父が運転する車で、母の生家へ、祖父母のお墓参りに向かおうとしていた午後1時過ぎ、身支度をして外に出ると、ボクの頭上の空は、ちょうど東西に線を引いたように、北の空はほとんど真っ黒い雲に覆われ、南の空の半分は、白い雲とグレーの雲が混在して広がっていて、その隙間から青い空が顔を覗かせていた。ボクは、いっそう強くなっていた、夏の暑い日差しから逃れるように後部座席に乗り込んだ。こんな風に、父と母と妹と・・・母の生家へ車で出かけるなんて、何年振りの事だろう。記憶をいくら辿ってみても全く思い出せない。
祖父母は20年以上も前に他界している。子供の頃は、最低でも月に一度は、祖父母の待つ母の実家に一晩泊まったものだったが、祖父母が相次いで亡くなってしまった年を境にして、ボクは、だんだんと泊まりに行く回数が減り、そしてお墓参りにすら行かなくなっていた。その当時は、夢の中によく祖父がニッコリと笑顔で出て来たから、形式だけのお墓参りになど行かなくても、いつでもボクのそばには祖父がいる、そう思っていたのだ。なので、ボクが、お盆に母方の祖父母のお墓参りに行く事は、少なくても・・・10数年ぶりの事になる。いや、もっと前の事だったかもしれない。
街道を時速60キロで走行する車の中から見る風景は、子供の頃に何度も行き来して通った街道の風景とはだいぶ違っていた。街道の近くを走る電車に乗る事は何度かあったから、丘陵地帯が造成され、大型のマンションがいくつも建ち並び、年々、豊かな自然の緑が消えていく変化は目にして解っていた。でも、電車からは見えない、街道沿いの街並みや風景も、昔とは随分と変わっている事に、ボクは驚かずにはいられなかった。
全てが変わってしまったわけではなく、街道の左側の小高い山々と緑はまだ残っていたし、街道沿いに並ぶ、昔ながらの小さな商店や住宅も残ってはいた。でも、電車から見えた、街道の右側に相当する、なだらかで小高い山へ続く平地には、子供の頃にはなかった新しい広い道路がいくつも整備され、住宅が建ち並び、コンビニやスーパー、大型のショッピングビルなど、そこには、ボクには見慣れないものばかりが並んでいた。
その変化は、カラーだったボクの記憶の中の写真を、セピア色に変えるようだった。
ボクは、すっかり様変わりした風景を見ながら、小高い山や水田や畑、豊かな緑が造成されて住宅地に一変してしてしまった、母の生家の一帯の景色と重ねて見ていた。祖父母の土地だった裏山が切り崩されて、造成されて住宅が建ち始めたのはいつの事だったろう。久しぶりにお墓参りに行った時、その変わりように驚いた事を、ボクは思い出した。
懐かしい子供の頃の記憶をたぐり寄せると、裏山ではセミやカブトムシを捕まえたり、犬と遊んだり、柿をもいだり、シイタケを採ったりしたものだった。祖父母の水田や畑では、従兄弟達とさつまいも掘りをしたり、ザリガニやサワガニ釣りをしたりもした。目を閉じると、当時の景色がそのまんまの姿で脳裏に浮かんでくる。
だが、母の生家に近づくに連れ、その懐かしい心の中の記憶は、ボクの目に飛び込んでくる、ボクの知らない、見た事もない新しい風景に掻き消されるように沈んだ。母の生家は、叔父が新しく家を建てたから、祖父母が住んでいた家とは違ったが、石垣や庭は当時の面影がそのまま残り、敷地内には山の一部がかすかに残っていた。ボクは、当時の記憶を懐かしみ、噛みしめるようにゆっくりと歩いてみると、懐かしい記憶は、色褪せる事など決してなく、洪水のように押し寄せた。ボクにとっては、子供の頃の記憶はセピアにはなりえないかもしれない。今でも原色そのものなのだから。
空は・・・青空は消え、日差しは緩み、黒い雨雲が覆い尽くそうとしていて、すぐにでも激しい雨が降ってきそうだった。どんなに激しい雨が降ろうとも、姿形が違っても、ボクの心の中の大事な記憶は、決して流されず、色褪せたりはしないだろう。
祖父母は20年以上も前に他界している。子供の頃は、最低でも月に一度は、祖父母の待つ母の実家に一晩泊まったものだったが、祖父母が相次いで亡くなってしまった年を境にして、ボクは、だんだんと泊まりに行く回数が減り、そしてお墓参りにすら行かなくなっていた。その当時は、夢の中によく祖父がニッコリと笑顔で出て来たから、形式だけのお墓参りになど行かなくても、いつでもボクのそばには祖父がいる、そう思っていたのだ。なので、ボクが、お盆に母方の祖父母のお墓参りに行く事は、少なくても・・・10数年ぶりの事になる。いや、もっと前の事だったかもしれない。
街道を時速60キロで走行する車の中から見る風景は、子供の頃に何度も行き来して通った街道の風景とはだいぶ違っていた。街道の近くを走る電車に乗る事は何度かあったから、丘陵地帯が造成され、大型のマンションがいくつも建ち並び、年々、豊かな自然の緑が消えていく変化は目にして解っていた。でも、電車からは見えない、街道沿いの街並みや風景も、昔とは随分と変わっている事に、ボクは驚かずにはいられなかった。
全てが変わってしまったわけではなく、街道の左側の小高い山々と緑はまだ残っていたし、街道沿いに並ぶ、昔ながらの小さな商店や住宅も残ってはいた。でも、電車から見えた、街道の右側に相当する、なだらかで小高い山へ続く平地には、子供の頃にはなかった新しい広い道路がいくつも整備され、住宅が建ち並び、コンビニやスーパー、大型のショッピングビルなど、そこには、ボクには見慣れないものばかりが並んでいた。
その変化は、カラーだったボクの記憶の中の写真を、セピア色に変えるようだった。
ボクは、すっかり様変わりした風景を見ながら、小高い山や水田や畑、豊かな緑が造成されて住宅地に一変してしてしまった、母の生家の一帯の景色と重ねて見ていた。祖父母の土地だった裏山が切り崩されて、造成されて住宅が建ち始めたのはいつの事だったろう。久しぶりにお墓参りに行った時、その変わりように驚いた事を、ボクは思い出した。
懐かしい子供の頃の記憶をたぐり寄せると、裏山ではセミやカブトムシを捕まえたり、犬と遊んだり、柿をもいだり、シイタケを採ったりしたものだった。祖父母の水田や畑では、従兄弟達とさつまいも掘りをしたり、ザリガニやサワガニ釣りをしたりもした。目を閉じると、当時の景色がそのまんまの姿で脳裏に浮かんでくる。
だが、母の生家に近づくに連れ、その懐かしい心の中の記憶は、ボクの目に飛び込んでくる、ボクの知らない、見た事もない新しい風景に掻き消されるように沈んだ。母の生家は、叔父が新しく家を建てたから、祖父母が住んでいた家とは違ったが、石垣や庭は当時の面影がそのまま残り、敷地内には山の一部がかすかに残っていた。ボクは、当時の記憶を懐かしみ、噛みしめるようにゆっくりと歩いてみると、懐かしい記憶は、色褪せる事など決してなく、洪水のように押し寄せた。ボクにとっては、子供の頃の記憶はセピアにはなりえないかもしれない。今でも原色そのものなのだから。
空は・・・青空は消え、日差しは緩み、黒い雨雲が覆い尽くそうとしていて、すぐにでも激しい雨が降ってきそうだった。どんなに激しい雨が降ろうとも、姿形が違っても、ボクの心の中の大事な記憶は、決して流されず、色褪せたりはしないだろう。
いつもの風景が戻ってきました
お盆の間変わらず仕事だった私ですが、人の少なくなった
通りを車を飛ばしていて、levieさんのその心象風景のいろいろ
に似たものを思い出していた私です
先日群馬のたんばら(玉原)というところに行きました
そこは母の生家に近いところにあります
ちょうどお祭りだったらしく、まだそこには私が昔馴染んだ
懐かしいものたちが残っていましたよ
levieさんの想い出も、きっと消えることなくずっと鮮やかに
残り続けていきますよ…(^_^)
本当は、久しぶりのお墓参りに関しての・・・自分の目線での、家族と親類縁者の、心の物語を書こうと思っていたんですけど、書けませんでしたぁ・・・(涙)←機会があったらそのうちに・・・
俺にとっては、豊かさって、水や緑の自然なんですよね~
何度も書き直しているうちに、機械的な便利さや、生活の便利さ・・・、または心・・・、そうしたモノと引き替えにした代償の大きさを感じてしまって(笑)
気が付いたらこんな文になっちゃってました(笑)
そうですね~、昔に馴染んだ事や記憶は、決して色褪せることはないでしょうね~。