昨日の記事で書いたように、山道で駆け下りていたら転んで左腕をしこたまぶつけて、現在も痛くて十分に動かせません。心身ともに気合いを入れるどころか、足から尻にかけての筋肉痛で立ち上がるのもしんどいし、そんな自分にヘコみまくっています。山をなめてかかってはいけません。
山をなめるな、と書いて思い出した話があります。私が大学の学部4年生の時のことですが、友人(小笠原やハワイに一緒に行った)および先輩の大学院生2人の合計4人で富士山に行こうということになりました。ちょうど9月のこの時期でした。
日程は1泊2日を予定しており、2日目に登ろうということになりました。ところが1日目の移動中の車内でラジオの天気予報を聞いていると、次の日は雨が降るという予報でした。そこで急遽ですが富士登山をその日のうちにしてしまおうということになりました。
車が富士山五合目に着いたのは14時でした。こんな時間から登ろうという人はほとんどいません。山小屋の営業も8月で終わっているからです。経験がある方はご存知でしょうけれど、富士登山というのはかなりの苦行です。森があって鳥がさえずるでもなく、小川のせせらぎがあるでもなく、目の前には巨大な斜面があるばかりです。夕方暗くなる前に、この斜面を登ってさらに降りてこようということになったのです。普通なら無理だと思うはずなのに、なんせ斜面のてっぺんには頂上が見えているため、これくらいならいけるだろうと誰もが考えていたのです。
私はこの時が2度目の富士登山でしたが、幼少の頃の最初のトライアルでは八合目あたりで引き返したのでした。その時のリベンジということもあって、正常な判断ができていなかったのかもしれません。
さて、富士の登山道は当然ながら左右に蛇行しています。まっすぐ登るにはあまりにも急だからです。したがって頂上がなかなか近づいてこないのです。その上、地面は砂利のようで意外と足を取られるため、体力がかなり消耗します。4人の中で一番体力が低い私は随分と皆の足を引っ張ってしまいました。そしてへとへとになって頂上に着いたのが4時間後の18時でした。
頂上に着いたはいいけれど、こんな時期には誰もいません。当然自販機なんてあるわけがありません。日もだいぶ傾いており、周囲はみるみる暗くなっていきました。さらに悪いことには雲が出てきて視界が非常に悪くなってしまいました。電灯なんかもありません。頂上で15分くらい休んだ後、先輩が急いで帰ろうと言い出しました。私はすでに疲れ果てており、野宿をする覚悟でした。それに真っ暗な山道を今から降りる方が危険ではないかと考えてもいました。先輩にそう言ったのですが、気温も低いしここにとどまるのは危険だろうということで、結局頂上で15分休んだだけで急いで降りることになりました。
もう必死で斜面を駆け下ります。雲が晴れる様子は全くなく、周囲はますます暗くなっていきます。もちろん明かりもありません。体力も気力も限界です。助けてくれる登山者はどこにもいません。下り始めてから30分程度、いよいよ何も見えなくなりそうになった時、本気で死ぬかも知れないと覚悟しました。それでも足を止めずに駆け下りていたら…。
突然雲が晴れ、登り始めた満月に足下が照らされました。暗闇に目が慣れていたので、月明かりだけでも十分なほど周囲がはっきりと見えたのです。この時ばかりは奇跡が起きたと感じましたね。4人は声を上げて喜びました。
そして2時間半かけて五合目まで戻ってきました。時刻は21時前です。ここから河口湖方面に移動し、「信玄ほうとう」を食べ、空いている旅館を見つけて休むことができました。
翌日、天気予報ははずれ、空は晴れていました。富士周辺をのんびりとドライブし、奇石博物館などに寄って楽しみ、夕方には東京の大学に戻ってきたのでした。
というわけで、山をなめてはいけません、というお話。そういえば本日9月12日は中秋の名月ですね。我々4人を救った満月を見て感謝しながら、だんごスイーツをいただくとしますよ。
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今日のおまけ画像
冬の晴れた日には大学から富士山が見えました。富士山の手前は神奈川県の丹沢山地です。
山をなめるな、と書いて思い出した話があります。私が大学の学部4年生の時のことですが、友人(小笠原やハワイに一緒に行った)および先輩の大学院生2人の合計4人で富士山に行こうということになりました。ちょうど9月のこの時期でした。
日程は1泊2日を予定しており、2日目に登ろうということになりました。ところが1日目の移動中の車内でラジオの天気予報を聞いていると、次の日は雨が降るという予報でした。そこで急遽ですが富士登山をその日のうちにしてしまおうということになりました。
車が富士山五合目に着いたのは14時でした。こんな時間から登ろうという人はほとんどいません。山小屋の営業も8月で終わっているからです。経験がある方はご存知でしょうけれど、富士登山というのはかなりの苦行です。森があって鳥がさえずるでもなく、小川のせせらぎがあるでもなく、目の前には巨大な斜面があるばかりです。夕方暗くなる前に、この斜面を登ってさらに降りてこようということになったのです。普通なら無理だと思うはずなのに、なんせ斜面のてっぺんには頂上が見えているため、これくらいならいけるだろうと誰もが考えていたのです。
私はこの時が2度目の富士登山でしたが、幼少の頃の最初のトライアルでは八合目あたりで引き返したのでした。その時のリベンジということもあって、正常な判断ができていなかったのかもしれません。
さて、富士の登山道は当然ながら左右に蛇行しています。まっすぐ登るにはあまりにも急だからです。したがって頂上がなかなか近づいてこないのです。その上、地面は砂利のようで意外と足を取られるため、体力がかなり消耗します。4人の中で一番体力が低い私は随分と皆の足を引っ張ってしまいました。そしてへとへとになって頂上に着いたのが4時間後の18時でした。
頂上に着いたはいいけれど、こんな時期には誰もいません。当然自販機なんてあるわけがありません。日もだいぶ傾いており、周囲はみるみる暗くなっていきました。さらに悪いことには雲が出てきて視界が非常に悪くなってしまいました。電灯なんかもありません。頂上で15分くらい休んだ後、先輩が急いで帰ろうと言い出しました。私はすでに疲れ果てており、野宿をする覚悟でした。それに真っ暗な山道を今から降りる方が危険ではないかと考えてもいました。先輩にそう言ったのですが、気温も低いしここにとどまるのは危険だろうということで、結局頂上で15分休んだだけで急いで降りることになりました。
もう必死で斜面を駆け下ります。雲が晴れる様子は全くなく、周囲はますます暗くなっていきます。もちろん明かりもありません。体力も気力も限界です。助けてくれる登山者はどこにもいません。下り始めてから30分程度、いよいよ何も見えなくなりそうになった時、本気で死ぬかも知れないと覚悟しました。それでも足を止めずに駆け下りていたら…。
突然雲が晴れ、登り始めた満月に足下が照らされました。暗闇に目が慣れていたので、月明かりだけでも十分なほど周囲がはっきりと見えたのです。この時ばかりは奇跡が起きたと感じましたね。4人は声を上げて喜びました。
そして2時間半かけて五合目まで戻ってきました。時刻は21時前です。ここから河口湖方面に移動し、「信玄ほうとう」を食べ、空いている旅館を見つけて休むことができました。
翌日、天気予報ははずれ、空は晴れていました。富士周辺をのんびりとドライブし、奇石博物館などに寄って楽しみ、夕方には東京の大学に戻ってきたのでした。
というわけで、山をなめてはいけません、というお話。そういえば本日9月12日は中秋の名月ですね。我々4人を救った満月を見て感謝しながら、だんごスイーツをいただくとしますよ。
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今日のおまけ画像
冬の晴れた日には大学から富士山が見えました。富士山の手前は神奈川県の丹沢山地です。
あの音楽が脳内リフレインを開始しました。
おっしゃるように石ころだらけで簡単な山じゃないと思うのですけど、
五合目まで車で行けるからか
ピクニックのような登山客も多いんですよね・・・。
自分も一度登って良かったなぁとは思うものの
もう一度登りたいとは思えないです(汗)
wassamさま、そんなこと言うから私の方も音楽が止まらなくなりました。今からプレイしようかな…。アレのヒマラヤ編とかカナディアンロッキー編とかはいつ出るのでしょうね。まあ、アレのどこがアルプス編だったかと言えば、あの音楽だけなんですが。
ちなみに先日に生駒越えをした時はドヴォルザークのスラブ舞曲を聴きながら山道をさまよっていました。ノーテンキな音楽が余計に不安をあおり立てる…。
どらおさま、「蒼天~」は名作の部類だと思われますが、私はしばらく前に買ってから積んだままになっています。「THE 登山RPG」の方はクリアしています。「富士山バスター」と続編の「大江戸ファイト」はちょっと勘弁して欲しいです。
富士山は都心からも簡単にアクセスでき、しかも頂上が五合目から丸見えだから、登りたくなっちゃうんですよね。登山者も多いし、時間をかければ比較的安全なのかもしれませんが、それは装備が整っており心構えもある人に対してなのでしょう。
山頂での達成感はほとんどなかったので、もう一度登りたいと思っています。けれども山頂までの過程が苦しいばかりなので、二の足を踏んでしまいます。