11月に入りました。
2009年も早かったなぁ。
三遊亭円楽師匠が亡くなったんですね。
日曜日夕方のテレビ番組「笑点」と、
某お線香会社のCMナレーションを思い出します。
円楽師匠の「笑点」大喜利の仕切りが、
子供ながらに好きでした。
そして、
御闘病を経て再び高座に上がられようとして、
御自分の思うようなお話ができないことを理由に、
表舞台から身をひくことを決断された、
プロの噺家さんとしての高い意識と美学に、
円楽師匠のお人柄を垣間見たような気がしておりました。
三遊亭円楽師匠の御冥福をお祈りします。
きのうもきょうも
事務所に出ておりました。
身体が痛いです。
落ち着いたらおやすみがほしい。
金曜日、
そんな中を縫って、
マイコー(故:マイケル・ジャクソン氏)の
ライヴリハーサル映画
「
THIS IS IT」のレイトショーを
見てまいりました。
金曜の朝、
母親には電話で、
映画館へ行く旨、
詫びを入れて許しを得ました。
なんとなく
そうしなければ
不謹慎に思えたからです。
マイコーのラストライヴにして、
50歳メモリアルライヴになるはずだった、
ロンドン公演の舞台監督(総指揮)であり、
旧知のコレオグラファー(振付師)でもある、
ケニー・オルテガ氏が、
この映画の監督を務めています。
広島市内では、
段原の某シネコン、商工センターの某シネコン、緑井の某シネコン。
この3ヶ所で上映されています。
(緑井のシネコンは、かつて角松(敏生)が絶賛しておりました。
「みどりい」じゃなくて、
まちがって「広島の緑区」って言ってましたけど^^;)
近郊含めれば、府中町のシネコンでもやっているみたいですが・・。
そのなかから、
仕事場からいちばん近い、
段原のシネコンで拝見しました。
上映開始21:40でした・・・その前の上映回には
さすがに間に合わなくて。
2週間限定上映だそうですが
(延長するところもあるみたいですね)、
「もっかい(もう1回)見たい!!」
すなおにそう思えた映画でした。
すげーしハンパねえ。
私は特段マイコーのファンだった、というわけでは
ありません。
ただ、
「スリラー」や「ビリー・ジーン」「BAD」などなど、
クインシー・ジョーンズとの出会いによって開花した、
よく知られたヒット曲の洗礼を
リアルタイムで受けた世代のはしくれですし、
その後、
「歌いながら踊れる男性R&Bヴォーカリスト」の分野で、
日本や韓国から
若い世代が出てくるようになって、
「あぁ、このひとたちも、少なからず
マイコーの影響受けているんだろうなぁ」と
思う場面が
少なからずありましたので、
温故知新的にさかのぼって、
マイコーのMV(ショート・フィルム)集DVDを
拝見するようなこともありました。
彼の見てくれ(容貌)の変化や、
マスメディアで取り上げられる奇行、
スキャンダラスな話題には
正直、ついていけないというか、
理解できない部分も
いまだにあります。
ただ、
今回の映画を拝見して、
マイコーは改めて
「KING OF POP」だったのだと、
ポップミュージックにおけるライヴパフォーマンスの世界では
まぎれもなく最後までトップランナーだったのだと、
痛感させられました。
身のこなしは
50歳のオッサンの
それではない。
マイコー足細ぇぇ・・・
足長ぇぇ・・・。
ダンスで
舞台映えする肢体なんだよね。
今回のライヴ開催に際して
「ファンが聴きたい曲をやる!」と、
そして、
「これが最後のカーテンコールだ(これっきりだ)」と宣言した、
そのとおり、
「聴きたい曲」が
まるっと網羅されておりました。
おそらくその
「聴きたい曲」で育ったであろう世代が、
オーディションで選ばれ、
リハーサルで
バックミュージシャンやバックダンサーを
務めていました。
そうした若い世代と
同じ板(舞台)の上にいても、
なんの違和感もなかった。
リハーサルを行うマイコーは、
フロントマンであり、
リーダーであり、
常に精力的に見えました。
たとえば、老け込んだとか、衰えたとかいうような形容とは、
無縁なように思えました。
サウンドチェックの現場で、
舞台演出チェックの現場で、
ライヴに使用される映像の撮影現場で、
彼がいて、
繊細に相手を気づかいながらも、
的確に指示を出す。
フラジャイル(壊れやすい)。
それでいて、
それなのに、
とてつもなく強靭。
相反するものが
彼の中に共存しているように
見えました。
グラスウールみたいな感じなの。
底に流れているのは
慈愛。
彼の頭の中には、
視線の先には、
客席(観客・聴衆)のことが
いつもある。
楽曲のこと、
ダンスのこと、
ライヴに足を運ぶ観客の最大の期待は何か、
ライヴを通して何を伝えようとしているのか、
よく把握していて、
それをライヴにかかわるスタッフに対して
手短に伝える。
状況に応じてテキパキと指示を出す。
彼は
音楽に関して、
殊に
ライヴパフォーマンスに関して、
100%交感神経だけのひとだったんだろうなと。
彼の副交感神経は
どうなっていたんだろうかと。
それぐらい
なにもかも超人的で、
圧倒的で、
だからこそ
せつなかった。
いとおしかった。
あまりに過酷だとも思えた。
命を削ったのだと思えた。
そういう仕事なんだと。
彼らの業種の厳しさを
改めてまのあたりにしました。
もしも今回のライヴについて、
リハーサルから
フィルムをまわしていなければ、
彼のこんな姿を
知ることはできなかったと思います。
これは偶然だったのか、
それとも、
彼は予感していたのか、
わかりません。
そして、
もしも今回のライヴが実現して、
成功していれば、
きっと凄いことになっていたと思う。
あのライヴそのものが
一大プロジェクトで、
あのライヴにかかわるひとたちの、
「これは凄いことになるんだ
自分たちは凄いことをやろうとしているんだ
絶対に成功させるぞ」的な気概が、
ひしひしと伝わってきた。
バタバタにかまけて、
伝説の「ライヴ・イン・ブカレスト」の映像(DVD)を
いまだに拝見していないのですが、
さらに凄いライヴになっていただろうと
思います。
ゾンビダンスでおなじみの
あの曲の使用映像、
今回のライヴリハーサルの一部分として流された曲でもある、
ある曲 の使用映像
(途中でムソルグスキーの「キエフの大門(展覧会の絵より)」を
使ってアレンジしている、と思われる曲です)
双方とも圧巻です。
ライヴの舞台効果だけの目的で
撮影されたシロモノとは思えません・・。
ゼロ・グラヴィティ(斜め立ち)で驚かされた
あの曲のパフォは
(いわゆる「宿直ソング(パン、茶、宿直!)」ですね ・・@空耳アワー from タモリ倶楽部)
相変わらずかっけーし、
白人・黒人どっちかなんて
そんなの関係ねえ!と
明確にうたったあの曲の
イントロのギターの音が聴こえただけで、
相変わらずワクワクする。
SE7ENが3rdアルバム収録曲「パムセドロク(夜通し)」の
音楽番組でのパフォーマンスのなかで、
イントロにサンプリングで使っていたあの曲は、
マイコーのソロダンススキルが圧倒的で、
リハを見ていたスタッフは拍手喝采、
歓喜の渦でした。
映画館でその光景を見ていた私までもが、
思わず拍手をしていました。
そして、
ダンスや映像といった、
視覚的な要素ばかりに
目が行きがちだったですが、
今回初めて、
マイコーの歌声そのものも
また
卓越していたのだと
思い知りました。
リハの様子をそのまま撮影した
映画だけに、
ピッチの低い日もありました。
ですが、
バラードでの柔らかな響き、
ファルセットの澄み渡る天使のような声色・・
楽曲それぞれの
どのフレーズに
どの声色を使えば的確なのか、
そのためには、
どのような喉の使い方、
声の響かせ方、
息づかいをすればよいのか、
彼はそれを熟知して
いちいち使い分けている、
からだ全体を使って
リズムをとらえて
うたっている、
繊細でハイレベルな表現者でした・・。
彼が心を痛めていたこと。
それに対する大きなメッセージが、
今回の最大のテーマでした。
いまがまさにこのときだ。
いよいよだ。
This is the moment.
「THIS IS IT」
こんなスーパースターは
この先
出てくるのかなぁ・・・
不世出のスーパースター。
「世界を癒せ」と
メッセージを込めてうたったひとへ。
遅すぎるかもしれないけれど、
遅まきながらも
あなたが伝えようとしたことを
やろうとしていたことを
いま
多くのひとが
見てくれていると思うから。
R.I.P.
もしも
上映映画館に
足を運べる機会がありましたら、
ぜひ
「THIS IS IT」
ごらんください。
私も
もっかい
この映画を見たいですから、
映画館へ足を運べる機会を
再びつくれるように
頑張りたいとおもいます。
11月(9日)生まれの
SE7ENは、
この映画
見たのかな?
=ついしん=
この映画の、
ある場面で、
スタッフさんのくちから、
「それはバリシニコフ」というフレーズが
出てきまして、
思わずほくそ笑んでしまいました。
(必ずしも
良い意味で
バリシニコフ氏の名前が
出てきたわけではないように
感じたんですけど、
どうだったのかな?
まぁ、なんにせよ、
象徴的な著名ダンサーとして、
名前が挙がったのでしょうね)
ミハイル・バリシニコフ氏。
もういまは還暦過ぎてるぐらいじゃないのかな?
元キーロフ・バレエ団のトップダンサー。
旧ソビエト連邦から
アメリカに亡命した経歴を持つんですよね。
前にもこのブログの中で
書いたことがあるかもしれませんが、
映画「ホワイトナイツ」好きでした。
バリシニコフ氏のダンスが
とにかくセクスィーで。
やられました。
その「バリシニコフ」の名前を
マイコーの映画の中で耳にするなんて、
思ってもいませんでした。