本来、長期的に人類の未来を託すべきエネルギーであったはずの原子力ですが
今回の事故から来る世論の硬さはほぐれそうにありません。
高速増殖炉の早期実用化は困難なのか、海水中ウランの濃縮は将来とも経済性を持てないのか
核融合は結局は商業化不能の夢で終わるのかなど、軽水炉から核融合までを
まとめて一括りにして原子力を語ることは、そもそも乱暴な話ではあるのですが
期待が大きかった故にこのような否定的疑問文で語られるようになってしまい
これまで原子力に関与した人々の嘆きはさぞかし大きいことでしょう。
一方で、化石燃料亡き後の再生可能エネルギーについて
いろいろな選択肢はあるもののどれも不確実性は否めないことも事実です。
世界の人口が100億人近くになり、一人当りのエネルギー消費の伸びが
とどまるところを知らない現実の状況がこのまま続くと仮定すると
この優れた資質と、現在でも世界のエネルギー消費の17%を担っている
原子力の実績になんとか頼りたいという心情は消えません。
と言うより、この仮定を認める限り、どのような形かは別として
原子力エネルギーに相当な割合を委ねる以外の道はないというのが
将来のエネルギーに対する指標のうちで
最も確度の高いものの一つであることに変わりはないと思うのです。
ただし、現時点でこのことを表立って口にする政治家、学者、評論家などはいません…。
ちなみに、日本の原子力委員会の原子力白書は毎年3月に刊行されますが
2030年以降も原子力発電が日本の総発電量の30~40%程度か
それ以上の役割を果たすように推進し、その内訳として
2100年時点では高速増殖炉7割
残りが軽水炉となる中長期イメージを提示していました。
これが今後、国民感情を逆なでしない希望的将来像と
多分に曖昧な表現が多くなるのでしょうが
さてさて、どのように変わっていくのでしょうか。