一話よりも面白かった。そしてアニメよりも面白かった。ところで、因幡が全部砂漠って、いったいどこの世界の話なのか。。。
Vシリーズ第5弾は森さん大好き飛行機が登場。アクロバット飛行中に起きた殺人事件に巻き込まれる。
練無と保呂草がそれぞれ独立に事件に深く関わっていく。意味の分からない事象がたくさん絡みあって全体像が見えなくなってきたところで、紅子がいい感じでまとめてしまう。まあ、でもダイイングメッセージだけは、そんなバカなって思ってしまいました。
そんな感じで、Vシリーズ中締めでの今作は練無の私情がからみ、なんだか盛り上がった感じですね。紫子と練無はこれからどうなるのかも楽しみです。
やっとカリスウェンが助かったと思いきや、今度はドラスウェルクに危機が迫る。ティーエ、カリスウェン、グラウルやターリス、ラスカーンたち総力をもってドラスウェルクの肉体を取り戻せると思いきや、もうちょっとのとこでレスドゥに連れ去られてしまう。
さあ、大陸を救うため、そしてドラスウェルクを救うためにティーエはローダビアに行くことを決意するのだった。
先にアニメを7話くらいまで見た段階でこの原作読みました。そうですね。かなり面白かったですね。真庭蝙蝠の奇人ぶりはいかにも西尾さんらしいわけわからん感じだったが、昔の話だということと忍者ということで、まあ、いいかって感じでした。
16世紀の思想家マキアヴェッリの言葉を抜粋して集めた作品。最初の「読者に」だけが塩野さんの言葉であり、本文は全てマキアヴェッリの言葉をそのまま載せることに尽きている。これまで塩野さんの作品を読んできた者としては物足りなさを感じてしまう。
そして、この種の目的のためにいかなる非常手段が持ちいられようと、非難さるべきではまったくない。結果さえ良ければ、手段は常に正当化されるのである。(110ページ)
武装せる予言者は、みな勝利を収め、非武装のままの予言者は、みな滅びる。(148ページ)
「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものだった」(209ページ)
ところで、フランクに話をかわすという表現が使われていて気になって調べたのだが、これって語源はやっぱりフランク族なんですね。率直で飾らない感じの民族だったそうです。
忘却探偵シリーズ第6弾。3度目の厄介くんの語りです。囲井都市子という女性がこれまでに付き合った男性6人が全て破滅してしまっているという謎を解き明かす。
昨日の今日子さんから今日の今日子さんへの嘘メッセージは、まあ自分自身を騙すことができるのか。厄介は今日子さんと付き合うことができるのか。
解説の人が書いていた。人間が生きていくことの難しさがこの作品の骨子であると。そのように深く重いテーマであるのに明るい作風の中にさりげなく散りばめている手法が素敵であると。まあ、そうかもしれないが、私が思ったのは違うことだ。そして、私の考える方がもっと単純に素敵だと思う。つまり、
森さんはこの本のタイトルと英語のサブタイトルによるダジャレを使いたかった。だから、ストーリーにもタイトルの雰囲気が出るようにしたかった。
え?がっかりな感想だって?そうかな、やっぱり。
魔性というワードはピンとこないですね。
ああよかった。と誰もが思うような結末でしたね。ただ、ここまで無駄に遠回りしてしまった感はありますが、まあよいです。とても長かった太陽帝国編は完了し、次は旅立ち編を経てローダビア編に突入するようです。
あれ?そういえば大地の書はどうなったの?
コンスタンチノープルの陥落、ロードス島攻防記に続く三部作の完結編だそうです。何が共通しているかといえば、ルネサンス期であり、地中海世界での戦いであり、キリスト教とイスラム教の戦いであること。そして、この戦いののち、ヴェネツィアもトルコも結局は歴史の表舞台からは置き去られるのだそうです。そう、舞台は大西洋へと向かっていくのですから。
シリーズ第5弾は再び短編集。退職願と関係あるのは最後の話のみです。「これの、ここを消してから、職場以外の寝床で、ぐっすり寝ればいいだけなんですから」