When I Dream

~気侭な戯言日記~

“愚者”と“魔術師”

2006-05-25 23:50:20 | 不可思議ネタ/タロット&西洋占星術

このところずっと考えている事のが表題のタロットカードの大アルカナ…“愚者”と“魔術師”…、HPでもちょっと触れていたと思うけど、タロットカードの解説本による説明/解釈は近からず遠からずの違う意味なんだけど、levie的にこの2枚のカードは、相反しながらも限りなく似ている裏と表だと思ってます。手っ取り早く最も解りやすく言っちゃうと“子供”と“大人”のような違いだと言っていいかもしれない。最近は解説本の類いを全く買っていないし読んでいないし、もしかしたらそう言う説明が書かれている本があるかもしれない。もしかしたら過去に買ったり読んだりした本の一節にもそう言う記述があって、忘れているだけかもしれない…。

春先だったかもうちょっと前だったか…、遊び心半分本気半分でカードを引いてみた時…、キーポイントになる位置にその2枚を引き当てた。魔術師はなかなか引き当てないので自分の未来に明るい兆しを感じる事が出来てちょっと嬉しかったりしたんだけどね(微笑)友人や他人をリーディングする時には、カードをじっと眺めながら解説本に書かれている意味を読んでいるうちに、しっくり来る“単語”が頭に浮かんで来て的を絞り込んでいける事が多いんだけど、自分で自分をリーディングする時にはとめどなく願望や迷いが溢れちゃって的を絞り込むことが出来ない。
でもその時は、カードをめくって表にするたびに“やっぱりなぁ~”とか“そうか!”っと言う閃きや直感みたいなイメージが湧いてきて“我ながら冴えてるかも”っと思った(爆)具体的には理解が及ばなくても、カード一瞬見ただけで空気が読めたって風だった。そしてその時に感じたカードの雰囲気通りに進んでいると思われるこの頃→バカみたいだけどホント(笑)

で、“愚者”と“魔術師”ですが、いつでもどんな時でも同居/混在→つまり二つとも重ね合わせて融合させたい←させて“フール”でありながら“マジシャン”、或いは、“マジシャン”でありながら“フール”な自分で在りたいと考えるようになってきたんです。掴み所が無い自分を他人から見たら“愚者”のイメージはあるかもしれないけど、もっと言えば“愚か者”←それは近藤真彦→だろうと思うんだけどね(自滅)

一昔前は未熟で子供の“愚者”と、成熟で大人の“魔術師”をイメージすると…「大人になりきれない子供」…と思っていたけど、実はそうではないんだと考えられるようになってきた。その両方を常日頃から自分の中に同時に内包する事は難しい事じゃないような気がしてきた。

愚者のイメージには堅苦しさや束縛はない、地位や階級に羨望や劣等感も持たないはずで、大らかでゆったりしたリズムだと思う。魔術師は愚者よりも少し固いイメージがあるかもしれないけど、何事にも恐れずに挑むだろう事は愚者のイメージと同じ、愚者が何のアイテムも持たず風のように感覚的で行き当たりばったりである事に対して、魔術師はアイテムで精霊を操り、理詰めで的確に物事を解決できる力を持っていると思う。…あッ、行き当たりばったり感覚なlevie(自爆)→愚者そのもじゃん(笑)→確かに理詰めにはめっぽう弱い(遠い目)←思考回路が直感&感覚である(汗)

『愚者と魔術師は表裏一体』、そのどちらが欠けてもホントは未熟なんじゃないかなぁ?っとちょっと前に気が付いた。会社の中での自分のイメージや振る舞いをカードに当てはめてみたり、一緒に働く人達をカードに当てはめると…、文句ばっかり言う人、行動が素早い人、計算高い人、気の弱い人、一生懸命な人、仕事は厳しくても凄く面白い人…、って具合にちょっと面白い分類ができるかもしれない(爆)←あくまで自分が感じるイメージでしかないけどね

そうした中では、levieはやっぱ“フールとマジシャン”のイメージで人から見られたいかな?近づき過ぎず遠過ぎずみたいかもしれないけど(爆)そんなイメージを自分の内側から滲ませれば…、化けられるんじゃないだろうか??(微笑)その2枚のカードの間には大アルカナ全てが揃っていて、場面に応じてキッチリ使い分ける!目には目を、気持ちには気持ちを(笑)←我ながら完ぺきな発想じゃない??


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五月晴れの季節のはずなのに | トップ | movaが無くなる? »

コメントを投稿