http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/stoka/stoka.htm
【ストーカー規制法】とは 平成12年★5月18日、第147回通常国会において「ストーカー行為等の規制等に関する法律(ストーカー規制法)」として成立
【清水潔】 (ジャーナリスト)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索 清水 潔(しみず きよし、1958年 - )は東京都出身のジャーナリスト。
略歴 [編集]写真専門学校を卒業。新聞社写真部、新潮社「フォーカス」編集部のカメラマンを経て記者となる。以後、日本全国の事件を専門記者として取材。「フォーカス」休刊後、日本テレビ報道部記者になる。
1999年、埼玉県の桶川ストーカー殺人事件では警察より先に犯人を特定し報道した。その後、埼玉県警が被害者から告訴状を受理しながら、ほとんど捜査をしていなかった事実も暴いた。この事件は警察の怠慢な捜査も発覚した事件でもある。被害者とその家族は、幾度となく埼玉県警上尾警察署に相談し告訴状を提出していた。しかし警察側は捜査をせずにこれを放置し、被害者の家族に告訴の取り下げを要求した。この警察の不正は週刊誌フォーカスで清水記者が明らかにした。
2000年 フォーカスで埼玉県警不正キャンペーンが行なわれる。鳥越俊太郎も参加し、結局、埼玉県警は不正捜査を認めて謝罪することとなった。その後、遺族が埼玉県警を相手に国家賠償請求訴訟を起こすことになった。改ざんに関わった署員は懲戒免職になり、のちに有罪判決を受けた。
2005年 日本から海外逃亡した強盗殺人犯を追跡しブラジルで発見する。犯人はその後逮捕された。
2007年より、1990年5月に起きた足利事件を追跡。確定していた無期懲役囚は冤罪ではないかと、捜査の矛盾点や謎を継続報道し、DNA再鑑定を行うべきと提起し続ける。
2009年6月に、日本で初めて行われたDNA再鑑定により、不一致だったことが判明、受刑者は釈放された。 足利事件の取材は北関東連続幼女誘拐殺人事件の一環として始まった。群馬県・栃木県の県境付近では1979年以降、幼女の誘拐事件が起きている。4人の幼女が死亡し、1人が失踪する事件の計5件の事件が発生、これを同一犯による連続事件として考え、報道を行なったところ、唯一解決していた足利事件の冤罪が判明した。
2010年 文藝春秋10月1日号から数ヶ月にわたって『私は真犯人を知っている』と題してレポートを開始。同誌によると、清水記者は2007年に足利事件についての取材では、真犯人と思われる男を目撃した目撃者とその目撃証言の掘り起こしをし、足利事件の真犯人を特定。それを根拠に菅家の冤罪報道を行なっていたことを公開する一方で、足利事件の真犯人を特定し捜査当局に伝えている。
2011年 文藝春秋年4月1日号『これが真犯人の根拠だ!』で、清水記者が追い続けてきた男のDNA型が、足利事件の真犯人のDNA型と★一致することを明らかにしている。
事件の再鑑定を行なった筑波大学の教授の鑑定結果と★完全に一致していたという。
被害者遺族側にも立ち、その心理や感情を世に伝えるような取材と執筆、報道を行っている。朝日新聞「人」欄によると、いつも山登り用の靴を履いてる。
【ザ 世界仰天ニュース】 1999年1月、この日成人式を迎えた一人の女性、猪野詩織さんは、両親に祝福され幸せそうだった…しかし、この僅か9か月後、埼玉県JR桶川駅前で待ち伏せていた男にナイフで刺され、21年の短い生涯を終えた。
後に、この事件は★「桶川女子大生ストーカー殺人事件」としてセンセーショナルに報道されたが、実は、この事件の裏側には警察の信じられないずさんな捜査と卑劣なねつ造行為があったのだ!
殺される7か月前、詩織さんと高校時代から仲のよかった先輩・島田さん(仮名)は、詩織さんに呼び出された。それは、「松井誠」という名前をメモしておいてほしい、もし自分が殺されたらコイツが犯人だから、ということだった。島田さんは、半信半疑で「松井誠」という名前を手帳に控えた。この日から、島田さんは詩織さんの身に起こる出来事をすべて記録していくことになる…
詩織さんが「松井誠」と出会ったのは、大宮駅のゲームセンターだった。松井は、車を販売する会社を経営していると名乗り、そして、2人の交際は始まった。ここから松井の異常な実態と詩織さんへの執念があらわになっていく!まずは、詩織さんへのプレゼント攻撃から始まり、それを断ると逆上。またある日、松井のマンションで偶然隠しカメラを発見し、詩織さんがなぜかと聞くと、急に松井はキレ、彼女の顔スレスレに壁を殴り続けた。やがて、携帯には松井から30分おきに電話が…詩織さんを1日中監視するようになった。実は、松井は…車のディーラーなどではなく、池袋でモグリの風俗店を何店も持つ経営者だったのだ。そして詩織さんは松井に別れ話を持ちだしたが、松井は、なんと詩織さんの父親、家族までを危険な目にあわせると脅し始めた!またある日には、突然見知らぬ2人の男と共に家に上がり込み、松井がお店の金500万円横領したのは、詩織さんが松井をそそのかしたせいであり、詐欺だと訴えると…両親に松井の事を隠していた詩織さんは、これまでのいきさつを全て話した。そして、詩織さんと両親は所轄の埼玉県警上尾署を訪ねたが、全く相手にされなかった。そんな中、さらに松井は、金で動く男たちに、詩織さんの自宅周辺、大学、大学の最寄り駅にまで「中傷ビラ」をギッシリと貼らせた!詩織さんが上尾署に駆け込んでも、警察の対応は消極的なものだった。それでも両親は詩織さんを励まし続け、最初に警察を訪れてから1か月半後…ようやく告訴状が受理された。これによって警察は、一定期間に捜査を行うなどの義務が生じることになる。
詩織さんは捜査に期待したが…刑事第2課課長は、その告訴状を机の中に保管したまま動こうとしなかったのである!そして告訴状の受理から1か月後、課長は部下に、被害届による事件にしてしまえば迅速な事件処理を迫られることもなくなる…と指示し、詩織さんにウソをつき被害届けに署名捺印をさせた。
さらに、その2週間後には、すでに署員は、勝手に詩織さんの告訴状を改ざんし、告訴を届出に書き換えていた。それは明らかな違法行為だった。そして1999年10月26日、詩織さんは桶川駅前で殺害されてしまった。埼玉県警は捜査本部を設置したが、それは皮肉にも、告訴状を勝手に改ざんした上尾署。
そして、警察は会見で詩織さんがその日身につけていた遺品は
「バッグはプラダ」「時計はグッチ」と説明し、ごく平凡な女子大生だった詩織さんは
「ブランド好きな女子大生」と印象付けられた。
その頃、この事件を調べていた写真週刊誌FOCUSの清水潔記者は、島田さんに接触した。彼は、報道されていた犯人の背格好から松井が何者かを金で雇って、殺させたのではないかと訴えた。清水記者は島田さんからの情報を元に聞き込みを開始し、とうとう実行犯である大久保に行き着いた。そして、その上司はあの松井。事件が今、一つの線でつながった。さらに、清水記者はついに詩織さん殺害の実行犯である大久保の撮影に成功し、
★大久保の居場所を県警捜査本部に★伝えたが、刑事たちはなぜか、★1週間経っても男を逮捕しようとしなかった。
一方…清水記者は島田さんを経て詩織さんの両親に会い、警察が告訴状を★取り下げるよう依頼しに来たという話を聞いた。その時、清水記者は、警察が実行犯を★なぜ逮捕しないのか?
詩織さんの訴えを放置した警察の怠慢、そして隠蔽工作の数々が★明るみに出るのを恐れているからでは…と気づき、全てを記事にした。ついに、警察は動かざるを得なくなり、★5日後、捜査本部は実行犯を殺害容疑で逮捕した。
そして、事件発生から3か月後、2000年1月27日、松井が北海道の屈斜路湖で水死体で発見された。埼玉県警は、隠し続けた真相★「告訴調書を勝手に改ざん」をついに認めたのである。さらに、改ざんに関わった署員3人を★懲戒免職にし、ようやく捜査の怠慢も認め謝罪した。事件から13年、本来ならば詩織さんは34歳になっているはずだが…両親は未だに詩織さんの遺骨を納骨することができずにいる…
【ストーカー規制法】とは 平成12年★5月18日、第147回通常国会において「ストーカー行為等の規制等に関する法律(ストーカー規制法)」として成立
【清水潔】 (ジャーナリスト)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索 清水 潔(しみず きよし、1958年 - )は東京都出身のジャーナリスト。
略歴 [編集]写真専門学校を卒業。新聞社写真部、新潮社「フォーカス」編集部のカメラマンを経て記者となる。以後、日本全国の事件を専門記者として取材。「フォーカス」休刊後、日本テレビ報道部記者になる。
1999年、埼玉県の桶川ストーカー殺人事件では警察より先に犯人を特定し報道した。その後、埼玉県警が被害者から告訴状を受理しながら、ほとんど捜査をしていなかった事実も暴いた。この事件は警察の怠慢な捜査も発覚した事件でもある。被害者とその家族は、幾度となく埼玉県警上尾警察署に相談し告訴状を提出していた。しかし警察側は捜査をせずにこれを放置し、被害者の家族に告訴の取り下げを要求した。この警察の不正は週刊誌フォーカスで清水記者が明らかにした。
2000年 フォーカスで埼玉県警不正キャンペーンが行なわれる。鳥越俊太郎も参加し、結局、埼玉県警は不正捜査を認めて謝罪することとなった。その後、遺族が埼玉県警を相手に国家賠償請求訴訟を起こすことになった。改ざんに関わった署員は懲戒免職になり、のちに有罪判決を受けた。
2005年 日本から海外逃亡した強盗殺人犯を追跡しブラジルで発見する。犯人はその後逮捕された。
2007年より、1990年5月に起きた足利事件を追跡。確定していた無期懲役囚は冤罪ではないかと、捜査の矛盾点や謎を継続報道し、DNA再鑑定を行うべきと提起し続ける。
2009年6月に、日本で初めて行われたDNA再鑑定により、不一致だったことが判明、受刑者は釈放された。 足利事件の取材は北関東連続幼女誘拐殺人事件の一環として始まった。群馬県・栃木県の県境付近では1979年以降、幼女の誘拐事件が起きている。4人の幼女が死亡し、1人が失踪する事件の計5件の事件が発生、これを同一犯による連続事件として考え、報道を行なったところ、唯一解決していた足利事件の冤罪が判明した。
2010年 文藝春秋10月1日号から数ヶ月にわたって『私は真犯人を知っている』と題してレポートを開始。同誌によると、清水記者は2007年に足利事件についての取材では、真犯人と思われる男を目撃した目撃者とその目撃証言の掘り起こしをし、足利事件の真犯人を特定。それを根拠に菅家の冤罪報道を行なっていたことを公開する一方で、足利事件の真犯人を特定し捜査当局に伝えている。
2011年 文藝春秋年4月1日号『これが真犯人の根拠だ!』で、清水記者が追い続けてきた男のDNA型が、足利事件の真犯人のDNA型と★一致することを明らかにしている。
事件の再鑑定を行なった筑波大学の教授の鑑定結果と★完全に一致していたという。
被害者遺族側にも立ち、その心理や感情を世に伝えるような取材と執筆、報道を行っている。朝日新聞「人」欄によると、いつも山登り用の靴を履いてる。
【ザ 世界仰天ニュース】 1999年1月、この日成人式を迎えた一人の女性、猪野詩織さんは、両親に祝福され幸せそうだった…しかし、この僅か9か月後、埼玉県JR桶川駅前で待ち伏せていた男にナイフで刺され、21年の短い生涯を終えた。
後に、この事件は★「桶川女子大生ストーカー殺人事件」としてセンセーショナルに報道されたが、実は、この事件の裏側には警察の信じられないずさんな捜査と卑劣なねつ造行為があったのだ!
殺される7か月前、詩織さんと高校時代から仲のよかった先輩・島田さん(仮名)は、詩織さんに呼び出された。それは、「松井誠」という名前をメモしておいてほしい、もし自分が殺されたらコイツが犯人だから、ということだった。島田さんは、半信半疑で「松井誠」という名前を手帳に控えた。この日から、島田さんは詩織さんの身に起こる出来事をすべて記録していくことになる…
詩織さんが「松井誠」と出会ったのは、大宮駅のゲームセンターだった。松井は、車を販売する会社を経営していると名乗り、そして、2人の交際は始まった。ここから松井の異常な実態と詩織さんへの執念があらわになっていく!まずは、詩織さんへのプレゼント攻撃から始まり、それを断ると逆上。またある日、松井のマンションで偶然隠しカメラを発見し、詩織さんがなぜかと聞くと、急に松井はキレ、彼女の顔スレスレに壁を殴り続けた。やがて、携帯には松井から30分おきに電話が…詩織さんを1日中監視するようになった。実は、松井は…車のディーラーなどではなく、池袋でモグリの風俗店を何店も持つ経営者だったのだ。そして詩織さんは松井に別れ話を持ちだしたが、松井は、なんと詩織さんの父親、家族までを危険な目にあわせると脅し始めた!またある日には、突然見知らぬ2人の男と共に家に上がり込み、松井がお店の金500万円横領したのは、詩織さんが松井をそそのかしたせいであり、詐欺だと訴えると…両親に松井の事を隠していた詩織さんは、これまでのいきさつを全て話した。そして、詩織さんと両親は所轄の埼玉県警上尾署を訪ねたが、全く相手にされなかった。そんな中、さらに松井は、金で動く男たちに、詩織さんの自宅周辺、大学、大学の最寄り駅にまで「中傷ビラ」をギッシリと貼らせた!詩織さんが上尾署に駆け込んでも、警察の対応は消極的なものだった。それでも両親は詩織さんを励まし続け、最初に警察を訪れてから1か月半後…ようやく告訴状が受理された。これによって警察は、一定期間に捜査を行うなどの義務が生じることになる。
詩織さんは捜査に期待したが…刑事第2課課長は、その告訴状を机の中に保管したまま動こうとしなかったのである!そして告訴状の受理から1か月後、課長は部下に、被害届による事件にしてしまえば迅速な事件処理を迫られることもなくなる…と指示し、詩織さんにウソをつき被害届けに署名捺印をさせた。
さらに、その2週間後には、すでに署員は、勝手に詩織さんの告訴状を改ざんし、告訴を届出に書き換えていた。それは明らかな違法行為だった。そして1999年10月26日、詩織さんは桶川駅前で殺害されてしまった。埼玉県警は捜査本部を設置したが、それは皮肉にも、告訴状を勝手に改ざんした上尾署。
そして、警察は会見で詩織さんがその日身につけていた遺品は
「バッグはプラダ」「時計はグッチ」と説明し、ごく平凡な女子大生だった詩織さんは
「ブランド好きな女子大生」と印象付けられた。
その頃、この事件を調べていた写真週刊誌FOCUSの清水潔記者は、島田さんに接触した。彼は、報道されていた犯人の背格好から松井が何者かを金で雇って、殺させたのではないかと訴えた。清水記者は島田さんからの情報を元に聞き込みを開始し、とうとう実行犯である大久保に行き着いた。そして、その上司はあの松井。事件が今、一つの線でつながった。さらに、清水記者はついに詩織さん殺害の実行犯である大久保の撮影に成功し、
★大久保の居場所を県警捜査本部に★伝えたが、刑事たちはなぜか、★1週間経っても男を逮捕しようとしなかった。
一方…清水記者は島田さんを経て詩織さんの両親に会い、警察が告訴状を★取り下げるよう依頼しに来たという話を聞いた。その時、清水記者は、警察が実行犯を★なぜ逮捕しないのか?
詩織さんの訴えを放置した警察の怠慢、そして隠蔽工作の数々が★明るみに出るのを恐れているからでは…と気づき、全てを記事にした。ついに、警察は動かざるを得なくなり、★5日後、捜査本部は実行犯を殺害容疑で逮捕した。
そして、事件発生から3か月後、2000年1月27日、松井が北海道の屈斜路湖で水死体で発見された。埼玉県警は、隠し続けた真相★「告訴調書を勝手に改ざん」をついに認めたのである。さらに、改ざんに関わった署員3人を★懲戒免職にし、ようやく捜査の怠慢も認め謝罪した。事件から13年、本来ならば詩織さんは34歳になっているはずだが…両親は未だに詩織さんの遺骨を納骨することができずにいる…