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インテリアコーディネーターのブログ。
住まいのこと。インテリアのこと。仕事のこと。子どものこと。。。

ベビービョルン イス型オマル

2015-10-19 | 育児関連
長女がそろそろオムツが卒業できるのではないか?というタイミングでこのオマルを購入しました。
当初、オマルを購入する予定はありませんでした。
最初からトイレで良いのでは?と思うのと、何より一番は、
(処理するのが嫌だなー)と言うのが正直なところ。

2歳を過ぎた頃、ご近所の方に良く聞かれました。
「もう、オムツはとれた?」

2歳を過ぎると、ザワザワし始めるトイレトレーニング。

幼稚園に入園するまでにオムツを卒業しなければならない!
幼児さんに上がるまでにオムツを卒業しなければならない!

世間にはそういう暗黙のルールみたいなのがあって、これに焦るお母さんも少なくありません。

長女が通っている保育園でも、幼児さんまでにオムツを卒業するのが基本でした。

が、私はあまり神経質には考えてなかったのです。


母になって、子どもの成長には差があるな。と言うことが良くわかりました。
特に0歳児から保育園に通っているので、自分の娘だけではなく、他の子たちの成長も同じように見て来ました。

私たち大人もそうであるように、一人一人、個性が違います。

嫌がるのに、月齢だけで判断してトイレに座らせる必要は全く無いなぁ。と。

うちの子は特にうんちをすることが嫌な子でした。
便意を感じると室内を走り回ることがありました。
それが、便を止める為の作業だということは、後から知りました。

そこでオマルを購入してみました。

うちの長女の性格の場合、
一人でトイレに行くことはできない。
でも、しているところを見られるのは嫌。

なので、購入したオマルをリビングの死角に置いてみました。

「○○ちゃん!これからはトイレがしたくなったら、ここでしてな」

そう言うと、喜んでオマルにまたがり、初めてオムツ以外でウンチをしました。


が!ここで私は大失敗をします。
長女は便を止めることが癖になっており、ひどい便秘でした。
久しぶりに出たウンチで便に血が混ざってしまったのです。
そしてそれに私が慌ててしまったのです・・・。

これがきっかけとなり、それからしばらくの間、そこに座ってくれることはなくなりました。

便秘については、小児科の先生によっては「すぐに治さなければならない!」と下剤を処方されたり、マグネシウムを処方されました。

しばらく、マグネシウムを飲ませていましたが、信頼する先生から
「大丈夫。4歳くらいになったらできるようになるから、放っておいて構わない。ウンチをすることが嫌でも、生まれてから何回もしてきたんだから。本人もするより仕方ないことはわかっているハズ」と。

その言葉を聞いて、安心して薬をやめることができました。

おしっこは問題なく、トイレでできるようになりましたが、ウンチは2歳児さんの秋ごろもまだ出来ない時がありました。
トイレに座ることを嫌がるので、オムツに履き替えさせていました。

現在、娘は4歳6ヶ月です。今ではすっかりトイレでできるようになりました。

夜のオムツは、いつごろから外したでしょうか?

その辺をあまり神経質に考えていなかったので、具体的には覚えていませんが、
本人が紙パンツを嫌がるようになった頃、パンツに切り替えました。
たしか、3歳になって間もなくの頃だったと思います。

朝は出勤準備で時間に余裕が無いので、万一のおねしょに備え、
娘が眠ったあと、こっそり紙パンツに替えたこともあります。

けれど、濡らすことはありませんでした。

次女の懇談会の際、あるお母さんが「要するに親の覚悟でしょ。」と話されました。話題は母乳をいつまで続けるか?と言うものでしたが、例として「夜、紙パンツから普通のパンツに替えるのも、親の都合」と言う話になるほど。と思い、
娘に希望を聞いたところ、「普通のパンツが良い」と言いましたので、オムツをやめることになりました。

パンツトレーニングがゆっくりだったこともあり、おかげ様で現在までのところ一度もおねしょに泣かされたことはありません。


自治体が行う定期健診では、子どもの成長のスピードはそれぞれ。人には個性がある。と言うことを知っているハズの大人が、その月齢での成長度合いを見て、子どもを評価します。
私はこの制度に馴染めず、長女の4ヶ月健診、1歳8ヶ月健診、次女の4ヶ月健診を最後に受診することをやめました。

長い人生が始まったばかりの子ども達。できるようになるのが、ちょっとくらい速くても、ちょっとくらい遅くても、心身ともに健康なら何でも良いカナ?というのが、初心者母の現在の心境です。

妊娠性搔痒(妊娠性疱疹)

2015-08-24 | 育児関連
第一子の時は、母子手帳を受け取ったその日に出血して切迫流産と診断。一週間の自宅安静のあと、妊娠悪阻(全妊娠の2%が発症するという)で脱水症状となり入院、点滴治療。
退院翌々日には、仕事復帰しましたが、退院したといってもつわりがおさまったわけではなかったので通勤の満員電車は本当に辛いものでした。

そんな初めての妊娠、出産を乗り越えて、第二子妊娠。
またきついつわりを想像して怯えていましたが、入院するほど酷くならずに安定期に入りました。
つわりからもほぼ解放され、安心したのも束の間、妊娠性搔痒という病気(?)を発症しました。

この時、ネット(ブログ)の情報が大変助かりましたので、出産後、私もその経験を投稿するつもりでしたが、なかなか手がつけられず、今日になってしまいました。
現在、搔痒で苦しまれている方の参考になれば。と思います。
当時の写真も後に掲載しておりますので、苦手な方はページを閉じてください。

さて、私が搔痒を発症したのは12月の初め頃だったと思います。
なんか痒い!から始まり、みるみる内にお腹まわりを中心に酷い発疹が広がりました。
ちょうど、通っていた産婦人科が肌に合わず、転院を希望した直後のことでした。

日に日にひどくなり、お腹まわりの発疹はその後腕や足に広がり、眠れなくなりました。
夜中布団が温まると酷い痒みに襲われるので掻き毟り、翌朝には血だらけになっていました。
イヤイヤ期に突入した後の妊娠で更に不安定な長女と仕事があるので、病院に行く時間が取れませんでした。
とりあえず、会社近くの産婦人科を受診してみました。

洋服をめくると、院長と看護師さんから思わずため息が漏れました。

それくらい酷い状態でした。

が、ため息とは裏腹に「我慢するしかない。」と言われました。

冷え性なのですが、肌に触れる全てを綿素材に切り替えるよう、言われましたので、毎晩履いていた毛糸のパンツや腹巻をやめました。
寒い現場で、長時間過ごすために、ヒートテックやタイツは欠かせないアイテムですが、綿素材の重ね着と靴下の重ね履きに切り替えました。

妊娠性痒疹は妊娠中期、特に第二子以降に発症することが多く、産後治るそうです。
妊娠中なので、薬は無く、塗り薬であってもステロイドは皮膚からの吸収で胎児に影響するから塗らない方が良い。と言われました。

産後治る。と言われも、出産予定日は5月末。5ヶ月も先の事でした。

妊娠性搔痒の原因は解明されていないようです。
一部では、母親と胎児は違う人間だから、排除しようとしてそのような発疹が現れるのではないか?と言われています。
特に生まれてくる子が男の子の場合、または血液型が違う場合等が原因として挙げられていますが、私の場合、生まれて来た子は、女の子で私と同じ血液型でした。
私とは違う血液型の長女を妊娠した際には発症しませんでした。
第二子以降の発症が多い。と先にも書きましたが、私の友人は第一子妊娠時に発症したそうです。

原因はともかく、この苦痛から逃げ出さなければならない!と
ネットを検索し、「ハトムギローション」を購入しました。

恐らく、妊娠性搔痒を発症された方の多くが利用されるローションだと思います。
私の購入したネットショップでは、症状を相談したところ、大変親身にメールを下さり、通常の発送日よりも早めて送って頂きました。
(そんなに良くして頂いたのに月日が経ち過ぎてお店の名前を忘れました。スミマセン・・・)

ところが、季節は冬。
入浴後ローションをつけると寒くて仕方がありません。

数日後、ムリだなぁ。私には合わないなぁ。と思い、薬局で薬剤師さんに相談しました。
そこで紹介してもらったのが
ロコベースリペアミルク




私にはこちらの方が塗りやすかったです。
ただ、それでも夜は決まった時間に目が覚め、掻き毟り、翌朝には血だらけでシーツを汚していました。

そんな毎日を過ごした12月下旬、お迎えに行くと先生に呼び止められ、娘の背中の発疹を見せられました。
ちょうど保育園で水疱瘡が流行っていました。

娘は予防接種をしていたので、まさか水疱瘡だとは思わず、私の湿疹が妊娠性搔痒とは別のモノでそれが移ったのではないか?と心配しましたが、小児科に行くと水疱瘡と診断されました。

こうなると、今度心配になるのは自分の方です。

もしかして、私の湿疹は水疱瘡?

水疱瘡は幼少期に発症しました。口の中にも水泡が出来、とても痛くて辛かったので大人になっても覚えていました。
しかし、予防接種を受けた長女が発症したとなると、再び発症することがあるのかも知れません。

ネットを検索すると、やっぱり二度発症することもある。という記述。

翌1月より転院予定の病院に、症状を伝え、診てもらえるか?を聞くと
「万一、水疱瘡であれば、他の妊婦さんに移りかねないので、来院されては困る」
と言われました。

病院に拒否されるとは?!想像もしていませんでした。

真っ暗な穴に突き落とされた気分です。

とりあえず、近くの内科を受診してみました。

妊婦だと言うこともあり、すぐに総合病院に連絡を取って下さり、感染病の可能性があるので隔離されて皮膚科を受診することになりました。

結果、妊娠性搔痒に間違いないようでした。
産婦人科では我慢するように言われましたが、皮膚科の先生が言うには、
ステロイドが皮膚から吸収されることはほとんどなく、胎児に影響を与えることは無いから安心して使っても良い。
と言うことでした。

処方された薬は
アンテベート軟膏

薬剤師さんからは比較的強めのステロイド剤だと聞きました。
(そういえば、最近湿疹が出て皮膚科を訪れた際もこの薬を処方されました。)

その薬を使うようになり、約1週間で痒みから解放されました。

出産まで我慢

がウソの様です。

湿疹は簡単には治りませんでしたが、出産する頃には殆ど目立たなくなり、産後2年を経過した現在、全く跡は残っていません。

現在、同じような症状で悩まれている方は、是非、信頼できる皮膚科を受診してみて下さい。
ネット上では経験者が胎児への影響を考え、皮膚からの吸収を懸念してステロイドを我慢し、やりくりされた記事もありますが、私はステロイドを利用しても、生まれて来た子どもに影響はありませんでした。

毎日イライラして、睡眠不足になるよりも、うまくステロイドを活用し、痒みが収まれば、無添加の保湿クリームに切り替え、赤みを沈めて行く方が現実的だと感じています。

水疱瘡かも?!事件では
傷つく言葉もたくさん聞きましたが、結果、これのおかげで、早期に痒みから救われることとなりました。

もちはもちや。
専門家の正しい判断に救われた出来事でした。


※当時の湿疹の写真です。掲載しているものはまだマシなものを選びました。お腹の周辺が一番酷い状態ですが、お見せするのには抵抗があるので控えます。

保育園に入れる覚悟

2014-08-11 | 育児関連
長女を保育園に預けたのは、まだ0歳の頃のことでした。
それでも、5か月から受け入れ可能な保育園で4月生まれの長女は、0歳児クラスさんの中では2番目にお姉さんでした。

保育園の4月一斉入所の申込みは12月の初めです。(私の住む地域の場合)
例えば、11月生まれの赤ちゃんの場合、生後1か月で申込みをすることになります。
4月生まれの長女でさえも、申込時はまだまだ7か月と少し。周りから見れば性別も判別し難い「赤ちゃん」でした。

もう復帰するの?
こんなにカワイイ子を預けて仕事に行くの?
仕事、辞められへんの?
かわいそうに。
まだ1歳にもなってないのに。

まぁ、いろいろ言われました。
私だって初めての出産、初めての育児、初めて我が子を他人に託す。
初めてづくしで不安いっぱい。

周囲の悪意無い言葉が胸に刺さりました。


入園後の慣らし保育は2時間から始まりました。
来客時にお茶を入れる間、私の腕から降ろすだけでも泣いていた長女は、
バイバイからお迎えまでの2時間を全力で泣き続けました。

2週間の慣らし保育が終わると間もなく、入院しました。

生後、保育園入園まで風邪の経験も無かった長女。鼻水も咳も熱も・・・全てが初体験にして、1歳の誕生日には肺炎を併発して入院するという、本当に復帰して良いものか?また、迷わなければなりませんでした。


退院後もしばらくは、1週間続けて通えない日々でした。
慣れるまでに病気になるのでなかなか慣れません。

保育園の離乳食は家のものとは少し違い、ほとんど食べられませんでした。
食べられないと困るので保育園からは母乳をやめるように言われました。

気が済むまで飲めば良い。と考えていた母乳は、私の意志とは違うところで断たざるを得なくなりました。

春先のまだ肌寒い日も、木枯らし吹く冬の日も保育園ではTシャツ一枚と半ズボン。
体温調節もままならない0歳児。
私の目が届かない長い保育の時間、
不安でいっぱいでした。

「今日のおやつはゼリーだったのですが、まだスプーンが使えないのでどうするかな?と見ていたら、手でグチャグチャにして飲まはったんです♡賢いね~♡♡♡」

と言われた時にゾっとしたのは今でも覚えています(笑)

1歳2ヶ月。まだまだ前歯しか無い状態で5歳児さんと同じ普通食に移行しました。

ある時は顔にキズが付いていました。ある時は○○ちゃんを傷付けたので謝るように言われました。噛まれた歯型は1週間消えませんでした。
不安と戸惑いの連続でした。

あの日から2年。
長女は2歳児になり、4月には次女が0歳児クラスに入園しました。


次女を預けるのは2回目だったから不安がなかったわけではありません。
長女も3年目を迎え、不安がなくなったわけでもありません。


でも、私は二人を保育園に行かせ、復帰したことに後悔はしていません。
私一人では経験させてあげられないことが経験できたり、
小さいながらも社会と関わる力を育むことが出来ていることを感じられたり。

「母親の仕事」で検索をすると様々な意見が賑わっていました。

何が正しいかなんてわからない。

働き続けるべきか?辞めるべきか?
賛否両論、様々な意見があることでしょう。

仕事をする。家事をする。育児をする。
コーディネーターとして、妻として、母として・・・

どれも100%にはできません。
でも、私なりのカタチを見つけていきたいと思っています。

そして、私が母として、妻として、
住まいがこうだったら良いな。
をコーディネーターとしてかたちにしていきたい。と思っています。

長女と躾と炭水化物

2014-07-23 | 育児関連
あー、そろそろブログを更新しなきゃ。更新しなきゃ、更新しなきゃ・・・
久しぶりに編集画面を開こうにもパスワードがわからない。

とりあえず、前回の記事を確認♪

え・・・
1年以上前の記事だ。

復帰第一弾はもちろん!インテリアの記事・・・といきたいところですが、ネタが無いので子育ての話を少し。

しばらくこっち系のネタが続きそうだけれど、ボツボツ更新していこう。
決してやめたわけではありません。


さて、私が子育てにおいて甘い話は自他ともに認める有名な話でございますが、長女も3歳を過ぎ、ようやくイヤイヤ期も卒業か?と楽しみに待てど暮らせど、わがままっぷりは増すばかり。

特に白ごはんが嫌いな長女は、保育園から帰宅するとお菓子の戸棚へ一直線。
気に入るお菓子が無いとダダをこね、気に入るものを見つけると、一目散に椅子に座ります。
皿を出せだの、おしぼりを出せだの同じく帰宅したばかりの(というか一緒に帰ってきた)母をアゴで使い、お菓子タイム。

ご飯前に食べるからご飯が食べられない。

とは良く聞く話ですが、わが子の場合、自分が食べたいもの(お菓子)を口に出来ないならば、親が食べろと言うものは頑として食べようとしません。

そんな時に事件は起こりました。

いよいよ土曜日に復帰を控えた週の火曜日、
いつもと同じようにお菓子×お菓子。

ささっと食べて少しお腹が満たされるとお人形遊び。

家族が夕食を食べ始めても席に着こうとしません。
20:00、そろそろお風呂に入れて、寝かさなければいけない時間

次はアイスクリームを求めご飯を食べない長女に、最低限の躾はしなければならないと放った言葉

「ご飯を食べられない子にアイスはあげません!」

食べ残した(というよりほとんど食べていない)夕食を片付け、お風呂→就寝。

長女の横で爆睡中の深夜、突然長女が泣き出したので抱き上げると、嘔吐しているではありませんか。

え~?!夜ご飯が食べられなかったのは、保育園で食べ過ぎていたのかな?
なんて思いながら、シャワーに入れ、汚れた服を着替えさせ、シーツを替え、
一時間後にまた嘔吐。

翌朝、病院に向かう車中を含め、その後十数回にわたる嘔吐を繰り返し、病院に着いた時はぐったりしていました。


医師の診断は

アセトン血性嘔吐症(自家中毒)

炭水化物不足で体内のブドウ糖が不足し、代わりにケトン体が大量につくられることによって嘔吐を引き起こす病気らしいです。

体内の糖が不足するから甘いものが欲しくなるのだとか。

そしてこれは、夕食を食べずに寝ることで空腹時間が長くなり翌朝に発作を起こすことが多いといわれています。

え・・・
先生!お菓子を与えておけば良かったということですか・・・?


それから点滴3時間。
梅雨真っ只中の6月。大量の洗濯物との戦いは、復帰する日の前日まで続きました。

それ以来、それなりに栄養バランスを考えて作っていた我が家の夕食は、炭水化物の割合が増えました。
白ごはんの苦手な長女の為に、パスタを追加、うどんを追加・・・

何でも良く食べる次女の栄養バランスと未だにもう一人居るんじゃないか?と疑われる私のお腹を心配しつつ・・・

子育てって難しい。


母体保護法

2013-05-15 | 育児関連
母体保護法という法律があることをご存知でしょうか?
私が今回2度目の帝王切開を受けるに当たって直面した問題です。

手術前日、主治医から丁寧な手術に関する説明がありました。
これには家族の立会いが必要で原則として一人では聞けないと言われました。

正直、めんどくさー。と思いました。

個人的にはそんなに大層に考えて居なかったので、仕事を休まなくて良いか?と聞く主人に必要ないと言い、実家の両親に立ち会ってもらいました。

病名は「既往帝王切開妊娠」
つまり、過去に1度以上行なっている帝王切開をもう一度します。ってこと。

前回は緊急帝王切開で陣痛に苦しみながら説明を聞いたため、正直、何も耳にはいらなかったが、
冷静な状態で聞く説明は、(なんや?結構コワイやん(・_・; )と、翌日の緊張を煽るものとなりました。

さて、ここからが本題。
母体保護法とは、つまり、以下の内容です。

第三条  医師は、次の各号の一に該当する者に対して、本人の同意及び配偶者(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、不妊手術を行うことができる。ただし、未成年者については、この限りでない。
一  妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼすおそれのあるもの
二  現に数人の子を有し、かつ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下するおそれのあるもの

一通りの手術説明が終わると、「オプション」で前述の手術が受けられることを説明されました。

どうする?

と先生。正直、すぐには答えを出せませんでした。

「まぁ、とりあえず、今晩ご主人と良く話し合って…でも、一晩悩むくらいならやめておきなさい。現在の身体の状態であれば、母体の安全の為に絶対にやらなければならない状態ではない。」

と、続けられました。


私個人としては、子どもは何人でも欲しいです。(10人は要らんけど 笑)
一人目を産んだ瞬間に思いました。
直ぐに2人目♡って。

ただ、決して一人で育児を出来ているわけではなく、夫が居て、両家の両親が居て、職場の理解があって、
何とか成立している私たちの生活。

私が「欲しい」と思う気持ちだけでは決められないことも良くわかっています。

夜に面会に来た夫が、3人目は要らないと言うなら、この手術を受けることにしようと思いました。

結果、受けないことになりました。
夫の答えは「自然の摂理に叶わないことはやめておこう」と言うもの。

翌朝、不妊治療に悩む夫婦と、不妊治療の助成金に年齢制限がかけられようとしている内容を特集した番組を見ました。
欲しくても叶わずに悩んでいる方が居る中で、自らその可能性を無くしてしまうことを選択しなくて良かったなー。と思いました。


12:00 手術開始。
陣痛に苦しまないで受ける麻酔は想像以上に痛く、また麻酔がうまく効かず追加されると血圧が急下降し、吐き気を催しました。

この瞬間、(やっぱり、オプション手術お願いしておけば良かったー)と思ってしまいましたが、
無事に生まれてきてくれた赤ちゃんの顔を見ると、(あー。やっぱりもう一人欲しいなー)と思ってしまうのでした(笑)


術後、前回の手術がキレイに行われていたこと、今回もキレイに縫い合わせてくれたこと。
子宮の状態も良く、あと一人、妊娠が可能なことを伝えに来てくれた先生。

でもね、術中「誰や!こんなやり方したのは?名を名乗れー!」と呟いていたことや「あえて言わなかったけど、子宮が釣り上がっていたのが気になってた」と話されていたことは、麻酔で吐き気を催しながらも聞こえてたんだよー。

あえて家族には言わないけどね☆

抱っこ紐 ユーザーレビュー

2012-01-19 | 育児関連
私が購入した抱っこ紐について、使ってみた感想を以下にまとめます。

まずは、『トンガ』

この抱っこ紐を最初に買いました。
ベビー雑誌には、たくさんの抱っこ紐が紹介されていますが、どれも高価でなかなか購入を思い切ることが出来ず・・・
とりあえず一つ。と購入を決めたのがコレ。
amazonで2600円程度でした。
首すわり前に自宅で寝かしつけの際に補助程度に利用していました。
本当はコンパクトになるので、外出時に便利かな?と思ったのですが、両手が空かないので、活用できずです。


次に購入したのが『エルゴ パフォーマンスベビーキャリア』17,000円くらい。

赤ちゃんの居る方なら良くご存知だと思います。人気だし有名、でも正直、高いなぁ。というのが私の感想。
だから購入はめちゃくちゃ悩みました。

ある日、我が家の主役となる抱っこ紐を購入に行こう!と主人と赤ちゃん本舗へ。
疲れて眠る娘を二人して様々な抱っこ紐を使って抱き、使用感を確かめました。
実は、私たちが選んだ抱き心地ナンバーワンは、

『エルゴ スポーツキャリア』
ただ、夫婦揃って見た目にこだわるため、どうもこのカラーバリエーションが気に入らない。
それから、なんだかほこりを吸い寄せそうな生地が気になりました。

そこで選ばれたのが『パフォーマンスベビーキャリア』です。
『スポーツキャリア』の軽さや柔らかさには劣りますが、軽いし、汚れも目立たないし、装着も簡単。
購入してからも大活躍です。実は現在も娘はこの抱っこ紐の中で寝ています。(日中は抱っこ紐の中でしか寝ません 涙)

お正月の初詣では8kgの娘を抱いて3~4時間程歩きましたが、なんとか耐えられました。


最後に購入したのが『フェリシモ らくだっこ』2700円だったかな?(2,300円~販売されています)

これの魅力はしっかりしているのにコンパクトにもなる!ということ。
畳めばこんな感じ↓


買い物に出掛け、出来ればベビーカーでお願いしたいけれど、ぐずった時の為にかばんにしのばせておくのに最適♪
エルゴは便利なのですが、コンパクトにならないからこんな時かさばって不便なのです。

価格も安いから、プラスワン感覚で購入できるのも魅力的。
ただ、とても簡単なつくりなのが利点でもあるのですが、私はこの抱っこ紐の中に娘を入れたり、これから下ろす際にいつもてこずります。それが面倒で使わないからいつまでたっても上手にならず、使わない。という悪循環。

エルゴに比べると肩への負担が大きいので、エルゴほどの長時間には耐えられません。
1~2時間程度なら平気。


たくさんの抱っこ紐が販売されているので、購入に迷われている方の参考になれば嬉しいです。
でも、一番のオススメは、試着できるお店でいろいろ試してみること。
試着サロンを開いているNPO法人もあるようです。
人によって(体型によって)合う抱っこ紐はそれぞれなのだそうです。高いもの、そして長く使うものなので自分に合った1点を見つけたいですよね。

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寝る子は育つ

2011-09-05 | 育児関連
私には一つだけこだわっている育児方針があります。
それが
「寝る子は育つ」。

とにかく子どもは21時までに寝かせたい。
(ホント言うと20時には寝かせたかったのですが、それだと親がハード過ぎるので諦めました。)

21時に寝かせようと思うと、一日はとても短いです。
今までの大人の生活リズムを一変させなければなりません。そこで問題になってくるのはお風呂。

育児に協力的な主人のおかげで、ほとんどの日は娘をお風呂に入れる作業を手伝ってくれていますが、残業で帰りの遅い日、または趣味のフットサルに夜から出掛けていく日、
その度に娘の生活リズムを崩すわけにはいけません。

そこで活躍しているのが、
バスチェア。

バスチェアにもいろいろな種類がありますが、私が選んだポントは、
構造が簡単なもの
親に似て太い太ももでも安心な股の突起が浅いもの
安全バーが左右どちらにも開き、座らせるのが簡単なもの

そして、もともと私が好きなキャラクターであることとうさぎ年生まれにこじつけて、ミッフィーなのも決め手の一つでした。

一人でお風呂に入れる際に困るのは、私自身が洗っている間、娘をどうしておくか?ということ。
友人や義妹に経験談を聞いたところ、みんなとても苦労しているのです。
私は、4ヶ月になる娘を部屋に置いてお風呂に入ることにとても抵抗がありました。
まだ、寝返りはできないけれど、くるくる回転しながら移動はするし、足で届くものはすごい力で蹴るし、手に届くものは掴んで口に入れるし・・・
第一、泣いている時はどうすれば良いのか?
泣き声を聞きながら、お風呂に入るなんて考えるだけでも寿命が縮まりそうです。

それを解決してくれるのがバスチェア。
娘と同時にお風呂に入り、私が身体を洗っている間はここに座らせて待たせます。
安全バーには、回すと音の鳴るおもちゃと、キャラクターの絵が描かれているので、待っている間、それで遊んでくれています。

私は、この椅子の掃除やカビが生えないように管理するのが面倒なので、私が洗い終わり娘を抱き上げると、この椅子は洗面室に出してしまいます。
こうすると、娘を寝かしつけた後、軽く拭いて干しておくだけで清潔に保つことができます。

また、偶然に役に立っているのがコレ。

ミッフィーハウスジム。
これは、娘が生まれた時に購入し、リビングで寝かせる際に活用しているものなのですが、キャラクターがぶら下がっている家の部分を取り外すとただのマットになります。

材質は、30cm角の繋げて使うプレイマットと同じです。
これを予め洗面室に置き、この上にバスタオルを広げておきます。
娘の入浴を終えると、ここにコロ~んと寝かせ、バスタオルで包みます。

その間に私も身体を拭きます。
私は独身時代からバスドレスを活用しているため、軽く拭いた後は、ドレスをさらっと着るだけで完了。次に娘を抱いて部屋に連れて行き、オムツを装着。
夏なので、この後はしばらく裸んぼのままにさせておきます。
その間にささっと私の着替えを済ませたり、洗面室をささっと片付けたり・・・

娘にパジャマ(っていうかただの肌着ですが)を着せて、寝室へ移動。
授乳すると寝ちゃいます。

この方法だと比較的楽に一人で娘の入浴から寝かしつけまでが完了し、娘も親もストレスフリーです。

バスチェア。
私の育児お役立ちアイテム、おすすめグッズの一つです。

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出産する

2011-09-02 | 育児関連
その日は突然やってきました。
女性は10ヶ月間、お腹の中で赤ちゃんを育てるから、母としての自覚が持てるのだそうです。

私は・・・その日まで何の自覚もありませんでした。
ただただしんどかった。というだけでしょうか。

つわりでしんどかったのは、5ヶ月頃まで。
その後ほんのひと時、今までがウソのように身体が楽になりました。
それまでは、微熱も続いていたせいで、身体がだるいは重いは、そして眠いはで、自分自身の身体なのにコントロールできなかったのです。

ところがそれがフイっと楽になりました。
するとお腹がすいて仕方なくなりました。

最近の妊婦は痩せても何も言われないけれど、太ると怒られます。
つわりが終わって4週間後の健診時、つわりで痩せた分がすっかりもとに戻りました。
(お~。回復したな♪)
という私の安心をよそに、看護士さんから怒られました。
「太り過ぎ!」

母になる自覚がきちんとある人は、きっとこの言葉を冷静に受け止めて、太らない努力をするのでしょうが、私の場合、(元に戻っただけや~ん♪)と、全く気に止めることもなく、それから生まれる前日まで欲求のままに食べ続けました。

マクドのポテト、焼き飯、オムライス、から揚げ、コロッケ・・・
果汁100%ジュース、果汁グミ、くだものいろいろ、それからアイスクリーム。
妊娠前はそれほど興味の無かった、油っこいものや塩辛いもの、カロリーの高いものばかりです。

病院には絶対言えないものばかりをたらふく食べ、出産までに増加した体重18kg。
最後は母子手帳に「カロリー制限」と書かれたほどです。

太るとお産が長引くのだそうです。
でも、無駄に前向きな私は、「安産」を信じて疑いませんでした。
だって、つわりしんどかったし。
それから、必要以上に太ったせいもあってか?7ヶ月を過ぎる頃には、歩くことも寝ることも、そして靴下を履くことさえ、しんどくなっていました。

そしてその日がやってきました。
それは予定日よりも2週間以上も早くに。

以前にチラっと書いていた通り、前日は遠方まで遊びに出掛けていたのです。
今から思えば、出産の兆候はありました。
でも、初めてのことだけに気付くことができませんでした。

4月18日午前1時半、違和感を覚えて飛び起きました。
これだけは、経験がなくともわかる「破水」です。
私にとっては、きっとこの形でなければ、入院に踏み切れなかったようにも思います。

とりあえず、トイレに行ってみて・・・おさまるわけもなく、
着替えようとするそばからその服を汚し・・・
諦めて主人を起こし、パジャマのまま病院に向かうことにしました。(夜中で良かった。)

午前2時に病院に着き、入院。
ベッドに寝転ぶと、程なく陣痛が始まりました。
想像以上の痛みに驚きながら夜が明け、午前11時ようやく子宮口が全開したそうで、分娩室に入りました。
それから5時間・・・

分娩台に上がった時、確かに先生はこう言ったのです。
「うん。早そうね☆」

そうです。私の辞書に「難産」なんて言葉はありません。
ここからはちょっと頑張れば、少し我慢すればわが子に会えるハズだったのです。

一体いつまで続くのか?
ゴールの見えない戦いは苦しいものです。

「だって太りすぎよね~。」

この時、この一瞬だけ初めて太ったことを後悔しました。
現在でも、太ったからといってお産が長引く原因にはならない。と私は思っていますが、お産が長引くと太ったせいにされることは事実です。

午前11時に入室してから4時間半、時計が3時半を回った頃、何やらまわりが騒がしくなりました。
それまで、助産師さんと二人きりだった分娩室。時々様子を見にやってくる主治医の先生、そして院長先生。全員大集合!

長く電源の入っていなかったらしい超音波の機械をわっせと動かし、検査・・・

「あれ?頭の位置がおかしいわ!」

(??????)

「誘導で戻せるかしらん?」

(いやいやいやいや・・・どういうことだ?)

まな板の鯉状態の私は、次々にやってくるお医者さんや助産師さんにされるがままで、
次は車椅子に乗せられてレントゲン室へ。

(レントゲンっていいの?)

という心配をよそに、なんだか準備がどんどん進められ、
再び分娩室に戻ってくると、立会い出産を楽しみにしていた夫がようやく分娩室への入室を許されて入って来ました。

始まったのは手術の説明。

(え~?!このタイミング???ここまで絶えたんだから何とか自然で産めないものか?)

という私の心の叫びとは裏腹に、定期的に襲ってくる陣痛の中、震える手で手術の同意書にサインをし、
(どんだけおんねん!!!)
というくらいたくさんの看護士さんが一斉にやってきて緊急手術の準備。

腕にリストバンドが巻かれます。

(36才・・・ふぅ~ん。こういうのは数えで記入するんだね・・・って誰が36やねん!)

良く見ると名前が違います。
意外と冷静な自分に心の中で笑いながら、
「ちょっとコレ・・・違いますけど?(だって私、まだ33才だし!)」と伝え、やり直してもらい、手術室へ。

部分麻酔がかけられ、ようやく長い陣痛の痛みから解放されました。
両手両足がくくられたまま、午後4時24分、
10ヶ月間まさに一心同体で過ごしたわが子は、全く感覚の無くなった私のお腹の中から出てきました。

ほんの一秒、私の前に来た赤ちゃんは、大急ぎで手術室から出て行きました。

私はくくられたまま、縫合手術。
後になって聞くと、コレがすごく長かったのだそうです。

回旋異常
赤ちゃんは出産の際、回転しながら降りて来ますが、この回転を失敗したのだそうです。
お腹を開けた時、先生のこんな声が聞こえました。

「あら~。頭がこんな向きにあるわ!これは無理よね~。出て来れないわ。」

(それなら、ちゃっちゃと切ってくれれば良かったのに・・・)
と、心でつぶやきながら、何はともあれ無事に生まれてくれてほっとしました。

終わってみれば、自然に産んだ人の陣痛の苦しみも、帝王切開で産んだ人の術後の苦しみも・・・両方を経験できたから、どちらの気持ちもわかることができて良かったかな?と。

そんな風にして生まれたわが子はもう4ヶ月になりますが、
それでもまだ、自分が母だという自覚はあまりありません。
ただ・・・私にとってなによりも一番大切な存在であることは確かです。
笑顔の時も泣いている時も起きている時も寝ている時も・・・とにかくかわいくて仕方ありません。

妊娠も出産も想像していたものとは全然違いましたが、
子どもがこんなにもかわいいなんて。
これも想像以上でした。

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妊娠する

2011-08-20 | 育児関連
結婚して10ヶ月、
そろそろ子どもが欲しい。と口にするようになって3ヶ月、
2010年9月8日、この日妊娠していることがわかりました。
たしか事前に検査薬で陽性だったことを確認して、近くの病院を訪れたのがこの日です。
予約してから行ったのに、結局1時間待ちました。産婦人科って患者さんが多いですね。
「おめでとうございます!」
な~んて言葉を想像していたのに、
「そうですね。妊娠してますね。別に病気じゃありませんから、普段通り生活して頂ければ結構です。」と。
なんだかなぁ~。って感じでした。
ドキドキ、ワクワク待った1時間、あっさり終わった診察5分。
現実とドラマはやっぱり違うのだ。と納得。
その後、言われた通り全く変わらない生活をしました。
いつものように原付で最寄の駅まで約10分。
それから1週間後の9月14日、母子手帳をもらいに保健所へ・・・。
この日、午後から出勤していましたが、なんとなく出血していたことが気になり、初めてのことだから念のためにと、翌日の朝も仕事を休み病院を訪れました。

「切迫流産、1週間自宅安静」

頭が真っ白になりました。「流産?」「自宅安静???」
会社に電話をした後会計を待つ間、ほとんど泣いていました。

「切迫流産」それはその名の通り「流産」が「切迫」している状態を言うのであって、決して流産したわけではありません。何しろ初めてのことだから、そんな病名も全く知らず、かなりうろたえました。

自宅に帰り、たまごクラブやなんかを読む内に、(あ~。大丈夫なのだ。)と。
そしてその時知りました。妊娠中、原付の振動が良くないということを。
(だって、普段通りで良いって言ったじゃない?!)

会社の皆に報告をする前に1週間も休むことになり、私の居ないところで、妊娠が報告されました。こういう話は自分の言葉でしたかったなぁ~。なんて思いながらも、毎日ほとんどの時間をベッドで過ごしました。そしてその1週間のうちにつわりがどんどんひどくなりました。

何の根拠もなく、私はつわりとは無縁だと思っていたのです。
だって働いているし、働かないといけないし。きっと、気分の問題だろう。私は大丈夫♪って。

違いました。

とにかくず~っと気持ち悪い。
ドラマで良く見るような、さっきまで笑っていた人が「ウっ!」とトイレに駆け込み、またケロっと戻ってくる様な・・・あんなのじゃありません。
何をしていても気持ち悪い。
吐くものもなくなる程吐いて、水も飲めなくなっていました。

1週間後、病院に行くと
「2週間、自宅安静」
その頃には脱水症状で意識は朦朧としていたこともあって
「入院する?どうせ、会社には行けないんだし。」と先生。

つわりにも色々ありますが、とにかく何をやっても気持ち悪くて、吐き続ける症状、これを「妊娠悪阻(にんしんおそ)」と言い、全妊娠の1%がなるそうです。(たまごクラブによる)

人生初めての入院。
早速点滴をされると、少し楽になりました。

入院中辛かったのは、食事の時間です。
食べることの大好きな私が、何も食べるのが嫌で、「何か少しでも食べるように。」と言われることが苦痛でなりませんでした。
自宅安静の間、日に日に減っていった体重は、点滴で食い止められ、何も食べていなくとも、キープされていました。

主人はヒマじゃないか?と心配してくれましたが、私の方はとにかく眠くて仕方なく、一日何時間も寝続けました。

入院から1週間程経った頃でしょうか?
ほとんどベッドの上なので、切迫流産の方は落ち着きました。
全く突然に仕事を休むことになり、早2週間、この間も担当現場は動いています。病室で毎日電話をしていました。
つわりは相変わらずでしたが、このままゆっくり休んでいる場合じゃありません。
それからというもの、「大丈夫アピール」を繰り返し、入院から9日目、
「都合の良い時に退院したら良いよ。」と言ってもらうことに成功しました。

そうすると一刻も早く帰りたくて、親に無理を言って迎えに来てもらい、早速に退院。
翌日一日様子を見て、翌々日より仕事復帰しました。

復帰後もまだまだつわりに悩まされました。

特に通勤の満員電車は最悪で、いろいろなニオイと電車の揺れ。
途中でトイレに駆け込んだことも少なくありません。

何よりお腹を押しつぶされないように守ることが大変でした。

出産が大変なことは何となく理解していましたが、妊娠がこれほど大変だとは、全く想像していませんでした。

私にとって妊娠は「こんなはずでは・・・」の連続。
とにかくしんどくて、しんどくて、しんどい10ヶ月間でした。

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本当に心地よい睡眠環境とは?

2011-07-22 | 育児関連
3月26日 睡眠に費やす時間は人生の1/3だからの回で、生まれてくる初のわが子の為に、随分背伸びをした寝具を購入した話を書きました。

そしてその結論は・・・

意味なかった!!!

いえ、営業妨害をするつもりはありません。『うちの子に限っては』という注釈を付けておきましょう。

私がこの意味の無さを痛感したのは退院後間もない日のこと。

当初、実家に帰るつもりはありませんでしたが、助産師さんはじめ周囲の強い勧めもあり、急遽実家に帰ることに・・・。

もちろん、娘の為に用意した高級寝具一式は、実家に運び込みました。

「3時間置きの授乳」というのは独身時代から良く耳にしておりましたが、現実はそん甘くありません。
夜中の授乳から寝かしつけられる頃にはすっかり夜が明け、2Fで寝ている両親が起きてくることも珍しくありませんでした。

この間、母親初心者の私がしていたことは、授乳した後、しばらく抱いて、布団に下ろすと泣いて、再び抱いて、また寝かせて、布団に下ろして、そしたらまた起きて・・・
これを繰り返している内に今度はお腹がすいて、授乳して・・・

と、こんな感じ。

で、気付いたのです。

一緒に寝てみようかな?って。

ちなみに私が寝ていた布団は、親には申し訳ないけれど、やっすい布団です。
実家のあまりもの。「ゲスト用」と言えば聞こえが良いかも知れませんが。

私の枕をそっとずらし、私の隣に小さな娘を下ろしてみる。
そして私も隣に寝てみる。
スヤスヤスヤ・・・。

・・・って何でやねん!

母親初心者としては嬉しい反面、娘のために購入した高級寝具を眺めてガックリ。

私が出産したのは4月のこと。覚えていますか?
今年はゴールデンウィークもまだまだ肌寒い日が続いていたことを。
(最近暑いから、そんな時代もあったなぁ。という感じですが。)

私の布団の中で授乳し、ベビー布団に娘を下ろす頃にはすっかりその布団は冷たくなっているのです。
このことに気付き、これを解消する為にシーツの上にバスタオルを敷いて、掛け布団を掛ける前にバスタオルを1枚。

オーガニックコットン・・・意味ねぇ~!


そんな娘は、ちょうど今3代渡り歩いたお下がりのハイ&ローチェアの中でスヤスヤ寝ています。
最初はあんな狭苦しいところで寝かせるなんてかわいそぉ・・・
と、思っておりましたが寝るときはどんなところでも寝るものです(笑)。

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出産前日

2011-06-24 | 育児関連
出産前日の4月17日(日)、大阪市大正区にあるIKEA鶴浜に行っていました。
IKEAの大きな建物の下に居るのは主人です。IKEAの「K」だそうです・・・(苦笑)。

出掛ける前、
「ちょっとポップ過ぎるかなぁ?」
と、自分のファッションを見せに来た彼。

ポップも何も・・・IKEAカラーやん?!

私に突っ込まれるまで、本人は気付いて無かったようです。
その後、恥ずかしいと言い出し、何度も着替えなおした後、やっぱり元のファッションで出掛けることになりました。

さて、病院からは「遠くへ行くな。」と釘をさされていたものの、まだ出産予定日まで2週間以上もあることと、産まれたら当分来られないだろう。ということで、宇治にある我が家からはるばる向かったIKEA。

目的はアートフレームです。


子どもが生まれたら、たくさん写真を飾りたいな。と思って。

妊娠中、重いものを持ってはいけないそうですが、仕事をしていた時は、それなりに重いものも運んでいたし、産休に入ってからは散歩がてらに買い物に出掛け、ついつい安いからとたくさん買ってしまい、重い荷物をかついで帰ったり・・・
IKEAでは、持ってはいないけど、カートを押してました(笑)。

アートフレーム、大小合わせて30点、植木鉢大小5点購入。
正直ヘトヘトでした。

帰宅したのは午後4時頃。
そして、その日の深夜1:30過ぎに破水して緊急入院。

院長先生に「激戦でしたね・・・」と言われるほどの難産でしたが、翌18日(月)の夕方、無事元気な赤ちゃんを授かりました。


教訓!
妊娠10ヶ月に入ったら、遠出と無理は控えた方が懸命です(笑)。

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