保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

エネルギー問題の昨日今日

2011年09月07日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

石油の枯渇が多大な関心を集め電力などの節約が求められたのは
1973、79年の二度にわたる石油ショックが主因でした。

一方では、我々の時代は大丈夫だ、何を慌てているか、と冷静になるよう諭しながら
石炭、太陽光、原子力等のいわゆる石油代替エネルギーに
否定的見解を示し続けた人達がいたことも確かでした。

彼らの主張の一つの根拠は、100年に近い数十年先までもつ資源は
人類にとって無限に利用できるものとほぼ同じであり、そもそも
100年前の明治初期に我々は今の状況を予測できたか、ということでした。

さらに当時、早期実現が望ましいが
実現までには10~20年の期間が必要とされていた技術、例えば太陽光、風力発電等は
当時の議論ではすでに日本のエネルギーのかなりの部分を担っているはずでしたが
40年経った今でも僅かな比率に過ぎません。

また、1980年当時、石炭の液化技術が検討され、石油がバーレル当り30ドルであれば成り立つ
つまり石油の価格抑制力として有効なはずでしたが、単純な比較はもちろんできないにしても
最近の石油価格はその3倍の高値を経験しているにもかかわらず、この技術の話題は聞こえて来ません。

そもそも、1960年代後半、石油が石炭をしのぐ消費量になった当時
考えられていたエネルギーの中・長期の未来予想はどうだったのでしょう。

その頃、石油、天然ガスを使い切ったあとは、原子力
つまりFBR(高速増殖炉)か海水ウランの軽水炉、最後には核融合炉が主役となり
多量に存在する石炭が次第に減少しながら補完し、かつ
太陽光、風力発電などが利便的に活用できる範囲で共存していくというのが一般的な想定でした。

その道筋に変化が生じた主な理由は次の3つです。

第一に、環境問題を起因として
地球の(正確にはその表面の)有限性が表ざたになったことでしょう。

科学技術の進歩で、地球の環境を破壊しない程度の負荷を
人間が感覚的にも理性的にも認識できるようになり、「地球に優しい」という標語に端的に示されるように
ある部分では地球と人類の力関係が逆転したようにも感じられ始めたのです。

もっともこの逆転は、地表面に近いほんの一部の出来事であり
「地球に優しい」もある意味では“人間中心の露骨な表現”であって
地球が歩んできた46億年もの激動の歴史からすれば
現在の騒動は人類とその周辺の生態系のほんの僅かな範囲の危機に過ぎない話です。

所詮、短期逗留の居候にすぎない人類とやらの「優しさ」を
地球がどう感じ取っているかは知る由もありません。

しかし、そんな人類とて、宇宙を資源開発や太陽光発電用に利用することはあっても
何百万人という規模で宇宙に移住する可能性は今後数百年はないのですから
その間、ほとんど全ての人類は地球で生をうけ生涯を全うするはずで
これが明確になってきたこともそう古い話ではありません。

科学技術が掲げた「未知の世界の無限の可能性」も単なるお題目に過ぎず
人類にとってあらゆる限界が遥か彼方にあって見えなかった時代は既に過ぎ去ってしまいました。

第二に、持続可能性の観点が強調されてきたことです。

化石燃料の寿命が50年だろうが、300年だろうが
その先はどうするのか、という問いが急速に勢いをもってきたのは最近のことです。

石油ショックの時代に「資源枯渇は心配することはない」と抑えに回った人達でさえ
多くはたかだか50年先を言及したに過ぎず、このまま推移すれば化石燃料はいつかは枯渇するのであり
利用できる今はほんの過渡期に過ぎないということです。

そして第三には、今までに実質的に持続可能エネルギーと考えていた
原子力関連の将来展望にカゲリが出て少なくとも主人公とするには
あまりに不安であることが認識されたことです。

もし原子力の利用が現在のレベルで止まるとするなら、つまりウラン鉱からの軽水炉だけとするなら
可採年数が60年の枯渇エネルギーに分類されることになってしまいます。

ありのままを言えば、150年前から人類は半ば“成り行き”で化石燃料
特に石油を多量に使うようになってきました。

当初、このどす黒くて粘性が強くとても役に立つとは思えなかった液体の有限性
大量消費に伴う弊害などは念頭にありませんでした。

しかし、あれよあれよという間に使用量が増大し先はどうなるのかとの懸念も芽生えはしましたが
時は科学技術の怒涛の快進撃期、石油や石炭を掘り尽くしても
原子力か革新的技術かでなんとかなる、と漠然と期待していたのでした。

しかし、どうもこうにも他に頼りになるものはない
しかも、人類の活動量が現代のレベルに達した以降
地球表面で生存できる範囲の脆さ、小ささが意外に身近に判ってきた今
つまり、資源枯渇に加え、化石燃料大量消費に因るとされるCO2主因の地球温暖化の脅威に遭遇し
このまま化石燃料に依存し、一方通行・行き止まりの大量生産・消費・廃棄の道を突き進むことの是非は判っていながら
未だに多くの一般庶民はエネルギー供給での化石燃料が主役の結末に
正面から向かい合わないどころか目をつむっているようでさえあります。

再生可能エネルギーで誰かがすぐになんとかしてくれるまで一時的に我慢すればよい、と思いながら
売り切れが予想されるこの冬の石油ストーブをすでに買い込んでいるのです。

それよりは排ガスが綺麗な電力を節電し化石燃料を燃すために。

 

 

 

 

 

 

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