この春に施行されようとしている景観政策。
私たちが暮らす京都では、とても信じ難い内容が、私たちの知らない内に、可決されようとしています。
ちなみに、この景観政策。
中には是非とも実行していきたいと感じる内容もたくさんあります。特に色彩について勉強を重ねた私からすれば、色彩の基準に関しては、何ら問題なく、むしろこのような基準でもって「騒色」を阻止することができることは、進歩だと思います。
そのことは、平成18年12月19日付けの当ブログの中でも取り上げました。
平成18年12月19日 2007年インテリアトレンド大予測!
ところが、この景観政策。じっくり内容を確認してみると、とても無理のある内容。また、市民の生活を無視した、人に優しくない部分が多々見受けられます。
そこで今日は、そんな新景観政策について取り上げてみることにしました。
YAHOOの検索で「新景観政策」と入力すると一番にヒットしたのが国土交通省のサイトでした。
「景観ポータルサイトでは、国土交通省の美しい国づくりに関する情報を提供して・・・」
見飽きた、聞き飽きた、少々うんざりする決まり文句を見た瞬間、気持ちが萎えてしまったので、とりあえずそのサイトを飛ばして、次の順位でヒットしたサイトに入りました。
何件か見て、気持ちを静めた後、ようやく国交省のサイトを訪れてみました。
すると、やっとの思いで、再び登った崖のてっぺんから突き落とされるようなそんな気分になりました。
美しい国づくり政策大網
その様に題されたページをクリックすると「前文」として、「美しい」という言葉に象徴されるようなまさに「美しい」文章が並んでいました。
体力の余っている方は、上記にリンクを貼っているので、どうぞご覧になってください。
ものすごく疲れること間違いナシ。これで今夜もぐっすり眠れるハズ♪
と、最近次々に改正されていく「美しい」文章でごまかされた法律に疑問を感じている私は、少し皮肉めいた書き方をしてしまいましたが、施行されてしまえば、「知らなかった」では済まないのです。私たち一般市民には、何らかの影響がでてしまう。もちろん、「痛み」を伴わなければならない事柄もあるのかも知れませんが、その「痛み」は、私たちの未来にとって本当に必要な痛みなのでしょうか。
さて、京都の新しい景観法とは一体どのようなものなのでしょうか。
その一例を以下に挙げてみました。
① 道路に面して開放された空間となる駐車スペースを設けられない。
② 植栽基準として、300㎡(約90坪)未満の住宅は(敷地面積-実建築面積)の30%を植栽面積としなければならない。
例えば25坪の敷地で、建ぺい率60%の場合、3坪の植栽面積が必要。
③ 屋根は日本瓦、平板瓦(いぶし銀)、金属板(艶消しの濃い灰色又は黒)のみ許可されるため、洋風住宅のデザインでは建築することができない。
広い敷地を所有する人にとっては、あまり問題のないことかも知れません。しかし、ほとんどの人たちは、このような政策が通れば、快適な生活スペースを確保することができなくなってしまいます。
もうすでに住宅をお持ちの方。そんな方も関係ないわけではありません。
この景観法に沿わない住宅は「既存不適格建築物(=建築時は合法であったが、現在の規制では建てられない建物)」とされ、資産価値や銀行評価等が著しく低下するだけではなく、建て替えが困難になります。
詳しくは、下のサイトから新景観法の概要がご覧になれます。
京都の景観を考える会
このような不思議な改正が、不思議なスピードで可決されようとしている中、改正されようとしている景観法の内容を良く知る宅建業者や市民たちから成る様々なグループから、慎重な審議を求める意見広告が出されました。そして、上のようなサイトも開設されています。
昨日、私もこのサイトを訪れ、掲示板のコメントを拝見しました。
どうやら、趣旨に合わないコメントは削除されているようで、その全てを見ることはできませんでしたが、意見広告やそのサイトに対する否定的な考えの背景には、「不動産屋」という根強い印象の悪さを感じずにはいられませんでした。
真っ直ぐな意見であっても、真っ直ぐに見えないというか、裏があるのではないだろうか。と感じてしまう・・・。だから、不動産屋が反対しているということに対する否定から、切実な訴えが伝わり切らないのではないか。と。
そんな風に感じてしまうのは私だけでしょうか。
一度は否決された郵政民営化。私は政治家たちが、その制定に反対すればするほど、(何か裏があるのではないか。民営化されてしまうことで、彼らの利益が減るのではないか。)と考えてしまいました。
国民のためではなく、私欲のために反対しているとしか、感じることができませんでした。
今、「郵政民営化」が、本当に国民にとって必要だったのか、不安を感じています。
「障害者自立支援法」に代表されるように、美しい文章で飾られた冷たい法を「知らない」内に通してしまってはいけないと思います。
まずは、知ることからはじめませんか?
私たちが暮らす京都では、とても信じ難い内容が、私たちの知らない内に、可決されようとしています。
ちなみに、この景観政策。
中には是非とも実行していきたいと感じる内容もたくさんあります。特に色彩について勉強を重ねた私からすれば、色彩の基準に関しては、何ら問題なく、むしろこのような基準でもって「騒色」を阻止することができることは、進歩だと思います。
そのことは、平成18年12月19日付けの当ブログの中でも取り上げました。
平成18年12月19日 2007年インテリアトレンド大予測!
ところが、この景観政策。じっくり内容を確認してみると、とても無理のある内容。また、市民の生活を無視した、人に優しくない部分が多々見受けられます。
そこで今日は、そんな新景観政策について取り上げてみることにしました。
YAHOOの検索で「新景観政策」と入力すると一番にヒットしたのが国土交通省のサイトでした。
「景観ポータルサイトでは、国土交通省の美しい国づくりに関する情報を提供して・・・」
見飽きた、聞き飽きた、少々うんざりする決まり文句を見た瞬間、気持ちが萎えてしまったので、とりあえずそのサイトを飛ばして、次の順位でヒットしたサイトに入りました。
何件か見て、気持ちを静めた後、ようやく国交省のサイトを訪れてみました。
すると、やっとの思いで、再び登った崖のてっぺんから突き落とされるようなそんな気分になりました。
美しい国づくり政策大網
その様に題されたページをクリックすると「前文」として、「美しい」という言葉に象徴されるようなまさに「美しい」文章が並んでいました。
体力の余っている方は、上記にリンクを貼っているので、どうぞご覧になってください。
ものすごく疲れること間違いナシ。これで今夜もぐっすり眠れるハズ♪
と、最近次々に改正されていく「美しい」文章でごまかされた法律に疑問を感じている私は、少し皮肉めいた書き方をしてしまいましたが、施行されてしまえば、「知らなかった」では済まないのです。私たち一般市民には、何らかの影響がでてしまう。もちろん、「痛み」を伴わなければならない事柄もあるのかも知れませんが、その「痛み」は、私たちの未来にとって本当に必要な痛みなのでしょうか。
さて、京都の新しい景観法とは一体どのようなものなのでしょうか。
その一例を以下に挙げてみました。
① 道路に面して開放された空間となる駐車スペースを設けられない。
② 植栽基準として、300㎡(約90坪)未満の住宅は(敷地面積-実建築面積)の30%を植栽面積としなければならない。
例えば25坪の敷地で、建ぺい率60%の場合、3坪の植栽面積が必要。
③ 屋根は日本瓦、平板瓦(いぶし銀)、金属板(艶消しの濃い灰色又は黒)のみ許可されるため、洋風住宅のデザインでは建築することができない。
広い敷地を所有する人にとっては、あまり問題のないことかも知れません。しかし、ほとんどの人たちは、このような政策が通れば、快適な生活スペースを確保することができなくなってしまいます。
もうすでに住宅をお持ちの方。そんな方も関係ないわけではありません。
この景観法に沿わない住宅は「既存不適格建築物(=建築時は合法であったが、現在の規制では建てられない建物)」とされ、資産価値や銀行評価等が著しく低下するだけではなく、建て替えが困難になります。
詳しくは、下のサイトから新景観法の概要がご覧になれます。
京都の景観を考える会
このような不思議な改正が、不思議なスピードで可決されようとしている中、改正されようとしている景観法の内容を良く知る宅建業者や市民たちから成る様々なグループから、慎重な審議を求める意見広告が出されました。そして、上のようなサイトも開設されています。
昨日、私もこのサイトを訪れ、掲示板のコメントを拝見しました。
どうやら、趣旨に合わないコメントは削除されているようで、その全てを見ることはできませんでしたが、意見広告やそのサイトに対する否定的な考えの背景には、「不動産屋」という根強い印象の悪さを感じずにはいられませんでした。
真っ直ぐな意見であっても、真っ直ぐに見えないというか、裏があるのではないだろうか。と感じてしまう・・・。だから、不動産屋が反対しているということに対する否定から、切実な訴えが伝わり切らないのではないか。と。
そんな風に感じてしまうのは私だけでしょうか。
一度は否決された郵政民営化。私は政治家たちが、その制定に反対すればするほど、(何か裏があるのではないか。民営化されてしまうことで、彼らの利益が減るのではないか。)と考えてしまいました。
国民のためではなく、私欲のために反対しているとしか、感じることができませんでした。
今、「郵政民営化」が、本当に国民にとって必要だったのか、不安を感じています。
「障害者自立支援法」に代表されるように、美しい文章で飾られた冷たい法を「知らない」内に通してしまってはいけないと思います。
まずは、知ることからはじめませんか?