初七日も過ぎて多少気持ちが静かになってきた。
何ヶ月にも感じられる程長かったこの一週間に感じたことや思ったことを
思い出すままに書いてみようと思う。
あの日、娘から『直樹が練習中に倒れて心肺停止らしい』というメールが来た。
最初は『どうせまたツイッターかなんかの適当な情報だろう』とタカをくくっていたが、
程なくして本当のことだとわかり、私の頭の中は混乱の極みになった。
それから亡くなる日まで、直樹の病気のことを調べまくった。
多少自分の専門にも関わりのあることなので、
頭のどこかでは『もうダメだな』と考えていたけど、
気持ちや、口から出てくる言葉はそれとは正反対なものばかり。
それも無理してとかではなく、自然と出てきていた。
いかに混乱していたのか、今にしてあらためて思った。
結局私はマリノスタウンの献花には行かなかった。
自分でもなぜなのかはわからないけど、
なんかちょっと違う気がして
どうしても行く気にはならなかった。
土曜日の試合、
柏戦はテレビで見ていた。
(せっかく買ってあったチケットは譲ってしまった)
俊輔凄かった。俊輔だけじゃない、みんな凄かった。
もう無理しなくていいよって何度も思った。
選手もサポもみんな精一杯がんばった。
孝之、ゴール決めて三本の指を天に突き上げるなんてカッコ良すぎでしょ。
今思い出しても涙が出る。
葬儀には心底行きたかった。でも行ってない。
そのせいなのかどうかはわからないけど、
実は私の中ではまだ全く区切りをつけられていない。
直樹が亡くなったことが信じられないとかあきらめられないとか
まったくそんなんじゃない。
言葉では何と言っていいのかわからないけど、
とにかくまだしばらく時間がかかる気がする。
七七日が過ぎて、直樹がお墓に入ったらお参りに行きたい。
もしかしたらその時初めて区切りがつくのかもしれない。
直樹が一番望んだことはやっぱりマリノスでユニホームを脱ぐことだったんだと思う。
でもそれは叶わず、
直樹自身にとって何番目の希望だったのかはわからないけど、
とにかくサッカーを続けたくて松本山雅を選んで、
あのチームをJ2に上げることを本当に目標にやっていたんだと思う。
だから、私は山雅には絶対にそれを叶えてもらいたい。
確かに結果論だけど直樹にとって最後のチームは松本山雅だったわけで、
そこで本人が最も望んでいたのがJ2昇格じゃないのかな。
”直樹はマリノスの選手”っていう気持ちはもちろんわかる。
でも、山雅サポがどうとかマリサポの方が悲しいとかなんとかかんとか…
そういうのには違和感があるし、そんなことはどうでもいい。
直樹をマリノスから出してしまったのは社長だし監督だしフロントだし、
サポはあれだけ反対した?抗議した?だからもうサポの問題じゃない?
私は、そこはちょっと違う。
ここまで思いつくままにつらつらと書いてみた。
書きたいことはまだまだあるのに、
なんかまとまらないのでこのへんにしとく。
いろいろ違うことを思っている人も多いと思うけど、
この類のことは絶対に理屈じゃないし、
(元々理屈でものを考えるのは苦手だけど)
その人の価値観や人生観、死生観なんかに関わることだから
あれは間違いこれは正しいってことなんかない。
いろんな想いの人がいて当たり前。
あと、
戒名は初七日までに覚えないと覚えられないと聞いた覚えがあるけど、
ちゃんと覚えたからね。
照徳嶺樹清居士
合掌