ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

忘れておりました。

2009-09-24 11:59:24 | 野根山街道物語
 2009年8月30日に野根山街道に分け入ったときの写真をやっと見ていただけます。

 「分け入っても分け入っても青い山」と詠んだ俳人がいましたが、こんな感じなのでしょう。歩きながら、ふと口から出た俳句です。山頭火が分け入った場所もこんなところだったのか、単に目的もなく歩かざるを得ないとしんどいのですが、友人と共に楽しく歩くのには良い場所かと思います。
 
 ここは藩政林の近くで、樹のサイズが大きくなっています。一抱え以上の木々が並んでいるのです。樹齢130~140年程度とされているのです。
 もちろん付近に人家などはなく、イノシシや鹿、そうした獣のホームグラウンドなのです。
 今回の旅は、ちょっと行こうかなといった気楽さから、そしてすこし写真画像がほしくて出かけたのです。
 最近は撮影技術の未熟な私でも、それなりに写るカメラの性能がすばらしいですから、なんとかなったように思います。

 見晴らしの良い場所、うっそうとした木々に囲まれて昼でも暗いところもあるのです。
 スポーツとしてのトレッキングコースとしても検討してよさそうな場所です。

 来年の正月にもまた行ってみたくなっております。

 

拍手・拍手。

2009-09-23 18:01:28 | Vision East
 ニューヨーク国連本部会議場で、鳩山総理が気候変動会合の席上、温室効果ガス削減を数値を出して表明したことで、大きな拍手を受けていましたね。
 例によって資金援助と技術供与のダブル提案です。

 今まで日本の首相が世界に向かってイニシアティブを取るとの発言をした記憶がないだけに少しびっくりしたことでした。本気かなあ。本気なんですね。

 財界にとっては、厳しい状況になることが予想されるだけに、何で日本だけがそんな約束をするんだといった声が聞こえてきそうです。

 地球的な規模による、環境破壊が大問題となっているだけに、日本に何ができるのかと言った一つの提案と受け取れば、GOODです。
 自衛隊による海上給油問題などよりずっと今の日本の状況に合致しているような気がしています。

 しかし、アメリカの大統領も中国の国家主席も概ね賛成。具体的な目標設定については先送りといった感がありました。初めての外交舞台で鳩山総理は目だっていたのですよ。

 これから日本国内でも、未だに森林が残っている小さな町が企業と結んでCO2の排出権取引などをすることで、すこしは楽になるのかもしれません。

 ただ、アフリカ系の国連大使の発言で「言っていることはすばらしいが、やらないとどうにもならない。」ってのはグさっと来るね。
 今までの日本代表の発言があまり信用が出来なかったということなのか、提案があまりにもかけ離れすぎて、出来そうにないと判断をしたのだろうか。

 地域の環境を守りながら、地域づくりに向かうのはどこも同じです。

なばり

2009-09-23 11:13:46 | 昔話
 古名を、那波あるいは奈半とかき那波(奈半)郷とよんだ。そうな。

 「十日、今日は奈半の泊まりにとまりぬ」トマリは、タマリ(溜)の母音交替形。ナバル(隠る)、動語かくれるの名詞形がナバリだろうと思う。らしい。

 土佐日記にあるとおり「ナハリ」とここでは言うのです。

 幕末の画家河田小龍の描く俯瞰図には「奈半里」とあります。

 地名にもそれなりに、意味があるようです。
 土佐史談会の発行する本にこうした記述がたくさんあります。
 面白いことです。

 

臨時列車。

2009-09-23 08:20:41 | 森林鉄道物語
 魚梁瀬森林鉄道だけが、上流への交通手段であった頃の写真です。昭和25年に撮影されました。

 土曜日の放課後、山から子供たちを迎えに臨時列車が運行されたのです。

 屈託なく笑っている子供たち。一週間ぶりに家に帰るのです。まだカメラも珍しかったのでしょう、しっかりとカメラを意識しています。

 山で働く両親と、合宿所で生活をしながら学校で学ぶ子供たち。これがここでの普通の生活だったのです。
 合宿所では食事も早い者勝ち。競いはあっても争いは無かったそうですよ。順番で、交代で、みんなで一緒に生活をしていたのです。

 これから土曜日の午後から、月曜日の朝までが家族で一緒にいられる時間だったのです。

 何か今の子供たちより、しっかりしているような気がします。
 勘違いかな。

 

経済特区

2009-09-22 12:45:22 | 昔話
 野中兼山という土佐藩の執政が江戸時代の初期に経済特区を作った話です。17世紀の半ば頃だそうな。
 
 高知の城下も徐々に整備ができ始めた頃のこと、物部川上流域と高知城下を結び、商取引の場を設けることで、物流を円滑にする必要が出てきたのです。
 場所は舟入川の舟運を利用する目的で、長岡郡稲吉村に商人や職人を集めて新しい町を造ったのです。カヤの草原だったそうですよ。
 この商業地では諸役御免。いわゆる無課税地域を造ったのです。
 魚・塩・茶・薪などを商う商人が多く集り、繁栄をしたのです。税金がかからない商業地。今作っても繁盛することでしょう。

 兼山の経済政策だったのです。すごいことを考えたものです。
 名前の由来は、諸役御免からきており、今の南国市後免町なのです。
 だいたい350年ほどの歴史があることになります。

 そして土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の起点です。
 地名も面白い話・由来が結構あるものです。
 

やろうとすれば、出来る。

2009-09-20 21:55:25 | 田舎の理屈
 今晩、7時から造形作家都築房子さんの記念講演会がありました。表現者としての自分を語っていただきました。

 若いときから現在まで、彼女の歴史を見せていただいたのですが、なぜか聞きながら「そういえばPPMのマリーが死んだなあ。」って思っていたのです。

 フォークソングの歌手でベトナム反戦を歌い、人生を語っていた彼女のことがふと、よぎったのです。
 造形を意図して活動をしていた都築房子さんは、表現の手段として木や紙を使って形を作るのです。歌手マリーは歌うことで自分の意思を伝えようとしていたのです。

 同じような時代を生きていたんだなあ。何となく納得していたのです。

 今回作品の写真を見たぐらいの情報で展示会の準備をしてきたのですが、作品を前に何か戦っている自分もいたのです。「何だこれは」だったのです。

 もうひとつ納得できないような形。もちろん全部じゃあないのですがね。

 造る作業の苦労、大変さは理解できるのですが、作家の評価は作品が語っているのですから、私はそれに従うだけなのです。

 理解できない自分の未熟ぶりは仕方がないのです。素直な自分はキライではありません。
 明日、モット彼女と話をしてみようと思っています。

 今日の講演は良いお話でした。56人の参加者でしたか、予想以上の大盛況でしたね。

 多分今日の話を聞いて、明日同じ作品に向かうと、違って見えるのでしょう。
 そんな気もします。

 それより、たくさんの作品の写真を見せていただきましたが、展示場所は今回の工場が最高です。どこの美術館よりいいなあ。
 良い場所を得て、作品に新しい価値が付与されたような気がしています。
 まともな図書館とてなく、美術館など思いも付かない田舎なのです。

 田舎では、今まで民間が自主的にこうした芸術作品の展示会をするなど、ほとんど実例はないのです。また2週間などという期間、連続して開催するなどというイベントは大変なのです。

 しかしやろうとする意思さえあれば、なんとかなっております。
 仲間がすばらしいのです。
 半分の期間が経過し、集客目標もほぼ達成されつつあります。
 田舎だからできない。無理。そうした意見への挑戦でもあるのです。
 
 結局好きなのでしょう。こうした活動をするのがね。

 

イベント紹介2009・9

2009-09-20 10:34:55 | Vision East
 中岡慎太郎顕彰会がイベントを開催しています。

 幕末村体験と称して参加者を募っていたのです。

 和弓体験や竹笛作り、わら草履作りやらコンニャク作りまで面白いね。
 さらに体験教室も盛りだくさんです。
 書道教室・慎太郎講座・慎太郎映画と多様な催しが続きます。

 参加者募集期間は終了したようですが、行ってみてはいかがでしょう。

 23日(水)までです。

 今まであまり活動が活発でなかった慎太郎顕彰会。
 新しい組織になったようで、元気です。

 連絡をしていったほうが良いかもしれません。
 0887-38-8600(中岡慎太郎館)

 北川村柏木は幕末村宣言をしたのですね。
 昭和60年ぐらいだったのか、吉田喜重監督に映画の製作を依頼して、募金活動やら、上映活動にあちこちと動き回ったことが思い出されますね。
 「幕末に生きる」良い題名です。
 この際、陸援隊でも作ってみようかなどと、考えたりします。
 
 野根山屯集の23士や中岡慎太郎は高知県東部地域の大きな財産です。
 明治維新を命をかけて達成した彼らと、平成維新に向かっている現在。
 「平成に生きる」私たちが今、試されております。

 そういえば、私も中岡慎太郎顕彰会に入らなければなりませんね。

 

ありがたいことです。

2009-09-19 06:48:42 | 日記
 このブログを書き始めて80日。いつの間にか毎日の事として習慣化しつつあります。楽しんでいます。

 いつもの作業なのですが、ふと気がつくと、今日はこれを書こうとかと考えている自分がいるのです。これをこのように書いたら面白そう。といった感じです。

 80日間で閲覧数が延べ11,319人。訪問者数は延べ5、186人。
 感謝です。

 書かなかった日は、訪問者は激減し、複数本書いた日はたくさんの方々が覗きに来てくれます。

 実に解りやすくて、面白いのです。
 そのうち、ブログを書いている友人達とリンクを積極的に張り巡らせるようになるのかもしれませんね。

 それはそれでいいのです。限りなく広がってゆきますからね。
 誰かが言いました。「ネガティブな発言が多くなるぞ」。いいではないですか。
 人それぞれですから。
 今を楽しんでおります。

一冊の本。

2009-09-19 05:35:18 | 昔話
 一冊の本がある。1994年発行。A4版で厚さ3.5cm。なかなかしっかりした本です。亡くなった父の本箱からちょっと拝借しているのですが、これがなかなか面白いのです。

 明治14年(1881年)12月5日 片岡健吉一行、安芸を発し奈半利村松吉屋に投宿。同村の有志浜田才吉、安岡駒衛、藤村米太郎、包国可治、広末鹿吉の求めで懇親会に出席、会員30名。・・・。・・が演説。片岡健吉、自由党の将来の目的等の質問に答える。同村には私学校設立され長は広末鹿吉、教師は元県会議員北川忠惇

 とある。
 12月1日に片岡健吉一行は安芸郡吉良川村政談演説会(6日)出席のため高知を出て、その日は赤岡まで、翌日は安芸まで、そして滞在。5日に奈半利に、さらに吉良川まで来て、夜八幡宮境内で政談演説会を開いている。聴衆300有余人とありますから、すごいことです。

 さて、松吉屋ってどこなんだろう。投宿ってことは宿屋だろうね。
 知らないなあ。
 人名はその当時のお歴々がずらっと並んでいるのです。
 しかし私学校って??。
 まだまだ郷土のことにしても、知らないことだらけです。

 私学校にしても、塾程度かと思っていたので調べもしなかったのですが、ちゃんと校長がいて、元県議会議員が教師をする。う~~ん面白い。調べてみましょう。
 北川忠惇は北川村出身。以前に高知県東部人物列伝に書いた北川武平次の長男です。

 しかしこの本、詳しいですね。誰が、どこで、誰と会い、何をしたのかが日毎に全部といって書いてあるのです。
 そして、当時の自由民権運動のなんとすさまじいことか。エネルギーにあふれています。
人と会い、話し、よく飲んでいます。元気です。大きな声で怒り、笑い、口論をしている様が見て取れます。

 今の高知はお休み中なのでしょうかね。明るい未来を語る政治家にあったことがないのです。残念ですがね。

 この本の編者の方々に立礼です。本は本箱に返します。また。

餅は餅屋

2009-09-18 11:54:51 | 日記
 現在開催中の「都築房子展」を紹介するテレビ番組が本日お昼前にNHKで放送されました。
 やはり餅は餅屋ですね。映像としてテレビ画面を見ると、実物よりもきれいに見えてしまうようです。

 なかなかに興味が広がります。

 相変わらず多くの方々が、お出でになっていただいておりますが、今日の放送を見て、また来てくださる方がいらっしゃるかもしれません。

 案外と一度見た時の印象と2度目を見たときの印象が違うときもありますから、そうした楽しみ方もあるように思います。

 それに見た方々のメッセージをいただくような仕掛けもあったら良いのかもしれません。
 何か準備をしましょう。
 お出でになった方々の意見は、貴重です。

 いろいろと毎日課題が出てくるのも、2週間という、期間がなせる業です。
 良い勉強です。