わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから復帰中の父たまに娘が日々の出来事や想いを書いてます
ほぼはちゅ達時々マリノスたまに音楽医薬世の中のこと

迷惑メールで地球も迷惑 #2

2022-12-20 18:16:47 | 地球とか命とか
この前迷惑メールのことを書いたんだけど、今日はその第二弾。
今回のは送られてる人もわりといるんじゃないかと思うけど、前のよりは巧妙。ザっと読んだ限りは、日本語的にもあまり違和感を感じなかった。
でも、よーく見てよーく考えると、やっぱり「?」な所があるんだよねー。


最初に気になったのは、
プライムへ登録の際に設定いただいたお支払い方法認証の段階にエラーが発生しました。
儂的には「認証」、「段階」、「エラー」という言葉に違和感がある。なんか妙に仰々しい言葉を組み合わせて脅かしてね?という印象。
日本語自体もなんかヘンで、こういったメールの文章だったら、例えば、「お支払い方法の認証の際にエラーが発生」とかかな。いや、これでもやっぱり違和感があるな。

そして、次の1~3の手順。
これ、普通に読むと、まず1で、本物のAmazonのサイトを開き、2のようにサインイン(Amazonはサインインと言う言葉を使ってるのか?)して3にあるような入力やら設定やらをするんだよね。そして問題はその後。
ここまでAmazonのサイトで操作してるのに、そこからわざわざこのメールに戻って「会員特典とお支払い方法の確認 」をクリックさせるって、どう考えてもヘンじゃね? おまけにこのボタンのリンク先は、Amazonとはまったく無関係のURLだったし。二段階認証の悪用っていうことかとも思うけど、これ、二段階でもなんでもないよ。

さらに次の、
お支払方法の有効期限が切れている
お支払い手段の提供会社
どっちも言いたいことはわかるんだけど、まがりなりにもお客様に出してる文章なんだから、こういう手抜きの書き方すんなよって思っちゃう。お支払い方法とか手段って、クレジットカードだけじゃないんだよね? 何て書いていいかすぐに考えつかなくて、思わず仲間内で話すような言葉にしちゃったっていう感じ。

あと、「3日間以内に」という表現が2ヵ所あるんだけど、これ、いつから3日間以内なのかな? 人によってこのメールを読むタイミングは違うはずだから、ビジネスとして成立してない。まさか受信した日とかじゃないよね? 個人だと3日位メール見ないことはあると思うけど。え、儂だけ?w
まあ、儂的には「3日間以内」という日本語自体に違和感があるんだけどね。

それ以外にも、日本語やビジネス文章として違和感がある個所が散見されるんだけど、儂がここまで書いたことって、慌てずにちょっと考えれば大概気づくと思うんだよね。 

そしてなにより、Amazonのアカウントを持ってない儂の所にこういうメールが来るっていうことが、もう違和感ありありだけどなwww。

前にも書いた通り、地球に迷惑をかけるのだけは止めてほしい。
と言っても、地球にとってはこのブログだって迷惑なんだよな。
さらに我が家の場合ははちゅ達のためにかなりの電気を使ってるから、もっと迷惑かけてるかもなあ。。。💦

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迷惑メールで地球も迷惑

2022-12-07 17:02:00 | 地球とか命とか
これ、ETCを騙って送られてきたメール。
ETCザービスをご利用いただきありがとうございます。

フィッシングメールが汇濫し、ユーザーの財産に被害が出ていることから、システムのリスク管理を強化し、警察や銀行と協力して、ユーザーの財産が被害を受けないようにしている。

システムの指示を受けた后、口座の使用を一時停止し、警視庁特殊詐欺担当に通知し、銀行にクレジットカードとカードの凍結を通知します。

警視庁の許欺部門が捜査に入りますメールを受け取ったユーザーは、あなたのアカウントにリスクがあることを示すメールを受信してから12時間以内にログインしてアカウントを確認してください。そうしないとETCアカウント、クレジットカード、銀行を利用できなくなります。

これをクリックして検証ご不便やご心配をおかけしたことを深くお诧び申し上げます。ご理解ありがとうございます。

(----- URL -----)

引き続きサービスをご利用いただきたい場合は、下記リンクより詳細をご確認ください。

(----- URL -----)
この類のメールは山ほど来るけど、だいたいみんなこんな感じなので、少し添削してみることにした。
  1. ETCザービス
    まあこれは一万歩譲ってタイプミスだったとしてやろうw。
  2. フィッシングメールが
    日本では「汇」っていう漢字使わない。
  3. ユーザーの財産が被害を受けないようにしている
    文章全体が「ですます調」で書かれているのに、なぜかここだけ「である調」。
    そして、「ユーザーの財産」っていうのも結構違和感。まあ間違いではないけど、いかにも翻訳っていう感じ。
  4. システムの指示を受けた后
    普通日本では「后」じゃなくて「後」。
  5. クレジットカードとカードの凍結
    2つ目のカードは何のカード?
  6. 警視庁の許欺部門が捜査に入りますメールを受け取ったユーザーは、あなたのアカウントにリスクがあることを示すメールを受信してから12時間以内にログインしてアカウントを確認してください。そうしないとETCアカウント、クレジットカード、銀行を利用できなくなります。
    これ、突っ込みどころ満載なんだけど。
    そもそも「警視庁の詐欺部門」って、警視庁に詐欺を働く部門があるんだ!w
    「警視庁の許欺部門が捜査に入りますメール」は、多分「『警視庁の詐欺担当部門が捜査を開始する』という内容のメール」ということかな。
    要するに、「『警視庁の担当部門が捜査を開始する』旨のメールを受け取ったユーザーは、メール受信後12時間以内にログインしてアカウントをご確認ください。」というようなことを言いたかったんでしょうな。って、これでもわかりにくい。
    そして、最後の「そうしないと」は大笑い。子供の文書じゃないんだからさあ。
    まあ「ETCアカウント」っていうのもちょっと意味不明なんだけどね。
  7. これをクリックして検証ご不便やご心配をおかけしたことを深くお诧び申し上げます。
    「クリックして検証ご不便やご心配」って、確かにクリックしちゃったらご不便やご心配になっちゃうねw。「クリックして検証して下さい。ご不便やご心配をおかけしたことを・・・」って言いたかったのね。あ、あと、「诧」も日本では「詫」かな。
  8. 引き続きサービスをご利用いただきたい場合は
    スゲー日本語。日本語の丁寧語とか謙譲語って難しいねw。
って、いちいち細かいとこ突っつかなくても、まずこの文章を読んで「おかしい」と思わない Native Japanese がいるのかな。もしいるとしたら、そういう人の方がよっぽどヤバい。国語が苦手な儂でもあきらかにおかしいって思うような、こんなめちゃくちゃな日本語で引っ掛かる人がいるとは思えないけどね。

ちなみに、このメールの件はETCのサイトに載ってる。って、このサイトは本物か?w
(↑ 最後の「GO!ETC ETC総合情報ポータルサイト」をクリックするとエラーになるかも。)

そして何より、

電子メールだって送るだけで二酸化炭素が排出されちゃうんだよ。どうせこんなの大量に送ってるんだろうから、地球にとっても大大大迷惑!!

とは言え、儂が書いてるような写真たくさんのブログだって、やっぱり五十歩百歩なんだろうなあ。。。😟

ぼあちゃんも困惑して顎が膨らんじゃった。(チガウ

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生物はみんなスゴイ

2022-11-21 10:27:21 | 地球とか命とか
これ、5日前の記事なんだけど、
読んだ時に「やっぱりね」と思った。
ビート同期を生む脳のダイナミクスが、動物種を超えて観察されたことは、 ビート同期の進化を解き明かす大きな手がかりとなります。また、長い年月をかけて、人間社会で発展してきた音楽は、動物種を超えて、脳へ強い訴求力を発揮する可能性も考えられます。
と書いてある。常々書いてきたように、儂は、人間以外の動物の能力って、間違いなく人間が考えてる以上に優れていると思ってる。
だから、乳牛に音楽を聞かせるとミルクがたくさん出るとか、酵母菌に音楽を聞かせると味が良くなるとか、こういうことは決して「バカな」話じゃない。
去年、ぼあちゃんが調子を落としてから毎朝バッハのピアノ曲を流してた。ぼあちゃんが穏やかになるように感じたんだよね。これも、決して儂自身の心が和んだからそう見えただけっていうわけじゃないんじゃないかな。

話は少し変わるけど、動物同士のコミュニケーションもスゴイ。今日、ママがコオロギの世話をしていて、ケージの中に新しい餌を入れた時、1匹がそれに気づいて寄って来ると、他の子達が次々に集まって来るって言ってた。これがそうなのかどうかはわからないけど、昆虫が音や光や匂いなんかでコミュニケーションをとっているというのは、以前から知られていること。
昆虫どころか、単細胞生物の菌類にさえコミュニケーション能力がある
この検索結果(↑ のリンク)にも出てくる(と思う)このサイトは 結構おもしろい。
ここには、
「森林内の異なる樹種が自らの根に共生する菌糸を介してコミュニケーションを取っているとされる。」
「神経系をもたない植物に知性があるか議論が続いている。」
「植物に記憶があることは既に証明されている。」
なんていう記述があって驚く。
そして粘菌のこと。粘菌の能力は結構有名だと思うけど、
「神経を持たない粘菌が、記憶し、学習し、さらにはそれを共有することができる。」
といったことが書かれている。
その他にもいろいろ興味深いことが書かれているので、是非読んでいただきたいないと思う。

感染症の原因菌だって同じ。菌が抗生物質を効かなくする能力(薬剤耐性っていうやつ)を、菌から菌に伝える場合がある。しかも、仲間同士だけじゃなくて、別の種類の菌にも伝えることがある。儂、初めてこれを教わった時、かなりビックリしたのを今でも覚えてるw。
ちなみに、コロナやインフルエンザは菌じゃなくてウイルスだけど、このウイルスでさえ会話するっていうんだから、もう恐れ入っちゃう。
ちょっと専門的かもしれないけど、これも読んでいただきたい。
↑ この、枯草菌にくっついてるファージ、カワイイ(≧▽≦)

うん、こう考えると、実は動物の中で一番コミュニケーションが下手なのは人間だったりしてねw。

こういうことって、研究してる人達や興味を持ってる人達の間では当たり前のことなんだろうけど、フツーの人達の間ではどの程度認識されてるのかなあ。
前にも書いたけど、こういうことを知れば知るほど、人間>>>人間以外の動物みたいな考えとか価値観は、もうホントに変えないとダメだと思っちゃうんですわ。
って、儂なんか研究とかそんな小難しいことじゃなくて、NHKの「ダーウィンが来た」みたいな番組を見ただけでも、「動物ってスゲー」って思っちゃう。昨日もこの番組でミツバチのことやってて、儂、「ミツバチスゲー」って思ったわw。いや、笑い事じゃなくて、ミツバチマジスゲーよ。

儂は仏さまの勉強をしてる。だから「人身受け難し」だと承知してるし、人間に生まれてこられたことは、とても有難いことなんだと思ってる。
でも、そんな有難い人間だからこそ、今のこの地球の状況は、とてもよろしくないんじゃないかと思ってしまう。
ただ、仏さまの言われてることにたてつくわけじゃないけど、もしかしたら人間だけじゃなくて、どんな生物でも生物として生まれてくること自体、とても有難いことなんじゃないのかなと、ちょっと思ったりもする。
人間も、頂点にいるとか思ってないで、他の動物の中で平等に生きていくようにならないと、どんどん有難くない存在になっていっちゃうんじゃないかな。

エジプトで開催されてるCOP27では画期的な合意がなされたみたい。もちろんお金はとっても大事だから、これだけでも前進だと思う。でも、やっぱり根本原因をなんとかしようということは決められなかったのね。もう残された時間は少ないと思うけどね。。。
相変わらずの短期思考、エゴのぶつかり合い、欲の塊、なんだね。

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語ってるばかりじゃダメだけど

2022-11-14 11:33:07 | 地球とか命とか
これ、1週間前の神奈川新聞の紙面。「脱炭素社会を問う」という記事が載ってた。

右側の藤村コノエさんという方が言われているは、
「日本は衰退を続けている。その原因は過去の成功体験のまま、変革を怠ってきたから。でも、日本には立て直す力があるはず。そのために「環境プラス立国」の実現を求めている。」
といった感じのこと。(「環境プラス立国」についてはリンクを読んで下さい。)
左側のキャサリン・フラワーズさんという方が言われているのは、
「気候変動の問題には不公正がつきまとっている。豊かな人が排出した温室効果ガスの被害を受けるのは気候変動の原因とは無縁の発展途上国の人々であり、現世代が引き起こした気候変動の影響を受けるのは若者の世代。声を上げ始めた若者たちに力を与えることが重要だが、まだまだ社会や経済の仕組みを変えるまでの力は持っていない。」
といった感じのこと。
どちらも、当たり前と言えば当たり前のことを書かれているなという印象。決して悪い意味ではなくてね。
でも、新聞の真ん中の「脱炭素社会を問う」とある所に、
「脱炭素社会は、温室効果ガスの排出削減だけで実現できるものではなく、社会や経済、価値観の根本的な変革が求められる。」
と書いてある。これは神奈川新聞が書いたことだと思うんだけど、「変革が求められる」じゃなくて、そもそも変革できないと「脱炭素社会」も「排出削減」も実現できないんじゃないかと思うんだけどね。
そして、なにより儂が一番印象的だったのが、脱炭素社会の記事と「防衛費の増額」という社説が隣り合って載ってたということ。地球温暖化とか環境保護っていう地球規模で取り組まなきゃいけないことが書いてある隣に、戦争に関わることが書かれてるって、

なんの冗談だよwww

って思ったわけ。戦争なんて、国同士のエゴのぶつかり合い以外の何物でもないし、環境破壊の最たるものの一つでしょ。もちろん社説の内容がどうのこうのじゃないし紙面構成のことなんかを言ってるわけじゃない。こういうことが同じ紙面に並んじゃうような世の中って、やっぱり「おかしいんじゃね?」、「人間ってダメじゃね?」と、儂的には思ってしまう。

今、エジプトでCOP27が開催されてるけど、こういうことみたい。
まあさ、日本なんて3年連続で「化石賞」を受賞してるような国だから今更驚かないし、世界の中の日本のプレゼンスなんてどうでもいい。どうでもいいけど、 気候変動問題の不公正を少しでも減らさない限りこの問題は解決しないと思うし、地球上のあらゆる命のためにも、何かしなくていいのかと思ってしまう。

これ、確かこの前NHK(?)でも同じことをやってた。
確かに最悪想定ではある。でも、最悪首都圏が海に沈むっていうのはどういうことなのかを考えると、今の地球の追い込まれた状況がよくわかると思う。
話はそれるんだけど、こういうことを研究している人達の中に、「すでに地球は燃えているのに大部分の人類はそれに気づいていない」と書いている人がいる。儂、これ初めて読んだ時、まるで「法華経」の中の「三車火宅の譬え」みたいだなと思ったんだ。

アメリカの選挙は、事前の予想を覆して民主党が善戦したみたい。儂的にはまあ良かったかなという感想。
トランプという人は、典型的な「短期思考」の人で、同時に、自分(達?)さえ良ければ他はどうでもいいという考えの人じゃないかと思ってる。儂は、こういう人が再び世界、いや、アメリカという国のリーダーになったら、今度こそ地球の未来はないなと思ってしまう。
確かによそ様の国のことではあるけど、それにしても、物事を変えたくない、変えない、それどころか、昔に戻したいとさえ考えてる人達は、ホント、地球上からご退場願いたい。
日本にも同じような人達がいるんだけど、なんて想像力がない人達なんだろうって、哀れにさえ思ってしまう。
前述の神奈川新聞の記事にあった、「声を上げ始めた若者たちに力を与えることが重要」というのは、儂もまったくその通りだと思う。でも、日本の社会って、未だに「女子供が何を言うか!」みたいな価値観の人達がはびこってない? そう感じてるのは儂だけ? これ、いわゆる“老害”ならまだわかるんだけど、意外とそこまでの年齢じゃない人達の中にもいて、驚くと言うか情けないと言うか恐ろしいと言うか・・・そんな気持ち😲😞😱。

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地球のこと #3

2022-10-25 17:31:05 | 地球とか命とか
またまた地球の話なんだけど、今日は少々違う視点。動物の命に関わる話にもなるので、そういうのが苦手な方はスルーして下さい。

実は儂、“反捕鯨”の事がイマイチよくわからない。で、とりあえずこれを読んでみた。
「withnews」 というサイトにあった「クジラと私」という連載。ちょっと、いや、かなり長いけどとても興味深いし、勉強になった。
儂、基本的にこの記者さんと同じような疑問があった。一つ大きく違うのは、この記者さんは大人になるまで鯨の肉を食べたことがなかったみたいなんだけど、儂は、小学校の給食で何度も食べたことw。

いくつか引用してコメントしてみる。(引用は前略、中略、後略等有りw。)

連載#1
捕鯨はどうしてそんなに批判されなければならないのでしょうか。絶滅から守るため? クジラがかわいいから? 知能が高いから? その感覚もわからなくはありません。でも他にもたくさんかわいい動物、知能の高い動物はいます。しかもかわいくなければ、知能が低ければ殺してもいいのでしょうか
まず、儂が疑問に思っていたのがまさにこれ。

連載#2
クジラは巨大だし、障害物のない海だから、殺しているところは、見ようと思えば見えてしまう。私たちは牛や豚などの家畜が殺される現場を見ることはまずできない。だからこそクジラばかり残酷さが強調されてしまうのではないか。そして、それは、先に私が述べた「命を食べて生きている」ことを実感しやすい食べ物であることの裏腹でもあると思う。
これは極めて大きな反捕鯨の理由の一つなのかと思う。実は、儂、仕事で食肉市場(屠場)に通っていたことがある。そこで、実際に牛が屠殺されてる場所にいた。この際だからぶっちゃけ書くけど、この時の目的は、研究中の薬の原料にするために牛の胎児を集めること。もちろん胎児は親牛を解体して見つかる。この時の経験は今でもとてもとても貴重なものだったと思ってるし、生涯忘れることはない。儂は実際の捕鯨を見たことはない。でも、屠場で経験した時のことを思えば、残酷なのはクジラだろうが牛だろうが豚だろうが鳥だろうが、動物ならなんでも同じ

連載#3
ノルウェーでは、船室に備え付けられたパソコンから毎日、政府に報告。
  • 捕鯨砲を撃った時刻
  • クジラを引き揚げた時刻
  • 解体を終えて骨を海に捨てた時刻
  • 捕ったクジラの大きさ
  • オスメスの別
  • メスの場合妊娠していたかどうか、などなど
1頭も見つからなかった日も、かならず報告。
捕ったクジラは全て番号を振って小さな肉片を保管。これを政府に提出し、DNAを解析することで、スーパーなどに出回っている鯨肉に密漁されたものが混じり込んでいないかを確認している。DNAのデータは日本側にも提供されている。
日本ではソナーを使うこともあるが、ノルウェーでは法律で使ってはいけないことになっている。目視だけなので、波が高かったり、霧が濃かったりするとめったに見つけられない。
一度見つけても、また潜ってしまうので、船で近づくのも容易ではない。
海の中には未知のことがたくさんありますし、クジラが何頭いるかを完璧に把握することも難しいでしょう。過剰な捕獲にならないような手立ては念には念をいれて組み立てるべきなのは言うまでもありません。 現代の捕鯨によって、クジラが絶滅に追い込まれているかのような言説には、違和感を抱かざるを得ませんでした。
捕鯨って、かなり厳しく管理されているんだなと思った。最後の引用は記者さんの意見なんだけど、これは儂も同じ。

連載#7
「ノルウェーも捕鯨をしているのに、日本ばかり批判されるのはおかしい」、「西欧諸国からの人種差別だ」といった反応はやや感情的で正確さに欠けるものだと言わざるを得ない。ノルウェーも捕鯨に反対する立場からの批判を受けている。ノルウェーやアイスランドは自国の排他的経済水域(EEZ)内に限定したのに対し、日本は南極海で捕鯨を続けたことも反感を招きやすかったと考えられる。ただ批判に対して感情的になり、なぜ批判されているのかを読み間違えては問題は余計こじれる一方だとも思う。
これはその通りだと思う。こういうことは、科学的、客観的なデータを知らずに、感情だけで対応したらダメなんだよね。でも、反捕鯨の方も、多分に感情的、情緒的なものがあると、どうしても私は思ってしまう。それが次の記事。

連載#9  
これは是非とも全文を読んでいただきたいんだけど、まずは、環境保護団体の方の考え。
「クジラは繁殖に時間もかかり、気候変動などの影響も受けている。守るべき存在です」 
よくわからないんだけど、繁殖に時間がかかるし気候変動の影響も受けてるからクジラを殺しちゃいけないっていうのは、これらのために数が減ってるんだから、捕鯨でこれ以上減らしてはダメという意味なのか? でも、それはクジラだけじゃないよね。それに「守るべき存在」というのが、少なくとも字面だけ読むと人間の思い上りじゃないのかなと思ってしまう。捕鯨のことより、まずはなんとしても気候変動を抑えることを考えないとね。
「クジラは自然界で何頭生息しているかという実態がつかめていません。またいまのやり方ではクジラを即死させられず、人道的ではありません。ただ、私たちは世界中で食肉の消費を減らすこともめざしています」
実態がつかめていないんだったら、なぜ、クジラが絶滅に追い込まれているって言えるのかな。
それに、クジラを即死させられないと言ってるけど、この連載を読む限りは、何パーセントかはできないっていうことみたい。でもこれ、牛でも同じ(人によっては閲覧注意)ことだと思うよ。 儂が屠場に通っていた時もそうだったんだけど、今でもやり方はほとんど変わってないみたいで、ちょっと愕然とした。
「全く肉を食べない世界をめざしているのではなく、家畜についてはもっと人道的な扱いを広めようとしています。いまの人類はあまりにも多くの肉を消費しています。そのせいで動物が狭いところに閉じ込められています。私たちは規模の小さい農家と連携しています」
クジラだけでなく、こっちだってとってもとっても大事なことなんだよ。
そして、以下はこの記者さんが書いてること。儂はこれらの意見にかなり近いかな。 
「かつて捕鯨をしていた国だからこそ、それを反省してクジラを保護する責任がある」というのが、アメリカで捕鯨に反対する立場の人たちの一般的な考えのようです。子どものけんかのような主張をしても水掛け論から抜け出せません。
さらに、これと似た文脈で使われる「油しか取っていなかったアメリカの捕鯨と比べて、肉や内臓を食べ、骨まで利用する日本の文化は優れている」という主張にも、あまり賛同できなくなりました。
無駄なく利用すること自体は誇りを持っていいと思いますが、他の文化と比較して優劣をつけようとすることは、クジラを食べる文化を否定する姿勢とあまり変わらないように感じました。
それでも確かなこととして思ったのは「正義は時代とともに変わる」「絶対的な正義などない」ということです。
捕鯨を続けることを正義と思う人たちも、捕鯨をやめさせることを正義と思う人たちも、まずはその正義を一度疑ってみるところから対話の糸口が見えるのではないでしょうか。

連載#10
世界的に「反捕鯨」の運動が活発になったきっかけのひとつが、1972年にスウェーデン・ストックホルムで開かれた国連人間環境会議。商業捕鯨の一時停止が採択された最初の国際会議だが、その際のスローガンは「クジラを救えずして地球が救えるのか」だったといわれている。
クジラは「特別な存在」として扱われうる、いくつかの特徴や歴史的経緯を持ち合わせているといえそう。その真偽や善し悪しは別として、「大きくて知性がある」という印象や「殺されるところを見るのは耐えられない」という感情が捕鯨に反対する世論の土台になっているとすれば、捕鯨を推進する日本政府の主張と折り合うことは簡単ではない。
こういうのを読むと、反捕鯨というのは、やっぱり感情的なこと、情緒的なことから始まったんだと思わざるを得ない。そして、後付けの理由として、絶滅だとか環境保護だとかいうことが言われ始めたんじゃないのかなあ。

連載#11
――かたや日本では捕鯨支持の世論が大勢とされている。
「たしかにあれだけ紛糾する国会でも、捕鯨となると与野党を問わず多くの議員が支持というのは面白い政治的現象です。理由についてはいくつか説があるのですが、海外からの干渉がよく指摘されます」
「外国から『そんなことをするな』『おまえたちのやっていることはおかしい』と言われたことで、自分たちの主権やアイデンティティーに対する脅威だと感じ、異様なまでに反発したという考えです」
――「反反捕鯨」という言葉も聞く。
「まさにそれです。積極的に賛成するわけではないけれど、外からあんまり言われるとそれに対して反発するという構図です」
「別の観点では、捕鯨や鯨食に対する『無関心』があるかもしれません。自分は食べないし、積極的な関心もないけども、もし昔から捕って食べていたなら反対する理由もない。あまり深い知識を持たずにそういうふうに考える人も多いかもしれません。日本社会は捕鯨問題に冷淡だなと感じています」
つまり、実際にはあまり関心はないんだけど、海外から言われたからそれに反発して「捕鯨支持」、「反反捕鯨」になってるということ? もしこれが本当だとしたら、あまりにもバカバカしいと儂は思う。愚かだとしか言えない。

そして、連載#13、14を読むと、日本の捕鯨はこのまま消滅するのかなとも感じる。その一番の理由は「鯨肉の消費量が減っているためにビジネスとして成立し得ない」ということなのかな。欧米から叩かれて仕方なくやめるというのではなく、あくまでも国内の事情なら、それはそれで構わないと思う。主権だのアイデンティティだののために捕鯨を続けるのは、無意味なことだと思う。

儂は反捕鯨でも反反捕鯨でもない。でも、儂にはやっぱりクジラと他の動物の違いがわからない。そして、この連載を読んで思ったのは、少なくとも今の反捕鯨は、感情的、情緒的な要素もかなりあるなということ。科学的、客観的なことがすべて良いとは思わないけど、今の問題を解決するためには、ちょっと違うかなという感じ。
その今の一番の問題は、これ以上地球を痛めつけたらダメだということ。これには、もちろん人間以外のすべての生物の命をムダに亡くさせないということも含まれると思う。だから、鯨のことだけ言っててもダメだし、ましてや、感情的、情緒的なことだけではどうしようもない。(反捕鯨活動には、政治的、経済的な理由もあるんだろうけど、そこまで踏み込むと話がややこしくなるので、今回はスルーw。本当に地球のことを考えるんだったら、そんな理由が一番くだらないと思うけどね。。。)

「クジラは一頭も殺してはいけない」と言うんだったら、他の動物も全部そうだと思う。でも、人間も生物である以上、そんなことはできっこない。そうであれば、どの動物だって公平に扱わないとおかしいんじゃないかな。儂の思い込みかもしれないけど、どうも反捕鯨の意見には「家畜は構わない」という考えが隠れているように思えてならない。
野生だろうが人に飼われていようがなんだろうが、命には変わりない。だから、少しでも殺める動物を少なくすること、もう少し慎ましやかにすることが必要なんじゃないかと思う。
つまり、こういうことでも、やり過ぎとか極端はダメだと思うわけ。

最後に少し違う話。先にも似たようなことを書いたんだけど、「欧米だって昔は捕鯨してたのに今更何を言うか」みたいなことを言う人がいる。儂はこれはどうでもいいことだと思ってる。昔がどうだったからみたいなことを言い始めると、何も変えられないw。
これに関連して、「捕鯨は日本の文化だから」という意見もある。確かにそうだと思う。でも、文化とか伝統っていうのは、長い時間をかけて育まれてきたもの。つまり、その長い時間に少しずつ変わってきてるっていうことじゃないの? 遥か昔の一瞬に突然現れて、それが1mmも変わらず続いてきたわけじゃないよねw。だから、この先も続いていくためには、これまでと同じように少しずつ変わる必要があるということだと思うけどね。

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地球のこと #2

2022-10-22 20:15:02 | 地球とか命とか
また地球の話。

以前にこのブログにプラスチックごみの記事を紹介したことがあるんだけど、その時の記事がこれ。(記事1)
儂、この時これ読んで背筋が寒くなったわ。水道水とかボトル入り飲料水からも検出されてるって、自然界に広がれば当然のことだなって、ちょっと考えるとわかるけど、正直、食物連鎖以外はあまり考えてなかった。
今一番言われてるのは海洋生物への影響っていうことだろうけど、決してそれだけじゃないよね。水にも含まれてるっていうことは、あらゆる生物に影響があるかもしれないっていうことじゃないのかな。

で、この後、こんな記事も見つけてまたビックリ。しかもこれ、先の記事の2年も前の2017年のものだった。(記事2)
でも、この後にこんな記事も出てた。(記事3)
まあこれは研究ではありがちなことw。

儂、ゴミの分別は結構ちゃんとやってる(つもりw)。この時以来というわけでもないんだけど、特にプラゴミはできる限り他の物と分けて捨てるようにしてきた。
でも、儂が住んでる自治体は、以前は、やれ臭いが残ってるものはダメだの食べ物がついてちゃダメだのベタベタヌルヌルはダメだの云々と、回収する側目線なことばかり言ってたので、なかなかちゃんと分別できなかった。
ところが最近は、「ざっと洗うだけでいいので、できるだけプラゴミを分けて出してくれ」に変わった。まあこれって新しい法律ができたからなんだろうけど、理由はともかく、とってもとってもいいことだ。

普段儂が座ってる席の後ろにはゴミ箱が置いてある。以前は、プラスチックもその他のゴミも1つのゴミ箱に捨て、ゴミ収集に出す時に分けてた。
それだと面倒なので、ちょっと前から、プラスチック専用とその他用の2つのゴミ箱を置くようにした。そしてあらためて驚いたのが、プラスチック以外のごみ箱はそれほどでもないのに、毎度プラスチック用の方はあっという間に一杯になってしまうこと。
キッチンにもプラ用とそれ以外用のゴミ箱を2つ置いてあるんだけど、これも、プラ用の方はあっという間にあふれる。
もちろんプラゴミってかさばるからそれもあると思うけど、それを差し引いても量が半端ない。さらに、これとは別にペットボトルもある。プラスチックを使ってる物ってこんなに多いんだって、驚きを通り越して愕然とした。
これは冗談じゃなくて、ヤバいよヤバいよ!

そして、2020年の1月と3月にこんな記事が出てた。(記事4、記事5)
リンクばかり貼っても何が何だかわからないので、ここでちょっと整理。
  • 記事2はスペインの研究で、ハチノスツヅリガ(Galleria Mellonella) の幼虫がポリエチレンを分解するというもの。
  • 記事3はそれを否定する(まではいってないのか?)ドイツの研究。
  • 記事4はスウェーデンの研究で、前の2つとは違って、ポリエチレンを分解する菌とその酵素のこと。これはなかなか面白い。
    プラスチック汚染が深刻な地域ほどプラスチックを分解する酵素の量が多く、その種類も多いことを発見した。研究者らは、世界数百か所の環境DNAを分析。プラスチックを分解する能力を持つ酵素のデータと、各地域で公表されているプラスチック汚染の状況に関するデータを照らし合わせたところ、地中海や南太平洋など汚染が深刻な場所にほど、多くのプラスチック分解酵素が存在することがわかったという。
    そして、この記事にあった「日本で発見されたポリエチレンテレフタラート(PET)を分解する細菌の酵素」というのは、多分これのこと。またリンクになっちゃったけど、結構スゴイ発見かも。
    PETを分解する細菌の発見 : ライフサイエンス 新着論文レビュー
    6年も前のことだったんだね。(シラナクテハズカシイ
  • 記事5はカナダの研究で、記事2と同じように、ガの幼虫(ワックスワーム)がポリエチレン食べるよっていう内容。記事2の研究はやっぱり間違ってないんじゃない? おまけに、この幼虫とその腸内細菌との関係を明らかにしてる。でも、
    ワックスワームが現存するプラスチックをすべて食べてくれる、と期待するのは非現実的だが、細菌とワックスワームの機能と繁殖条件の理解を深めることで、より良いプラスチック生分解システムの開発を支援できる
    やっぱり、まだまだ研究途上なんだね。
ここまで書いて、そもそもプラスチックってなんだ?と思って調べてみたら、主要な構成元素はC、H、Oで、あと、NとかClとかSとかがくっついてるものだって。つまり普通の有機化合物と変わらないんだ。いや~、儂、勉強不足も甚だしいなw。
でも、じゃあなぜ生分解できないのか。それは、プラスチックは人類が作った化合物で、分解できる微生物が自然界に存在しないからだって。
この記事では「分解できる微生物は自然環境中に存在しない」と言い切ってるんだけど、正確には、そういう微生物はいるけどそれじゃあまだまだ足りない、難しいっていうことじゃないのかな。だから、生分解できるプラスチックの開発も必要ということね。
ただ、記事5にあった「汚染が深刻な場所ほど、多くのプラスチック分解酵素が存在する」っていうことは、もしかして、酵素誘導みたいなことも起きてる可能性もあるのか?って思った。もしそうだとしたら、この先、プラスチックを生分解できる微生物が増える可能性もあるのか? ただ、もしそういう微生物が増えると、今度は他の生態系への影響も考えないとダメっていうことにもなるのか? うーん、キリがないね。。。

儂、本当は、現代人はプラスチック使い過ぎっていうことと、プラスチックのリサイクルのことを書きたかったんだけど、いろいろ調べてるうちに、ただ儂の勉強不足が露呈しただけで終わったような気がするw。
でも、今のところはプラスチックはまだうまく処理できてなくて、地球の脅威になってるということが分かっただけで十分収穫。
とりあえず儂らにできることは、まず使い捨てのプラスチック製品をできるだけ使わないようにすること。ペットボトルやめて水筒使うなんていうのは結構やられてるし、コンビニやスーパーでも使い捨てのカトラリー類を付けなくなってなってきたし、まだまだいくらでもやれることはあると思う。例えばさ、昔はお豆腐なんてお鍋持って買いに行ってたけど、またそれにしちゃダメなのかなあと思ったりする。
そして、やっぱりこれ。


今しばらくはどっちも地道にやろうっと。もちろん自分達のためじゃなくて、地球のためにですわ。
そして縁があれば、人間もその恩恵にあずかれるんじゃないでしょうかね。

最後に、最近の記事も貼っておく。
環境問題とか環境保護とかを金儲けと結びつけるのは決して間違いじゃないと、儂は思ってる。
環境保護か金儲けかの二者択一じゃなくて、環境保護も金儲けもで全然いいじゃんw。っつーか、環境保護を無視して金儲けだけなんていうビジネスは、早晩成り立たなくなるでしょw。二兎を追う者は一兎をも得ず?w そうなるって言うんだったら、そうならないようにするためにはどうすればいいか、頭を使えばいいだけの話。
「どうせできないから」じゃなくて「どうすればできるか」だと思うわけ、何事も。

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地球のこと

2022-10-16 21:07:14 | 地球とか命とか
大仰なタイトルかもしれないけど、儂、どうしてもこういうことが気になってしまう。

儂がよく勉強させてもらってるブログで、こんな記事が紹介されてた。
今までにも、これら以外に同じような出来事があったみたい。例えば、

儂、以前の記事で「環境保護団体ってなんだかなあ・・・」って書いたのは、こういうことなんだよねえ。
どうしてこう極端というかドラスティックというか独善的というかなんというか、、、なのかなあ。
欧米人だけ?とも思ったりするんだけど、日本の動物保護なんちゃらでもこういう人達いるしなあ。
確かに温暖化の問題なんかだともう待ったなしだから、悠長なことやってちゃ絶対にダメだと儂も思う。ただ、それがこういう芸術作品につながるというのが、儂にはまったく理解不能。

と、思って手がかりを探してたらこんな記事に辿り着いた。

この中で活動家とかいう人が、
政治は常に文化に追随する
文化施設が掲げた理想
とか言ってるんだけど、こういう方面の勉強が足りない儂には、「へ~、政治って文化に追随するんだ」とか「文化施設って理想掲げてるんだ」としか思えんかったw。そもそも、申し訳ないんだけど、この人達って“活動家”じゃなくて、ただのパフォーマーじゃね?と思っちゃったwww。

それ以外にも、
私たちは確実にファシズムへと向かっています。
そうかもしれないけど、この人達のやってることもある種のファシズムじゃないのかな? 自分達の考え方だけが正しくて、それ以外は排除するというのはそういうことじゃないの?

有限のシステムの中で無限に成長していこうとする文化に破壊されてきたんです。
無限に成長していこうとしてきたのは文化だけではなく、人類の営みすべてがそうなのでは? 特に経済がそうでしょ。人間の営みすべてを“文化”という言葉であらわしているんだとしたら、なぜ絵画だけが標的になるの?

この先数十年、文字通り地獄を見ることになる若者たちを支援することです。
グッドアンセスターにも通じる意見だなと思う。でも、そういう考え方自体が人間の思い上がりなのかも、と、松本紹圭師も言われてるけど、今は儂もそうかもしれないと思ってる。これって、要するに現代の基準とか価値観とかでしかものを考えていないということなんだよね。

私たちが国家に立ち向かうのは絶対に必要なことなんです。 
これは確かにそうだと思う。でも、やっぱりなんでそれが文化に、それも美術作品につながるのかがどうしてもわからない。スポーツでもやったみたいだけど、じゃあ次はクラシックの演奏会の途中で大声で叫んでみるかw。

自分たちの行動は気候変動という現実を無視し続けようとする市民の注意を引くために必要
確かに注意はひくだろう。でもこういうのって、きっとただの“ニュース”で終わっちゃう。多くの人の賛同につながるとは思えないし、それをきっかけに環境保護の運動が広がって行くとはまったく思えない。むしろ逆効果だと思う。こういうやり方以外で環境保護活動をしてる人達の邪魔をしているとしか、儂には思えない。
そもそも、こういう芸術作品に興味があるとか嗜好するっていう人は、すでに環境問題をきちんと考えているか、あるいは逆に環境を破壊している張本人達が多いんじゃないのかな。そして後者だと、自分達がやっていることを省みることはなく、こういう行為をただ叩き潰そうとするだけじゃないのかと思ったりする。

そして、インタビューの一部をそのまま引用する。
──活動家たちが発表した声明文を読むと、同じような言葉が何度も出てきています。「私はアートを愛しています。この絵のことも愛しています。でも、地球と人間をもっと愛しています」。私たちはアートか気候変動への配慮か、どちらか一方を選択しなければならないのでしょうか。こうした声明文をどう捉えていますか?

これはとても挑発的で、こうした考え方には共感できない部分もあります。私は比較的恵まれた時代に育ちましたが、今、目の前にある状況を見ると、若者たちがそのような比較をしてしまうのも理解できます。彼らが言わんとしているのは、優先順位をはっきりさせ、地球上の生命の存続に関して現実的な目標を定める必要があるということです。
この「共感できない」とか「理解できます」が何になのかイマイチよくわからないんだけど、どうしてこういうゼロイチ発想になるのかなあ。優先順位とかじゃなくて“両立”という考え方ができないのかなあ。確かに優先順位っていう考え方も必要だけど、なんでもかんでもそれに当てはめていいっていうわけじゃないよ。

と、ここまで反対意見や疑問ばかり書いてきたけど、儂は決して「何でも反対」じゃないし、なにより気候の問題は喫緊の重々々々々大事。
私たちが住む地球には既に火がついている
これはまったくその通りだと思う。先にも書いたように、悠長なことを言ってられる状況じゃない。ただ、正確には「住む」ではなく「住まわせていただいている」だけどな。何度も書いてるけど、地球は人間の所有物じゃない!
でも、その、住まわせていただいてる地球に火をつけたのは我々人間なのに、未だに戦争だなんだかんだってやってる。おまけに、なんか世界中どんどんバラバラになって行ってる感じがするし、このままだとやっぱりダメじゃね?と思ってしまう。
だから、こういう強硬手段っていうのも、実はわからんでもない。ただ、どうせやるなら、こんなパフォーマンスだけの無駄なことをやってないで、もっともっと実効性があることを、それこそ命がけでやったらどうなんだろうね、とも思うんだわ。以前の記事で「少し考えが変わって来てる」と書いたのはこういうこと。

掟破りの力業は、こういった“活動家”なる皆さんにお任せするとしても、地球のことは自分達にとって絶対他人事じゃない。
まず今すぐにでもできることは、少欲知足じゃないかなと思ってる。これ、口で言うほど簡単じゃない。でも、SDGsなんていうことじゃなくても、もし世界中の一人一人がこれをやれれば、実はそれだけでずいぶん違ってくると思うんだけどなあ。

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グッドアンセスター

2022-09-30 19:01:04 | 地球とか命とか
以前のこの記事で、「近いうちに読むつもり」と書いた本を読んだ。1年前に出た本なので、読まれた方もいると思う。


読み終わって思わず唸ってしまった。こういうのを「我が意を得たり」と言うのかな。読み終わってみたら付箋紙ペタペタw。
「この副題からして重いね」(byママ) 確かに「わたしたちは『よき祖先』になれるか」って、めちゃくちゃ重い。

いきなり、目次の裏のページに書いてあることがグサッときた。
AM3:23
眠れずにいる。
私の孫のまた孫が、夢で私に問いかける。
地球が壊れていこうとしているときに、
あなたは何をしていたの?
ドリュー・デリンジャー
この本は、環境保護だとかSDG'sだとか地球を大切にみたいなこととか、そんなことを上っ面だけで言ってるわけではない。
現代に生きる我々が、未来の人類にとってよい祖先になれるのかを問う。そして、我々は地球の資源や環境等を、その回復力を超過して消費し、未来の世代が享受すべき権利まで搾取しているので、このままでは良い祖先にはなれないと言う。では、それを避けるためにはどう考え、何をすれば良いのか。こういったことが、歴史、社会、経済、科学、哲学、宗教、芸術等々の多方面から、現実的かつ理論的に語られている。


よい祖先になるために、最初から最後まで貫かれている主題が、本の帯にも書かれている「短期思考」から「長期思考」に変わらなければダメだということ。
私たちは病的な短期主義の時代を生きている。政治家たちはせいぜい次の選挙、最新の世論調査やツイートしか見ていない。企業は来期の四半期報告書や株主価値を上げるための絶え間ない要求の奴隷と化している。市場はアルゴリズムがミリ秒単位で操る投機的バブルで暴騰と暴落を繰り返す。地球温暖化により生物が消滅する一方、国々は国際会議のテーブルで目先の利権をめぐって言い争う。インスタントな満足に溢れた世界で、私たちはファストフードやメッセンジャーや「今すぐ購入」ボタンの過剰摂取状態にある。
(P.10)
そしてこれ、著者からのメッセージ(字幕使えます)。
先に引用したことは、著者がこの映像の最初でも話している。

「我が意を得たり」と思ったくらいの本なので、納得することしきりだった。
もちろんこれだけじゃないけど、例えばS字曲線のこと。

S字曲線は、アリの巣の成長やがん細胞の増殖、森の成長や子供の足の発育など、生物界のあらゆるところに見られる。このようなパターンは人間のシステムでも同様に広まっており、帝国や経済、独裁国家や民主主義国家、社会運動やファッションの流行など、これらすべてが最後にはS字曲線の論理の前に屈することになる。
(P.144~)
儂も以前に、微生物の増殖曲線として、このブログにも書いたことがある。生物で起きることは人間でも必ず起きる。なぜなら人間も生物だから。人間の営みだって同じこと。この世界に永遠なんていうことはあり得ない。これは仏さまの教えでもある。

ただし、この本に書いてあることで一つだけ「違うんじゃね?」と思ったことがある。
自分たちの祖先を振り返ってみると、植民地時代の人種差別、未だ多くの国に残る家父長的振る舞い、化石燃料をベースとした産業システムがもたらす環境への影響なのど、引き継がずに来られたら良かったのにと思うことがたくさんある。
(P.100)
この、「人種差別」や「化石燃料をベースとした」というのはそうだと思う。でも、「家父長的振る舞い」は、引き継がずにどころか、「この先もずっとそうあるべき」、あるいは「そういう時代に戻すべき」などと思ってる人が、意外と少なくないんじゃないかと思う。特に、日本の“古い政治家”に多いんじゃないのかな? 儂は、まずはこういう方達に考えを改めていただくか、あるいはご退場願わないとダメだと思ってるんだけどね。

儂、結構以前から「最近の世の中って、あまりに目先のことしか考えてないんじゃないか?」ということを思っていた。でも、じゃあどうしたらいいのかというところまでは、あまり考えていなかった。だからこの本はとても勉強になったし、ほとんどのページに「そうなんだ!」と思うことがあった。
付箋紙を貼ったところだけでも全部引用したいくらいだけどw、さすがにそうもいかないので、是非とも、できるだけ多くの方に読んでもらいたいと思う。
そのために、少しは参考になるかなと思うので、以下のサイトを貼っておく。
さらに、以下には翻訳者の話が載っている。翻訳者自身はこんなことも考えてるんだということがわかって、これまたとても考えさせられた。
「good ancestor」ではなく「better ancestors」ではないのかと。

人間はこの地球という惑星の上で生きてるわけで、この地球が壊れれば当然人間も壊れる。ほとんどの人はそれをわかっていると思う。そして、この「壊れる」という意味には、化石燃料を始め、人間が生きていくために必要な様々な資源が枯渇することや、あるいは異常気象なんかも含まれる。多分そこまで考えてる人も少なくないと思う。
ただ、「人間以外の生物が減ったりいなくなったり、あるいは逆に増えすぎたり」ということも含まれること、そして、それは多くの場合人間の営みが原因だということまで考えてる人が、はたしてどの位いるのかなと思う。あるいは、考えてはいるけど変えられないということなのか。
生態系のバランスが崩れ始めれば(すでに崩れ始めているかも)、人間だってタダじゃ済まない(すでに済まなくなってきてるかも)なんていうのは当たり前のこと。
でも、「人間は他の動物とは違う」、「人間は地球で最も高等な動物」、「地球は人間のもの」などという愚かな考えを捨てられない人は、この当たり前のことがわからなかったり信じられなかったりするんだろう。ホント、人間の知恵って素晴らしいけど情けない。

と、儂、今までも何度かこういうことを書いてきた。でも、この本を読んで少し考えが変わってきたこともある。
これまでは、「人類が滅びるのは自業自得だし、その方が地球のためかもしれない。」とまで思っていた。でも、この本を読んで、「まだ見ぬ人類の子孫が生まれる権利や生きる権利を奪う権利なんて今の人類にはない。」と思った。そしてさらに考えてるうちに、もしかしたら現在と未来を区別すること自体がおかしいんじゃないのかなと考えるようにもなった。ただし、頭の中ではまだいろんな考えがグルグル回ってる状態なので、もう少し整理したい。
それと、今までは環境保護運動とかそういう団体とか、「目的は正しいと思うんだけど、なんだかなあ。。。」と思ってた。でも、これも少し違う考えになってきた。

「そんな先のことより目先の問題を解決する方がまさしく先だ。」と思ってる人も多いと思う。儂もそれを思う。この本でもそのことには触れていて、直面する問題を解決することはもちろん重要だと言っている。ただ、明確な回答は書かれていないなとも感じた。
でも、どうして「先のことか今のことか」の二者択一じゃなくちゃいけないのか、 なぜ“両方”じゃいけないのだろうか。直面する問題を解決しつつ長期思考を持つ、これを目指せばいいということじゃないのかな。さらに、先に書いたように現在と未来を区別して考えること自体がおかしいと考えれば、こんな問題もないんじゃないかな。

今日はこの本を紹介したいと思って書き始めた記事なので、これらのことはまた別の機会にでも書こうと思う。

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Gと殺生

2022-03-27 10:07:19 | 地球とか命とか
この日記、

今日のぼあちゃん@21.09.19

【ぼあちゃんの飼育日誌】[曇、23.2℃]・5時55分@朝の概況 曇ってたけど、一部に青空も見えた......

で、「いずれ書こう」と書いてから半年以上も経っちゃった。その間に、ぼあちゃんは虹の橋のたもとまで行っちゃったけど、せっかくこの時書こうと思ったことなので、やっぱりこの飼育日誌からの続きとして書こうと思う。

あの時、儂としては、例えゴキブリと言えども、できれば命を奪いたくなかった。
本当は捕まえることなく、そのまま放っておきたかったんだけど、我が家の場合、それは無理。
まず、ママが絶対に許さない。ママ、コオロギの世話してたけど、実は虫が大の苦手。特にゴキブリは論外。コオロギの世話も、ぼあちゃんのためだからって、ガマンしてやってた。ぼあちゃんはいなくなったけど、今もレオパ達のためにやってる。
それに、少なくともあの時点では、万が一我が家の中でうろつかれるとぼあちゃんの絶好の獲物。ゴキブリが被捕食者として命を落とすことは自然の摂理だから仕方がないと思う。でも、さすがにこの辺りで生活してる虫は、怖くて食べさせられなかった。(一番怖いのは殺虫剤がかかってる可能性があること。)
捕まえた後、どこかに放すことも考えた。でも、ほとんどの人にとってゴキブリは超嫌われ者だから、それも大迷惑。
飼うという方法もあったけど、もちろんこれもママが許さないし、やっぱりちょっと、、、w
とまあ、この時は実に身勝手な事情も多々あったわけだ。

「ゴキブリは不衛生、不潔だから殺して当然」という意見もあると思う。
でも、こんなことも言われてる。
特にここに書かれてる、

「病原菌の運び屋といっても“洗わない手”だって似たものです。病原菌の“質”となれば、ハエやノミやカの方がはるかに大物です。しかも、 ゴキブリは本来清潔な昆虫で、皮膚からは殺菌作用のあるフェノールやクレゾールを分泌しているという最近の報告もあります。上記の食中毒の事例も、 それが稀なケースだったからこそ記録されたのでしょう。人間の食物をかすめるといっても、農業害虫に比べればタカが知れています。」

ということについては、儂、かなり同意できる。
つまり、やっぱりゴキブリの場合は、ほとんど見た目の気持ち悪さだけで、反射的に殺しちゃってるんじゃないのかな。実際、儂もそうしてきてるんだろうなと思うんだけど、これってどうなんだろうなって、マジに思ってしまうわけ。

お釈迦様は「殺生はいかん」と言っているけど、儂、仏さまの勉強を始めるかなり前から虫を殺すのを躊躇してて、少なくとも故意には殺してない。大して影響がないと思えるものは捕まえて放してる。そのまま飼っちゃうこともあるんだけど、そもそも飼い方がよくわからなくてなかなかうまく育てられなかったりするので、これはこれで難しい。ちょっと前にも、たまたま出て来たシミを捕まえて飼ってけど、1週間位で死んじゃった。
でも、やっぱりゴキブリの場合はなかなかそうもいかない。じゃあどうすればいいのか、それがわかればこんなに悩まないし考えないんだけどねえ。一番良いのはゴキブリと出会わないことなんだけど、これはこちらの都合だけではどうにもならないことだからなあ。。。

殺生ってなんだろう

「殺生はいかん」とは言っても、どうしようもない場合が、少なくとも2つはあると思う。
  1. 動物の場合、他の生物の命をいただかないと自分が生きていけない。野菜しか食べないって言っても、植物も命。ちなみに、仏教でいう衆生には植物は含まれないらしいんだけど、「これはちょっとどうなの?」、と、儂は思う。
  2. 相手を殺さないとこっちの命が危ないという場合は、殺しても仕方がないように思う。どちらにも生きる権利はある。もっとも捨身なんていう考え方もあるけどねえ。
お釈迦様の言ってる「殺生はいかん」というのも、これまで多くの解釈がされているよね。例えばこんなのとか。
でも、ということは、この問題はそれだけ多くの矛盾をはらんでるということなんじゃないんだろうか。儂のような凡夫が言うのは実に恐れ多いけどw。
ただ、お釈迦様のこの言葉は、やっぱり心に迫る。
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
法句経(ダンマパダ)
(岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば』P.28)
お釈迦様は、本当はどのようにお考えだったのか、マジに知りたいわ。

と、つらつら考えすぎてまとまりがなくなってきちゃったけど、やっぱりゴキブリと言えども、やたらめったら命を奪うのはよろしくないことなんじゃないかと思ってしまう。
少なくとも、見た目が気持ち悪いとか不気味なんていうことだけで、殺していいわけがないよなあ。
じゃあどうしたらいいんだろう、って、またここに戻ってしまうわけだけど。。。



そしてまったく話が変わるけど、
これまであまり聞かなったこの曲、ここのところ、よく聞いてる。

やっぱり心に迫る。

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人間は生きものの中にいる

2021-04-20 10:04:36 | 地球とか命とか
この前、「美しい生物学講義」という本のことを書いた時に、この本に書かれていることの一つとして、「他の動物に比べて、ヒトはそんなに偉いのか、優れているのか」といったことを取り上げました。
今回は、それをもっと拡大したようなことが書かれている記事を紹介したいと思います。
これを書かれた中村先生は、以前から、「人間はもっと生物学的な考え方を」といった主張をされていて、私はずっとその通りだと考えてきました。

ここで、私ごときの考えや感想を言う必要はまったくないのですが、記事の中で、私が特に強く印象に残った4つの言葉を、初めに書いておきます。


“地球は生きものの星です。人間の星ではありません。”

“人間がつくる現代社会は、38億年も続いた生きものが持つ知恵を忘れて機械の世界をつくり、それこそが人間らしい生き方だと勝手にきめています。”

“現代社会を動かしている人たちは「人間は生物界の外側にいる」と思っているように感じます。それを表す言葉が「地球にやさしく」です。”

“私たちは、自動車も、米も、子どもも「作る」と言います。でも、米や子どもは作れません。育てたり生まれたりするものなんです。”


すでに読まれた方もたくさんいらっしゃると思いますが、まだの方には、是非ともこの記事を読んでいただきたいと思います。
一緒に、こちらのリンクも貼っておきます。


私にとっては、いちいち納得できることばかりです。

そして、コロナ禍の今が、考え方を変える良い機会じゃないのかなと思っています。

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