保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

悩める原子力②

2011年09月05日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

本来、長期的に人類の未来を託すべきエネルギーであったはずの原子力ですが
今回の事故から来る世論の硬さはほぐれそうにありません。

高速増殖炉の早期実用化は困難なのか、海水中ウランの濃縮は将来とも経済性を持てないのか
核融合は結局は商業化不能の夢で終わるのかなど、軽水炉から核融合までを
まとめて一括りにして原子力を語ることは、そもそも乱暴な話ではあるのですが
期待が大きかった故にこのような否定的疑問文で語られるようになってしまい
これまで原子力に関与した人々の嘆きはさぞかし大きいことでしょう。

一方で、化石燃料亡き後の再生可能エネルギーについて
いろいろな選択肢はあるもののどれも不確実性は否めないことも事実です。

世界の人口が100億人近くになり、一人当りのエネルギー消費の伸びが
とどまるところを知らない現実の状況がこのまま続くと仮定すると
この優れた資質と、現在でも世界のエネルギー消費の17%を担っている
原子力の実績になんとか頼りたいという心情は消えません

と言うより、この仮定を認める限り、どのような形かは別として
原子力エネルギーに相当な割合を委ねる以外の道はないというのが
将来のエネルギーに対する指標のうちで
最も確度の高いものの一つであることに変わりはないと思うのです。

ただし、現時点でこのことを表立って口にする政治家、学者、評論家などはいません…。

ちなみに、日本の原子力委員会の原子力白書は毎年3月に刊行されますが
2030年以降も原子力発電が日本の総発電量の30~40%程度
それ以上の役割を果たすように推進し、その内訳として
2100年時点では高速増殖炉7割
残りが軽水炉となる中長期イメージを提示していました。

これが今後、国民感情を逆なでしない希望的将来像と
多分に曖昧な表現が多くなるのでしょうが
さてさて、どのように変わっていくのでしょうか。

 

 

 

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ようやく原因発見!また青虫?

2011年09月04日 | 自然農法による自給用野菜作り

春に失敗した大根(役者小僧)のリベンジで
秋植えの「役者横町」の種を購入し、野菜作り講座で無料でいただいた
「ネズミ」と呼ばれる“からみ大根”と2種類の種まきが終わりました。

台風12号による南寄りの生温かい風の中、丸々2日かかったのは
“春”を収穫して“秋”を植えるこの時期
場所が足りなくなって新たに“開墾”したためです

そして、気忙しかった気持ちがようやく落ち着いたのは
講座や周りの方から教えられる通りの日程をなんとか守れたためなのですが
野菜作りがこれほど日にちに追われるものとは正直、思っていませんでした。

まあ、慣れるとそこそこアバウトにできるのでしょうが。

ところで、約10日前のほぼ同じ頃に植えた白菜(だったと思うのですが)の苗は順調なのに
ブロッコリーはOさんからいただいた時から葉がかなり“虫食い”状態で
それが原因かどうか分かりませんが、6株のうち1株が枯れてしまい
残りもなんとなく元気がなかったのです。

「気合いを入れて葉っぱをこんな風にする虫を探してみよう」と昨日
老眼のまなこを皿のようにして、葉の一枚一枚の裏表をじっくりと見て行きました。

すると、いました、いました

3~10ミリのが1株に平均2匹
かつてミニトマトで見つけた青虫のちっちゃなヤツが。

もちろん全て手で除去しました。

     

青虫を撮るときは焦っているためか
いつもピンボケになってしまいます

 

キュウリは最近になって、そろそろ終わりの時期なのでしょう
変形度がきつくなってきました

 

 



 

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悩める原子力①

2011年09月03日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

1951年、米国で最初の歴史的な原子力発電がなされました。

すでに50余年というべきか、まだ50年というべきかは別にして
誰の目にも明らかなことは、当初の期待に反して順調とはとても言い難い状況になったことです。

当初の期待が最大限に実現していれば
エネルギー供給の将来の見通しにさしたる議論もないままだったこと
そして太陽光や風力などの再生可能エネルギーなどは
補助的な活用を負わせる立場に並べられていたに相違ないのです。

同時に、我々の世代は未来の子孫達に、優れた原子力技術と
エネルギーに対する余裕感を残せたはずでした。

しかし、今、なによりも安全性の確保、以前から未解決の放射性廃棄物の処理
そして経済的にも成立する他電源の確保などの課題が山積しています。

最近では、原子力への国の補助金についても、今まで期待が大きかった反動もあって
育英のための奨学金を貰っていたと思っていたら十分に働きもしないうちに
もう介護保険がいるのか、と酷評されたりもしています。

エネルギーについて考える時
原子力は避ける事が出来ない重要なテーマだったはずですが
最近のエネルギーや環境を扱う評論や書籍における原子力の扱いは極めて軽く
否、悪の代名詞にさえなってしまいました。

このまま推移すれば、せいぜい60年で寿命が尽きる
ウランの利用は電気だけ、ということになるのかもしれません。

しかし一方では、これほど魅力的な電源がないことも事実です。

当面、CO2を排出しない利点が強調されていますが
一番の魅力はその永続性にあります。

現在の消費量が続くとして、確かにウランを今の軽水炉で使えば
可採年数60年の埋蔵量であって石油や天然ガスと変わらないのですが
海水中に微量に含まれるウランを回収すれば
1000000年(100万年)はもつとされています。

例えそうしなくても、ご承知のように高速増殖炉を使えば1万年
また核融合が出来れば5000万年以上(海水中のリチウムを使うとして)と
人類は永久にエネルギー問題から開放されるのです。

つまりは本来、長期的に人類の未来を託すべきエネルギーであって
石油代替やCO2対策といった立場、文脈で出てくるべきものではなかったはずですが…。

 

 

 

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ある記事「石炭は核よりも危険」の原文紹介

2011年09月02日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

米国ウォールストリートジャーナル H.J氏の記事から
(一部、分かり易いよう書き直しや加筆しています)

ドイツのある州では、日本の原子力発電所の危機を受けて複数の原発を一時的に停止したが
反原発の姿勢を維持するなら、その結果もたらされる電力不足には
消費者が価格の大幅な上昇を受け入れることで対応するしかない。

風力や太陽光はまだまだ夢の話だ。

選択肢となるのは原子力か石炭だ。

いまやチェルノブイリと並ぶレベルとなった日本の惨状を受けて
ただし、放出された放射性物質の量は比較にならないほど低いのだが
世界中の国々が同様の選択をしている。

どこの政府も、さまざまな考え方が入り乱れた現代科学の難問と再び向き合うこととなった。

すなわち、「低レベルの放射線を浴びると、どのくらい害があるのか」という問題だ。

過去60年間、異常な量の放射線を浴びた人たちの間で
“過剰な発がん率”があるかどうかが研究されてきたが
その結果は科学的に満足なものではなく、厄介なものとなっている。

米国と日本の政府が共同で行い、かつては評価されていた広島と長崎の研究では
低線量の被ばくでは、がんのリスクはほとんど、あるいは全くない」という結果だった。

むしろ、低線量の被ばく者は“がん以外の病気”による死亡が少ないことから
長寿につながる」とも考えられた。

だが、この原爆の研究はここ数十年で科学的な価値が疑われるようになった。

理由の一つは“生存者に見られる特別な偏り”だ。

つまり、「生き残った人たちは原爆だけでなく、その後すぐに住居の喪失や飢え
台風などを経験しくぐり抜けてきたため
一般的な日本人より屈強な人々ではないかと考えられる」というのだ。

1980年代には、胎児のときにエックス線を浴びた英国の幼児の調査や
米国核施設の労働者の調査が行われ、原爆の研究は次第に脇に追いやられるようになった。

これらの調査では、シンプルで直感的な
正比例的で閾値がない」ことが証明されたと考えられたのだ。

つまり、放射線の危険度は、「線量に正比例するのであって
ある値を境にして危険度が急激に変わることはない
」というのだ。

これらの調査にも問題はあった。

英国の母親たちは、出産後何年も経ってから
妊娠中に何回エックス線を浴びたかを記憶に頼って答えなければならなかった。

米国核施設の労働者の調査でも、3万5000人の労働者の中で2500人ががんにかかり
「平均的よりも6%~7%が過剰な発症率だった」と主張していた。

ほかにも、さまざまな説がある。

研究所内の実験では、低レベルの放射線は細胞自体の修復機能を刺激すると考えられた。

放射線科医を対象とした研究では
エックス線の危険性が知られる前に仕事に従事していた人たちの間では
発がん率が高いことが示された。

しかし、のちの調査では、少量の放射線を一生涯浴び続けても
まったく影響がなかったという結果も示された。

そして「ホットパーティクル(放射能をもった粒子)」の問題もある。

つまり、本当に危険なのは、飲み込まれたり吸い込まれたりする“内部被曝”により
体内に長期的に存在し続ける粒子ではないかという説だ。

通常は放射線が皮膚から入ってこないようなエネルギーの低い粒子でも、これが起こり得るという。

1986年にウィーンで開かれた会議では
チェルノブイリの事故でこうした議論に結論が出るのではないかと専門家たちは期待した。

その中の一人が言った。

「20年か30年のうちには、比例仮説が正しいかどうかが分かるだろう。
少なくとも、白血病や肺がんとの関連性は分かるはずだ」と。

しかし、そうはならなかった。

放射線を浴びた子供たちの間では、治療可能な甲状腺がんはかなり増加した。
(これは、当時もっと迅速な行動をとっていれば防げたものだ)

しかしそれ以外は、国連の監視プロジェクトでは、チェルノブイリ地域の住民の間に
「がんの発病や死亡率の上昇を示す科学的な証拠」は見つからなかった

しかし、だからと言って
「過剰な発がん率」による死亡を予測する他の何万もの研究を止めるには至っていない。

そうした研究は、欧州中で何十年にもわたって行われ
すべて「比例的であるが閾値はない」モデルを基盤としている。

また、どこの政府でもそのモデルを規制の基準としている。

これらのことがすべて、日本では直接的な意味を持つ

中でも、ホットパーティクルの問題はいずれ大きな懸念材料となるだろう。

「比例的で閾値がない」とする考え方では
日本政府はどのレベルの放射線も「安全だ」とは言えなくなってしまう。

たとえそれが、平均的な人にとっては、無視できる程度のリスクのものだったとしても。

この先何十年にもわたり、発がん率の小さな変化を巡る論争や
ある患者が「福島原発の犠牲者か」という答えの出ない論争に日本政府は振り回されるかもしれない。

他方、どこから見ても、核よりは石炭の方がずっと危険であることは
統計的な予測ではない実際の死者数を見ても明らかだ。

毎年、炭鉱事故(特に中国での事故)で死亡する人の数は
核関連の事故の死者数合計より数千人以上多い。

さらに、石炭火力発電所では水銀や他の金属など有害な物質を排出する。

加えて、放射性トリウムやウラニウムなどの排出量は原子力発電所よりも多い。

水銀などの金属は、「比例的で閾値のない」考え方に、まさに沿うものである。

2004年に米環境保護省が出した推計によると
当時推進されていた新たな排出基準に従うだけで年間1万7000人の命が救えるという。

しかし、ドイツの前述の州にとって
放射能と炭鉱事故の危険度を比較するなどは考える以前の問題だ。

そう、どちらにしろ、原発は廃炉にするに違いない。

彼らの「反原発」は、検討すべきテーマではなくて“信念の問題”なのだから。

 

 

 

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石炭は今…

2011年09月01日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

最近ではすっかり話題に上らなくなっている石炭ですが
その現状を知る方はどの程度いらっしゃるのでしょうか。

三大化石燃料のうち、石油は液体で使い易く長らくエネルギー界の主役ですが
最も早く枯渇すると想定されています。 

天然ガスは、硫黄や窒素を含まずクリーンで、21世紀の主役と目されるのですが
現状のままでは石油と同じ時期に枯渇に向かうことになるでしょう。

石炭は固体でかさばる上に硫黄、窒素、重金属など公害成分や灰を多く含む一方
埋蔵量は石油・天然ガスの数倍以上あります

ところで、化石燃料とは「過去の動植物などの死骸が地中に堆積し
長い年月をかけて地圧・地熱などにより変成されてできた有機物の化石のうち
人間の経済活動で燃料として用いられるもの」の総称です。

このうち石炭は“化けて石の如くなった化石”の名にもっともふさわしく
液体の石油や気体の天然ガスに対しても使われていることはどこか不思議な気がします。

石炭は現在でも世界の全エネルギーの3割を超えた石油に次ぐエネルギー源であって
それどころか、2000年以降、世界の石炭需要は大幅に増加、特に新興国や開発途上国を中心に
エネルギーコストが相対的に安い石炭にシフトしている傾向さえあるとされています。

世界の電力供給における石炭の火力発電比率だけを見ても
特に使い勝手が良く経済的なため、発電量の4割を超えていて
米国で5割、ドイツでほぼ同じ5割程度、日本でも3割近くのウェイトを占めています。

ここ日本においては、“黒いダイヤ”ともてはやし多大の恩恵を受けて来たにもかかわらず
SOx、NOxおよび灰に加えCO2が議論の焦点になってくると
幾多の犠牲者を出しながらも戦前の産業振興、戦後の復興を担ったきた炭坑は
2002年、数億トンの石炭を地下に残したまま全てが閉山してしまいました。

以後、石炭に代わって石油の話題だけが身近で聞かれるようになりました。

確かにCO2の排出量を見ただけでも
同一発熱量では石炭の100に対し石油80、 天然ガス56の比になり
石炭利用のアキレス腱になっています。

そもそも、温室効果ガスであるCO2は、その約80%が化石燃料の燃焼に起因するとされています。

しかし、化石燃料の利用はアジアを中心としたエネルギー消費量の増加や人口増加を背景に
今後も増え続けると見込まれ、それにともないCO2排出量の増加が予想されています。

こうしたことから、太陽光・風力などの太陽を起源とする再生可能エネルギーや
原子力に後世を託す作業を進めていたのですが、このうち原子力に暗雲が垂れこめた今となって
その引き継ぎが石油・天然ガス時代に終ればよいのですが、遅れれば
石炭に再び主役に近い役割を期待せざるを得ない時代が来るかもしれませんし
その前段階でも、石油・天然ガス時代をより長く保つためには
いかに石炭をうまく使えるようになるかが一つの重要な要素になると予想する研究者もいるほどです。

この場合には、石炭のガス化発電や液体燃料化など
高効率でクリーンな石炭の利用技術の開発が進むことになるのでしょう。

ただし、石炭が世界の全エネルギーの5割を占めていた半世紀前の教科書的見解では
「熱源や電力用などの燃料としての石炭の利用は好ましいことではない」ことであって
決して「CO2,SOXなどが環境を汚すから使わない方がよい」ということではありませんでした。

つまり、石炭を含む化石燃料は主として炭素と水素からなる貴重な有機蓄積資源のため
原子力や自然エネルギーで間に合わせることができないだけでなく
いずれ枯渇する宿命にあるため、電力や熱などの膨大かつ低レベルの用途にではなく
化学工業などの高いレベルの利用にすべき大切な資源である、とされていたのですが…。

 

2種類のガス

都市ガス…1970年代までは石炭から作られたものの比率が高かったのですが
現在では主として、液化天然ガス(LNG)やナフサ等の原油を原料に作られます。
空気よりも軽く、常温でも液化しづらいというのが大きな特徴です。

プロパンガス(LPG)…石油・天然ガスの副生ガスから不純物を取り除いたもので
ブタンやプロパンなどを主成分とするガスです。
常温でも圧力をかけることで比較的簡単に液化、かつ
体積を250分の1に圧縮できますので可搬性に優れています。

 

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