大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

ポーラミュージアムアネックス

2010-07-31 10:00:00 | 美術
先日、銀座のギャラリーに向う途中、ポーラミュージアムアネックスに立ち寄り、作家の桐島洋子さんが収集した骨董品の展覧会「桐島洋子 骨董物語」展を観てきました。子育てを終えた50代から骨董収集を始めたという桐島洋子さんのコレクションは、洋の東西を問わずジャンルも広範囲に渡っていて興味深く拝見することができました。かわいい鼻煙皿ははじめて目にしたのですが、使用目的を知りちょっとビックリ!ビーダーマイヤー様式の家具は知っていましたが、ガラス製品も存在しているという事実に驚きました。造形的にもデザイン的にもとてもセンス溢れていて素敵ですね。ロマノフ家が使ったお皿とブローチには悲しい王家の物語と重なって胸に迫るものがありました。桐島さんは隙間産業ならぬ隙間コレクターを自認しておられますが、単なる収集の目的ではなくて身の回りに置き、生活の中で実際に役立てている所謂生活骨董のコレクターであるところが、好感を持てると思います。時間の結晶を大切にしながら「骨董品」に込められている物語への思いも大切にしている気骨ある方のように思います。個人的には、ガラスのコレクションが、割と高い水準のレベルに達していて見応えがあると思います。僕とは趣味趣向が全然違いますが、隙間コレクターの心意気にとても魅力を感じます。幼少期に泰西名画のコレクションに囲まれていたそうですが、家運が傾き、散逸してしまったことがトラウマとなり悔しさのバネになっているのかな、とちょっと深読みしてしまいました。生活骨董コレクターの鑑として尊敬しちゃいます。通勤時の通り道ですので、時々覗いてみようと思います。この展覧会は、☆☆(2に近い1.5☆)でした。

地を這うようにして落ち穂拾いを楽しんで来た。どんなにささやかな骨董も、人生と同じように飽きることのない物語の結晶なのだ。 桐島洋子




ポーラミュージアムアネックス「桐島洋子 骨董物語」

泉屋博古館分館

2010-07-30 14:30:00 | 美術
昨日雨の中、泉屋博古館分館で「近代日本画にみる東西画壇 東京・京都・大阪の画家たち」展を観てきました。正直に言うと、あまり期待していない展覧会でした…。最初に東京画壇の展示室を観て、そのあと京都画壇と大阪画壇の展示室を観ました。印象深い作品は、原田西湖の「乾坤再明」と題するもので特に目を引きました。画題の意味は「天照大神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の粗暴さに憤って天の岩屋に隠れた際、天鈿女命(あめのうずめ)が舞を舞った結果、天照大神が天の岩屋から光が眩く輝き、長命鳥の声を告げる様が描かれ」ているそうです。特に顔のマチエールが素晴らしく、柔和な表情がいいと思います。上島鳳山という大阪の画家の名前は知りませんでした。45歳の若さで亡くなったということと、ほとんど住友家のお抱え絵師だったみたいですね。当時の財界人の近世浮世絵への憧憬を少し感じました。富岡鉄齋の「掃蕩俗塵図」は、割と躍動感あふれていてまあまあいいかな、という印象でした。画面の賛には「塵(俗気)が多くの人の良知をくらましてしまう。我々はこの塵が去らないことを最も嫌う。以後は心上の塵、口上の塵、筆墨の塵、世渡り上の塵を全て掃いのけなければならない」
明の王陽明の文を賛に録す という意味が記されていて、鉄齋の理想の一端を垣間みることができます。とても参考になります。
本展覧会の重要な眼目というかテーマは、江戸=東京は粋、京=京都は雅、大坂=大阪は婀娜(あだ)だそうですが、面白い視点だなと思います。

割とじっくり会場を観て回り、自分が学芸員ならこのような展覧会は百歩譲っても開かないと断言します。いくらなんでも平福百穂と下條桂谷と高島北海の作品は駄作で、美術館で展示すべきではないと自分は考えます。また、富岡鉄齋の水墨画の作品もあまりよくない出来だと思う。展覧会の企画担当の方はどういう方か知りませんが、推測で言うのは大変失礼ですが、もしかしたらあまり日本画を学んでいない人なのかなと疑ってしまいました。美術館の展示というのは、ある意味公的な側面が強いわけですから、美術館の品位という意味について猛省してほしいですね。東山魁夷の作品を2点、隅っこの方に展示していましたが、今回の展覧会の中で他の作品とどういう風な脈絡があるのか説明してほしいですね。全くまとまりのない、美術館としてのプライドを感じられずやる気のなさ十分という雰囲気の漂う展覧会でした。この美術館はいつも来館者の少ないところだと僕は思うのですが、今度から全国の美術館や博物館は年間の来場者数を公表してランキングによる格付けをするのもいい案かも知れませんね。今回の展覧会は、☆でした。


原田西湖「乾坤再明」



泉屋博古館 住友コレクション

幸せな日

2010-07-29 23:15:41 | 日記
朝早く起床し、いつものように読書をしてから一階と二階を雑巾掛けしてshowerを浴びた。無農薬のトマトで軽く朝食を終え、泉屋博古館分館に近代日本画の展覧会を観に出掛けてきた。初めて聞く名前の画家が数名いることに自分の勉強不足を痛感する。急いで銀座のギャラリーにいく。約一年振りにカナダから帰国した友達とランチ。カナダの原住民であるアボリジニの話に驚く。どしゃ降りの大雨だったので近所のカラオケにいく。井上陽水と尾崎豊を10曲歌う。相方はスピッツとヒカルゲンジ…その後、友達と分かれギャラリーに戻る。お客さまが数名来店する。こだまさんの作品をチョイスしてくださった方が来店する。時を同じくして永くおつきあいしているお客さまが下北沢でギャラリーを経営している方と一緒におみえになる。金澤翔子さんの作品に一目惚れして我逢人を購入してくださった。凄く嬉しい。昨日金澤泰子さんから頂戴したDVDを二本観終えて感涙にむせんでいたので…オークション会社の方もいらして近況報告会の様相。お客さまと一緒に近所の
伊達の地鶏を食べる。下北沢のギャラリーのオーナーは三澤憲司さんの作品にも強く関心を示して下さり日本におけるマザーギャラリーを目指す僕としては大満足する1日だった。金澤翔子さんと三澤憲司さんという偉大なアーティストに守られている僕はやっぱりツイテルとしみじみ思った。
追伸
「カエルに似ている」というブログのオーナーであるかぶだよしさんが11月に人間盆栽というタイトルの展覧会を僕のギャラリーで開催します。日本のジェフ・クーンズとして初個展…話しが大いに盛り上がったHAPPYな日でした。

三井記念美術館ー奈良の古寺と仏像ー

2010-07-28 23:50:47 | 日記
午前中三井記念美術館へ奈良の古寺と仏像ー会津八一のうたにのせて―を観に出掛けてきました。「力の込もった素晴らしい展示内容」というのが率直な印象です。会場内には国宝や重要文化財が数多く展示されていて見ごたえ充分でした。特に 唐招提寺の如来形立像のトルソーは美の極地そのもの、思わず息を飲みました。関寺の菩薩半跏像から迸る造形の優美さに心を奪われました。思わず「欲しい!」圧巻だったのは法隆寺の国宝夢違観音…去年韓国にある国立博物館の仏像コーナーの光景を思い出しました。全ての仏像に甲乙つけることが失礼になるぐらい名品が揃っています。僕の尊敬する会津八一の書もいろいろ展示されていましたが、「学規」が最高ですね。今回初めて会津八一は大学時代小泉八雲からギリシャ美術について教わり奈良とギリシャという東西の古代文化の理想に相通じる普遍性を感じ取っていたという指摘を知ったことに驚きました。会津八一はギリシャ美術にあこがれを持っていたこと。奈良の仏教とギリシャ美術が時空を超えて合一し融合する思想を構想していたなんて会津八一は卓越した頭脳と眼力を持っていたように思います。あまりにも素晴らしい展覧会なのであと何回か会場に足を伸ばしたいです。心が洗われます。


無縁社会 ― 孤独死について ―

2010-07-27 18:05:00 | 日記
約6万年前にネアンデールタール人が死者に花を手向けた瞬間からサルが人になったとも言われる(一条真也)

今日は、孤独死問題を考える講演会に出席してきました。講師は密かに尊敬する一条真也さんと、松戸で孤独死ゼロを目指し「いきいきサロン」を開設している中沢卓実さんのお二人。とても中身の濃い講演会で人間の生と死という根源的な問題について深く再考させられました。

孤独死になる人は

①あいさつをしない
②仲間がいない
③身内と連絡を取り合わない
④様々な催しに参加しない
⑤料理が作れなかったり、ゴミ出しもしない

所謂“ナイナイ尽くし”の生活を送っている人が孤独死になっていて、年間2万5千人~3万人(うち70~80%が男性)の人が誰にも看取られることなく亡くなっている。農村では畑の中で倒れたままの人や、都会ではマンションで亡くなっても、マンションの管理会社は「孤独死はなかったことにしている」のが現状だそうです。理由は、マンションの資産価値が下がるということで。経済が発展すればするほど人々の心はバラバラになり孤立してしまう。特に頭がいいといわれているインテリ層の人はあいさつができないし、しようともしない人が多い。結果、社会と関係を絶ち、無縁社会の主人公になってしまう…。社会の中でどうしたら幸せになれるかと考えた時に、今の日本では、人の道を説く方が存在しなくなってしまった。本来はお坊さんが大切な役割を担っていたはずなのに…。一条真也さんは「人は生き物であり、人間は社会的な存在である。人が一生涯を終えて、後に残った人から葬送してもらった瞬間に、人間になるのではないか」とお話ししてくださったことに、僕はとても興味を持ちました。また「不幸がありました。死が不幸です」というのは、世界では日本だけだという指摘にもとても驚きました。

最近、香典を受けとらない遺族の方がいるけれども、「親(故人)がつくってきた人間関係を一瞬で壊すことではないのか。とんでもない話です」という一条さんの強い口調に日本社会の危機的状況を感じました。これからますます孤独死が増加の一途を辿るという状況に、国も深刻に考え、様々な取り組みをしているそうですが、「いきいきサロン」が日本中に開設されるように願うばかりです。「世の中が複雑な様相を呈していますが、いまほど原点に立ち返って考えてみる必要がある。人と人との関わりの中で生き、生かされている。友達を大事にしようよ」という中沢さんのお話は身に沁みました。また「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことをわかりやすく説明する」というお話には、妙に納得しました。講演を聴いていて、一人暮らしの人は、年齢に関係なく孤独死になる可能性があるということを意識して生活しなきゃと、ふと思いました。講演会では、興味深いお話が盛りだくさんでしたが、この続きはまたの機会にしたいと思います。



三つの真実

2010-07-26 17:12:19 | 読書
 今日も午前中本屋さんに行き、何冊か立ち読みしちょっと得した気分になりながら二冊の本を買ってみた。一冊は「三つの真実 野口嘉則」ビジネス社から出ている本で自分が常日頃思っていることがそのまま文章になっているのをみて思わず買ってしまったのです。
 人間は悩んでいるときの理由というのは大概じぶんの中心軸が定まっていない。偉大な人たちは自分の中心軸を持っていたのでピンチや問題が起きてもぶれることはない。真の豊かさを実現するためには自分の中心軸を定めることがとても大切だという指摘。自分の中心軸というのは心の軸と言い換えてもいいように僕は思います。「人生を通じて最も望むものは何か」を明確にする事によって中心軸を定めることができる。人は誰でも幸せであることを心から望んでいる。それでは本当の幸せはなにかと自問した時に大抵の人はその意味を十分に理解できないために寂しい人生を送ることになる。本当の幸せというのは成功することではなくて、人間同士のつながりを求めること、つまり真実の絆を希求する行為ではないのか?。つながりや絆こそが幸せであるためのカギを握るものである。人から認められることが成功でも幸せなことでもない。また、人から評価されることも幸せとは少し違うように思う。人に認められることを目標にするということは周囲の人間の価値観に振り回されること
になるし、目に見える結果によって認められようとすると比較と競争原理の世界に陥ってしまう。人は皆、つながりや絆を求めるけれども人から認められることでつながりや絆を得ようとすると人の価値観に左右され、最後は人を敵にしてしまう事もある。著者は人間の行動の動機というのは突き詰めていくと愛かおそれのどちらかしかないと主張する。大抵行動する時、人から認められたいというおそれからきている。だからこそ、おそれに支配されないためにまず、自分のなかのおそれを認めることが重要である。最近僕は人間が不安とおそれを持つことは幸せから最もかけ離れた愚かな行為だとしみじみ悟っていたのでこの本を読んで我が意を得たりという気持ちになりました。「この世は地上楽園!」という気持ちで過ごす人生はハッピーだと思うのです。


LIFE

2010-07-25 10:00:00 | 読書


『LIFE』
加島祥造 著
パルコ出版


ふとしたきっかけで加島祥造先生と知り合い、様々な著書を読む機会を得たことはとても有り難いと思う。特にパルコ出版から発行されたLIFEと題された本はタオについて簡潔にわかりやすく解説されていて道教のエッセンスを理解するにはとても良い入門書だと思う。「頂点で偉そうにしている人たちは、低いところで謙遜に生きる人が支えているのだ」という一節を読めば気分がスッキリする。また「いま水は濁っていても、いつかは澄んでくる」という言葉には真理の意味について再考させられる。87歳の加島先生はとてもお元気で文人画を深く追求し画境三昧の日々…味わい深い文章と絵筆が調和されていてかなり「いい線」いっていると思うけど。加島先生がお気の毒なのは身内の加島事務所の横柄な存在。自分の親が偉いから自分も偉いみたいに勘違いしている愚か者以下の勘違い人間がいる。隠さないではっきり言うけど僕は加島事務所を好きじゃない。時々芸術家の子供に見かける典型的なタイプの人間。大概芸術家の評判を落とすのは一番身近な存在だと僕は経験上思うけど。大体親子であっても他人でしょ!と僕はクールに考えるけど…僕の周囲の方々も同じように加島事務所のことを思っている。親にぶらさがって生きてるようでみっともない印象…人様に気分を害する物言いをしたり横柄な態度で人を見下すような接しかたをするのは良くないと自分は自戒している。人のふりみてわがふり直せ…これからも加島祥造先生の本は何度も読み返して学び尽くしたいと誓う。完璧な理解は無理かも知れないけど可能な限り努力してみたい。もちろん、不愉快な気分を吹き飛ばしながら…

聴く鏡

2010-07-24 15:05:00 | 読書


『聴く鏡』
一九九四-二〇〇六   
菅原正二 著  出版社 ステレオサウンド


久し振りに菅原正二さんの本を読み返している。一関市で40年間ジャズ喫茶「ベイシー」を営んでいる方のアナログレコードとオーディオに対する想いを綴った文章…音に対する徹底したこだわりはお見事!と同時に美しい音を創造することに執念を燃やす姿勢は尋常じゃないと僕は思う。レコードを演奏するということは凍結された「時」を現在に解凍して解き放つことを意味し、その時、今の空気と凍結された時の空気が衝突し合う。古今の空気がぶつかり合う渦潮の真っ只中に巻き込まれた状態がレコード音楽を聴いている状態であると著者は主張する。モノにこだわる人に対してキチガイ、変人呼ばわりするのは理不尽という以前に単に認識不足であるという著者の考えにおもわず同感する。「聴く鏡」を読み返してみると学ぶことが沢山ある。実際に一関市のベイシーに行けばオーディオプレーヤーの臨場感に圧倒される。つい最近、知人が八桁で購入したというオーディオプレーヤー一式を消費税以下で譲りたいと僕に電話がある。思わずベイシーのオーディオプレーヤー特にスピーカーが瞼に浮かんだ。誘惑に弱い僕…真夏の夢遊病でついついアナログレコードの世界に足を踏み入れそうです。話しは横道にそれたけど中尊寺に参拝しながらベイシーにジャズを聴きにいくのも結構楽しいかも。音の達人に出会えるよ。魂の乗り物である本物の音に触れることが可能なジャズ喫茶です。

オルセー美術館展2010「ポスト印象派」

2010-07-23 10:00:00 | 日記
 先日、とても猛暑でしたのでもしかしたら美術館に来る人が少ないんじゃないかな、と思い国立新美術館に再度訪れてきました。案の定、前回とは打って変わって来場者がとても少なくてじっくりと名画の数々を鑑賞し至福の時間を過ごす事ができました。セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホの作品の中に優品があり、改めて名画のパワーに畏怖の念を感じました。ゴッホの『星降る夜』はどうしても見ておきたい作品でした。かなり以前オルセー美術館で見たことがありますが、久しぶりに対面できてラッキーでした。昨年はオランダのクレラー=ミュラー美術館で『夜のカフェテラス』1888年、アルル を拝見したのですが、『星降る夜』という作品と並べて展示されたらとても素晴らしい、奇蹟のような出来事でしょうね。猛暑の夏に美術館で絵画鑑賞というのは結構楽しいかも。でも暑すぎて頭がいまいち働かないのは僕だけかな?

星空

……でも星空を見ていると、地図で町や村を表す黒い点々を見て夢見るのとちょうど同じ素朴な夢を見る。……タラスコンやルーアンへ行くのに汽車に乗るとすれば、星に行くには死ねばいい。この理屈で確実に正しいのは、生きている間は星へは行けないのと同じで、死んだら汽車には乗れないということだけだ。
ゴッホからテオへの手紙 1889

ゴッホは、「これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜の絵だ」
     「そう、星空、これは僕がなんとか描いてみたいと思っている」
     「夜の光景や効果を即座に描くこと、夜そのものを描くことに、僕は非常な興味を覚えている」


オルセー美術館展2010「ポスト印象派」

    

  

何故読書するのか

2010-07-22 16:43:54 | 読書
 毎日猛暑が続き思考が停止しそうな状況に陥り、ついつい愚痴や泣き言を言いたくなりそうになりますが、安岡正篤さんの言葉を思い浮かべ、自らを叱咤激励して読書という精神労働、というか柔軟な思考とより広い世界観や哲学を深めたいと毎日考えています。今年は年初に600冊の読書をすると宣言しているので気負わないで淡々と目標の実現に向けて、日々粛々と前進あるのみですね……読書のモチベーションが今いちの時は一条真也さんの読書論やブログをみていい意味で刺激を受け自分も頑張ろうという気持ちになります。一条真也さんからいただいた、『面白いぞ 人間学』一条真也著 到知出版社 もとてもわかりやすくクオリティの高い書籍を101冊紹介していて、思わず読みたくなりますね。三月中旬から約三ヶ月間約600ヶ所のギャラリーと、古美術店、様々な美術館廻りに真剣に取り組んでいたので本を読むという行為をおろそかにしていた面は否めません。これから、ペースをあげて読書しないと年内の目標に到達しないかも。とりあえず、原点に返って何故本を読むのか、その必要性と動機について、冷静に内省し自己分析しながら本に追われない読書の楽しみ方を自分なりに模索したいと思っています。



「読書して疲れるようではまだ本物でない。疲れた時読書して救われるようにならねばならぬ」安岡正篤



ミニ白神

2010-07-21 18:57:58 | 旅行
                   

先日、ぶらっと青森のミニ白神を散策してきました。気分的には井伏鱒二さんの『こころさわがば旅に出でよ』という心境でした。記憶に間違いなければミニ白神には四度ほど訪れました。森を散策するにはちょうどいいコースで、ブナ、ミズナラ、ドングリや栗、トチノキ等の広葉樹林がうっそうと茂っていて、いまの時期はとても心地よいです。下の画像は携帯で撮影したものですが、なんとなく白神山地のさわやかな光景を感じてもらえるのではないでしょうか。
江戸時代から田んぼの水を確保するために伐採を禁じていて、地元の人にとても大切に守られ『官地民木』という形態で今日までずっと保護されてきたそうです。中には樹齢二百年以上のブナの木もあり、気分転換には最高のお散歩コースだと思います。鯵ケ沢駅から車で一時間くらいの少し不便な所ですが、一度たずねてみる価値はあると思います。近くには『嶽きみ』というとても美味しいトウモロコシの名産地区があります。白神山地がとても綺麗に一望できる場所がありますので、是非たずねてみてください。ペンションワンダーランドが特におすすめの宿です。オーナーもとても親切な方で地域づくりに奔走しています。


     

2010-07-20 22:30:00 | 日記
今日は、翔子さんが突然銀座のギャラリーに遊びに来て、楽しい時間を過ごすことができました。日本橋の泰書会の帰りに寄ってくださったみたいで、とても元気にミュージカル美少女戦士セーラームーン「 La Soldier」を何度も何度も振り付けをしながら踊ってくれました。ギャラリーはまるでカラオケルームのようになってしまい賑やかでした。みんなでときどき、翔子さんから絵を描いてもらったり字を書いてもらいました。たまたま般若心経展で「行」という字を買ってくださったお客様も同席し、心という字を書いてもらいニコニコ顔で銀座の街なかに消えていきました。今日は連休明けでイマイチやる気が…でも1日があっという間に終わってしまいました。ラッキーなこともいくつかありました。明後日のフジテレビで翔子さんが出演するみたいです。「奇跡体験!アンビリバボー」という番組です。僕はテレビがないので…よかったらビデオ録画宜しくお願いいたします。



学縁 2

2010-07-19 17:58:20 | 日記
自分にとって青春時代同志社に入学して一番良かったことを一つあげてみたら、良心碑に出会ったことかなと思う。構内で「良心之全身二充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来ラン事ヲ」という碑を何回も読み返したことは感謝の気持ちで一杯です。東北の片田舎から京都に行けて本当に良かったと思う。

学縁

2010-07-19 17:33:38 | 日記
20数年振りに同志社此春寮の同窓会に出席してきた。最初のうちは誰が誰だかよく判らなかったけど、暫くして顔の面影と輪郭で名前が浮かんできた。青春時代に京都で学生生活を過ごせたことは感謝の念にたえない。割と優秀な先輩と同級生に出会えたお蔭で今日の自分が存在していると考えている。読書とアルバイトに明け暮れた日々を思い出す。とてもお世話になった寮母さんが今年の始めに亡くなり追悼の意も込めて今回集まって近況報告をしたけど皆元気そうで安心した。寮にも訪問したけど設備が良くなり隔世の感がした。寮母のママチンが少女のような穏やかな顔で永遠の眠りについたという話を伺ってほんの少しだけ安心した。言葉にならないくらいお世話になったので今でも頭が上がらない。経済的な成功と人生の成功をダブルで実現することが真の恩返しだと自分は心に誓って生きて行きたいと思う。

2010-07-18 02:35:12 | 日記
昨日は金沢翔子さんのお宅にお邪魔して色々書について率直に金沢泰子さんと意見を交換した。また10歳の時の般若心経の書を見せていただき有意義な時間を過ごすことが出来た。僕のギャラリーで開催された般若心経の書の展覧会で評価が分かれた10歳と 25歳の書について改めて考えさせられた。正直僕も悩んでいる。書の専門家なら迷わず25歳の書を高く評価するかも…
でも10歳の時に涙を流しながら書いた般若心経の書はまるで金農の書に似ていて、感動する。神様の字に見える穢れのない純粋さを感じる。21世紀にこんな優れた書家に出会えてとても嬉しく思うし、感謝の念で一杯です。近いうちに10歳の般若心経の書をご紹介したいと思う。それにしても金沢翔子さんへの展覧会の要請が多いのには改めてびっくりした。