我が家の節分の儀式。
節分には、米と麦を炊き込んだご飯にとろろ汁をかけて食べる。子供の頃には自分の年の数だけおかわりしたものだが、女房の実家の流儀に従って、年の数だけ豆を食べることにおさめた。とろろ汁には、マグロを入れていた時もあったけれど、優しい食べ物で胃腸を丈夫にするという趣旨に反するよな。
食事が終わると、豆まきだ。
一升枡に善光寺さんでいただいた豆を入れて、家中の窓を開けて部屋ごとに豆をまく。
「鬼は外、福はうち」
そして、最後から一番の年下が「ごもっとも、ごもっとも」と言いながらとろろ汁を摺ったすりこぎを振り回す。この部分はどうもほかの家庭でやっている様子がない、オリジナルのようである。
投げられた豆は、外に落ちると春までに小鳥やら犬やらが食べてしまう。うちの中に落ちたものは家族の誰かが密かに食べてしまう。誰も気づかないところに投げられたまめは掃除の時に片付くが、何の拍子か秋に衣替えする時まで気づかれずに残っている豆もある。
これはこれで、全くの季節外れにからからに乾いた豆を食べるのもうれしい。
節分には、米と麦を炊き込んだご飯にとろろ汁をかけて食べる。子供の頃には自分の年の数だけおかわりしたものだが、女房の実家の流儀に従って、年の数だけ豆を食べることにおさめた。とろろ汁には、マグロを入れていた時もあったけれど、優しい食べ物で胃腸を丈夫にするという趣旨に反するよな。
食事が終わると、豆まきだ。
一升枡に善光寺さんでいただいた豆を入れて、家中の窓を開けて部屋ごとに豆をまく。
「鬼は外、福はうち」
そして、最後から一番の年下が「ごもっとも、ごもっとも」と言いながらとろろ汁を摺ったすりこぎを振り回す。この部分はどうもほかの家庭でやっている様子がない、オリジナルのようである。
投げられた豆は、外に落ちると春までに小鳥やら犬やらが食べてしまう。うちの中に落ちたものは家族の誰かが密かに食べてしまう。誰も気づかないところに投げられたまめは掃除の時に片付くが、何の拍子か秋に衣替えする時まで気づかれずに残っている豆もある。
これはこれで、全くの季節外れにからからに乾いた豆を食べるのもうれしい。