わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから復帰中の父たまに娘が日々の出来事や想いを書いてます
ほぼはちゅ達時々マリノスたまに音楽医薬世の中のこと

三七日

2022-03-31 10:12:13 | ウチの子たち
今日はぼあちゃんの三七日。
この日は、宋帝王という王が生前の邪淫なんかについて審理するらしい。まずこの王の所に行く途中も恐ろしい鬼がいて大変みたいだし、お裁きの時も、邪淫だけじゃなくて、本人も忘れてるようないろんな悪行も暴かれて、なんだかんだ難癖つけられて怒られちゃうみたい。
まあなんだかよくわからないんだけど、あの子、邪淫は大丈夫。これがその証拠w。

2020年1月6日。左はえびへー(♂)。ぼあちゃんを見つけてボビング&顎真っ黒。ぼあちゃんは「あの子誰? 花よりお日様よ。」なご様子。


2021年1月18日。左はもみじ(♂)。ぼあちゃんを見つけてボビング&顎真っ黒。ぼあちゃんは「あの坊や誰? 花より団子よ。」なご様子。


でも、その他は大丈夫かなあ。本人も覚えてないような悪行なんて、そんなのほとんど言いがかりでしょーw。 
まあ、それを助けるのが、遺族の供養なんだと。だからね、儂も一生懸命に読経してご供養しちゃうよ、追善供養。

そして四七日に続く、と思ったんだけど、7日毎の各お裁きで結論が出たらそこでおしまいで、無罪なら即極楽に、有罪なら即地獄に、それぞれ行くこともあるって。でも、結論が出なかったら、次の王の所に送られるらしい。だからその時は四七日あり。(ホントカヨ?
おまけに、浄土系の考えだと、お念仏で即得往生だからどこに行くのか決まるまでに七七日もかからないんじゃないのかな。まあ、あの子はお念仏唱えてなかった(多分)けど、儂、毎日唱えてるから、それじゃダメ?

うーん、あの子は今どこにいるんだろう。。。


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レクイエム

2022-03-29 09:19:17 | 音楽のこと
レクイエム=死者のためのミサ曲。

レクイエムって、本来は「死者のための曲」だから、よく考えると、「好きな」っていう表現はちょっと似つかわしくないのかもしれない。でも、少なくともこれを書いた時はそんなことは考えてなくて、純粋に音楽としてしか捉えていなかった。
ところが、ぼあちゃんが亡くなってから、この中の、モーツァルトヴェルディフォーレの3つのレクイエムを聴いてみて、今まで経験したことのないことを感じた。

儂は以前から、この三大レクイエム(安っぽい表現で好きじゃないけど)の中ではモーツァルトが最高だと思っていた。儂が死んだら葬式の時にはこれをリピートして流してもらおうと思ってたくらいだった。
ぼあちゃんが亡くなった日の夜だったか、あるいは翌日だったか(なにしろ頭が混乱していたのでよく覚えていない)に、この曲のCDをかけた。でも、すぐに聴くのをやめた。なぜなら、聴きたくない、聴いてられない、と、強く感じたから。なんだかよくわからなかったのだけれど、最初の数小節位を聴いただけで、辛い感情が溢れて来た。
そして、次に聴いたのがフォーレ。これは、モーツァルトとは違い、不思議と素直に耳に入って来て、心に沁みた。

その後、葬儀の日にお寺に向かう車の中で、両方のレクイエムを聴いた。この時はモーツァルトも普通に聴けた。そして感じたのは、モーツァルトは、残された者にある種の厳しさを求めてくるということ。そして、それに対してフォーレは、残された者の気持ちに寄り添うように、残された者を包み込むように流れてくるということだった。
ヴェルディのレクイエムは、聴く前から「これはきっとダメだ」と思っていたので、亡くなって1週間位は見向きもしなかった。それから少し時間が経って聴いてみたけれど、それでもダメだった。この曲は、やっぱりレクイエムじゃなくてオペラ。「僧衣を纏ったオペラ」と言われることがあるけど、まったくその通りだと思った。

ラテン語のRequiemは「安息」という意味 。モーツァルトのレクイエムは、まさに死者のための曲であり、死者に安息を与えるものなんだと思う。そのために、「残された者はしっかりしろ!」と峻厳に迫って来るんじゃないだろうか。
でも、フォーレは、死者にも残された者にも、等しく安息を与えるのかもしれない。
ヴェルディは、残された者の悲しみや辛さなどを吹き飛ばし、死者をも目覚めさせる趣。もっとも、少しでも早く悲しみを忘れるためには、これが一番良いのかもしれないけれど。
もう何十年もこれらの曲を聴いているのに、こういう感覚を覚え、こんなことを考えたのは初めてのこと。

音楽って、同じ曲でも、やっぱりその時々の気持ちによって、思いもよらぬ感覚や感情を引き出す力があるんだなと、つくづく思った。



2021年7月3日 12時12分 儂の抱っこ
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Gと殺生

2022-03-27 10:07:19 | 地球とか命とか
この日記、

今日のぼあちゃん@21.09.19

【ぼあちゃんの飼育日誌】[曇、23.2℃]・5時55分@朝の概況 曇ってたけど、一部に青空も見えた......

で、「いずれ書こう」と書いてから半年以上も経っちゃった。その間に、ぼあちゃんは虹の橋のたもとまで行っちゃったけど、せっかくこの時書こうと思ったことなので、やっぱりこの飼育日誌からの続きとして書こうと思う。

あの時、儂としては、例えゴキブリと言えども、できれば命を奪いたくなかった。
本当は捕まえることなく、そのまま放っておきたかったんだけど、我が家の場合、それは無理。
まず、ママが絶対に許さない。ママ、コオロギの世話してたけど、実は虫が大の苦手。特にゴキブリは論外。コオロギの世話も、ぼあちゃんのためだからって、ガマンしてやってた。ぼあちゃんはいなくなったけど、今もレオパ達のためにやってる。
それに、少なくともあの時点では、万が一我が家の中でうろつかれるとぼあちゃんの絶好の獲物。ゴキブリが被捕食者として命を落とすことは自然の摂理だから仕方がないと思う。でも、さすがにこの辺りで生活してる虫は、怖くて食べさせられなかった。(一番怖いのは殺虫剤がかかってる可能性があること。)
捕まえた後、どこかに放すことも考えた。でも、ほとんどの人にとってゴキブリは超嫌われ者だから、それも大迷惑。
飼うという方法もあったけど、もちろんこれもママが許さないし、やっぱりちょっと、、、w
とまあ、この時は実に身勝手な事情も多々あったわけだ。

「ゴキブリは不衛生、不潔だから殺して当然」という意見もあると思う。
でも、こんなことも言われてる。
特にここに書かれてる、

「病原菌の運び屋といっても“洗わない手”だって似たものです。病原菌の“質”となれば、ハエやノミやカの方がはるかに大物です。しかも、 ゴキブリは本来清潔な昆虫で、皮膚からは殺菌作用のあるフェノールやクレゾールを分泌しているという最近の報告もあります。上記の食中毒の事例も、 それが稀なケースだったからこそ記録されたのでしょう。人間の食物をかすめるといっても、農業害虫に比べればタカが知れています。」

ということについては、儂、かなり同意できる。
つまり、やっぱりゴキブリの場合は、ほとんど見た目の気持ち悪さだけで、反射的に殺しちゃってるんじゃないのかな。実際、儂もそうしてきてるんだろうなと思うんだけど、これってどうなんだろうなって、マジに思ってしまうわけ。

お釈迦様は「殺生はいかん」と言っているけど、儂、仏さまの勉強を始めるかなり前から虫を殺すのを躊躇してて、少なくとも故意には殺してない。大して影響がないと思えるものは捕まえて放してる。そのまま飼っちゃうこともあるんだけど、そもそも飼い方がよくわからなくてなかなかうまく育てられなかったりするので、これはこれで難しい。ちょっと前にも、たまたま出て来たシミを捕まえて飼ってけど、1週間位で死んじゃった。
でも、やっぱりゴキブリの場合はなかなかそうもいかない。じゃあどうすればいいのか、それがわかればこんなに悩まないし考えないんだけどねえ。一番良いのはゴキブリと出会わないことなんだけど、これはこちらの都合だけではどうにもならないことだからなあ。。。

殺生ってなんだろう

「殺生はいかん」とは言っても、どうしようもない場合が、少なくとも2つはあると思う。
  1. 動物の場合、他の生物の命をいただかないと自分が生きていけない。野菜しか食べないって言っても、植物も命。ちなみに、仏教でいう衆生には植物は含まれないらしいんだけど、「これはちょっとどうなの?」、と、儂は思う。
  2. 相手を殺さないとこっちの命が危ないという場合は、殺しても仕方がないように思う。どちらにも生きる権利はある。もっとも捨身なんていう考え方もあるけどねえ。
お釈迦様の言ってる「殺生はいかん」というのも、これまで多くの解釈がされているよね。例えばこんなのとか。
でも、ということは、この問題はそれだけ多くの矛盾をはらんでるということなんじゃないんだろうか。儂のような凡夫が言うのは実に恐れ多いけどw。
ただ、お釈迦様のこの言葉は、やっぱり心に迫る。
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
法句経(ダンマパダ)
(岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば』P.28)
お釈迦様は、本当はどのようにお考えだったのか、マジに知りたいわ。

と、つらつら考えすぎてまとまりがなくなってきちゃったけど、やっぱりゴキブリと言えども、やたらめったら命を奪うのはよろしくないことなんじゃないかと思ってしまう。
少なくとも、見た目が気持ち悪いとか不気味なんていうことだけで、殺していいわけがないよなあ。
じゃあどうしたらいいんだろう、って、またここに戻ってしまうわけだけど。。。



そしてまったく話が変わるけど、
これまであまり聞かなったこの曲、ここのところ、よく聞いてる。

やっぱり心に迫る。

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ニ七日

2022-03-24 09:08:45 | ウチの子たち
今日はぼあちゃんの二七日。亡くなってから2回目のお裁きの日。
この、亡くなってから七日毎の〇七日にお裁きを受けるっていう考え方は、仏教が中国に渡ってから中国の民間信仰と結びついて生まれ、さらにそれが日本でもカスタマイズされたものらしい。お釈迦様自身はこんなことはまったく考えてなくて、実はびっくりしてるのかも?w 
とは言え、今の日本では一般的になってるし、ぼあちゃんはどうかなって、ちょっと考えてみた。

初七日の日には「亡くなるまでのこと #1」を書いて、初七日のことは書かなかったから、まずこれから。
この日は、泰広王という王が、生前の殺生について審理する日らしい。
まず、亡くなると、鬼に小突き回されたり叩かれたりしながら険しい山(死出の山)を登って山門まで来るらしい。険しい山とかは人間だと相当大変だろうけど、あの子はこういうのは得意なはず。でも、小突いたり叩いたりするのは、ちょっとヤメテーって感じ。そんなことしなくても、あの子はサッサと登るから大丈夫です。

そして、コオロギを食べてたわけだから、殺生をしてないとは言えない。でも、これは本人が生きるためだから仕方がないとして、少なくとも無意味な殺生はしてないはず。

って、もうこの時期は過ぎてるから、どうだったかなあ。心配だなあ。
ちなみに、儂、ここが人間と人間以外の動物の大きく違うところだと思うんだよね。人間が無意味な殺生をするのは、人間が持ってる中途半端な知能のせいじゃないかのなあ。人間は、そのうちこの中途半端な知能のせいで滅びるんじゃないかと思ってるんだけど。

閑話休題

今日、二七日は、初江王という王が生前の盗みについて審理する日らしい。よくわからないんだけど、先の泰広王のお裁きが終わってから三途の川を渡って、それから調べられるのかな?
三途の川はめちゃくちゃ冷たくて、しかも鬼の類に叩かれたりしながら激流を泳いで渡らなくちゃいけないみたい。
でも、生前に善い行いをしてると橋を渡れるとか、船賃があれば渡し船に乗れたりするとか。この船賃が六文で、あの子の葬儀の時、お棺の中に入れられるように六文銭の絵葉書があったので、それを入れておいた。だから、多分渡し船で渡れたと思う。あの子、温浴大嫌いだったし、ましてや冷たい川なんて泳いで渡れるわけがない。

そして、少なくとも我が家に来てからはあの子しかいなかった(えびへーと同居してた時期もあったけど、ほとんど会ってないw)から、他のフトアゴちゃんの食べ物を盗んだことはなかったな。食べ物以外に盗むものはないしw。
もっとも、その前の2年間のことはわからないからなあ、大丈夫かなあ。ちょっと心配。
ペットショップにいた時は兄弟姉妹と3人で同じケージにいたらしいんだけど、儂と出会った時はあの子しか残っていなかった。ということは、あの子、多分、3人の中で一番おとなしくて、他の子にご飯を盗られるタイプだったんじゃないかと思うんだよね。
それに、あの子は、毎朝儂が読経してるのをおとなしく聞いていて、仏さまの教えも勉強してたはず。これは十分に善い行いですよ。
だから、多分大丈夫かな。
どうぞ、良いお裁きをお願いします。

と、この先も、このように七七日まで七日毎に書いてみようと思ってる。
なお、〇七日についてやお裁きの詳しいことは、儂なんぞが説明するよりも、「中陰法要」とか「十王経」とかでググるとたくさん出て来るので、そちらを読んで下さい。


しかし、今日がニ七日ということは、あの子が亡くなってからまだ2週間しか経っていないのかあ。。。
もう、ずいぶん昔の出来事だったように感じる。
あの子がいない1日は長いからなあ。。。

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亡くなるまでのこと #2

2022-03-20 12:11:41 | ウチの子たち
(「亡くなるまでのこと #1」の続きです)

● 1月19日=病院#1
いよいよ病院に連れて行きました。私は、この段階では、やはり卵関連ではないかなと思っていました。冬季の活動停止の可能性もありましたが、日向に行きたがるという点が、どうしてもひっかかっていたのです。
病院ではまず超音波検査で卵の確認をしましたが、予想に反して、卵の問題ではないという診断でした。
結局原因はわからず、様子を見ることになりました。先生が「見た目はなんでもないんだけどね」と言っていたのですが、確かに、例えば目が落ちくぼんでるとか痩せてきてるとか体の動きがおかしいとか、少なくともそういうことはありませんでした。診察台の上にいた時は、ペッタンにもならず顎も黒くならず、それどころか、ちゃんと立ち上がってわりときれいな色になり、目もパッチリ開いて、これだけ見たら特に悪いところはないんじゃないかと思えるような感じでした。この時先生が言った、「冬だって気がついちゃったのかな?」という言葉が忘れられません。
病院から家に戻っても、決して元気ではありませんでしたが、そこそこ動いていました。ただし、食欲はまったくありませんでした

● 1月20日~1月25日=上向いたりダウンしたり
この間は、日によっても1日の中でも、上向いたかなと感じたり後退したかなと感じたりして、状態が変動することが多かったように思います。
様子がおかしくなり始めてから1ヵ月位でしたが、この頃はまだ、悪化し続けているという感じは受けていなかったので、いわゆる「病気」じゃないんじゃないかなどと考えていました。
朝起きた時はまるで元気がなくても、ケージから出てきたりはしていて、少しでもウロウロする日もありました。1月23日には、久しぶりにエクササイズマットにまで登ったのですが、1月25日には 1日中ケージの寝床で具合が悪そうにしているといった状況でした。
食欲がないのは相変わらずでしたが、野菜を食べた日もありました。
ただ、夕方抱っこした時にお腹が異様に温かいと感じることがあったのですが、これは12月28日に初めて感じて以来、何回か同じことがありました

● 1月26日=病院#2
病院に出かける前に、質量共に良い💩をしました。ほとんどご飯を食べていないのに量がそこそこあったのは、1月16日に食べたコオロギの分だったと思います。
私はこの時はまだ、冬季の活動停止であってほしいと思っていました。そしてずっと日向に行きたがっていたのは、最後に食べたコオロギを出したいために体を温めてるんじゃないかなということも考えていました。だから、「これからはいよいよ暗い場所、温度の低い場所に行って寝始めるんじゃないかな」、などということも考えながら、病院に連れて行きました。
病院では皮下注射をしました。本来は点滴で入れるものだと思うのですが、人間と違ってそんなに長い間おとなしくはしていないので、注射にしているのだと思います。栄養も水分もほとんど摂っていなかったので、これらの補給は必須だったと思います。
また、出かける前にした💩の検査をしたところ、寄生虫はいませんでした

● 1月27日~2月1日=覚悟が必要かなと感じた
食欲はなく、活動度もかなり落ちてきていました。それでも、ケージから出て来て"居間"で日向ぼっこする日もありました。
1月26日に💩をして、これでお腹の中にはほとんど何も残っていないはずなので、温度の低い場所、暗い場所に行きたがるかなと期待していたのですが、そうはなりませんでした。ママはまだ冬季の活動停止だと信じていたようですし、私もそう信じたいと思っていましたが、現実はやはりそうじゃないなと思い始めました。

● 2月2日=病院#3
病院に行く前、まだケージの寝床にいたのですが、コオロギを見せると食べる仕草をしたので、久しぶりに"魔法の絨毯"を見せたら乗って来ました。そして"居間"に降りると、置いてあったケースに入ってコオロギを2匹食べました。 "魔法の絨毯"に乗ったのは、これが最後になりました。
病院ではこの日も皮下注射をし、先生に久しぶりにコオロギを食べたことを話し、出目のこと、寿命のこと、日向ぼっこのことを聞いてみました。
出目については、脱皮でもないのに頻度が高かった(12月4日、12月6日、12月18日、12月28日、1月5日、1月7日、1月15日  1月19日)ので気になっていたのですが、先生には「これが良いことなのか悪いことなのか、正直、まったくわからない」と言われました。
出目は、以前は、脱皮のためとかリラックスしてる証拠とか言われて、どちらかと言うと良い方にしか考えられていなかったと思いますが、最近ではこういったことも言われているようです。でも、結局は先生の言った通り、何もわかっていないというのが現実なんだと思います。
診察の最後に先生から、「コオロギを食べたことは前進だと考えましょう」と言われ、私もそうだなと思ったのですが。。。
そして、病院から帰ろうとした時、ほとんど水分の💩を、ママに抱っこされたままおもらし(?)していたことに気がつきました。この時は、注射のショックもあるのかなとは思いましたが、同時に、もうここまで来ちゃったのかと、ちょっと慌てました。

● 2月3日~2月10日=もう寿命なんだなと感じた
元の日記では、2月1日からの1週間のことを2月8日に、2月8日と9日のことを2月9日にまとめて書いています。この時は「変化があるまで飼育日誌の公開をやめます」と書いたのですが、本当はそうではなく、この子を見ていて、毎日書くのが辛くなって書けなくなったのです。
詳しくは、8日(特に「1週間のまとめ」)、9日10日の日記を読んでいただきたいと思いますが、ケージから出て来た日もあれば、1日中ケージにいた日もありました。
食欲もほとんどなかったのですが、それでもまだ、ペレットや葉っぱ、そして大好きだったミカンを、いずれも少しですが食べていました。そして6日にはコオロギも食べました。
ただ、見るからに弱ってきてるなという様子になってきていて、2月7日には、ついに"居間"の枕カバーの上で💩をしました。元気だった時はもちろんですが、調子が悪そうになってきてからも、必ず「パパ~、💩~」からベランダに出て💩をしていたので、この時は残念でなりませんでした。
また、9日から10日にかけての夜中には、ちゃんと起きてはいなかったようですが、寝床で頭を挙げていて、ママが抱っこして寝かすということがありました。これまであの子は、夜寝てから朝まで途中で起きることはもちろん、寝ぼけて動くようなこともなかったので、やはりこれも老化?病気?のせいなのかなと思いました。

● 2月11日病院#4
この日は、なぜか朝から少し元気でした。8時半頃にはケージから出て来て、"居間"で日向ぼっこをし、さらに、自分からスツールにも登ったりもしましたし、コオロギやペレット、ミカン、葉っぱを食べました。
病院で、先生に状態が不安定という話をすると、それならばということで超音波検査をしました。その結果、卵の数が増えかなり大きくなっていることがわかり、状態が不安定なのはこのためかもしれないと言われました。
この日も皮下注射をしました。なお、これは後から知ったのですが、この時の注射には、今までと違う薬が入っていたようです。

● 2月12日~2月22日=このまま元気になってほしかった
この時期、元気も食欲も決して元に戻ったわけではなかったし、日によって波もありましたが、調子が悪いなりにウロウロすることが増え、これまでに比べるとかなり食べるようになりました。
12日 コオロギ6匹、ペレット4粒、葉っぱ3切れ
13日 コオロギ4匹、ペレット1粒、葉っぱ3切れ
14日 狩りでコオロギ3匹、ペレット4粒、葉っぱ3切れ
15日 ペレット3粒、葉っぱ
16日 狩りでコオロギ5匹、ペレット7粒、葉っぱ4切れ
17日 ペレット3粒、葉っぱ1g
18日 狩りでコオロギ4匹、ペレット1粒、大根葉、小松菜丸ごと1枚
19日 ペレット7粒、小松菜1枚、大根葉2本
20日 狩りでコオロギ4匹、ペレット5粒、大根葉、小松菜半分
21日 ペレット8粒、大根の葉2本、小松菜だいたい1枚
22日 ロメインレタス、スナップエンドウ、ペレット7粒
13日~17日までの5日間は、朝のケージの中で少しだけでもパフィングをするようになり、17日にはグワンとあくびもしました。
さらに、18日、19日、21日には、電源コードや緑色の洗濯バサミをカジカジするまでになりました。
パフィングやカジカジを見た時は、本当にうれしかったです。
21日、22日には、またベランダに出て💩をしたり、22日にはキッチンに侵入したりもしました。
このまま少しずつでも元気になってくれるかなと思っていたのですが。。。
キッチン侵入は22日が最後になりました。

● 2月23日=病院#5
病院に行って超音波検査をすると、なんと、前回あれだけあった卵がほとんど消えていました。これには先生も驚いたらしく「2週間日位でこんなことがあるかな・・・」と言っていました。また、「ご飯を食べるようになったのは、これでお腹が苦しくなくなったせいかもしれない」とも言われました。
ただし、少し前にママが気づいた「お腹に何か硬い物がある」件は、結局何かわかりませんでした。
まだ食欲はそれほど変わっていませんでしたし、この日の朝もパフィングをしていました。また、💩もベランダに出てしました。こうした状態から、一応少しずつでも元気になってきているのかなとは思っていましたので、次回の通院は、また食欲がなくなってきたらということになりました。
でも、実は私は21日位からの目つきや細かい仕草等を見ていて、もしかしたらまた後退してきたかなと感じていました。確かに食欲とかウロウロとか、客観的に見てわかることはそれほどは変わっていませんでした。でもこれが問題で、毎日接している者から見るとあきらからにおかしいと感じても、それはあくまでも感覚や印象に過ぎません。それを第三者に説明してわかってもらうことは、とても難しいことだなと思いました。

● 2月24日~2月28日=また徐々に悪くなった
「また後退してきたのかな」と感じていたことが、徐々に現実になってきました。
ケージから出て来て、コオロギも食べ、ベランダに出て💩をした日もありましたが、目に力がなく、動作も緩慢で、いかにも調子が悪いという感じでしたた。特に、1日の中の調子の良し悪しの変動が大きかったのが印象的でした。
さらに、この頃から、1日2回、3回と💩をするようになり、それも尿酸だけのことも増えてきました。一番印象に残っているのは2月24の💩で、尿酸が肌色で、少しだけあった💩も肌色の尿酸に包まれていたことです。もしかすると注射の影響だったのかもしれませんが、こんな💩は初めて見ました。
ただ、この間にした💩には、コオロギの残骸がちゃんと確認できましたので、おそらく消化機能は正常だったんだと思います。
夏用ネットケージのパーツのネットに登って寝たり、"禁断の部屋のシェルター"に入って寝たりして、元気だった時と同じような行動もしていたのですが。。。

● 3月1日=突然の後退
この日は朝早くからケージの中で頭を挙げていました。でも、決して元気だったからというわけではなく、あきらからに様子がおかしかったのです。
それでも、ケージからは出て来ましたし、ベランダに出て💩もしました。でも、見るからに調子が悪いといった感じでした。

● 3月2日3月3日=調子が悪いなりに
2日はコオロギや葉っぱを食べ、3日はベランダに出てオシッコもしたのですが、あきらかに調子が悪くなっていると感じました。

● 3月4日=病院#6
病院に行く前に、自分でケージから出て来て、コオロギを4匹と葉っぱ一切れを食べました。
病院ではまた注射をしました。先生からは「コオロギは毎日10匹位あげていい」と言われたので、「やった!明日から食べ放題だね」と思ったのですが、あの子が自分でケージから出て来たのも何かを食べたのも、この日が最後になりました。
ずっとダイエットさせていたので、いつか思う存分コオロギを食べせてやりたいねと、以前からママと話していました。せっかく先生からお許しが出たのに、本当に残念でした。

● 3月5日~3月11日=最後の1週間
この1週間のことについては、まさに個々の日記のタイトルの通りでした。
そして、3月11日の午前2時半頃、ママに抱っこされて息を引き取りました。

亡くなるまでのことは以上です。
このようにまとめてみて、この3ヵ月間、調子が悪くなったり良くなったりを繰り返しながらも、全体的にはやはり少しずつ少しずつ悪くなっていったんだなということが、あらためてわかりました。
日記に「本当の病気だったら少しずつ悪くなるはずだから、病気じゃないんじゃないか」と言ったことを何回か書いていましたが、今にして思うと、それは、「病気じゃない病気じゃない」という私の願望の表れだったのだと思います。
それでも、突然大きく調子を崩したのが、1月17日と3月1日だったと思います。どちらも、この前日までは「このまま元気になるかな」と思えるような状態でったのですが、この日を境にして急激に悪化したという印象です。
よく、「この子達は調子が悪いのを隠す」と言いますが、もしかしたらこの両日の前は、そういうことだったのかもしれません。

あの子のお腹の中にあった正体不明の物のこと
あの子のお腹の中にあった正体不明の物は、先生の話では、脂肪パッドが変性したものではないかということでした。
もしそうであれば、ゲーピングが異常に多かったこと、あの子がより多く日向に行きたがったこと、そして、あの子を抱っこした時にお腹が異様に温かったことと辻褄が合うように思いました。
脂肪パッドには、外からの衝撃を和らげる働きがあると思いますが、それだけではなく、保温等の体温調節にも関わっているのではないかと思います。その脂肪パッドが変性してしまったために、体をうまく温めることができなくなった、あるいは、温まっていることを認識できなくなった、と言ったことが起きていたのではないかと考えました。もちろん、これは私の推測に過ぎません。

それから、これは亡くなるまでのことではないのですが、もしかしたら関係があるかもしれないということが2点ありますので、それも書いておきます。

1.体重の事
これは、ぼあちゃんが我が家に来た時から亡くなる直前までの体重変化です。

グラフを見てわかるように、一番重かった時は600gを超えていました。ここまで太らせてしまったいきさつは、この日記に書いてある通りです。
主治医の先生からは、「太った子は長生きしない」と断言されていましたし、先生とも相談して、かなり早い時期からダイエットを始めました。でも、約2年間、その効果は見られませんでした。
不思議なのは、2019年の9月位に一度体重が落ち始めたのですが、まったく同じようにダイエットを続けていたにもかかわらず、すぐに増え始め、それまで以上の体重になってしまったことです。
それが、2021年の7月位から、急激に体重が減り始めました。この時は、やっとダイエットの効果が表れ始めたと、一応は思っていました。ただ、私は、「本当にそうだろうか? もしかして病気とかじゃないだろうか?」とちょっとだけ思っていました。
体重のことが亡くなったことに関係があるのかないのかはよくわかりませんが、少なくとも、太らせすぎしてしまったことは、決してこの子のためにはならなかったと思っています。

2.食欲の事
いつ頃からかは正確にわからないのですが、去年の夏頃、食欲がちょっと異常じゃないかと思えることがありました。あの子は、それまでも、食べれそうなものはなんでも口に入れるということをしていたのですが、この頃は、特に電源ケーブルやコードの類、それも白い物や白い部分を執拗に齧って食べようとしていたのです。「何かの栄養素が足りないんじゃない?」というのが、この時のママの意見でした。
💩も気になることがあったので、7月24日に病院に連れて行ったのですが、先生からは、予想通り、「特に何でもない」と言われました。
ただ、この時は「食欲が出る病気はない」と言われたのですが、私は、そんなことはないんじゃないかなと、今でも思っています。

私もママも、出来る限りのお世話はしてきたと思います。それでも、5歳の壁を超えさせてやれなかった、長生きさせてやれなかったというのは紛れもない事実ですから、私達の力不足だったことはあきらかです。
亡くなるまでのことを見返していても、あの時こうしていればよかったんじゃないかとか、これが失敗だったんじゃないかとか、いろいろと考えしまい、悔やむことばかりでした。
そして、もし我が家に来なかったら、もっと長生きできたんじゃないか、もっと幸せだったんじゃないかと、どうしても思ってしまいました。

去年の年末から亡くなるまでの3ヵ月は、とてもとても辛かったです。
でも、あの子と一緒にいられた3年4ヵ月は、その辛さの何百倍も何千倍も何万倍も幸せな時間でした。
ぼあちゃん、ありがとう。
キミの記録が、いつかほんの少しでもほかの子の役にたてばうれしいね。



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Jリーグ 第4節、第5節

2022-03-19 08:42:48 | F・マリノス
前節はぼあちゃんが亡くなって間がなく、試合どころじゃなかった。
今節もまだ立ち直れてないので、あまりちゃんと見てなかった。
おまけに、昨日3回目のワクチンを接種してきて、3月19日8時37分現在、副反応真っ最中w。
と言う訳で、書くのをやめようかと思ったけど、とりあえず記録としてだけ残しておくことにした。

最後の1プレイで引き分けに持って行ったのは素晴らしい。

前節よりは見てたけど、ピッチコンディションが最悪で、まったくおもしろくなかった。

こんなのプロのサッカーの試合じゃないよ。どっちも負けなくて良かったw。
両チームの選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。


なんで延期しなかったのか💢



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亡くなるまでのこと #1

2022-03-17 13:01:02 | ウチの子たち
今日はぼあちゃんの初七日。
ご供養は13日の葬儀の時に一緒に済ませてきましたので、これと言ってすることはなく、ただただ、冥福を祈るばかりです。
まだまだ悲しみから抜けられずにいますが、記憶が劣化しないうちに、ここらで亡くなるまでの経過や様子、その時々に私が思ったこと等を、簡単にまとめておこうと思います。
先の日記にも書きましたように、死因がはっきりしていませんので、あまり役には立たないかもしれませんが、例えわずかでも参考になればと思います。
なお、フトアゴを飼ってる方以外には、まったくつまらない話です。

● 2021年9月28日~10月5日頃=なんとなく違和感
明らかに状態がおかしいと感じたのは、昨年の12月28日でしたが、その3ヵ月ほど前、9月の終わり頃から10月の初め頃にかけて、以下のように、なんとなく違和感を感じたことがありました。
  1. ケージのランプを点けてから動き出すまでの時間が、それまでになく長い。 (後にグラフを示します。)
  2. ゲーピングの回数が多く、時間も長い。
  3. ご飯を食べるスピードがゆっくり目になってきてる。
この時は長く続いたわけではなく、そこまで大したことではなかったので、「歳をとってきて体質が変わった?」とか「季節の変わり目だから?」程度に考えていました。

● 10月中旬頃~11月中旬頃=普通に戻った感じ
この1ヵ月間位は、フツーに戻ったかなという印象の日が多かったように思います。1日単位で見ると、「元気がない」、「様子がヘン」と感じた日もありましたが、冬に向かっていたこともあり、私もそこまで重大には考えていなくて、いつもの“心配性”のレベルでした。
でも、この時期も、今までに比べてゲーピングが多いなとは感じていました。それと、去年の今頃は、朝起きてしばらくケージのシェルターに入ることがあったのですが、それがなかったことと、廊下”タッタッタッター”がなかったことが、ちょっと気になっていました。とは言え、シェルターに入らないのはかえって好ましい位に思っていましたし、廊下に出なかったのは去年より気温が低いからかなと思っていました。

11月12日初めての寝床
この日から、"ラックの穴倉"を午後の寝床にし始めました。私はこの時はまったく何も思わず、ただ、温度が低すぎないようにすることだけしか考えませんでした。でも、この場所の床に相当する部分(この子のお腹が当たる部分)には、100均で売ってるアルミの保温シートが敷いてあったので、今思うと、もしかしたらこれに何らかの意味があったのかもしれません。また、この子のシェルターの中では、ここが一番狭くて暗く、頭を周りにくっつけることができる場所だったので、もしかすると、これも何か関係があったのかもしれません。

11月17日おかしいかもしれないと認識
最初に「これはちょっとおかしいかも」と思ったのがこの日です。この数日前から元気がない、動きが少ない、目に力がない等のことは感じていましたが、なんとなくの域を出ていませんでした。でもこの日は、朝、ケージのランプを点けてから動き出すまでの時間、ケージから出て来るまでの時間が、またかなり長くなってしまいました。

11月20日悔やまれる日
亡くなったことと関係があるのかないのかはわかりませんが、この日、いったい何があったのか、本当のことがわからないままだったのは、今となってはもの凄く悔やまれます。単にトンビ等が来て逃げただけなら良いのですが、もしそうではなく、何か、亡くなる引き金になったりするようなことがあったのだとしたら、それをママも私も見逃したことが残念でなりません。逆に、もし何もなかったことがはっきりしているのにこういうことが起きたとしたら、この時点で病院に連れて行けたかもしれません。

● 11月21日~12月27日=大きく変わった様子はなかった
その後の1ヵ月間位は、特に大きく変わった様子はありませんでした。総じて、あまり元気な感じではありませんでしたが、この時期だし、天気にも左右されてるんだろうなと思っていました。
朝、ケージのランプを点けてから動き出すまでの時間とケージから出来るまでの時間が長くなってきていたのですが、これも気温や季節のせいかなと思っていました。
今更ですが、一昨年の同じ時期(202年9月1日~12月31日)と比較してみたら、その差が結構ハッキリしていて愕然としました。せっかくデータをとっていたのですから、この時にこれをやってみれば良かった。

2021年


2020年


ケージから出て来るまでの時間は、むしろ2020年の方がおかしい?と思えました。
2021年


2020年


もっとも、この時点でこのグラフを見たとしても、それですぐに病院に連れては行かなかったかもしれません。時期は同じでも、年齢が違うし、気温や天気も違うので、そのせいかなと考えてしまったように思います。
なにより、食欲が変わらずでしたし、💩もあの子にしては概ね良い状態でした。多少の変動はありましたが、そこそこ動き回ってもいました。
この状態で病院に連れて行っても、「なんでもない」って終わってしまったように思います。
ただ、今、あらためてこの時期の写真を見ると、確かに目に元気がないなと感じます。まあ、今はそういうバイアスがかかった目で見てしまうからかもしれませんが。

12月28日あきらかに異変を感じた
最初にも書いたように、「あきらかにおかしい」と思った日です。食欲はあまり変わっていなかったのですが、ほとんど1日動くことがありませんでした。なにより、目つきや全体の様子が「普通じゃない」と感じました。
そして、夕方抱っこした時に、お腹がいつも以上に温かかったことも、とても気になりました。あの子の周りの温度は、ここまで温かくなるほどは高くなかったと思います。(これについては後述しますが、解剖してみて、なんとなくつながったように思います。)
ただ、この時は、まだそこまで深くは考えていませんでした。この日の数日前に強い寒気がやってきて居座っていたので、もしかしたら冬季の活動停止の始まりなのかなという気もしていました。

● 12月29日~2022年1月2日=ダウンするも大きな変化はなし
この間は大きく変わることはありませんでしたが、日に日に元気がなくなっているなという感じでした。食欲も落ちて来ているかなと感じていましたが、出したご飯(野菜)はまだ完食していました。
強い寒気がずっと居座っていたので、やはり冬季の活動停止の可能性もあると考えていました。ただ、これについては、国内外のどこのサイトを見ても、「暗い所、涼しいところに行きたがり、そこでジッとしている。」と言ったことが書かれているのですが、あの子はこれとは逆で、常にお日様に当たりたがっていました。私が、活動停止の確証が持てなかったのはこの点です。

1月3日=さらに調子が悪そうになった
ますます調子が悪そうになってきて、ついに、ほんのわずかですがご飯を残しました
特にこの日の朝は、以前から私が病気かどうかのメルクマールにしていた、「食欲がある」、「頭が上ってる」、「周りの動きに反応する」の3つが、いずれも△という感じになっていました。ただ、明らかに✖というわけではなかったので、これがとても悩ましかった点です。
冬季の活動停止の可能性と共に、前々からの懸案だった卵の可能性も考えていました。このことで、獣医の先生からも「食欲がなくなったら連れて来て」と言われていたので、病院に連れて行こうかどうしようか、かなり迷っていました。もう少しはっきりと「食欲がない」と言える状態であれば連れて行ったのですが、ご飯を残したのは昨日が初めてで、それもほんのわずか。

● 1月4日~1月16日=少しずつ持ち直してきた
1月5日にはまた悪くなったかなとも感じたりはしましたが、それでも少しずつ持ち直し始めました。ご飯も、食べるスピードが遅かったり、あるいは何回かに分けてという食べ方でしたが、なんとか完食していて、ケージから出て来たり、ウロウロ等の動きもありました。特に1月8日から14日にかけては上向いてきたかなと感じていました。1月10日には、廊下を"タッタッタッター"して寝室とリビングの往復もしました。あの子が廊下を"タッタッタッター"したのは、これが最後でした。
ただこの時期も、食欲については元通りにはなりませんでしたが、それでも、16日にはペットサークルの中でコオロギを5匹狩りました

1月17日目に見えて悪くなった
前日まで、このまま行けばなんとかなるかなと思っていたのが、突然状態が悪くなったので、正直、かなり狼狽しました。
  1. 一日中ケージで脱力ペッタンしてうつらうつら。
  2. ペレット2粒は食べたけど、ご飯はあげなかった。
  3. もちろん日向ぼっこなし。
これはこの日の「今日のまとめ」です。詳しくは、この日と翌18日の日記を読んでいただきたいと思います。
今にして思うと、この2日間がターニングポイントだったのかもしれません。
朝起きてケージの中でパフィングをしたのは17日が最後でした。そして、18日にはついにコオロギを食べなくなってしまいました。(この後、どちらも一旦は復活するのですが。。。)


長くなってきましたので、#1 はここまでにします。
続きは「亡くなるまでのこと #2」に書いています。 



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あれから

2022-03-15 16:59:31 | ウチの子たち
すみません、今日もまだ楽しい話ではありません。

一昨日、府中にあるお寺で火葬してもらい、ママと儂とムスメで骨上げもし、初七日のご供養までしたきた。思ってたよりもお骨がきれいに残っていて、ちょっと安心した。
前にも書いたけど、このお寺は50年来お世話になっていて、納骨堂には大昔に亡くなったワンちゃんのお骨があり、年に2、3回はお参りに行ってる。
七七日を過ぎたら、あの子のお骨も納骨するかもしれないけど、なんか、今はまだその気持ちになれずに、とりあえず連れ帰ってきた。気持ちって、本当に不思議。

そして今日は、幸か不幸か昼間自由に出かけられるようになっちゃったので、鶴見のお寺に行って、ぼあちゃんの冥福を祈ってきた。

実は、あの子が我が家に来るまでは時々行ってたんだけど、なにしろ昼間出かけられなくなったので、もう2年位行ってなかった。
ただ、残念ながら仏殿も放光堂も工事中だったので、祖師堂と観世音菩薩様と地蔵菩薩様にしかお参りできなかった。
我が家からお寺までは、車で15分ほどの距離なんだけど、散歩がてら歩いて行ってきた。途中、暖かいな~とか、いいお天気だな~とか、でもちょっと風が冷たいな~とか、そんなことを思うたびに、あの子のことを思い出して悲しくなった。
うーん、まだまだダメだなあ。。。

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最後の通院

2022-03-13 09:10:24 | ウチの子たち
一昨日、ぼあちゃんの死因を調べてもらうために病院に預け、昨日、引き取りに行ってきた。
その際、ママと一緒に主治医の先生からその結果を聞いた。簡単にまとめると、以下のようになる。
  • お腹を開いてみたら、「何これ?」というものが出て来た。こんなもの、初めて見た。(他の先生達もらしい。)
  • お腹の両側にある脂肪パッドがまったくなかったので、もしかしたら、何らかの原因でその脂肪が変性したものかもしれない。
  • あるいは、卵黄が少しずつ少しずつ落ちて、それが脂肪と混じったのか。。。
  • 硬さは、杏仁豆腐位? 触診した時にお腹の両側に硬いものが触れたのは、多分これが外側の皮と一緒になってたためかもしれない。
  • このために腹膜炎のような状態になったんじゃないか。腹水もずいぶん溜まってた。
  • 卵胞はほとんどなくなってた。
  • これが何かはわからないけど、おそらくこれが原因で亡くなったんだと思う。
そして写真も見せてもらったんだけど、確かに、かなりの量の黄色~オレンジ色の塊で、ピンセットでつまんで取り出せる状態のもの。先生が初めて見たと言ってるんだから、儂らにわかるわけがない。ママは「梅干しみたい」と言い、儂は「スポンジかなんか食べちゃったのか? ウニにも見えるけど。。。」と思った。ちなみに、ママから「食べたものがお腹の中に出てくるんか!?」と突っ込まれた。(ダヨネ
でも、これでも2人とも薬剤師なので、少なくとも臓器、あるいはその一部のようなものでないことだけはわかった。
卵胞の写真も見せてもらったんだけど、これは確かにすごく小さくなってた。

と言う訳で、結局、はっきりとした死因はわからなかった。でも、多分これだろうということだけでもわかって良かった。
同時に、やっぱりフトアゴのことって、ほとんどわかってないんだなということを、あらためて痛感させられた。
これだけ爬虫類の診療をしてきてる先生でも、「初めて見た」というものがあることが、ちょっと衝撃だった。
こんな状況だから、有効な治療なんて、そうそうできるわけがないと思う。
前にも書いたけど、なんとか治療できるのは、外科的処置で対応できるものと一部の感染症位じゃないのかな。

儂、この子が元気だった時は、亡くなった時には解剖してもらい、少しでも他のフトアゴちゃん達のために役立てればいいと考えていた。
ところが、亡くなる10日位前から、急激にやせ細ってだんだんと動けなくなってくる姿を見てたら、なぜか、その気持ちが失せてきてしまった。
そして、亡くなったこの子を見た時、解剖なんかしなくていいという気持ちになった。
少しでも他のフトアゴちゃん達のためになることをした方がいいと、頭ではわかってたんだけど、どうしても気持ちがそうならなかった。頭と心がなんてバラバラなんだろうと感じた。
でも、ママに「今まで、フトアゴの研究が少しでも進んでほしいって言ってたじゃない。」と言われ、ムスメには「えびへーを解剖してもらって、それが今のもみじに役に立ってるよ。」と言われ、徐々に冷静になり、頭と心が同じになってきた。

結局、はっきりとした死因はわからなかったけど、獣医の先生でも初めて見たという程のことだったし、「私達も勉強になるから」とも言ってもらえて、やっぱり解剖してもらってよかったと思ってる。

これは今朝のケージの中。左のお花は、亡くなった日の午後に病院からいただいたもの。


今朝はまた5時半前に目が覚めちゃったけど、2度寝して起きたのは7時。こんな時間に起きたのは久しぶり。
そして、今日は午後から葬儀。



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徒然と書いてみた

2022-03-12 11:31:21 | ウチの子たち
儂にとって、実に濃密な3年間だった。
正確には、我が家の家族になって、あと6日で3年4ヵ月だった。そして、日にすると1210日。

2018年11月18日午後4時27分。我が家に来たばかりのぼあちゃん。何度も載せてる、儂が一番好きな写真。

儂のこれまでの人生で、これほど自分以外のことを最優先にしたことはなかったと思う。
いつ頃からだったか正確には覚えてないし、まだ飼育日誌として書いてなかったからよくわからないけど、ぼあちゃんが我が家に来て2、3ヵ月後位には、家の中で放し飼いにしてた。そして、「この子に危険が及ばない限り、この子の自由にさせる。」と決めていた。
そのために、ぼあちゃんが起きている間は誰かが必ず家にいないといけなかった。だから、この3年間、ぼあちゃんが起きている時間に、ママと一緒に出掛けたことは1日もなかった。いや、1日だけあったか。ムスメが留守番に来てくれて、ママと一緒にiZooに行った日だ。
儂、元来極端なインドア人間なので、それほど苦にはならなかった。
ただ、さすがに、15年ぶりにマリノスが優勝した試合に行かなかったのは、忸怩たる思いがあった。逆に言えば、それだけぼあちゃんを溺愛してたということだけど。ちなみに、ママはフロンタのサポで、この日はサッサと札幌に行ってたw。
でも、儂、ぼあちゃんと一緒にテレビの前で大騒ぎできて良かったと思う。この子、この日はなぜかなかなか寝なかった。って、儂に抱っこされてたから、うるさくて寝られなかっただけかw。

こういう訳だから、この3年間、かなり大変だったこともまた事実。
一番堪えたのは慢性的な寝不足。最初の頃は、朝、タイマーでケージのランプを点けてたけど、どう考えてもこれは不自然だなと思った。
そこで、夜が明ける時間に合わせて起きて来て、手動で少しずつ明るくするようにし、この子が自然に目覚めるようにした。
だから、日の出が早くなってくるともう大変。睡眠時間5~6時間はデフォ。儂、元々睡眠時間が長い方だったので、最初はかなり辛かった。おまけに、加齢のせいもあってか、睡眠の断片化などということも起こり始めたので、かなり相当もの凄く大変だった。
でも、それもだんだんと慣れて来て、今ではほぼ確実に夜明け前に目が覚めるようになった。こんなに大変だったのに、慣れる位まで続けられたのは、自分でも凄いなと思う。
これ以外にも、苦労山盛り。でも、大変だとは思ったけど、もうやめようと思ったことは一度もなかった。熱しやすく冷めやすい儂としては、これは画期的なこと。
だから、ぼあちゃんがいなくなった今、肩の荷が下りたというのも正直な気持ち。ちょっと冷静に考えると、自分の年齢を考えても、そろそろ、これ以上は続けられなくなってきてたかなとも思う。もし続けられなくなっちゃたら、ぼあちゃんが可哀そうなことになって、今度はそれが気になって・・・ということにもなりかねなかったかなと思う。

ママにもずいぶん苦労をかけた。フトアゴを飼おうと言い出したのは儂だし、ママは最初は反対してたから、巻き込むことになっちゃった。
ママが一番大変だったのは、多分コオロギの世話。「最初からこうなると思ってた。だからイヤだって言ったの。」(byママ)
それと、抱っこかな。ぼあちゃん、ママが大好きで、ママの抱っこが大好きだった。なにしろ、一度抱っこすると長いしほとんど動けないから、腰や背中が痛くなる。そしてなにより、抱っこしてる間は何もできないから、その分仕事が溜まって時間が後ろに伸びる。それでも、ママもぼあちゃんのことが可愛くて可愛くて仕方がなかったと思う。ぼあちゃんがいなくなって、儂よりもっともっと悲しいのはママかもしれない。

こうして書いてみると、あらためて、ぼあちゃん最優先でやってきたなと思う。
それでも、結局、「フトアゴの飼育」という意味では失格。だって、「5年の壁」を超えさせてやることができなかったから。自己満足に終わってしまったなという思いも強い。経験も知識も極めて乏しかったから、本当にぼあちゃんに申し訳ないことをした。

去年の7月、4年越しで育てていた蓮の花が初めて咲いた時、実は、「ぼあちゃん、もしかして今年で最後なのかも」という思いが、ふっと心に浮かんだ。
でも、あきらかに調子を落としてから3ヵ月も頑張ってくれて、年も越してくれて冬も越してくれた。

昨日、ぼあちゃんは病院にお泊り。今日戻って来る予定なので、今朝は我が家にいなかった。
儂、朝起きて来て、明るくなり始めた空のケージを見た時、また涙が出た。
そして、今日からまた一段と暖かくなるというのが、とってもとっても悲しかった。
もう、目がショボショボだし、目の周りもゴワゴワだよw。

2019年7月30日午前9時23分。ベランダで日光浴中のぼあちゃん。

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