ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

ありがたいことです。

2009-09-19 06:48:42 | 日記
 このブログを書き始めて80日。いつの間にか毎日の事として習慣化しつつあります。楽しんでいます。

 いつもの作業なのですが、ふと気がつくと、今日はこれを書こうとかと考えている自分がいるのです。これをこのように書いたら面白そう。といった感じです。

 80日間で閲覧数が延べ11,319人。訪問者数は延べ5、186人。
 感謝です。

 書かなかった日は、訪問者は激減し、複数本書いた日はたくさんの方々が覗きに来てくれます。

 実に解りやすくて、面白いのです。
 そのうち、ブログを書いている友人達とリンクを積極的に張り巡らせるようになるのかもしれませんね。

 それはそれでいいのです。限りなく広がってゆきますからね。
 誰かが言いました。「ネガティブな発言が多くなるぞ」。いいではないですか。
 人それぞれですから。
 今を楽しんでおります。

一冊の本。

2009-09-19 05:35:18 | 昔話
 一冊の本がある。1994年発行。A4版で厚さ3.5cm。なかなかしっかりした本です。亡くなった父の本箱からちょっと拝借しているのですが、これがなかなか面白いのです。

 明治14年(1881年)12月5日 片岡健吉一行、安芸を発し奈半利村松吉屋に投宿。同村の有志浜田才吉、安岡駒衛、藤村米太郎、包国可治、広末鹿吉の求めで懇親会に出席、会員30名。・・・。・・が演説。片岡健吉、自由党の将来の目的等の質問に答える。同村には私学校設立され長は広末鹿吉、教師は元県会議員北川忠惇

 とある。
 12月1日に片岡健吉一行は安芸郡吉良川村政談演説会(6日)出席のため高知を出て、その日は赤岡まで、翌日は安芸まで、そして滞在。5日に奈半利に、さらに吉良川まで来て、夜八幡宮境内で政談演説会を開いている。聴衆300有余人とありますから、すごいことです。

 さて、松吉屋ってどこなんだろう。投宿ってことは宿屋だろうね。
 知らないなあ。
 人名はその当時のお歴々がずらっと並んでいるのです。
 しかし私学校って??。
 まだまだ郷土のことにしても、知らないことだらけです。

 私学校にしても、塾程度かと思っていたので調べもしなかったのですが、ちゃんと校長がいて、元県議会議員が教師をする。う~~ん面白い。調べてみましょう。
 北川忠惇は北川村出身。以前に高知県東部人物列伝に書いた北川武平次の長男です。

 しかしこの本、詳しいですね。誰が、どこで、誰と会い、何をしたのかが日毎に全部といって書いてあるのです。
 そして、当時の自由民権運動のなんとすさまじいことか。エネルギーにあふれています。
人と会い、話し、よく飲んでいます。元気です。大きな声で怒り、笑い、口論をしている様が見て取れます。

 今の高知はお休み中なのでしょうかね。明るい未来を語る政治家にあったことがないのです。残念ですがね。

 この本の編者の方々に立礼です。本は本箱に返します。また。