大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

Fw:未来の自分

2010-02-22 14:46:18 | プロフィール
未来の自分は今現在の言葉・発言から形づくられるように思う。時間とは未来から現在へ、そして過去へ流れて行くという説を信じている僕は今日の自分の言動・発言をとても大切にしている。常に積極的な前向きの言葉を発したいと心掛けている。よく行く本屋さんで立ち読みしていて『 一秒がわかる人は一分にも一時間にも強くなれる。一秒刻みで考える習慣をつける。』『自分にとって必要だと思われると必然的に好かれようになる』という文章に出合い嬉しくなった。自分磨き・自分探しの旅をこの世で続けることが出来るなんて凄く運がいいと思う。命とは自分の持っている時間のこと。命とは自分の使える時間のこと。未来の自分とは今この一瞬一瞬の時間の積み重ね・連続のこと。大切に生きてゆきたい。

自分について

2009-09-02 11:18:58 | プロフィール
少しずつ自分が見えてきたような気がする。いろいろなことがあったけど、正直、心も落ち着いてきて、冷静に自己を対象化できるようになってきたように思う。

今年のテーマは、深いレベルで自己を知るということだったので、夏の終わりにこんなふうな気持ちになれたことを率直にありがたいと思うし、自分のことを大切にしようとしみじみ思う。地球という星に生まれたことを感謝し、大過なく日々生活できることにありがたく思う気持ちを忘れずに、貴重な時間を有効に活用したいと改めて思う。

自己を知る手がかりのひとつに、読書はとても意味のある行為だと思う。また、知人、友人に相談したり話し合いすることも悪くはないと思う。あらゆる角度から自分自身を探求するという行為は、一見難しい作業に見えるけど、自己を知らずに他人を知ることはできない。こんな当たり前のことを今まで注意深く考えてこなかった自分を少し恥ずかしく思うけど、これからは、ありのままの素の自分を大切にしながら、自分と出会った人々に正直、親切に接していきたいと考えている。決意表明みたいになってしまうけど、自分のマインドを意識的に前向きにしながら、新しいゴールと夢を高く設定し、新しい自分に変身したい。最終的には、自分で自分を救うというシンプルな行為が、幸せへの近道じゃないかな。

小学生の頃 2

2009-08-26 12:10:42 | プロフィール
現在の日本の学校教育のシステムは基本的に全員が必ず負け組になる仕組みになっています。毎回、全科目満点で全部一番という人以外は、「もっと頑張れ」=「おまえはダメだ」と言われてしまうわけです。もともと人間の行為には点数などつけられないという、ごく当たり前のことを教えないどころか、ひたすら点数をつけて競争させることばかり教えているのですから、やる気のない、無気力な人間が大量生産されるのも無理からぬところです。

苫米地英人さんの本より引用

 小学校4年か5年生頃、僕はわりと成績が良かったと思います。真面目に宿題もこなし、国語や算数は、ほぼ満点に近かったように記憶しています。全校生徒100名前後の学校で、1学年1クラスしかなく、競争意識なんて少しも芽生えないのどかな田舎の小学校だったのです。ちょっと成績が良かったら、担任の女の先生から「カンニングしたんだろう」みたいなことを言われた体験があります。子供心に正直驚いたのと同時に、すっかり勉強しようという意欲が湧かなくなってしまいました。今でも鮮明な記憶として、僕の網膜に残像となってとどまっていますね。学習する「やる気」をなくした要因、いわゆる『ドリームキラー』というのが、僕の場合「学校の先生」であったのは運命の皮肉です。  
 今年は読書は220冊ぐらい目標にしているけど、ほぼクリアしたし、いろんなところに出掛け『社会勉強』したふりをしているけど、小学校時代のちょっとした「いやな経験」が今の僕のハングリー精神の根っこの部分であると思う。あの『女の先生』に感謝しなきゃね!(でも中学3年から高校2年の終わりぐらいまでほぼ3年間毎日6時間くらい麻雀をやりっぱなしだったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか、答えは出ていませんけど 笑)  
 人間一生勉強ですね。学問をすればするほど、頭を下げなきゃいけないと自戒する日々です。今年もあと4ヶ月100冊、テーマを決めて読書しよっと!

人生 3 (誇れること)

2009-08-05 07:00:00 | プロフィール
 自分の人生を振り返ってみて、少しだけ誇れることがある。それはどういうことかというと、人を羨ましく思ったり、嫉妬心を抱いた経験がほとんどないと記憶していることです。職業柄、資産家で割と大金持ちの知り合いの方が多少はおりますけど、その方たちとお会いして食事したり世間話をしても、特別羨ましいとは思いません。もちろん、お金はいっぱいあった方がいいとは正直に思うけどね。

 僕は、あまり経済的には恵まれた家庭環境に育ったわけではないことを、以前にもブログで正直に白状しました。経済的には貧しく育ったことが、かえってハングリー精神を生み出し、経済的に恵まれない人々の気持ちというか社会的弱者の痛みみたいなものが、よく共通理解できるのです。ちょっとお人好しで「騙されたり」「苛められたり」は稀にありますけどね(笑)お金持ち、時間持ち、いい友達持ち、これで人生ハッピーですね。

人生 2

2009-07-09 16:00:00 | プロフィール
火事になってしまい、すべてを失ってしまい、約2ヶ月間毎日毎日、ある田舎のアパートの2階で、窓から自然の風景を放心状態で眺め続けていました。完全な思考停止状態です。私が『堕ちた』とき、周りの人たちは全員、ほとんど誰もが、私のもとを去っていきました。為になりますね。その当時、自分は友達だと思っている人たちは誰一人、一切会うこともなんの連絡もありませんでした。本当に貴重な得難い経験をしました。

私はその後、東京の下町で朝3時半から夜9時頃まで、無我夢中で約3年働き続けました。寝る時間を惜しんで美術の勉強も続けました。人生の肥やしというかあの貴重な経験と教訓はいわば、私の心の貯金みたいなものです。大抵の人は、私と話していると、私が何不自由なく暮らしてきた人に思われ、「苦労が顔に出ていない」とよく言われます(人を表面的に見て人物評価をしたりするのは、片手落ちだと思うのですけど)。私は大した人間じゃないですけど、ちょっとだけ辛い経験をしたことがあるので、人の痛みは体感レベルでわかります。正直・親切をモットーにこれからも自分の人生をとぼとぼ前を向いて歩いていくだけですね。『すべてを喪失した経験のある人は、恐れるものがなにもない』と思います。ときどき知人が「あなたは不死鳥(フェニックス)だよ」と真顔で語ってくれます。「そうかも(笑)」

『心』を汚して、命を粗末にして人生を楽しまず、貴重なかけがいのない時間を無為に過ごすことほど、淋しいことはないですね。私は、生かされて生きています。目標を持ち、夢を忘れず、前向きに努力すれば、人生は必ず『幸せの道』が目の前に開けてくると、自らの20代後半の経験を通じて確信しています。人生は『光』です。

(100回目のブログです)

人生 1

2009-07-08 16:00:00 | プロフィール
人生で、酷い目にあったことがあります。20代後半の頃です。自分の不注意で借りていた建物が燃えてしまい、あと数分で死ぬ目に遭い、その上、火事になってしまった建物の被害弁済で散々な目に遭ったことです。
いまでは、あの辛い出来事もいい経験というか体験をしたなと思っています。髪の毛は燃える、衣類も燃えて、消防士から「あと数分で死んでいたよ」と言われたことをいまでも鮮明に覚えています。死の淵というか死線を彷徨った、つまり、臨死体験をしたんですね。ビロード色のカーテンが目の前に見えて「とうちゃん!」と叫びました。意識は朦朧としていたのですが、無我夢中で2階の階段を駆け下り、雪の降る中119番をして間一髪、生き延びることができた私です。
一度死んだも同然の身の上ですので、よくお坊さんが「生かされている命」と言われるのですが、私は実体験レベルで理解できますね。文字通り、命拾いを経験したので、失うものは何もないのです。

つづく

ブログをはじめて思うこと

2009-07-07 16:40:00 | プロフィール
ブログをはじめてちょうど100回近くの投稿になろうとしています。ブログをはじめて一番よかったと思うことは、書き慣れず下手な文章を綴る中で、自分の浅はかさと愚かさをはっきりと自覚というか認識し、こりゃ、やっぱし大した人間じゃないなと判明したことです。ただ、割と読書は嫌いではないほうですので、本を読み込む深度というか分析能力みたいなものは、ちょっとだけ進歩したかな?と思っています。人様の書いた文章の一行一行に込められた意味や意図を深いレベルで理解というか把握する力が、ちょっとだけ増してきたような気がします。
ブログをはじめて、ちょっと誤算は、女性にモテなくなったような気がします(笑)。すべての行動を白日の下に晒け出していますので、呆れ返っている人がいるみたいです。

僕の性格は、いい加減でギリギリまで物事を処理せず、追いつめられるまで実行しない所謂怠け者ですから、ますます女性にはモテないみたいですね。

最近読んでいる本、副島隆彦・植草一秀、最新刊『売国者たちの末路』(祥伝社)のなかで「いちばん苦労した人がいちばん偉い。いちばん苦労した人の言うことがいちばん正しいと考える人間です。」と副島隆彦さんが述べているところに、深く共鳴します。彼は父親がお医者さんだったのですが、その父が50歳の頃に愛人をつくって家を飛び出し、残された家族は無一文になり経済的に困窮を極めた時期があったそうです。副島隆彦さんのトラウマというか、無意識のコンプレックスの根っこみたいなものが垣間見えて、その後の彼の人格形成に大きな影響を与えたんじゃないのかな、と想像しますけど。ちょっと上手く表現できないんですが…。いずれにしても副島隆彦さんの正義感は、見習うべきところが多々あると思いますね。読書人階級の末席に座りたい僕も、よく学びよく遊びよく働く人間でいなきゃという思いを強くします。

備忘録 2

2009-06-20 07:00:00 | プロフィール
 ぼくは毎日が日曜日で、読書が第一、第二が秘密、第三が仕事という優先順位で毎日過ごしているんだとある友人に話したところ、「きっと大川原さんは余裕があるんだろうね、と思われるか、生意気な奴だと嫌みに思われるんじゃないの?」と言われちょっぴり気になりました。ぼくの趣旨は、こういうことです。わかりやすく解説すると、毎日がとても暇で所謂不景気で、仕事も必ずしも順調とはいえるような状況じゃないし、なかなか心中してもいいようなアート作品に巡り会うわけでもないので、つまりはっきり言うと、口には出したくないですけど、不況というか経営をめぐる環境が著しく悪化していてあまりいい材料がないという意味なんですよ。だから、お金=血液が社会の中でうまく循環しなければ、誰でもアウトですよね。ぼくだって愚痴や泣き言、不況だ不景気だ絵が売れない、古美術品の相場が下がっている(価値は全然下がっていないのに)…いくらでもマイナス言葉を言おうと思えばいっぱい並べることができますよ。

 言葉のイメージは、聞く人にとっての想像力を問うキャパシティーの問題だと思うんですね。ぼくは言い訳もしたくないし、人の悪口も言いたくない。ばかがつくくらい正直に親切に人に接したいと思う。少なくともそういう気持で毎日過ごしています。ですから、こういう厳しい時代の経営環境を乗り切るコツは何かな?とふと考えたときに、ぼくの場合は、自分を取り巻く現実をしっかりと把握し、理解し、歴史を見通す力をつけてみたいなと思ったんです。当然、ぼく自身の人(ヒト)としての性格とか性質、癖や人間性、習慣習性、どこまでも自分というか己(おのれ)を理解することが急務なんです。切実なんですよ。だから、貴重なかけがいのない時間を有効に活用して『自分磨き』に精を出しているんです。きれいごとはあまり言いたくないんです。ぼくは宇宙の中ではちっぽけな砂粒みたいな男です。でもこの世に生まれてきた以上、利他の精神を忘れず使命感を持って生き抜きたいなと思っています。これからもプラスの言葉と人を勇気づけ鼓舞する積極的なしあわせメッセージを発信したいなと強く思っています。人の痛みを知る人間でいたいし、自分と出会った人のしあわせを祈る、自分に嫌がらせをする人の幸福を祈念する、そんな人間でいたいだけです。

備忘録 1

2009-06-05 17:45:00 | プロフィール
 小学生の頃、公共工事といえば、ある冬の道路工事のことを思い出す。その頃の農村というか田舎町では、農閑期に農家の女たちは、現金収入が目当てで間違いなく日当が出るというので、冬の厳しい寒さの中、道路の整備、たしか砂利を引いてその上からアスファルト舗装する作業を人海戦術で行っていた。ずいぶん昔の話です。最近は、大型ブルドーザーやコンクリートミキサー、最新鋭の工作機械がいろいろ開発されており、少人数で効率のよい道路工事が実現可能になったことを思うと、隔世の感がする。

 いまでは年老いて、背中も曲がってしまった母も、若い頃、現金目当て、所謂日銭稼ぎで、私の生まれた田舎町ではその当時、大金持ちの御大臣様といわれていた会社、O工務店で、日雇い労働者の役回りをしていたことをぼんやりと記憶している。
 O工務店には、中学生の時同じクラスメートでTさんというとても素敵な女性がおり、副委員長をしていて成績も良かった。その後、Tさんは東京方面の大学に進学し、1、2度、街なかで偶然お会いした。艶やかな着物姿でとても幸せそうな様子でした。
 それから数年後、業績を順調に伸ばしていたO工務店は、多額の負債を抱えて倒産してしまった。その会社もTさんの自宅もすべて更地になってしまい、Tさんの消息は不明…

 私の弟は卒業後、お国関係の仕事に数年奉公したあと、ある大手ゼネコン系の会社に入社し、ブルドーザーやバックホーンなどを操縦していたのだが、何を思ったのか心機一転、猛勉強し始め、1級ーー管理者とか数多くの資格をとり、管理職のポストを得て数多くの下請け会社を傘下に置く役職につき、公共工事の進捗状況を管理指導する立場になった。もちろん、工事現場の労働者と接することも日常茶飯事だった。世の中には、不思議なことがあるものである。奇縁と呼んでもいいかな。人生の悪戯というか運命の巡り合わせとでも言うべきか、倒産してしまったO工務店の社長と奥さんが日雇い労働者として老体に鞭打ちながら、弟の管理する工事現場で働くことになったそうです。その話を聞いたときに、小学生の頃、多くの農家の女たちに混じって、工事現場で母親がスコップやツルハシを握っていた姿を一瞬、思い出した。運命の皮肉を感じた。

 私は、それほど経済的に恵まれた家庭環境ではなかったが、人生の悲哀というか人の痛みというのは、多少なりとも原体験レベルで、共通理解できる人間の部類に属していると思っている。
 備忘録として書き留めました。

心の態度について 1

2009-04-21 16:00:12 | プロフィール
 最近、いつも心がけていることがあります。それは、心をしっかりコントロールし、心の態度を恬淡明朗(てんたんめいろう)にする、ということです。ここ2年間で、私自身少しずつ肩肘張らない気楽な生き方ができるようになってきたと思います。斎藤一人さんのCD『地球が天国になる話』という講演を聞いたことと、中村天風氏の様々な書物に出会ったことが、直接のきっかけだと思います。正直、命が救われた(命拾いしました)と思うのです(実感です)。もし「悩み」がある方がいたら、是非二人の著書を読んでほしいと思います。「以前」の自分は、人に対してちょっとでも欠点や短所、また不平不満みたいなものが目につくと、よく怒ったり皮肉めいたことを言葉に出して注意したり、文句を言ったりしたけれども、ここ2年間のなかで、怒ることを徐々にセーブするようにしたのです。はっきり言うと、怒ると「損をする」と悟ったのです。「相手の心もしくは魂の在処が未熟な人なんだな、とか人間としてまだ修行が足りないんじゃないか」とそんな風に意識的に視点を変えて相手を注意深く観察するように試みてみました。そのように心をコントロールすることや、言葉遣いを大切に思い、注意するようになると、すごく楽な生き方ができることに気がついたのです(ちっちゃなことはどうでもいいんです。大抵のことは大目に見ようと心に念じるのです)。

 人生における一代転機、コペルニクス的転回です。マイナス思考やマイナス言葉も意識的に、もしくは自戒的に言うことを止めるようにしてみた。愚痴や泣き言も、現在は一切、言うのを止めた。今の社会に対する不平不満もなるべく控えるようにしている(内心は言いたいことはたくさんある)。いま自分が生きているということ、生かされていることに「ありがとう」と感謝の気持ちを念じるように努めている(まず、自分にありがとう)。そうすると、身体がリラックスしてきて、気負いがなくすごく軽くなってくる。もちろん、悩むこともなくなってきたと思う。口から発する言葉は、特に大切だと思います。言霊ですからね。人を批難したり、欠点をあげつらうのもすべて止めました。問題が起こった時には笑うことにしたのです。何か問題が起こっても冷静に心の在処もしくは、心の置きどころを定めて、外科医がメスを持つように、物事の本質を分析もしくは解析するのです。上手く表現できないのですが、意識的に落ち着いた心の態度というか、積極的に且つ、前向きに生きる姿勢を保とうと努めています(もちろん、様々なジャンルの本を読みながら、多面的というか複眼的な世界観を養いたいとは思いますけどね)。

「心が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、人生が変わる。まず自分の心を変える事が大事なんです。」 刺繍工芸作家 福田喜重の言葉

小学生の頃 1

2009-04-18 16:38:14 | プロフィール
 小学三年生の終わり頃、春休みの話です。
一キロ位はなれた所に住んでいるゆきたかさんという先輩から、「有重君新聞配達やらないか?」といわれたことがきっかけで新聞配達をはじめました。たしか地元の二大新聞、福島民報と福島民友、朝日新聞、日本農業新聞等を何十部か、一軒一軒(ほとんどが農家)を朝6時くらいに起きて、7時過ぎまで新聞配達をして当時のお金で一ヶ月2000円くらいのこづかいを稼ぎました。なににお金を使ったか全然覚えていないけど、大相撲が好きだったので相撲関連の本を買ったような気がします。
 小学校3年の終わりから中学3年までの約6年間一日も休まず毎日配達をしました。冬の頃は雪が結構降ったので、大雪の日は大変でした。まだちっちゃかったので膝下までズッポリと雪の中まで入ってしまった事も時々ありましたね。
                    

 雨の日は傘をさしながら配達したっけ。よく晴れた日曜日にはさぼって、土手の草むらで寝転びながら新聞を読んでいました。アポロが月に行ったと言う新聞記事(1969年7月20日にアポロ11号が月面に着陸したという人類を騙したねつ造事件)は特に印象に残っています。自慢にならないけど親には小遣いをもらった記憶はほとんどないと思います。今から思うとあの新聞配達は後々の人生においていろんな意味で役に立ったような気がします。
�体力(脚力)がつき、中距離走ではいつも上位になれた。
�精神力というか忍耐力(持久力)がついたと思う。
�時事や政治その他に興味を持った(中学生の頃一度だけ新聞に  
 投稿した事があり、新聞記事になった事がある)

新聞配達のアルバイトを六年間したという経験、これは今になって振り返ると、私のかけがえのない貴重な経験(財産)です。
私の好きな中森じゅあんさんのいくつかのメッセージを引用紹介させていただきます。(毎日読んでいます)

1 あなたは、愛とともに生まれてきました。
  あなたは、愛とともに生かされています。

2 偶然は何ひとつありません。あらゆることが、
  気づきと真なる幸せを見出すために起こります。

3 幼な子のように、無心な素直さをもちましょう。
  あなたの可能性が無限に広がっていくでしょう。

4 ほんとうに必要なものは、最適の時に与えられます。
  その法則を信じて、あなたの努力を楽しみましょう。

5 あなたの心が、あなたの現実をつくりあげます。
  どんな時にも、あなたの心の運びを整えなさい。

6 善し悪しや優劣の評価をするのはあなたの選択です。
  宇宙的視野から見れば、すべての事がOKなのです。

7 あなたが今やらねばならぬことは、当面の任務です。
  誠実に熱心にやりこなせば、やがて任務は変ります。

8 自信に満ちて、あなた自身を愛し、育てましょう。
  その能力と魅力とエネルギーは与えられています。

9 やさしさが、あなたの心身を癒し、強めます。
  やさしさが、人々の心身を包み、生かします。

10 どんな物事も明るい光の目でみましょう。
  いつでも明るく輝く光の心でいられます。

ポートレイト

2009-04-17 17:24:15 | プロフィール
こんにちは

先日、お約束した私のマルタン・マルジェラのジャケットをご笑覧ください。
私はこのジャケットを蓑虫くんと勝手に名付けました。
もの凄い高度な縫製の技術を駆使して、デニムの表面に洋服地の切れ端(ハイクオリティーな生地)をパッチワーク状に二重にランダムに縫い込んでいて、とっても面白い服だと思います。
電車のなかでは、ジロジロと周りの人から見られて正直言うと恥ずかしいですけど、自分では気に入っている服です(100年くらいは保たせたいものですね)。ちょっとだけ自慢しちゃいますけど、日本では2着くらいしかないんじゃないかな(間違ってたらすみません)。
難点はちょっと気持ち、重量があるかな、という感じですね。
最近は、マルジェラもどきも、ときどき見かけますけど、正直に申しますと品格が違うと思うな。生意気言ってすみません。知性(エトス)を感じられるような人間に一歩でも近づきたいですね(笑)。

これから、川崎市岡本太郎美術館の開館10周年記念展『岡本太郎の絵画』のレセプションに出かけてきまーす!

幼い頃のこと

2009-04-14 17:17:56 | プロフィール
 父の野辺送りをおえた夜、兄弟親戚が一同に会して亡き父のエピソードを中心に昔の珍事がいろいろと話題になった。一瞬、自分の耳を疑うようなことが聞こえてきた。自分は、1歳過ぎて母の実家に口減らしのために(おそらく事実だと思う)2年間くらい預けられていたという話をすぐ下の弟から聞かされたのである。これには、ひっくり返るくらい驚いた。長いこと私自身、重々承知していたことではあるが、自覚症状として、<病んでいた心の根っこ>の問題がやっと氷解した。三つ子の魂百までもという諺がありますが、やっと自分のことを、深層心理の奥深い闇の部分まで掘り下げて理解できるようになってきた(四十数年もかかっちゃいました)。いつも心の中で、危うい奇妙なアンバラスな感覚、少し不安定な精神状態、言葉にならない不安感みたいなもの、あるいは浮遊感。きっと母親の十分な『愛』を受けていなかったに違いないと思いました。無意識のなかで母性愛を求める気持ち、ガラスが割れたような心、心の飢えが絶え間なく消えない微妙な感覚!あ~あ… 
 でも、自分の存在の秘密が少しずつ解き明かされてきて今では良かったなとしみじみ思っています(だからいつも母親に対して無意識に『憎んでいる』、また内心、女性が『怖くなる』ときがあるのは、よく言えないのですが、飢餓、もしくは憎悪と紙一重の感情が脳の中にいつの間にか刻み込まれているのかもしれないと、しみじみ思うのです)。

 意識が存在を規定するのではなくて、社会的存在が意識を規定するというテーゼを想起します。自分を知ること、存在そのもののルーツを辿ること、自分の生い立ちについて、あれこれいろいろと想いをめぐらし、考えることができるなんてほんとに幸せな身分だと思うのです(ありがたい話です)。自分とは、『自』然のなかの一部『分』であるとすると、いずれ肉体は土に還り、天に帰雲すると思うのですが、魂はいつまでも生き続けると私は信じ仰いでいます。いつも人の一生ってなんだろうと想いを馳せます。人の死とは、なんでしょうか。父(人)が死んでも、その人の死は終わっていないと思うのです。父(人)を知っているすべての人々があの世に旅立ち、(誰一人も父(人)についての記憶が)すべて消滅した時に、本当の父(人)の死が終わるのだと思うのです。

わたしの生家

2009-04-10 18:40:03 | プロフィール
 私の生家は、福島県の通称、中通り地方の長閑な農村地帯にあり、はっきり言うと田舎町です。家は、ちょっとした高台というか山の上方にあります。戦国時代に山城が築かれていたみたいで、地名も『館』です。ちっちゃな城があったといわれていて、『二の丸』とか『段の下』という地名が付いている場所があります。元々は、山の一番上の方に屋敷があったみたいですが、少しでも耕作地を増やしたいという昔の人の知恵で、江戸時代には、中腹のあたりに家をつくり替えたようです(ブルドーザーなんかで土地の区画整理をしたときに、江戸時代の生活雑器が地中から出てきたことをおぼろげながら覚えています)。おそらく小さな館(お城)があったみたいで、春山城と呼ばれていたそうです。歴史辞典で一度、自分の家のことが紹介されているのを見たことがあります。おそらく『外敵』が来ても防衛できるように山の頂上に館を造り、北東南は、かなり険しい傾斜地になっていて、西の方は、あきらかに人工的な堀を造った跡がいまでも残っています(鎧返し? 私は幼い頃、大川原家18代目とよく両親と祖母から言われましたね。私の名前は、初代と同じ『有重』と相成ったのです。この名前は、小学生の頃は本当に嫌でしたね。よく同級生から冗談で「アリ死げ!」と地面を這いつくばっている蟻を踏みつぶすような仕草をされましたので。これも無意識のうちにコンプレックスが刷り込まれていく要因かもしれませんね)。でも父親の気持ちを察すると、どうしても文久年間に傾いてしまった大川原家の家運を立て直したい、大川原家再興のために初代の名前をつけたみたいです。家運が傾いた直接の原因は、江戸文久年間に物乞いが来て、食べ物を分け与えたのだそうです。そのときの料理の残り火がもとで、火事になり家が全焼してしまったそうです。そのあとは、広大な田畑の切り売り。もしかしたら、文人趣味かもしれませんが(自分の都合のいいように解釈しています)、あまり働かなかったみたいで、すべて良きに計らえだったようです。きっと小作人もたくさん使って酷使してたんでしょうね。つい最近、判明したことなんですが、父が亡くなる4、5年前に観音寺という真言宗のお寺のお墓の土地が、すべて大川原家の先祖の名義のままなので、お寺のお坊さまから名義を書き換えてほしいと言われ、父は印鑑を押したそうです。何百軒という家のお墓の土地がすべて大川原家の所有地だったなんて、びっくりしちゃいましたね。お墓の土地所有者とかいわれても、困っちゃいますよね。確かに私の家のお墓は、室町時代の五輪の塔が四つほどあり、奉公していた方々のお墓もちょっと離れたところにあります。戒名は先祖代々、院殿居士です。

院御時延元二丁丑歳奥州國司顕家御供士北面大河原源六左衛門尉藤原有重

此間三百年不分

2代 大學

3代 但馬

4代 内蔵之尉

5代 源五郎

6代 三太郎

7代 仁右衛門

8代 仁右衛門

9代 倉之丞

10代 むめ

11代 仁右衛門

12代 三男豊之助平作

13代 三男鉄吾

14代 二男仁助後ニ平吉

15代 喜代多

16代 喜次

17代 正蔵

18代 有重

19代 福寿

以上が大川原家の家系図です。はっきり言ってもの凄い長男の重圧でしたね、この家系図が。
大川原の一族は、みんな大概お人好しで、人を疑うことをしない田舎者です。どちらかというと、騙されやすいタイプかもしれませんね。父は生前、これから紹介する『心の糧七ヶ條』という紙を貼って眺めていたみたいです。

  心の糧七ヶ條

一、 此の世の中で一番楽しく立派なことは生涯を貫く仕事を持つことである
一、 此の世の中で一番さみしいことは自分のする仕事のないことである
一、 此の世の中で一番尊いことは人の為に奉仕して決して恩に着せないことである
一、 此の世の中で一番みにくいことは他人の生活をうらやむことである
一、 此の世の中で一番みじめなことは教養のないことである
一、 此の世の中で一番恥であり悲しいことはうそをつくことである
一、 此の世の中で一番素晴らしいことは常に感謝の念を忘れず報恩の道を歩むことである