きょうは、私を「ダンスものの音楽」に引きずり込んでくれた映画のお話をします。
その映画とは、きょうのタイトルにもなっている
『ホワイトナイツ -白夜-』。1985年のアメリカ映画。概略はこんな感じです(gooの映画検索より↓)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8286/comment.html
当時20歳代だった私は、
ジョン・トラボルタ主演、ビージーズが音楽を担当した(=♪ステイン・アライブ♪とか当時好きでした。映画見なかったけど音楽はよく耳にしました)
『サタデー・ナイト・フィーバー』ではなく、
学生時代に音楽を一緒にやっていた仲間と、大街道(愛媛県松山市内)の映画館へわざわざ見に行った(アイリーン・キャラの主題歌♪What a Feeling♪よりも、マイケル・センベロの挿入歌♪Maniac♪が好きでした↓)
『フラッシュダンス』でもなく、
『ホワイトナイツ』にやられてしまいました…。
この映画を知ったきっかけは、仕事でたまたま見た原稿でした。働き始めた当時、私は小さな会社に勤めていて、その頃隔週で発行されていた就職情報誌(広島・岡山版)の下請け担当でした。その情報誌は、就職情報がもちろんメインなのですが、後ろのほうにはカルチャー関係のページもあって、映画やCDの紹介原稿もありました。その中に映画「ホワイトナイツ」の紹介原稿もあったのです(…2年間その仕事をさせて頂きましたが、紹介された作品のうち今でも覚えているのは、この「ホワイトナイツ」と、大橋純子さんのCD「DEF」だけ(^_^;))。残念ながら、上映期間中に映画館へ行くことが出来ず、後年になってVHSビデオをやっと買って、即刻レンタルビデオ店で作品を借りて見たのでした。
映画の筋立てもさることながら、ミハエル・バリシニコフ氏のしなやかな動きに、クギヅケになってしまいました。映画の中で、グレゴリー・ハインズ氏扮する、監視役の米国人タップダンサーが繰り出すステップ…いわゆる欧米圏のダンサーのステップを目にするなかで(目からウロコ状態だったのでしょう)、次第にミハエル氏扮するソ連出身のバレエ・ダンサーが、クラシックで型にはまった表現方法だけではない、emotionalでFreeStyleな表現を覚えていく……「機械が踊るのではなく、心や感情を持ったひとが踊ること」に目覚めていく……反目し合っていたはずの2人のダンサーが、ダンスという表現そのものを通して共鳴してゆく……その過程で見せる肢体の動きが、とにかくセクシーだったのです。一挙手一投足に息をのむ……一瞬たりとも見逃したくない、見逃してはいけないような……。カラダを使った繊細な表現そのものが、大きな説得力を持っていました。ベーシックな部分がしっかり鍛え上げられた状態での、自由で応用のきく表現というのは、しなやかで、かつ力強い。実際にミハエル氏自身が元々ソ連でエリートのバレエ・ダンサーさんだったけれど、その後亡命をなさってますから、この映画の筋立てとカブる面もあって、なおさら見ていて引き込まれたのでしょうかね…。
エンド・ロールで流れていたのは、元コモドアーズのボーカリスト、ライオネル・リッチーが歌う、♪セイユー・セイミー♪でした。
この映画の公開年次と前後して、久保田利伸氏や、角松敏生氏(さらには角松プロデュースの秀樹さんのアルバムとか)、アースやスティービーなど、聴きやすい黒モノを聴くようになったんですけれども、
20歳代前半という、まだまだ物事をたくさん吸収出来る柔軟な年頃において、こうした音楽や映画に出逢ったことによって、
その後(現在40歳代ですが)長らく、ダンスもの、黒モノを好んで聴く素地が出来たのではないかと思っています。
というのは、それまでの私は、ダンスもの(音楽も含めて)には興味がありませんでしたから…。自分が踊れない(いわゆる運動音痴ですし、フリの覚えが遅いので、運動会・体育祭関係は大の苦手でした。ダンスは特に苦痛でした)ものですから、体が動くような音楽・映像いずれにも興味がわかなかったんです……
いまでも自分が踊るようなことはないし、まったく踊れませんが(^_^;)、カラダが動くような音楽を聴いたり、ダンス映像を見たりするのは、大好きになりました。
ずっと避けていた分野に、目を開くキッカケを与えてくれた映画……それが『ホワイトナイツ』だったと思っています。