大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

たいこどんどん

2011-05-19 15:00:00 | 能・歌舞伎
 先日友達からお芝居のチケットを頂きました。3時間以上にわたるお芝居であることは会場に行ってから気付きました。何の知識もない状態で出かけたのですが、想像以上に泣きそうになったり、大笑いしたりの繰り返し…舞台の展開がスピーディであっという間の3時間でした。「どう生きていくかだけですよ」「何も変わりはしませんよ」というラスト近くの台詞がとても印象深かったです。かなり気分転換になりました。たまにはいいですね。古田新太さんの演技が抜群に冴えていたと思います。

たいこどんどん
『天保十二年のシェイクスピア』(05年)以来、『藪原検校』『道元の冒険』『表裏源内蛙合戦』と、井上初期作品に新たな命を吹き込み、エネルギッシュな舞台を世に送り出してきた蜷川幸雄が挑む第五弾!
本作品は井上ひさしが直木賞受賞後の第一作として書いた小説「江戸の夕立ち」をみずから劇化、75年に放った快作です。
江戸日本橋の薬種問屋の若旦那・清之助と、忠実なたいこもち桃八が、ひょんなことから漂流して、拾われた船に連れて行かれたのが東北・釜石。各地を転々とする九年の珍道中がここから始まる。二人には思いもかけないような災難が次から次へと降りかかる。流れ流されたあげくようやく「江戸」に戻ってくると・・・。
若旦那にどんなに裏切られても無償の奉仕を続ける幇間・桃八。社会は激変していっても根本的なところで「なにも変わっちゃいない」日本への静かな怒りや、時代に不意打ちにされつづける大衆への提言。歌や、踊り、お座敷芸など笑いがあふれるエンタテインメントの底には、庶民に向けられる作者の視線が2011 年にもまた同じ強さで光り続けます。



古田新太
確固たるポリシーがあって、携帯電話は持っておらずアナログ人間の側面も持つ。


坂東玉三郎 『阿古屋』DVDをみて

2011-01-31 18:09:47 | 能・歌舞伎
 先日久しぶりに『阿古屋』をDVDで見ました。平成14年に歌舞伎座で催された内容なのですが、錚々たるキャストが勢揃いしていてとても素晴らしいな、とあらためて感動しました。先日ル・テアトルに出演しているキャストとは格が違うと再認識したというところが正直な気持ちです。特に成清役の市川弘太郎さんの演技は役不足という感じがするのですが…玉三郎さんだけが約10年という歳月がすぎてますます格段に芸を極めている,というのは素人がみても一目瞭然ですね。DVDというのは臨場感を得るというのにはいまいち物足りない面は否定できませんが、「記録として保存されている動かぬ証拠である」という面も明白ですので、歌舞伎を比較検討する上では有効なツールではないでしょうか。


壇浦兜軍記 阿古屋(だんのうらかぶとぐんき あこや)

出演:坂東玉三郎 中村勘九郎(現・勘三郎)ほか

収録:平成14年 歌舞伎座

坂東玉三郎 阿古屋にて たかが手ぬぐいされど手ぬぐい

2011-01-29 10:00:00 | 能・歌舞伎
 先日玉三郎さんの『阿古屋』で手ぬぐい投げがあり、生まれてはじめて見事キャッチすることができました。2階のボックス席なので手ぬぐいはこないだろうな、と思っていたのですが僕の目の前に手ぬぐいがすっ飛んで来たのです。諦めと同時に期待もしていない手ぬぐいをキャッチできるなんてやっぱり嬉しいですね。手ぬぐい投げの正式な名称は知らないのですが、詳しい方がいたら教えてほしいです。今年は縁があって『阿古屋』を3度も観ることができました。3度目に見事手ぬぐいをキャッチできた事は、3度目の正直というのでしょうか。

 

 
手ぬぐいをひらいたところです。


関連記事

阿古屋①  阿古屋②

坂東玉三郎の阿古屋

2011-01-18 11:52:00 | 能・歌舞伎

奇蹟の女方なんていわれると面映いです。真面目に取り組んできた女方の軌跡なら語る資格があるかもしれない。ただ、とはいえ『よく生きよう』と念じるだけで『生き尽くした』わけではなく、決して『極められる』わけではない。資質とは自分にはわからないもので、今でも、舞台がうまく勤められなかったときは、自分には資質がないのだと気が沈みます」坂東玉三郎の言葉

坂東玉三郎さんの阿古屋を1月1日は12列目、6日は6列目(花道のすぐ近く)、15日はボックス席で3度観る機会を得ました。以前も2度程歌舞伎座で観たことがありますので多少は阿古屋について語る資格はあるかもしれません。坂東玉三郎さんはとても心の美しい方であると同時に大変謙虚な方だと僕は思います。役者としての繊細な心づかいは歌舞伎役者の中で筆頭に位置する方ですね。理想的な芸に一歩でも近づくために常に厳しく自らのモチベーションを維持しているそうですが、おそらく想像するに彼の日常の全てがアートであり、歌舞伎の名手として孤高の領域に達しているように思います。琴、三味線、胡弓の中で彼は「自分は左利きなので三味線が一番難しい」と述べていますがおそらく本音は違うように推察します。2階のボックス席でじーっと見つめていて気付いたのですが、きっと琴の演奏が難易度が高いように察しました。世阿弥は『花鏡』という書物の中で「一切芸道に、習ひ習ひ、学し学して、さて行なふ道あるべし」と述べておりますが、玉三郎さんは世阿 弥の芸への知見を現代に復権した大変な偉人だと考えます。玉三郎さんと同時代に生きていることの幸運と同じ日本の地で呼吸できることのありがたさを日々感じます。今回は三ヶ所から玉三郎さんの芸を観るなかで様々な発見が有りました。いづれ又の機会に述べてみたいです。

   

 

坂東玉三郎公式HP


ル テアトル銀座 坂東玉三郎 特別公演をみて

2011-01-12 15:39:06 | 能・歌舞伎
「今はこれをやり遂げなくては次の世界に行けないという厳しさが足りないのではないでしょうか。親が作ったものを食べない。手軽に食事をとろうと思えばコンビニで済ませることができるし、お腹がすいても御飯が炊けるまでじっと待っていなくちゃいけないという生活が少ないのです。学校、家庭でも叱られるのが少なくなってきていると聞きます。弾けるまで弾こうと修練するということがない。修業ができない時代というか、ひたすら耐え、我慢ということを覚えないと前には進めないものだと思います」坂東玉三郎の言葉

今年は1月1日、6日と坂東玉三郎の趣向を凝らしたお芝居を観る機会を得ました。玉三郎さんは「ロビーの飾りや、お正月にお客様をお迎えするためのしつらえなど、劇場スタッフと一緒に考えました。」と述べている通りル テアトル銀座の会場は繭玉が綺麗に飾られていて賑々しい趣向が凝らされていました。お正月気分を十二分に堪能できました。阿古屋は以前二度程観た記憶があります。今回の数ある女方の役の中でも屈指の難役である阿古屋に至高の芸の凄みを見せつけられる思いがしました。「琴は九歳、苦手だった三味線が十四歳、胡弓は十八歳が手始めだったが、三年間一日も欠かすことなく研鑽を積んだ末に習得し、高みを極めたプロセスは執念だった。」歌舞伎は「歌(音楽)、舞(躍り)、伎(芝居)」が三位一体になった総合芸術だそうですが、玉三郎さんは超人もしくは天才だと僕は思います。「けっして妥協しない、けっして諦めない、最善を尽くす玉三郎さん」と同時代に生きていることの喜びをいつも感じます。「単にお客様が喜んでくださることを考えているだけ」と謙虚な姿勢を崩さないところもとても素晴らしいと思います。艶やかな歌舞伎の衣装も見応えがあります。「シルキーな美しさ」を感じますね。

  

  

 

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ル テアトル銀座
坂東玉三郎 特別公演
中村獅童 出演

平成23年1月1日(土)~20日(木)


一、壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)

  阿古屋

             遊君阿古屋  坂東 玉三郎
             岩永左衛門  市川 猿 弥
            秩父庄司重忠  中村 獅 童


二、女伊達(おんなだて)

                    坂東 玉三郎


『芸三代』

2010-09-03 18:22:00 | 能・歌舞伎
 
『芸三代 心を種として 能楽師 関根祥六・祥人・祥丸』
関根祥六著 広瀬飛一写真 出版 : 小学館スクウェア


初めてお能を観るようになってからもうかれこれ二十年近い歳月が過ぎようとしています。お能の見方を誰かに教わったわけでもなくて全くの自己流で、なんとなく好きだから、気になるからという単純な動機でお能を観つづけてきました。
多い時は1年間に能楽堂で五十の演目を意識的に観る機会を得ました。昨年、関根祥六さんの演ずるお能を国立能楽堂で拝見し、幽玄かつ華美な世界を目の当たりにし、深遠な能の世界になお一層魅了されてしまいました。その場で『芸三代』という関根祥六さんのサイン入り本を国立能楽堂の書籍売場で檜書店の会長さんから求め、何度も何度も読ませていただきました。二十年近く能楽堂に通い、ようやくお能の楽しみ方について理解を深めるきっかけとなったのです。と同時に本書は、世阿弥の教えを忠実に体得し吸収することによって、一般の人々にもわかりやすくガイダンスしてくれる良質な書物であるという印象を受けました。
今年6月に悲しい出来事が『芸三代 心を種として 能楽師 関根祥六・祥人・祥丸』のなかに登場してくる方の中に降りかかり、とても悲しく思います。僕にとっては『芸三代』という本は、お能と世阿弥の世界観を現代に復権した重要な書物だと認識しています。この本の頁を開くたびに深く哀悼の意を表したいと思う日々です。わずか1年も経たないうちに一冊の同じ本を読み進む中で、楽しみながら頁をめくることから同じ頁をめくるごとに悲しくなる経験はしたことがありません。読書というのは、時間と状況によって喜怒哀楽の感情が複雑に交差するんだという体験をはじめてしました。いずれにせよ『芸三代』は、世阿弥の心とDNAを今日的に継承した素晴らしい書籍であり、日本の伝統文化の良質の遺伝子を体現していると信じています。同じ本を3冊求めました。


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以下、メモ
盲目の武者で「体はほとんど動きませんが心は激しく動く。そういう曲に、内面のおもしろさを感じるようになりました」と取材で(関根祥人さんは)語っていました。

歌舞伎座解体に思う

2010-03-29 14:31:07 | 能・歌舞伎
 昨日は久しぶりに歌舞伎を見てきました。坂東玉三郎さんの演じる巴御前は、とても艶やかな姿でした。衣装も豪華で玉三郎さんのこだわりを感じました。あと一ヶ月で歌舞伎座が解体消滅するのはとても残念を通り越して憤りを感じます。私の周りでは、歌舞伎座の解体について賛成する人は誰一人いません。たいがいの人は、「どうして壊すんだろうね?」と首をひねっています。国立劇場や新橋演舞場で歌舞伎をみても特別感動しないような気がするのは錯覚でしょうか。歌舞伎座で歌舞伎をみるというのは、『日本らしさ』の残っている建物の外観と会場の独特な雰囲気も含めて、『歌舞伎を楽しむ』ということではないのでしょうか。日本の重要文化財の消失と言っても過言ではないと思うのですが…。マスコミでも歌舞伎座の解体について、反対の意思表示が表面化していないように思うのですが、とても不思議です。高層タワーが作られ、その一角に新しい歌舞伎座が入居するそうですが、歌舞伎の人気は後退するような気がします。おろかな、経済功利主義者が愚行をくり返す日本の哀れな姿だと思います。歌舞伎役者の誰一人、歌舞伎座解体に反対の声を上げない、もしくは声を上げることを許さない歌舞伎界もお気の毒だと思いますが、日本人の貴重な財産が消えるんだな、と思うとすごく残念です。新しい建物は、大変高名な建築家の設計だそうですが、単なるお金儲けのくだらない人間として、きっと歴史に名を残すと思います。京都の南座でこれからは歌舞伎を見ようかな、と思っています。

御名残三月大歌舞伎

お能 (2月公演)

2010-03-02 18:00:00 | 能・歌舞伎
 2月は、3回ほどお能に見に行くことができました。僕の十数年来のライフワークである能楽鑑賞に対する態度というか姿勢は主体的かつ能動的なものにしようと、今年ははりきっています。ですから当然能の歴史的な成立を考慮することで、時代精神を追想し、深いレベルで「能楽」の真髄やエッセンスを把握したいと思っています。最近お気に入りの本は『世阿弥能楽論集』あすなろ出版 刊 の小西甚一さんの本。一日には一度必ず音読しています。世阿弥の文語体の文章と小西さんの口語訳を声を出して読んでいるのですが、とても脳を刺激してくれて、知的好奇心を向上させてくれるような感じがします。2冊所有しているので、自宅と職場で時間が空いたときになるべく手にとっています。かなりの良書ですね。


『風姿花伝 第三問答条々下』

「公案を究めたらん上手は、たとへ能は下るとも、花は残るべし。花だに残らば、面白き所は一期あるべし。されば、真の花の残りたる為手には、いかなる若き為手なりとも、勝つことはあるまじきなり。」

ー上記の訳ー
この理を究めた上手ならば、たとえ腕は衰えても、花はいつまでも残るであろう。花さえ残るならば、芸の魅力は、生涯あるにちがいない。だから、真の花が残っている役者に対しては、どんなに若さの充ち満ちた役者でも、勝つことはむずかしい。

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国立能楽堂 2月公演
詳細はこちらからお願いします。

2010年2月3日(水)
定例公演
狂言 『節分』(せつぶん) 高澤祐介(和泉流)
能  『朝長』(ともなが) 浅見真州(観世流)

2010年2月13日(土)
普及公演
解説・能楽あんない なげきわび―入水する女たち― 久冨木原玲(愛知県立大学教授)
狂言 『千切木』(ちぎりき) 茂山千五郎(大蔵流)
能  『浮舟』(うきふね) 関根祥人(観世流)

2010年2月19日(金)
定例公演 
狂言 『鶯』(うぐいす) 野村万蔵(和泉流)
能  『藤戸』(ふじと) 豊嶋三千春(金剛流)




能 朝長

2010-02-04 10:00:00 | 能・歌舞伎
 昨日は国立能楽堂で 『能 朝長』 を観ることができました。『平治物語』を題材にした演目です。前シテは「青墓の遊女宿の長者、女主人」で後シテは「源朝長」(若冠16歳の若武者)。
前場と後場でシテの役が異なる演目です。女主人の能衣装はとても絢爛豪華で、言葉に形容できないくらい美しいものでした。日本の能衣装の素晴しさは世界最高だと改めて思いましたね。心で舞い、心で謡うお能は何度観てもいいですね。かなり長い曲目でしたが、とても楽しく濃縮された時間を過ごすことができ,幸せな気分になりました。(時々居眠りしてしまいましたが、『能 朝長』 は正面席のほうがよさそうですね。)

 休憩時間に『能楽師 関根祥六、祥人、祥丸 芸三代 心を種として (小学館スクエア)』を買い求めました。昨年も一冊購入し、5、6回読んでいたのですが、今回同じ本を買い求めてしまいました。定価3000円。とてもクオリティの高い能楽入門書だと自分は思います。日本の伝統文化を理解する上で、とても参考になります。良かったら本屋さんで手に取ってみてください。写真も文章も素晴しいですよ。


狂言 節分(せつぶん) 高澤祐介(和泉流)

能  朝長(ともなが) 浅見真州(観世流)

             
                                          浅見真州さん

お能 鉢木

2009-12-22 13:03:41 | 能・歌舞伎
 先日のお能は金春流シテ櫻間金記ワキ福王茂十郎の両名人が出演。鉢木という演目。大雪の夜、常世という貧しい武士が旅僧に、家宝の梅、松、桜の鉢木を薪にして自宅を一夜の宿として真心を込めてもてなす物語。シテの櫻間さんのシャープな舞と語りは独特の風格と凄みを感じて思わず引き込まれ、緊張してしまいました。多分年内最後のお能の観賞。直面のシテは素晴らしいな、と常々感じます。今年は約40の演目を観賞できました。15年位お能の観賞をしていますがひとつのメルクマールとしてお能に向き合ういい年でした。
 来年はもう一歩も二歩も踏み込んで、能の歴史的な背景や能衣装、詞章を自分なりに研究して深いレベルで理解したいと考えています。お能を鑑賞することによって日本人としての誇りをしみじみ感じています。

野村四郎 2

2009-12-17 15:00:00 | 能・歌舞伎
当時の結崎座は鬼の能を得意とし、写実的な芸だった。そこに観阿弥は、曲舞からリズムを取り入れ、さらに世阿弥は同時代の田楽師・増阿弥の芸を摂取、謡と舞を芸術的に高め能を完成させた。競合する芸能さえ貪欲に摂取する姿に、新興芸能が生き残りをかけた必死の戦いを感じます。

野村四郎 1

2009-12-15 15:00:00 | 能・歌舞伎
上掛りの特徴は、謡を重視し、舞や所作はおとなしく内面的な描写を大事にします。それに比べて、下掛りは舞や所作を強調する特徴があります。観世と宝生の謡は、学究的に調べていくと類似点が多いですが、宝生流に比べて観世流の謡は高い調子で、女性的。発生も気張らず柔らかです。

能楽師の言葉 24

2009-12-12 12:00:00 | 能・歌舞伎
心を種として 言葉の花 色香に染まば などかその風を得ざらん

これは能の「関寺小町」という曲に出てくる言葉です。七夕の日、子供たちが笹の葉に願い事を書くために、和歌が上手だというおばあさんのところに歌の詠み方を教わりにいく。それが実は年老いた小野小町で、その時小町がいわれた言葉です。

関根祥六の言葉