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人災と言う前に、災害大国日本ではそれなりの覚悟で生きるべきだ。

2011-11-02 19:04:00 | 自分が思う事、言いたい事!
このところ、災害の多い日本で何かと言えば「これは人災です」と
糾弾する人がいる。事を誰かのせいにしないと気がすまないのか。

震災や災害が起こった後の処理、その対応においては人災だと
言いたくなるような無能な行政の人も確かにいる。
福島の原発での対応などまさしくそう言われるような人がいる。

もう少し◯◯な対応をしていれば、もう少し早く◯◯していれば、
起こらなかったかも、助かっていたかもしれないということで言うのだろうが。
何十年にわたっていつ起きるかもしれない災害に言える事だろうか。

それだって結局、個人の資質の問題ではないか。日頃から訓練をしていれば助かった。
僕に言わせればそれで助かったのであれば幸運だ。
50年、100年、きもしない災害の訓練を気持ちを高めて出来るだろうか。
何十年も住民を引っ張るリーダーがいる街の人は幸運だ。

例えば、津波のレベルを10段階で表したとして、
毎回レベル8の標高50メートル以上のところまで登る訓練をするだろうか。
ある地域の人は緩やかな道を長い距離を走らねばならない、
また急斜面を一気に登らないといけない地域もある。
日頃の生活の中でMAXな避難をする訓練は現実的ではない。
災害が起きたらこうしましょう。ある程度想定したレベル3か4で済ますだろう。

僕に言わせれば、乱暴な言葉だけど、先ほども書いた個人の意識の問題だと思う。
平和な国で、全て行政に依存し、頼りすぎているのではないか。
学校教育と同じで何でも学校や教師に押し付けているのと同じだ。

個人で自分を守る意識が必要なんじゃないか。そんな本来の動物的な感が
この災害は大きいぞ、いつもとは違うぞと気づかせるのではないか。
本能的な感覚が、危機意識がますます鈍っているのではないか。

100年に一度、1000年に一度の災害だ。
日本の場合、地震にしろ、台風にしろ、津波にしろ日本全土に可能性がある。
おまけに70%近い山岳地の日本、どんな対策をしろと言うのか。
日本の海岸すべて20メートルの津波に堪える防波堤を築くのか。
山岳地域の崖を削り取った道という道の崖を、山崩れ防止にコンクリートで固めるのか。
そんなことしたところで、数十年経つごとに補修、補強し直せねばならない。
経済が発展した今までの日本でさえ、これだけの防災、
わずかの規模しかできなかったのではないか。
これから、冷え込んでいくだろう日本経済の中で何が出来ると言うのか。

第一、100年に一度のために造った頑丈な防災都市に住みたいと思うのか。

そんな町に、国に行政が対策をしなかった「人災だと」言う人はどれだけ税金を払ったんだ。

日本人が本来住むべきでないところにまで住んでいると言う事でしょう。

言い方は乱暴だが、そう言う地域に住むと言う事はそれなりの覚悟をもって住むべきだ。
ゼロメートル地帯、崖の前のわずかな平地に立つ集落。
その集落を結ぶ、少しの崖崩れで膨大な工事の必要性がある山岳地域の道路。
Googleで険しい紀伊半島の山道に散らばる集落を見ればわかるだろう。
人災だと言う人、この写真を見てどれだけ防災すれば防げると思う?
 立派なコンクリート壁、造っていないところが崩れれば人災?

おそらく、古来から記述もされていない、村が全滅してしまう程の事が
何度も起こっていたと思う。村ごと移住した事も沢山あっただろう。

人は嫌な事は忘れてしまう様に出来ている。だから気持ちを切り替えて生きていけるのだ。
同じように被災地も時が経てば忘れて、人が過去を忘れて無防備に住み始める。
人間なんて間違いを繰り返しながら生きているもの。

        ■

予知にお金をかけるのも、災害対策にお金をかけるのも、
ほどほどに人が幸せになれるほどで良いではないか。
それよりも、想定を越えた災害にあった時に手厚い支援の出来る
そんな日本を創って欲しい。

被災者がすぐにも立ち直れるような、嫌な事を忘れて希望を持てるような
そんな仕組みのできた、震災大国日本にならないのか。

        ■

東日本大震災。終わっていない、まだまだ復興は遠い。

■忘れてはいけない。この人達のことを。
ボランティアをされている方、かっこいいです。

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