ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

千。

2009-09-25 22:52:45 | 日記
 今回、藤村製糸株式会社の工場跡で「都築房子展」をやろうと決めたときに、目標を定めたのです。

 目標1000人。それだけでした。参加人員1000。都築さんがどの様な方なのか、解らないまま、そしてどの様な作品を発表をしている方なのか解らないままやる以上は達成しようと目標を立てたのです。それが1000人の入場者なのです。
 15日の会期ですから、1日に70人ほどは入っていただけないと達成できない数字でした。それが多分明日。14日目にいけそうなのです。うれしいですね。
 いかなるイベントでも事故なく終わることは最も重要なことなのですが、達成感からすると、今回は1000だったのです。

 マスコミへのアプローチも概ね成功しました。DMも出しました。口コミで広がった形跡も感じておりました。すべての可能性を、出来るだけのことをやってきたのです。

 素直にありがとうございました。
 先ずはスタッフの皆様に。後2日残っておりますが、よろしくお願いします。
 入場者の皆様。ご感想はいかがでしょうか。来ていただいてありがとう。
 こうした試みは初めてでしたが、楽しかったです。

 先日おなじみのお客様に言われました。その方はなはり浦の会のイベントにはいつも参加してくださる方なのです。
 
「去年の音楽会はよかったし、今年の美術展も楽しかった。それで来年は何をするが??????。

 そんなこと、聞くな!!!。

 明日の1000人目のお客様には何か記念品でも準備しましょう。
 さて誰が、どこの方が1000人目になるでしょうね。

 後80人ぐらいです。今日は110人でした。やったね。

 

コゴロク廃寺

2009-09-25 19:23:21 | 昔話
 高知県史考古編に奈半郷(なわごう)の記述がある。

 「奈半郷は古代における安芸郡の中心らしく、奈良末から平安前期の寺院跡(奈半利町コゴロク廃寺)が発見されている。」

 奈良時代、聖武天皇が国ごとに国分寺を建立することを命じたことから、土佐の地でも当然土佐国分寺が建立されているのですが、奈良時代に建立された寺院が当時の郡にそれぞれ一つずつ存在しているようなのです。奈良時代のはじめ、土佐は幡多、吾川、土佐、安芸の4郡でした。その安芸郡に設置された寺院が奈半郷にあるのです。
 これらの寺院を建立するには当然その地方の豪族の協力が必要であったろう。特に郡司級の豪族の協力が必要であったでしょう。
 さらに宗教施設としての寺院の維持管理には相当数の住民の協力までが必要であることが考えられるだけに、奈半郷は古代における安芸郡の中心とに結論を出しているように思われるのです。

 聖武天皇(701~756)の生きた時代と野根山街道が官道とされたとされる
養老年間(717~724)が重なっているのです。

 なにやらその当時の生活全般についても興味がわいてきますね。
 農業や漁業は当然やっていたのでしょうし、林業や製造業もあったのでしょう。
 面白そうです。
 ゆっくりと地域の昔語りを続ける意味で、研究してみましょう。

 しかしこの時代、空海も未だ産まれてはおりませんし、紀貫之が歴史に登場するためにはまだ100年。土御門上皇となると500年という時間を必要とする程昔々の話なのです。
 しかし本を読むだけでも面白そうです。
 きっかけは廃寺があったそうな。それだけです。