米国ウォールストリートジャーナル H.J氏の記事から
(一部、分かり易いよう書き直しや加筆しています)
ドイツのある州では、日本の原子力発電所の危機を受けて複数の原発を一時的に停止したが
反原発の姿勢を維持するなら、その結果もたらされる電力不足には
消費者が価格の大幅な上昇を受け入れることで対応するしかない。
風力や太陽光はまだまだ夢の話だ。
選択肢となるのは原子力か石炭だ。
いまやチェルノブイリと並ぶレベルとなった日本の惨状を受けて
ただし、放出された放射性物質の量は比較にならないほど低いのだが
世界中の国々が同様の選択をしている。
どこの政府も、さまざまな考え方が入り乱れた現代科学の難問と再び向き合うこととなった。
すなわち、「低レベルの放射線を浴びると、どのくらい害があるのか」という問題だ。
過去60年間、異常な量の放射線を浴びた人たちの間で
“過剰な発がん率”があるかどうかが研究されてきたが
その結果は科学的に満足なものではなく、厄介なものとなっている。
米国と日本の政府が共同で行い、かつては評価されていた広島と長崎の研究では
「低線量の被ばくでは、がんのリスクはほとんど、あるいは全くない」という結果だった。
むしろ、低線量の被ばく者は“がん以外の病気”による死亡が少ないことから
「長寿につながる」とも考えられた。
だが、この原爆の研究はここ数十年で科学的な価値が疑われるようになった。
理由の一つは“生存者に見られる特別な偏り”だ。
つまり、「生き残った人たちは原爆だけでなく、その後すぐに住居の喪失や飢え
台風などを経験しくぐり抜けてきたため
一般的な日本人より屈強な人々ではないかと考えられる」というのだ。
1980年代には、胎児のときにエックス線を浴びた英国の幼児の調査や
米国核施設の労働者の調査が行われ、原爆の研究は次第に脇に追いやられるようになった。
これらの調査では、シンプルで直感的な
「正比例的で閾値がない」ことが証明されたと考えられたのだ。
つまり、放射線の危険度は、「線量に正比例するのであって
ある値を境にして危険度が急激に変わることはない」というのだ。
これらの調査にも問題はあった。
英国の母親たちは、出産後何年も経ってから
妊娠中に何回エックス線を浴びたかを記憶に頼って答えなければならなかった。
米国核施設の労働者の調査でも、3万5000人の労働者の中で2500人ががんにかかり
「平均的よりも6%~7%が過剰な発症率だった」と主張していた。
ほかにも、さまざまな説がある。
研究所内の実験では、低レベルの放射線は細胞自体の修復機能を刺激すると考えられた。
放射線科医を対象とした研究では
エックス線の危険性が知られる前に仕事に従事していた人たちの間では
発がん率が高いことが示された。
しかし、のちの調査では、少量の放射線を一生涯浴び続けても
まったく影響がなかったという結果も示された。
そして「ホットパーティクル(放射能をもった粒子)」の問題もある。
つまり、本当に危険なのは、飲み込まれたり吸い込まれたりする“内部被曝”により
体内に長期的に存在し続ける粒子ではないかという説だ。
通常は放射線が皮膚から入ってこないようなエネルギーの低い粒子でも、これが起こり得るという。
1986年にウィーンで開かれた会議では
チェルノブイリの事故でこうした議論に結論が出るのではないかと専門家たちは期待した。
その中の一人が言った。
「20年か30年のうちには、比例仮説が正しいかどうかが分かるだろう。
少なくとも、白血病や肺がんとの関連性は分かるはずだ」と。
しかし、そうはならなかった。
放射線を浴びた子供たちの間では、治療可能な甲状腺がんはかなり増加した。
(これは、当時もっと迅速な行動をとっていれば防げたものだ)
しかしそれ以外は、国連の監視プロジェクトでは、チェルノブイリ地域の住民の間に
「がんの発病や死亡率の上昇を示す科学的な証拠」は見つからなかった。
しかし、だからと言って
「過剰な発がん率」による死亡を予測する他の何万もの研究を止めるには至っていない。
そうした研究は、欧州中で何十年にもわたって行われ
すべて「比例的であるが閾値はない」モデルを基盤としている。
また、どこの政府でもそのモデルを規制の基準としている。
これらのことがすべて、日本では直接的な意味を持つ。
中でも、ホットパーティクルの問題はいずれ大きな懸念材料となるだろう。
「比例的で閾値がない」とする考え方では
日本政府はどのレベルの放射線も「安全だ」とは言えなくなってしまう。
たとえそれが、平均的な人にとっては、無視できる程度のリスクのものだったとしても。
この先何十年にもわたり、発がん率の小さな変化を巡る論争や
ある患者が「福島原発の犠牲者か」という答えの出ない論争に日本政府は振り回されるかもしれない。
他方、どこから見ても、核よりは石炭の方がずっと危険であることは
統計的な予測ではない実際の死者数を見ても明らかだ。
毎年、炭鉱事故(特に中国での事故)で死亡する人の数は
核関連の事故の死者数合計より数千人以上多い。
さらに、石炭火力発電所では水銀や他の金属など有害な物質を排出する。
加えて、放射性トリウムやウラニウムなどの排出量は原子力発電所よりも多い。
水銀などの金属は、「比例的で閾値のない」考え方に、まさに沿うものである。
2004年に米環境保護省が出した推計によると
当時推進されていた新たな排出基準に従うだけで年間1万7000人の命が救えるという。
しかし、ドイツの前述の州にとって
放射能と炭鉱事故の危険度を比較するなどは考える以前の問題だ。
そう、どちらにしろ、原発は廃炉にするに違いない。
彼らの「反原発」は、検討すべきテーマではなくて“信念の問題”なのだから。