け入れることが出来ない疾病だからです。




私の場合、
急性症状は
突然やってくる。

回避はできないに等しい。





「いては、いけないんだな。」

正直
そう思ってしまうんですよ。





決断しなければならないんですよね。
まちがいのない決断。



生き続けることそのものが、
もはやすでに
賭けでしかなくなった。
例え方が不謹慎なのですが
正直
双六やってるような気分になってきた。




混乱してきた。




寝るか・・Zzz

R.I.P.

2009-07-07 02:03:43 | Weblog
日付が変わって7月7日になりました。七夕です。
昨日知りましたが、
7月7日は、「クール・アース・デー」だそうですね。
環境省さんのウェブサイトより「クールアースデー2009」(CO2削減/ライトダウンキャンペーン)

織姫さんが彦星さんにちゃんと逢えるように、
明かりを消すのですかね。



久しぶりにパソコンから投稿しています。
パソコンくん帰宅後初の投稿です^^;




東京ドームでの追加公演が
無事に終わったばかりの(=おつかれさまでした!)、
東方神起さんのライヴツアーのれぽが
ずっと手付かずだ・・・(すみません・・・)



書きたいことがどんどんたまっていくのですが、


パソコンくんお休み中の出来事で
どうしても書いておきたかったのは、
やはり、
マイコー、
マイケル・ジャクソン氏死去のことでした。


仕事場の備品パソコンで、
「Yahoo!JAPAN」のトップページを見ていたとき、
「マイケルさん死去」の文字があったんですよね。

仕事に関係のない話題だから、
その先をクリックして見ることは差し控えたんですが、

「マイケルさん」という文字から連想する有名人って、
「マイケル・ジャクソン」しか正直思い浮かばなくて・・。

「でも、ロンドンでライヴやるんじゃなかったっけ?マイコー」って
思いながら、
お昼休みにケータイでニュース見ていたら、
「マイケルさん」は
マイケル・ジャクソンその人だった。


「え?」
あまりにも突然すぎて信じられなかった。

そして
あまりにも失礼ですが、とっさに思いました。
「で、死因なに?」




マスメディアを通して報じられる
近年(晩年)の彼の行動は
理解できるものではなかったし、
「どうして、ああいうふうに、なっちゃったかなぁ・・」
そう思ってしまうこともありました。



半面、
現在において、いわゆる「ダンス歌手」括りで
語られるひとたち・・


Rainさん、SE7EN、
ジャスティン・ティンバーレイクやオマリオン、
日本でいえば三浦大知さんなんかがそうなのかな・・
ソロとしての大野智さんも入ってくるのかな・・
(「Song For Me」とか「Top Secret」とか・・。
 「Song~」のパフォを拝見していたとき、
 ふと思ったんですよね。
 そういえば、大野さんと、ジャスティンと、クレイグ・デイヴィッドって
 ほぼ同世代だよな、って・・)


女性だったら安室奈美恵さんとかBoAちゃんとか
マイコーの妹であるジャネット、

「ダンス歌手」括りじゃないけど
AIとかDOUBLEねーさん・・



彼らをたどっていけば
マイコーにたどり着くと思うし、

マイコーは
たぶん
間違いなく、
「見せる音楽」としての総合芸術の扉をこじ開けた
エンタメ界における世界的な功労者のひとりだと思う。



ポータブルのCDプレーヤーとか
家庭用ビデオデッキが登場したばかりの頃、
「スリラー」のMVが
当時の音楽好きの度肝を抜いて、
当時懸念されていたハードに対するソフトの不備は
杞憂に終わったような記憶があります。
先輩のひとりも、当時
「スリラー」にハマっていました。

「オレたちひょうきん族」で
ウガンダ・トラさんがパロディーをやったのも
「スリラー」MVでした。
そのパロディーが
私は大好きでした。


ウガンダ・トラさんが亡くなって、
今度は
元ネタのマイコーが亡くなったんだなぁ、って・・。




家のパソコンでのインターネット環境が
再び整ったとき、
「SE7ENはマイコーの死去をどう思ったのかな?
 どっかに談話ないかな?」
そう思って検索をかけました。

残念ながら、
SE7ENで検索して行き着いた話題は、
音楽とはかけ離れた話題でした・・
いまさらながら改めて
現実とはいえ寂しいなと
正直そう思いました(SE7ENファンの皆様、すみません・・)。



かつてSE7ENは、
日本における横浜アリーナ公演を含めた
自身のライヴや
韓国での音楽番組プログラムの中で、

マイコーの「ビリー・ジーン」や
「デンジャラス」のダンスパフォーマンスの一部分を
よく披露していました。
コスチューム(衣装)もマイコーそのもので。

また、
自身の楽曲「パムセドロク=All Night Long(夜通し)=」を
韓国の音楽番組で披露する際には、
そのイントロの一部分に
「ビリー・ジーン」を使うこともありました。

SE7ENの父上様が
マイコーのファンでいらして、
幼少時のチェ・ドンウク少年(=のちの「SE7EN」)に、
マイコーのMVを見せていた、とかなんとか・・・

詳細は忘れてしまいましたが、
そんなエピソードを
テレビ番組でのインタビューのなかで
SE7EN御本人さんが
語っていたような覚えもあります。

ですんで、
少なくとも私の中では、
自分勝手かもしれませんが、
さきほども書いたように
「SE7EN=マイコーの影響を色濃く受けたダンス歌手」という
括りが出来上がっていた。

「フォウ!」だか「フゥ!」だか「ポゥ!」だか
どう表記すれば適切なのかわかりませんが(すみません)、
曲の合間合間に彼が入れてくる声も、
マイコーの影響をかなり感じていた。


SE7ENとマイコーについての
自分の中の括りの話は
これぐらいにしときます・・





マイコーの逝去のあとに知ったことですが、
MTVでは
黒人の楽曲のオンエアは禁止されていて、
その扉をこじ開けたのがマイコーの作品だったんですってね。


R&Bの裾野を広げたのも
マイコーだったんだな、と。

日本におけるR&Bの裾野を広げたのが
久保田利伸氏やバブルの兄貴たち(BGB)、
いわゆる「シティ・ポップス」としてオシャレに昇華されたかたちでの
山下達郎氏や角松(敏生)だったとしたら、

ワールドワイドに
R&Bの裾野を広げたのはマイコーだったんだな、と・・。

サム&デイブや
JBを知らなくても、
マイコーを知っているひとは
たくさんいると思う。




それに、
かつて
バックスライド(=ムーンウォーク)を
練習していた一般人が、
得意げに披露していた一般人が
どれだけいたことか。





かつておせわになっていた会社の部長(=当時)が、
「きみは音楽が好きだったよな。
 ビデオデッキこの先買ったら声かけて。
 マイケルとマドンナのビデオ、貸してあげるよ」。

やっとの思いで、
初めてビデオデッキを買ったときに
こちらとしては冗談半分で
その部長にお声をかけたら、
部長は
ほんとうに
御自分のライブラリーから
ビデオテープを持ってきてくださいました。
当時はただ
拝見して圧倒されていただけでしたけど・・。


「スリラー」がはやっていた当時を含めて、
マイコーの全盛期には
特段ファンでもなんでもなかったんです。

いまだに「ファン」ではないですけど・・



とはいえ、
数年前、
改めて、
「マイコーやっぱすげえや」と
思うようになって、
さかのぼってMV集を拝見した記憶があります。

「ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア」のMVなんか
ド素人目ですけど^^;
ダンスかっけーな、と
素直にそう思う。




いまではいろんなひとがやっている
あの
「フゥ!」という声も
マイコーがやると違和感がない。
あの独特な歌いまわしは
正直まねできない。



並外れた
群を抜いた
卓越した
エンターテイナーそのものでした。





5月にキヨシローさんが亡くなって、
6月にはマイコーが突然逝ってしまって、
おおきな存在が
また
いなくなったんだなぁ、って・・。



7月10日深夜に、NHKで
マイコーの特番が放送される予定だそうです。
NHKオンラインより ~MUSIC JAPAN Web Special 「マイケル・ジャクソン “KING OF POP”の軌跡」 (放送予定告知)~



R.I.P.
マイケル・ジャクソンさん。

子供の頃からスターダムに押し上げられた存在。
やっと安らかにいられるのでしょうか・・

あなたの遺した作品を
また振り返ることになるんでしょう。
いなくなって初めて
あなたがどれほど
おおきなことをやろうとしていたか、

そして、
私はそれを
まったく理解していなかったことに、
気づかされるのでしょう。



マイケル・ジョセフ・ジャクソン氏の
御冥福をお祈りします。



=追記=

マイコーとSE7ENで
ひとつ思い出したことがあります。
記憶違いかもしれませんが・・・。

速水もこみちさんとマチャミ(久本雅美)さんが
MCを務められた年の
VMAJ(MTV VIDEO MUSIC AWARD JAPAN)で、
SE7ENもパフォーミングアーティストとして、
代々木第一体育館で
パフォーマンスを披露したんですが
(♪Puzzle~♪ヨルチョン~♪ナン アラヨ)、
そのときのVMAJにマイコーが特別ゲストとして登場して、
何かしら短いスピーチをしたんじゃなかったなぁ?

もう、そのときのVMAJの録画データを
消去してしまいましたので、
確信が持てないんですけどね・・・。