個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

今年はポスティングしています!

2024-04-02 20:14:06 | 教室から
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

いよいよ新年度が始まりました。

3月の中旬頃からポスティングを開始しています。なかなか毎日はできませんが、週に2回ほどチラシをポストに入れさせていただいています。冬の間はウォーキングもほとんどいていなかったので、いい運動になります。気候もちょうどいい感じですのでとても気持ちいいですね(花粉症で目が辛いのと、やはり運動不足からくる筋肉痛がひどいですが(^-^;。

ポスティングを始めてから毎週お問い合わせがあり、面談や無料の体験授業をおこなっています。入塾を決めてくださった方も何人かいらっしゃって新しいご縁に感謝しております。

先日、午前中にポスティングをして、いい汗をかいて運動したのでお腹が減り、塾に戻る途中でお店で昼ご飯を食べていました。そのとき「松下先生!」と声をかけられたので、そちらを見ると、若い男の子が立っていました。「うん?どこかで見た顔だけど、うーん誰だっけ?」と一瞬戸惑っていたら、すぐに名乗ってくれました。私がONE-Sを開校してすぐに入塾してくれた子で、約8年間塾に通ってくれました(そんな長いこと来てくれた子の顔がすぐにわからないなんてひどい!…と思われるかもしれませんが、言い訳をすると若い子は1年や2年でめっちゃ変わるんですよね(^_^;)

入塾したときには、まだ小学生でで中学校や高校でうまくやっていけるかな?と少し心配になるほどおとなしい子だったのですが、もうそれはそれは立派になっていて、とても頼もしく見えました。こうして声をかけてくれるって嬉しいですね。勉強を中心としてコミュニケーションを重ね、信頼関係を築いていき、そして勉強面以外のことでも話をしたり相談に乗ったり、そしてまた絆が深まっていく。私からすると生徒というよりは、卒業した子たちは年齢の大きく離れた友人に近い感覚です。だから卒業しても何かあれば力になりたいと思いますし、役に立てれば嬉しいです。こういった1人1人との縁が有難いですね。

引き続き塾に来てくれている生徒、そして受験が終わり高校生になってからも来てくれる生徒、そして新しく入塾してくれた生徒。すべての子たちにとって信頼できる大人になりたいと思っていますし、役に立つことができるように日々頑張っていきます。

もうしばらくポスティングを続けますので、ポストにチラシが入っていましたらぜひ読んでみてくださいね。何かご不明な点やご質問などございましたら、お気軽にお問い合わせください。

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花粉症の辛さがようやくわかった

2024-03-26 15:54:54 | 教室から
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

花粉の影響で毎日目がかゆくて、鼻も詰まって大変です。実は数年前まで花粉症の症状なんてまったくなくて、周りでみんなが「花粉症しんどい~」とか、ひどい人になればティッシュの箱を持ち歩いていて1日1箱使うほど苦しんでいるのを見ても「なんか大げさやなー」としか思いませんでした。それが3年ほど前から「あれっ?なんか目がショボショボするな、喉がイガイガするな、風邪でもひいたのかな」と異変を感じ、今年はこれまでとは比較できないほど酷く、特に目のかゆみで毎日悩まされています。

実際に経験してみないと、その辛さってわからないものですよね。

私は小学生の頃から勉強面ではそれほど苦労はしませんでした。もちろん学年が上がっていくにしたがって、勉強も難しくなっていきますのでその分勉強時間も増えていきましたが、高校はいわゆる進学校に、大学は国立大学に合格することができました。当然ながら私なんかより優秀な人たちや、もっと偏差値の高い高校や大学に行かれている人なんかいくらでもいます。そんなことはわかっていますが、それでも一般的には勉強でそれほど苦労してきていないグループに入ると思っています。

何が言いたいかというと、そういう人たちは、勉強がわからなくて苦しんでいる子の気持ちを理解することが難しいということなんです。

勉強を教える側の人というのは、学校の先生であったり塾の講師であったり、小中学校の勉強でつまずいた経験のない人たちです。だから「漢字なんて何回も書いたら覚えられるやろ」「プリントやワークを繰り返し練習したら理解できるやろ」と簡単に言います。学校のテスト範囲のプリントにもよく書いていますよね。「何度もノート・教科書を読みましょう。ワークを理解できるまで何度も解きましょう」って。それが難しいんですよ。それはそこで苦労していないから言えるんですね。

という私も塾を始めた頃は、何度か戸惑ったことがあります。説明しても理解してもらえないことがありました。「あれっ?この子イマイチ理解できていないな」「今の説明でもわかってないみたいやな」「どこが理解できないポイントなのかわからん」など、私自身が苦戦した経験のない部分はうまく教えることができませんでした。

それが5年、10年と塾の講師を続けていき、様々な学力の生徒たちに教えていくにしたがって、同じくらいの学力であっても考え方が異なったり、伝わりやすい言葉が違ったり、「ああ、教えるって難しいものなんだ」と気づきました。

中学生になると学力の差が大きくなっているのは事実です。もちろん能力による部分も大きいかもしれませんが、適切な教え方・勉強の仕方をしていないことが原因で伸びていないこともあります。学校の授業の内容があまりわかっていない状態で提出物などのワークを言われるがまま取り組み、わからないところは解答を写してそのまま提出する。英単語や漢字も何回も暗記するというよりは作業のように繰り返し書き続け、結局ほとんど頭には残っていない。そんな勉強をしている子はたくさんいます。だれが悪いという問題ではありません。学校の授業もどこかあるレベルを決めて授業をしなければいけないので、当然全員にとって効果的な授業にはなりません。

そう考えると塾の役割がはっきりします。1つは学校の勉強では物足りない子、もっと難易度の高い勉強を求めている子にその機会を与えて、向上心を刺激すること。これは多くの塾が取り組んでいることですね。偏差値の高い高校や大学への合格実績が大きな宣伝になるわけですから、ここに力を入れるのは当然と言えば当然です。2つ目はいわゆる中間層の子どもに対する指導です。学校の授業はだいたい理解できるけれども、テストとなると平均点前後しかとることができない。この子たちには学校のワークや教科書などを中心に疑問点を解決してあげて、もう少し勉強時間を増やしたくさんの問題に取り組んでもらえることで大きく飛躍する可能性があります。最後は学校の授業についてけず、テストでも平均点を多く下回っている子たちです。この子たちの問題は、まず学校のワークや塾のテキストのレベルが合っていない可能性が高いことです。学校のワークを解答を見ながらいくらやっても理解ができていないから点数に結びつきません。塾で使用しているテキストも学力に合っていないかもしれないので、説明を聞いてもいまいち理解できません。結果的にある程度勉強しているのですが努力が報われないという形になっているのです。ここを改善すればこの子たちの努力もきっといい結果となって現れるはずなんです。

つまり生徒の学力に応じで使用するテキストはもちろんですが、教え方も変えていかなくては効果的な勉強をすることはできないのです。経験が少ない講師はそのバリエーションが少なく、その生徒がどこで悩んでいるのか、どんな思考をしているのかがわからないから、同じ説明を繰り返すだけになってしまい、結局生徒は理解できないままになります。私も塾を始めた頃はそうでした。ですが、いろんな考え方をする子がいること、いろんな学力の子がいること、ちょっとした部分を修正してあげることで大きく伸びる力を持っている子がいることなど、当たり前のようですが、実際に自分自身が経験していないと意外と気づかないことを何百人という生徒のみんなと関わらせていただくことによって、気づくことができました。それが私の講師としての現在のスキルに大きく役立っています。ただマンツーマン指導することが個別指導のよさではなく、こうして子どもたちの能力や個性、思考の仕方・癖、可能性などを理解してあげ、その子にとってベストだと考えられる指導をしていくことこそが、本当の意味での生徒に寄り添った個別指導だと考え、その理想に少しでも近づいてけるように、これからもさらに経験を積んでいきたいと思っています。

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いつからでもスタートできるんだ

2024-03-13 21:57:05 | 不登校
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

大学受験、高校受験も無事に終わりました。高校受験はあとは結果待ちですが、みんな最後まで必死で頑張ってくれて、毎年のことですが感動しました。勉強となかなか向き合えなかった子も、受験前には必死で勉強してくれましたし、起きている時間をすべて勉強に使うほど死に物狂いで取り組んでくれる子もいました。目標に向けて全力で頑張っている熱気は私にも十分伝わり、私の方も彼らの気持ちに応えようと自身の体調管理を万全にして、持てる力をすべて出し切って教えていきました。10代の子たちの成長力は半端なく、20年以上この仕事をしていますが、彼らの可能性には驚かされます。

今年の受験生は10代の子だけではなく、20代半ばの子もいました。彼は中学1年生頃から不登校になり、そこからひきこもっていましたが、その生活から脱出しようと力をふりしぼり、通信制の高校に通い始めました。そんな中で、大学受験に挑戦したいという気持ちが芽生え、そして私の塾を見つけ出して連絡をくれました。それが約4年前のことでした。私自身も遠回りしてきた経験があり、働き始めたのが27歳でしたので、彼には私から伝えることができることもたくさんあるだろうし、絶対に頑張ってほしい!という気持ちが強かったです。

第一印象としては「とても真面目な子」、そして言葉遣いなどもしっかりしていて私の20歳ごろと比べれば彼の方が何倍もしっかりしているという感じでした。ただ勉強面は、中学の最初から学校に通ってないため、知識としてはほぼ小学校の段階で止まっているという状態でしたので、中学1年生の勉強から始めることにしました。彼の望みは通信制の高校を卒業するのが3年後ですので、そのときに大学受験をして合格したいというものでした。正直かなりきついと感じました。3年間で中学・高校の勉強を終わらせて、さらに大学受験のレベルまで到達しないといけないのですから。

しかし、彼の能力の高さはもちろんあったのですが、学ぶことに「飢え」を感じていたのでしょうか、勉強をとても楽しそうにしていたのが印象的でした。どんどん新しいことを吸収して、自分の知識が増えていく喜びを感じ、さらにまた新しいことを求めるという理想的な循環でした。私の方でもしっかり計画を立てて、無駄をできるだけ省き、最短距離で受験に到達できるように二人三脚で走り続けました。初めの2年間は彼は週に何回かアルバイトをしながら勉強をしていましたが(これも、数年間もひきこもっていたとは考えられないほどすごいことです)、受験1年前には勉強に集中したいとのことでアルバイトをやめ、勉強時間がグンと増えるかと思いましたが………
現実はまったく逆で、どんどん勉強のペースが落ちてきました。勉強の楽しさよりも苦しさの方が勝ってきたことと、やはり長いひきこもり生活で規則正しい生活に慣れておらず昼夜逆転し始めたことなどが主な原因で、受験の日が近づくにつれて勉強量が減ってきました。塾に来ても勉強するというよりは、話し合ったり、相談したりする時間がほとんどになりました。受験できるような状態ではありませんでしたが、経験のため共通テストと国公立の大学を1つ受験はしました。

受験が終わり、3月にはたくさん話をしました。これからどうしたいのか、本当に大学に進学したいのか、もう一度彼にもゆっくり考えさせました。もちろん私の方からも大学進学を目指すメリットやそのリスクなどもすべて私の考えを正直に伝えました。「もう一度挑戦したい」それが彼の出した結論でした。

私自身が大学受験で二浪している経験から、やはり予備校に通った方がいいのではないかと彼に提案しました。毎日予備校に通うことで生活リズムが整いますし、私とマンツーマンで勉強するより他の受験生が多くいた方が彼にとってはいい刺激になるのではないかという判断からでした。しかし彼はもう1年、ONE-Sで勉強したいです!と言ってくれましたので、私からは自宅以外で勉強する場所を見つけることを条件としました。彼にとっては自宅は完全に休憩する場所であり誘惑にあふれた場所でもありましたので、とにかく勉強するためには別の場所を探すべきだと考えて、最終的には自転車で通える範囲にあった自習室を見つけ、できるだけ毎日、たとえ30分で帰ってもいいからそこに行くことを強くすすめました。そして毎日の勉強時間をきちんと記録し、週ごと、月ごとに何時間の勉強をしたかをチェックするようにしました。勉強時間を記録することは、たくさんすれば自信になりますし、サボっていればそれが数値化され明確に出ますので反省もしやすくなります。

こうして彼の2回目の挑戦が始まりました。順風満帆というわけにはいかず、途中でスランプに陥り、数日間ほとんど勉強できない日があったり、昼夜逆転して現実逃避したり「今年もダメか…」と何度か諦めかけたときもありましたが、彼も今年が最後という覚悟があり、逃げたい気持ちよりも頑張りたい気持ちが上回ったのでしょう、なんとか無事に共通テストまでたどり着きました。共通テストはまずまずの結果で、私立受験があり、複数の大学に見事に合格し、そのままの勢いで国公立も合格することができました!すばらしい!おめでとう!

学力や学歴という点で見れば彼はこの4年間で一気にいわゆる大きな道を通ってきた子たちに追いつくことができたのです。もちろん、これからまだまだ彼には試練が待っています。学校という集団の中での生活は小学校以来ですから、人との付き合い方や距離感など悩むことがあったり、とても大きなストレスになったりすることもあるでしょう。毎朝早く起きて満員電車で通学する日々でヘトヘトになるかもしれません。でも彼ならきっと大丈夫!自分でひきこもりをやめて、自分の意志で大学を目指し、一から勉強を始め、何度もくじけそうになりながら最後までやり遂げることができたのだから。4年前とは比べものにならないほど精神的に成長しているし、なによりこれからの自分の目標がしっかり明確に見えているので、きっと頑張れる!目の前には大きな道が見えているはずだから!それでも人生というのは、思い通りにはならず、苦しいことや辛いことはあるだろうけど、そんなときは俺でよければいつでも力を貸すから連絡しておいでな!本当によく頑張ったね。おめでとう!

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大切だからこそ言葉にして伝える ②

2023-10-10 16:21:13 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きとなります。

6月の終わりに手術の日がやってきました。かなり長時間の手術でしたので家族みんなが心配していましたが、夕方ごろに担当医から「無事に成功しました。お父さん、頑張ってくれましたよ」と電話がありました。とにかくホッとした気持ちが溢れて、手術してくださった先生への感謝と、頑張った親父への感謝でいっぱいになりました。

翌日の昼ごろ私の携帯が鳴りました。この頃は何かあって病院から電話があるかもしれないと敏感になっていたので、すぐに電話を見ました。驚いたことに親父からでした。術後話ができるまでしばらく時間がかかるだろうと思っていましたから、びっくりして電話に出ると、「英治か、お父さんは元気やで。ホンマにありがとう。みんなのおかげや」と言ってくれました。オカンにも電話があったらしく、家族みんなで喜んでいました。ただ、面会がコロナの影響で週1回で2人までしかできないので、親父になかなか会えないことだけが残念でしたが、担当医の話では2週間もあれば退院できそうとのことだったので、それまでは電話やメールで我慢しようかと思ってました。

それから2日後に、病院から電話があり、どうやら肺炎をおこしたらしいのです。かなり心配しましたが毎日のように担当医が電話で父の様子を教えてくださって、安定していてよくなっているとのことでしたので一安心していました。それから肺炎も治まり、いよいよ退院かと思ってましたが、ここで予期していなかったことが起きました。担当医が言うには「術後せん妄」とのことでした。私にとっては初めて聞く言葉でしたので、詳しく説明を受け、自分でも調べたところ認知症と似たような症状が起きて、状況がわからなくなったり、意識がもうろうとしたりするものです。どれくらいで治るのかはわかならいようで、かなり長く続くケースもあるそうです。担当医から「せん妄の影響で今は気持ちが落ち込んでおり、後ろ向きな感じになっています。」と説明を受けました。それまでは、メールしても返事がありましたし、電話もかけてくれることがあったのですが、メールを送ってもまったく返ってこないし、心配で心配でたまらなくなりました。面会に行くことができる日になったので、母と病院に行きました。どんな状態なのか不安でしたが、親父に会ってみると私が想像していたよりもずいぶんと悪い状態でした。私たちが部屋に入っても、こちらを見ようともせず、親父の顔を覗き込むと、嬉しい表情など一切なく、怖い目で私たちをにらんでいました。何を話しかけてもほとんど返事をせず、ただ手術をしたことを後悔するようなことは言っていました。面会時間は30分だったので、行く前はそんな短い時間では足りないだろうと思ってましたが、逆に時間が余ってしまうほど、親父の反応はありませんでした。病院から帰宅する途中で母があまりに落ち込んでいたのでなんとか元気づけようと思いましたが、私もショックを受けてしまってそれができませんでした。

さらに1か月ほど経過しました。少しだけ良くなってきたように感じましたが、食事もほとんどとってないようでガリガリに痩せてしまっているし、リハビリもすすんでいないようで足も弱っていて一人ではほとんど何もできない様子でした。面会に行くと、「もう家に帰りたい!頭がどうにかなりそうや!」と訴えだして、母の携帯にも毎日のように親父から「先生に頼んで家に帰らせてもうらうようにしてくれ!」と電話するようになりました。担当医と相談したところ、もう治療することはなにもなく、いつでも退院できる状態だと、ただ一人では何もできないので介護が必要、そしてそれを母がするとなると老々介護になるので、1か月ほどリハビリ病棟に行ってもらって、そこで少し筋肉がしっかりしてきてから自宅に戻るというにはどうですか、と提案してくれました。私はその提案に賛成だったのですが、母はこれに猛反対し、「これ以上病院にいさせることは、あまりにもかわいそうだ。病院のご飯が美味しくないからきっと食べないんだ。お父さんの好きなものをたくさん作ってあげればよくなるはず。それに、せん妄は環境を変えるとよくなるケースが多いのだから、自宅に戻すべきだ。リハビリ病棟に行ってしまったら、ますますせん妄がひどくなるよ」と言ってました。私もせん妄については心配でしたし、自宅で過ごせばよくなるかもしれないという気持ちもあったのですが、やはり親父の介護をオカン一人でできるわけがないし、やらせてしまってはオカンが先に体がやられてしまうと思ったので、オカンにそのことを伝えて話し合いました。何度話してもオカンの決意は固く、親父は退院して自宅に戻ることが決まりました。

久しぶりに自宅に戻った親父は瘦せ細っていましたし、顔つきもボーっとしていて、話しかけても会話にならないような状態でした。もちろん歩くこともできないので、オカンはまずは栄養をしっかりとらせて、少しずつ運動させて筋肉をつけさせようと、料理を作り、そして親父に何度も「ちょっと歩こうか。支えるから大丈夫」と声をかけていました。しかし親父はほとんど何も食べません。どんな料理も食べないので、困ったオカンはカロリーメイトを買ってきて、それを細かく切って、無理やり親父に食べさせていました。それでも1日にカロリーメイトを1本食べるのが限界で、おそらく病院にいるときよりも量は減ったと思います。体を支えてあげて立ったり座ったりの練習をしようと思ってもまったく動いてくれません。そんな状況が10日ほど続きました。父はますます弱っていってるのがわかり、そしてオカンも体力的にも精神的にも限界がきていました。

そこで行政などに相談し、専門の人に頼んでみることにしました。もうオカンは反対しませんでした。対応してくださった方々はみなさん本当に親切で、親父のことだけでなく、オカンのことも一生懸命考えてくれました。そこから親父の生活が一気に変わりました。週に2回デイサービスに行き、リハビリの先生や看護師さんが訪問してくださり、親父の体のことを考えてくれた計画、そしてオカンの不安を取り除いてくれる相談など、とても親切にしてくださっています。

週2回のデイサービスの施設ではスタッフの方々に大変ご迷惑をかけてしまっているでしょうが、親父の様子が少しずつ変わってきました。デイから帰ってきた日はとてもよく話すのだそうです。それまではオカンが話しかけてもほとんど返事もせず、ご飯を食べさせたり薬を飲ませようとすると暴言を吐いたりしていたのですが、デイの日は昔のことを中心にいろいろとオカンに話しているみたいです。もちろんせん妄の影響もあって、よくわからないことを言うときもありますが、会話ができるようになったというのは大きな前進でした。またリハビリの先生のおかげもあって、ずいぶんと足がしっかりしてきました。少しふらつくときもありますが、1人で歩けるようになってきました。そして一番変化があったのは表情です。顔つきがとてもしっかりしてきました。

親父は今、一生懸命生きようと頑張ってくれています。親父がどんどん元気になり、以前のようにタブレットやパソコンが使えるようになるまで回復し、このブログを読んでくれることを心から祈っています。「また英治は家族のことをぶっちゃけて書きよって!」と怒るかもしれませんが、それでもいいんです。

今回のことでオカンとはもちろんですが、弟ともたくさん話し合いました。お互い本音をぶつけ合って、励ましあい、それぞれとの距離感がグッと縮まったような気がします。家族が大切だからこそ、もめようがケンカしようが、本音で話し合うことが大事なんだとわかりました。
家族なんだからわかってくれているはずだ、なんて思ってはいけません。言葉で伝えないとわからないことなんていくらでもありますから。
親父が私たちのことをと考えて病気のことを伝えなかったことは残念でしたが、親父に信頼してもらえてなかった、そういう関係性を築けていなかったことはとても反省しています。もちろんなんでもかんでも伝えればいいというものではないでしょうが、大切なことほどしっかりと言葉として伝えていきたいと思っています。大切な人だからこそ伝えていきたいです。

私はこうして人と関わる仕事、子どもたちと関わる仕事をさせていただいています。その子自身や、保護者の方々にお伝えしにくいことは確かにあります。以前の私だったら、それをお伝えできなかったかもしれませんが、やはりこうして塾に来ていただいていて、何かのご縁で知り合いになれたのですから、どの生徒さんも大切ですし、みんなが幸せな道を見つけて歩いていってほしいと願っています。だからこそ、気になることがあればそこはしっかりと伝えていきたいと思っています。

親父、これまでゆっくりと話すことができなくてごめんな。これからは、いろんなこと、家族のことでもいいし、教育のこと、政治のこと、国際情勢や親父の夢など、なんでも一緒にたくさん話をしような。だから、あともう少し頑張ってな!親父が元気になることを家族みんなで祈ってるからな!

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大切だからこそ言葉にして伝える ①

2023-10-09 21:56:43 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

久々の更新となります。

前回は親父のことについて長々と書いてしまい、そこで更新が止まってしまっているので、塾のHPからブログを読んでくださった方は、「なんだか怪しげな塾」という印象を持たれたかもしれません。ですので、早く学習のことについて書かなければと思っていたのですが、私のいつもの悪い癖が出てしまい、ついつい後回しにしてしまっていました。今年中に絶対に更新しようと決意し、書き始めていますが、今回も学習のことではなく家庭のこととなってしまいました(^-^;

前回のブログは、仕事を引退する親父へのメッセージのつもりで書き、親父が読んでくれたら喜んでくれると思っていたのですが、予想に反して親父は明らかに不機嫌な様子でした。「うーん、なかなか人の気持ちって難しいな」と思いながらも、特に親父にどうして不機嫌なのか、どこが気に食わないのかを聞くことはありませんでした。

月日は流れ、今年の3月の中旬でした。私は受験も終わり、少しホッとして久しぶりに外出していたのですが、母から「お父さんが高熱で病院に連れていきたいねんけど、どこの病院がいい?」と電話がありました。インフルエンザも流行っていましたし、コロナも一度感染しているとはいえ、その疑いもありましたから父の心配というよりは、「これでまた自宅に帰られへんなあ。親父の病気がうつったら嫌やし」と自分の心配をしていました。

そういえば、その1、2か月前から、たまに微熱があったりしてたなあ、など思い出していましたが、母から「インフルもコロナも陰性だったよ」という連絡があり安心し、特に気にかけていませんでした。

その後、どうも体調がよくないとのことで検査を受けに行ったので「検査どうやった?」と連絡すると「検査結果は変化なし」という親父の返事に違和感がありました。「うん?変化なしってどういうことや?異常なしやったらわかるけど、変化なしって意味わからん」となり、親父に問いただすと「〇〇(弟の名前)と英治、そしてお母さんがみんな集まったら話すわ」とわけのわからないことを言い出したので、私も語気を強めて「何もったいぶってるねん!今言えばええやろ」と何度も怒鳴るように言ったところ「ええか、よく聞けよ。5年ほど前に、どうも調子が悪く病院に行ったんや。そこで検査をしたら、[膵臓がん]と診断されて、余命1年って言われたんや。家族を呼んでくださいと医者に言われたけれど、病気のことをお前らが知ったら焦燥すると思って何も言わなかった。そして今回病院に行って検査したけれども、膵臓の状態は変わっていなかったんや」と突然聞かされました。

親父に何から聞けばいいのか、どういう言葉を伝えていいのかが頭が真っ白になってしまい何も言えず、ただ「なんでそんな大切なことをずっと黙ってたんや!なんでや!」としか口から出ませんでした。

わからないことだらけだったので、帰宅し親父から詳しく経緯を聞きました。説明を聞いてもいまいちわからいことが多く、ただ余命1年と言われていたのにこの5年間無事に生きることができていることが私は嬉しく、少しでも長生きしてほしい、そして今の親父の体の状態は本当のところどうなているのかが知りたく、親父が検査を受けた病院に私が話を聞きに行くことにしました。内科の先生とお話をさせていただきましたが、膵臓の方は詳しく検査しないとはっきりわからないが、癌かどうかもわからないようで、あまり心配しなくてもいいのではと説明を受けました。ただ下血があるらしく、貧血にもなっているので大腸の検査をした方がよいとのことで、もしポリープがあれば切除するという方向で決まりました。

少し気持ちが楽になったのですが、大腸検査の日に病院から連絡があり、ポリープが大きすぎてどうも切除できなかったようなのです。そして家族と一緒に病院に来てほしいとの連絡が自宅にありました。母は聞くのが怖いからと父と私とそして弟も来てくれ、3人で話を聞きに行きました。結論を言えば大腸ガンでした。手術をするかどうかを決めなければなりませんでした。父はそのときから「早く楽になりたい。自分が死ぬ時期は自分で決めたい。これからの人生は時間ではなく中身なんだ」と何度も言うようになりました。つまり手術をせずに、病院ではなく自宅で終わりを迎えたいということです。

術後の生活がかなり不自由になる可能性があることが、父が手術を拒む一番の理由だったと思います。ですが私はその決断は「自分勝手」なことだと感じました。父がいなくなった後の母のことを考えたうえでの発言なのか?残された家族の気持ちは考えてくれたのか?

私は父と何度も話をしました。「オカンのこと、どう思ってるんや?」「それが一番心配なんや」と親父は返事をしますが、だからといって頑張って生きよう!という選択はせず、「治療も何もせず、楽に死にたいんや」とそればかり言っていました。「親父、親父は仕事も引退するまで自由にやってきたやん。もちろん親父が俺らのために頑張ってくれたことは感謝でいっぱいや。でもな、5年前にガン宣告されて、それをずっと黙ってて、そして今回こんなことになって手術もせずに早く死にたいなんて、自分勝手すぎんか?いきなりそんなこと言われて、俺ら息子はもちろん、オカンがどれだけショック受けてるかわかってるか?」と私はかなり強い口調で責めました。親父は何も言いません。「そもそも五年前に「膵臓癌」と診断されて「余命1年」と病院で言われたときに、なんで家族に何も言わんかったんや?俺らが焦燥するから?ふざんけんなよ!俺ら小学生とちゃうねんで。オカンには言わなくても、せめて俺や弟には言うべきやったやろ。そしたらその段階でいくらでも方法を考えることはできたやんか。お前らのためにってカッコつけて、なんでもかんでも自分勝手すぎるねん!」
親父が大きな病気で、後どれくらい生きることができるのかわからない悲しみと、親父が家族のだれにも病気のことを伝えなかった悲しみが混ざって、なぜか涙が溢れ、怒りに近い感情になってしまいました。

その後病院でも検査や医師との話には必ず私も一緒に行くことにしました。検査を進めていくにしたがって、病状などいろんなことがわかってきました。私が医師と病気の状態や手術の可能性、術後のことなどいろいろと話をしている横で、親父はいつも「先生、残りの人生は時間ではないんです。中身なんです。楽に死にたいんです。お願いします」と言ってました。

早く決断しないと病状が悪化するだけなので親父とじっくり話をしようと思いました。オカンは「できるだけ長生きしてほしい。だから可能性があるのなら手術してほしい」と言っていました。私もまだ手術ができる状態で十分に治る可能性がある、にもかかわらず早く楽になりたいだなんて、一生懸命生きている人や、生きたいのに病気や事故で残念ながら亡くなってしまう人たちのことどう思ってるんや!どう考えたら早く死にたいなんて言えるんや!と考えていて、それをすべて親父に伝えました。そして、オカンや私や弟、家族みんなが親父に元気で1日でも長生きしてほしい、癌が悪化して苦しんで苦しんで病院で亡くなってしまう親父を想像しただけで気が狂いそうや、ということも伝えました。3時間ほど話をしたと思います。

少し時間が経って、親父が「わかった。手術受けるわ」と言ってくれました。「お前らの気持ちは十分にわかった。頑張ってみるわ」

私はもちろん、オカンも弟もみんな同じ気持ちだったと思います。親父に感謝する気持ちと、これから病気と闘う親父を応援する気持ちと、手術の成功を祈る気持ちと。

手術の日が決まり、それまで親父は家でゆっくりと過ごしていました。体がしんどかったのでしょう、食事の量もずいぶんと減り、寝る時間が増えました。それでも毎朝コンビニに新聞を買いに行っていました。親父は仕事することが生きがいで、趣味も私が知る限り何もなく、1年中仕事に出かけていました。そんな親父も朝晩新聞を読むことは欠かさず、たまに教育に関する記事があると、それを切り取って私にくれたものでした。しかし、去年仕事を引退してからは時間を持て余すようになり、どんどん元気がなくなっていきました。もちろん病気が原因でしんどかったこともあるでしょうが、生きがいである仕事がなくなったことで一気に気持ちが沈んだのだと思います。朝はゆっくり新聞を読み、昼からは夕食までずっと横になっていました。ラジオを聞いたり、タブレットでこれまで撮影してきた写真や動画を見たり、YouTubeで演歌を聴いたりしていました。「今、どんな気持ちで親父は毎日過ごしているのだろう」それを考えると胸が苦しくなり悲しくなってきました。親父にDVDをプレゼントしたら、毎日それを見てくれました。「親父、必ず元気になるから頑張ってや」親父に会うたびにそういった言葉をかけると親父は「ありがとう!頑張るわ」と答えてくれました。

次に続きますが、親父は元気ですのでご安心ください。

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