金曜の夜に箱根の旅行から戻って来て、その時にちょっとだけレオパのことを書いたきりなので、ここらでレオパ備忘録。
らぷちゃんもきょろちゃんもしおちゃんも、まずまず相変わらずな感じ。
土曜日にはいつものようにコオロギを3匹ずつ食べ、💩もそれぞれだいたいいつも通りで日月火のペース。
日曜日の夜、儂がケージの前でガサガサやってたら、みんなケージの前まで出て来て「ご飯?ご飯?」w。「キミたち、昨日食べたよね?」(byママ)。
らぷちゃん
しおちゃん
ここ数日は、朝儂が起きて来た時、らぷちゃんもきょろちゃんもしおちゃんもシェルターの中で寝てて姿が見えなかった。らぷちゃんとしおちゃんは毎度のことだけど、きょろちゃんは最近ではちょっと珍しいかも。
今朝は、きょろちゃんもらぷちゃんもシェルターの外で寝てた。らぷちゃんは、いつも儂の姿を見るとシェルターに逃げ込んじゃうので、今朝はできるだけ静かにして、ケージの前を通る時とかも、なるべく音や振動が出ないようにしてみた。そうしたら、シェルターに逃げ込むことなく、1日中外で寝てた。寝相が完全脱力&完全無防備だったので写真を撮りたかったんだけど、写真を撮ると気づいてシェルターに入っちゃうので、残念だけどやめておいた。
今日の夜、らぷちゃんもきょろちゃんも「出して~」になったので、らぷちゃんはいつもの遊び場へ、きょろちゃんは廊下の遊び場へ、それぞれ出した。
廊下の遊び場のらぷちゃん。この子はさらに外に出たい。
しおちゃんはシェルターの上に乗って外を見てたんだけど、「出して~」まではならず。この子も以前はケージの中で立ち上がって出してアピールをしてたんだけど、最近はめったにやらなくなっているので、ちょっと心配してる。
で、ぼあちゃんの振り返り。
去年の今日はとんでもない事故があった。昼にはカメムシらしきものを食べちゃうし、夕方にはケージに戻そうとした時に突然飛び起きて床に墜落しちゃうしで、もう大変だった。
日記を読んで、めちゃくちゃ焦ってその後もずっと心配してたのを思い出した。でも、今となってはそれもただの思い出。
そして、
宮市亮13
ウチ、ACLのラウンド16で敗退しちゃったから、試合が中断状態なので、マリノスの記事を書くチャンスがなくて、前回からずいぶん間が空いてしまった。
少し後退しても、その後必ず前進してる。
「to be patient 」やっぱりこれが大事なんだね。
マリノスファミリー、最高👍👍👍
ゆっくりゆっくり頑張ってほしい。
今日は珍しく画像がないねw。でもリハビリは順調そう。
宮市って、もしかして聖飢魔Ⅱの信者?w ゼウスの妨害がありませんようにwww。
前の日記でちょっとおかしな書き方をしてしまったので、一部の方には申し訳ないことをしてしまったなと、反省しきり。でも、ありがとうございます。
m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
そして、今日もまたこんなタイトルの日記で「こいつ、いよいよダメか」と思われたかもしれないけどw、これ、歌のタイトル。でも、いろいろな人が歌っているし、ご存じの方も多いんじゃないかな。
作詞は谷川俊太郎、そして作曲は私の大好きな 武満 徹。
武満徹は、一般的には現代音楽、前衛音楽の作曲家に分類されるのかと思うんだけど、それだけではなく、実に多彩な作品を残してる。
この曲は、1965年にベトナムの平和を願って作られたものなんだけど、今回ウィキペディアを読んで、初めて歌ったのが友竹正則で、その時武満が、「メッセージソングのように気張って歌わず『愛染かつら』のような気持ちで歌って欲しい」という手紙を添えて渡したということを知った。「愛染かつらのような気持ち」って。。。
儂がこの歌を初めて聞いたのは、多分、小学校の高学年位だったと思う。当時は学生運動が盛り上がって来た頃。お兄さんお姉さん達がやってることはまだよくわからなかったけど、安保とかベトナム戦争とか安田砦とか全学連とか、当時の社会情勢から生み出される様々な文化にはずいぶんワクワクしたし、この曲にも一発で心を惹かれた。ただ、この時はまだ武満徹のことは知らなかった。
そして、以前にもブログに書いたことがある、儂が10歳の時のNHKの大河ドラマ「源義経」のテーマ音楽。
この頃はまだ特別どのジャンルの音楽が好きということはなかったけど、この曲にはめちゃくちゃ惹かれた。オープンリールのテープレコーダーに録音して、何度も何度も聞いてたのをよく覚えてる。これを作ったのも武満徹。でも、それを知ったのは、クラシック音楽を聴くようになってしばらく経ってから。
武満徹は映画音楽もたくさん残している。その中ではこれはあまり有名じゃないと思うけど、高校時代、唯一と言っていい友人に誘われて観に行った映画「青幻記」。
なんてきれいな音楽だろうと思った。正直、映画の内容よりも音楽の方が記憶に残った。そしてこれも武満徹だった。映画館に行くまで全く知らなかったけど、ちょうど作曲家になりたいと思っていた頃で、「やっぱり武満徹はスゴイ」と思った。
武満徹が残したいわゆる芸術音楽=現代音楽はたくさんあるけど、現代音楽って、残念ながら、やっぱりほとんどの方には無縁で、聴いてもただの雑音にしか聞こえないのかなと思う。
だから今日は、後、合唱曲を2曲だけ貼っておく。どちらも、武満が作曲、編曲した12曲から成る合唱曲集「混声合唱のための『うた』」という作品に含まれている曲。
1つ目は、この曲集の1曲目「小さな空」。
2つ目は、「うた」の12曲目。今日の日記のタイトル「死んだ男の残したものは」を合唱に編曲したもの。
最初にも書いたように、この曲はベトナム戦争の時に書かれたもの。それから60年近く経った今、また同じようなことが起きているなんてね、人間って、つくづく愚かだと思うよ。
儂は武満徹は大好きだけど、ただのファンに過ぎないので、武満の詳細はこちらを読んでいただきたい。武満徹なんて知らないっていう方は多いと思うけど、実は日本にもこういう世界的な作曲家がいたんだということを、ぜひ知っていただきたいなと思う。
それから、万が一w、武満徹の現代音楽も聴いてみたいと思った方がいたら、YouTubeで「武満徹」で検索すると、山のように出て来るので、これまたぜひ。
ちなみに、儂のおススメは「弦楽のためのレクイエム」、「グリーン」、「遠い呼び声の彼方へ」、「ガーデンレイン」あたりかな~。
8月も明日と明後日で終わり。
ぼあちゃんがいた頃は、「あ~、もう夏が終わっちゃう~・・・」とかなり憂鬱になった。その感覚がまだ残っているのか、今年も「夏が終わるのかあ・・・」と憂鬱になりかけては、「もうぼあちゃんはいないから、いいんだね・・・」と思い直す。でも、それはそれで悲しい。
今年の夏は猛暑だったし不安定なお天気だったけど、お日様もたっぷりだった。ベランダに差し込む陽射しを見て、「ぼあちゃんがいたらな・・・」と何度も思った。
2021/8/29 13:40
儂、ぼあちゃんとは関係なく、昔から秋はあまり好きじゃない。
極端なインドア派で雨が好き、外でわいわい騒ぐのとかは大嫌い。それなのに、夏の明るさや喧騒が好きというのが、実は自分でもよくわからない。
少しずつ秋の気配に変わっていく今の時期は、昔から苦手。ましてやぼあちゃんがいた頃は、本当に嫌だった。
2020/8/31 6:34
先週、儂がまだ製薬メーカーにいた時に同じグループで働いていた人が亡くなった。儂よりも3歳下。彼も儂も同じような仕事していたこともあって、会社を変わった後もそこそこつながりがあった。それほど親しいつきあいだったわけではないけど、年数だけは約40年。まさに長く細くの付き合いだった。
一昨日の土曜日、お通夜に顔を出して来た。彼はまだ仕事をしていたので、その関係の人もたくさん来ていた。私も何年かぶりに、以前の会社や仕事関係の知人に再開し、当たり前の話なんだけど、自分も含めてみんな歳をとったなと思った。
祭壇には、私がよく知っている感じの彼の写真があった。ご導師のお経の中、お焼香をして合掌して彼の冥福を祈った。それと同時に、私自身も、もう今生に思い残すことはほぼないなと思った。ただし、
「死ぬまでは一生懸命に生きる」
これが一番大切なことでもあると、あらためて思った。
最近は、何かにつけて「仏さまの勉強をしていて本当に良かった」と思うことが多い。
形あるものは必ず壊れる、生あるものは必ず亡くなる。だから決して悲しむことでも忌み嫌うことでもない。
これはよくわかってるつもりなんだけど、ぼあちゃんやむくちゃんが亡くなった時は、やっぱり悲しかったし、今でも悲しい。
2020/8/7 12:44
今年はやはり蓮は咲かなかった。植え替えの時期が遅かったし、土が足りなかったりやり方も雑になっちゃったりしたので仕方がないけど、ちょっとかわいそうなことをしたなという思い。
これ、一昨日の朝。
来年はまた咲いてほしいなと思う。ただ、去年4年目にしてやっと花が咲き、嬉しかったのと同時になんとなくイヤな予感がした。そしてその通りになってしまったので、正直言うと、ちょっと複雑な気持ちでもある。
箱根の旅行のことを書いたすぐ後の記事がこんなのになった。でも、これが今の儂の心の動き通りなのかなと思う。
そして、秋の曲を3曲、大好きな武満徹で。2曲目と3曲目はいわゆる現代音楽。でも、儂の中では、武満の曲は他の現代音楽とは次元が違う。また、3曲目は雅楽なんだけど、和楽器の響きは心が落ち着く。やっぱり儂も日本人なんだなあと思う。
と言う訳で、旅の舞台は箱根から江の島へ。
江の島に着いたのは4時半過ぎ頃。箱根もそうだったんだけど、江の島に来たのは十何年、いや、何十年ぶり。ムスメが「岩屋行く?」と言うので、「あ~、なんか聞いた覚えがあるなあ」と思った。そこでこの時は何も考えずに「行こう行こう」と歩き始めた。最短ルートを行った(はず)ので、距離にすると1.5km位のもんなんだけど、階段と上り坂下り坂の連続で、これが結構きつかった。エスカレーターに乗るという選択肢もあったんだけど、歩き始めた時はそんなことまったく考えなかった。そして、途中からはハーハー言いながら、「やっぱりエスカレーターに乗れば良かった」などと考えつつw、やっと海岸まで出て、海を見たらちょっと元気が戻った。
30分ほど歩いて岩屋に到着。この時点で、儂はすでに大分疲れてた。足はまだそうでもなかったんだけど、なにしろ暑くて暑くてマイッタ~っていう感じだった💦💦💦。
それでも岩屋の中に入ったら、さすがに気温は低くて少し助かった。でも湧き水が多くてかなり湿気があったので、それほどヒンヤリでもなくて残念。
岩屋の中には見るからに古い石仏があって、弘法大師や日蓮上人が修行したとか頼朝が祈願したとか、さすがにいろいろな言い伝えがある場所だなという感じだった。龍神伝説も有名だから、こんなものも。
とてもきれいな灯篭が並んでいて、何かなと思ったら「江の島灯篭」なんていうイベントの期間中だった。
あと、こんなイベントもやっていて、ところどころに妖怪の絵があった。やっぱり夏休みだな~。
岩屋を出て、「せっかくここまで来たんだから次はシーキャンドルね」とムスメに言われ、またもや階段登り開始。岩屋に向かう途中、岩屋方向から戻って来る若い人達のほとんどがマスクを外してたから、「なんだよ~」って思ってたんだけど、あれ、暑くて苦しかったからなんだなと、よーくわかったw。儂ももうマスクしてるのがメチャ苦しくて、外しちゃったわ💦。
そして、冷たい物を飲みつつ力を振り絞って歩き、20分ほどでシーキャンドルに到着。この時点で、熱中症になるかと思う位だった。
シーキャンドルの周りにも、あちこちに灯篭やライトが並べられてて、とても素敵だった。
シーキャンドルに登ると、中はエアコンが効いていて気持ち良かった~。少し涼んでから外に出てみたら、これまた風が気持ち良かった。そして時間も、もう少しで日の入りという頃で、雲は多かったけど、相模湾と日没が綺麗に見えた。
シーキャンドルから出たら、自身もライトアップされてた。
そして、気づいたらうっすらと富士山のシルエットが見えていた。
最後の力を振り絞りってシーキャンドルがある山頂から下り、途中の江の島神社まで来たらビックリのライトアップ、いや、プロジェクションマッピング?
これらの写真を撮った時は、もうヘロヘロで青息吐息な状態w。
この後、這うようにして駐車場に辿り着き、運転席に乗り込んだ時には気絶寸前。言うことがイチイチ大げさだけどw。
まあマジな話、そこまでではなかったけど、このまま無事に運転して帰れるだろうかと思ったのは本当の話。
それでも、儂にしては慎重に運転してムスメを家に送り届け、8時頃には我が家に戻って来た。
我が家に戻ってリビングの電気を点けたら、レオパ達がみんなケージの前まで出て来てて外を見てた。二晩も続けて暗いままだったので、みんな「もしかして、うちら捨てられたの?」なんて思ってたのかもw。
実際、この2日間の昼間の温度のことを少し心配してた。でも、とりあえずみんな💩もしてて元気そうだったので、一安心。
と、これが1泊2日の箱根&江の島小旅行のあらまし。
最後に泊りがけの旅行なるものに行ったのは、ぼあちゃんが我が家にやって来た2018年11月の函館旅行以来のこと。あの子がいた頃は、必ず誰かが家にいるようにしてたので、旅行はもちろん、あれ以来遠出したのは、ムスメがぼあちゃんの面倒を見に来てくれて行ったiZooの1回だけ。それもあったので、箱根も江の島もとても楽しかった。
今回の旅行で一番感じたことは、「世間はまだ夏休みなんだな~」ということ。箱根も江の島も、想像してた以上に人が多くてちょっと驚いた。
そして、江の島は予想以上に観るべき所があった。儂の記憶にあった江の島とはずいぶん違ってた。だから、やっぱりここはここで別に来たかったなと思った。箱根で観光してからだったので、疲れて十分に楽しめなかったのがかなり残念だったな。
そういう意味では、先の日記に書いたように「間違いの始まり」だったんだけど、まあ例え間違いでも、行かなかったらそれもわからなかったので、行って良かったということかw。
それと、実は今の感染者数からコロナもちょっと心配だった。でも、これまで親戚とか直接の友人・知人とか、いわゆる自分の周りで感染したっていう話はまったく聞いてなかったし、一応ワクチンも3回は接種してるし、重症化率を見るとそこまででもない(データが正しければ)しで、エイヤーで行ってしまった。医療従事者の方々にも申し訳ないかなとは思ったんだけど、うちの医療従事者が行くと言うので、ま、いいかと思った。
ところが、箱根に着いてからTwitterを見てたら、コロナに感染した友人が2人もいるって知ったw。
やっぱりこれだけ感染者が増えるとそうなるなあ。うーん、10日位は少しおとなしくしてるかな。。。
25日と26日の1泊2日で、ママとムスメと3人で箱根に行ってきた。元々ムスメが一人で行くつもりらしかったんだけど、いつ行くのかはACLのウチの結果次だった。それがウチがラウンド16で負けたので、急遽25日に決まり、そこにママが加わり、ついでに儂まで加わったので、突然行くことが決まった次第。
箱根と言っても広いけど、今回は芦ノ湖メインで、宿も芦ノ湖湖畔。
1日目
朝9時頃に車で出て、芦ノ湖に着いたのがお昼前。湖畔を少しドライブしてから、お昼ご飯はムスメが探して来たここで食べることになった。わりと有名なお店みたいで、お昼のピークは過ぎてたのに1時間ほど並んだ。
ワカサギって漢字でこう書くんだって、初めて知った。
美味しかったけど、量が多くてお腹いっぱいになり過ぎw。
お昼ご飯の後はロープウェイで桃源台から大涌谷へ。今回のムスメの旅の目的の一つは大涌谷に行くことらしかったんだけど、時々雨がポツポツ。山を見上げると完璧に雲の中。
大涌谷に着いたら、案の定、雲の中でほぼ何も見えず。
残念無念だったけど、せっかく来たので黒卵は買ったw。で、さらにロープウェイで雲の中を早雲山へ。
そして早雲山から大涌谷に戻る途中、なんとなんと、わずかの間だったけど雲が晴れて大涌谷が見えた。早雲山に行く時は何も見えなかったのに、ラッキーw。
桃源台⇔大涌谷⇔早雲山と往復して、宿に着いたのは4時半頃。夕ご飯まではちょっと時間があったので、おやつ代わりに大涌谷で買った黒卵を食べてから、楽しみにしていた温泉でゆったり。
そして、お待ちかねの夕ご飯。
どれも美味しかったんだけど、椀物とか煮物とかのお出汁の味が抜群だった。
2日目
青空が少し見えてたし時々薄日も射してて、1日目よりは天気が良さげだった。でも、予想外の蒸し暑さ。朝起きて外の涼しい風を期待して窓を開けてみたら、湿った空気が入って来てちょっとガッカリ。箱根=涼しいっていうイメージは見事に崩れ去ったw。
9時頃に宿を出た。本当はもう少しゆっくりしたかったんだけど、お天気が回復してきて、ムスメはもう一度大涌谷にチャレンジしたいと言うし、ママは海賊船に乗りたいと言うしで、、、まあ1泊だから仕方がないw。
その前に、まずは箱根神社へお参り。
狛犬さん「あ」狛犬さん「うん」。
境内にある九頭竜神社の天井画。
箱根神社の後は大涌谷に再チャレンジして、見事成功。雲は多かったけど、よく見えた~。
大涌谷から芦ノ湖へ下りて海賊船に乗り、箱根町港→元箱根港→桃源台港→箱根町港と遊覧。今回乗ったのはロワイヤルⅡという船。この船、よく見るとちょっとトリコロールw。まあなんでもトリコロールに見えちゃうのは習性だから。
泊った旅館。
芦ノ湖も、こうして見るとちょっと神秘的な感じがしなくもない?
その芦ノ湖を眺めるマリンちゃん。
この後、芦ノ湖とはサヨナラして箱根湯本まで行き、ムスメが見つけた湯葉丼が有名なお店へ。ここもめっちゃ混んでたので、1時間近く待ってやっとお昼ご飯。
これがその湯葉丼。今の時期にはちょっと暑かったけど、待った甲斐はあった。
箱根小旅行はこんな感じで無事終了したんだけど、小田原あたりまで戻って来た頃、ムスメが「このまま真っすぐ帰るのはもったいないから、ちょっと寄り道して帰ろう!」と言い出した。儂もこの時は「じゃあ江の島にでも寄って行くか?」と気軽に応じたんだけど、今にして思うと、これが間違いの始まりだったな。。。
と言う訳で、続きは明日(の予定)。
今日の夜、NHKの「ロコだけが知っている」という番組を見ていて、そこからちょっとわけのわからないことに思いが至った。
でも、「何、バカなこと言ってるの?」って言われそうな話だし、今から書き始めると明日になりそうなので、もう少し頭を整理してまた別の日に書くことにした。
なので、
まず、去年の今日のぼあちゃんを何枚か。
「お外出る~」
「お日様がいない。。。」
「ご飯よ~」
「なあに?」
「ここ、居心地がイマイチよ」
「おやすみなさい・・・」
レオパ備忘録をちょっとだけ。(写真はなし)
みんな、日曜日にコオロギを4匹ずつ食べた。この時の食欲はいつもと変わりなかったんだけど、一昨日、昨日、今日と、きょろちゃんもらぷちゃんもほとんどシェルターの中にいて姿を見せず。
ただ、らぷちゃんは、昨日、今日と昼間にシェルターから出て来て「出して~」からの遊び場で、昨日はオシッコだけ、今日はオシッコと💩。でも、動きがのそのそ。
しおちゃんは相変わらずな感じだけど、きょろちゃんとらぷちゃんがちょっと元気がない感じ。
それでも、今日またコオロギを3匹ずつ食べたから、まあ大丈夫なのかな。でも、食べ終わったらすぐにシェルターに帰っちゃった。ここのところずっと気圧が低いので、そのせいかなとも思うんだけどねえ。。。
そして、
宮市亮12
階段が降りやすくなって来てるって!
それにしても、「小さな幸せの積み重ね 」っていい言葉だね。
※あまりに中身がない記事なので、コメント欄は閉じます。
gooブログ編集の記事一覧で、下書きのままになってる記事を眺めてたら、この「初心に帰る」というタイトルの2年前の記事を見つけた。
読んでみたら、ぼあちゃんのことを心配して書いたものみたいだった。そこから繋げて仏さまの教えも書いたりしてた。
せっかくここまで書いてるし、今のマリノスのことでも同じようなことを思ってたので、加筆修正してアップしてみることにした。
「初心に帰る」(2020年6月10日)
ここのところぼあちゃんの調子が上がらない。
少し心配になってきてて、あ〜でもないこ~でもないと、しょうもない考えをめぐらしてる自分に気づいた。
少し心配になってきてて、あ〜でもないこ~でもないと、しょうもない考えをめぐらしてる自分に気づいた。
で、初心に帰るじゃないけど、一昨年我が家にお迎えしてからの数ヶ月のことを思い出してみた。
そして思ったのは、あの頃に比べれば今のこの子なんて、「どこが不調なの?」状態だなということw。
あの頃はまだ右も左もよくわからなかったし、ネットやマニュアル本に書いてあることを鵜呑みにして、「健康で元気なフトアゴはこうあるべき」という理想形のようなものを自分の中に作っていたと思う。
その後、病院に行って獣医の先生にいろいろな話を聞いたり、海外のサイトや論文なんかも読んで、自分の中にできていた"理想形"はだんだんと消えて行った。
加えて、学生時代からこれでもかこれでもかと経験してたはずの「個体差」ということを今更のように思い出した。ホント、なんでそんな基本的なことを忘れてたんだろうって感じなんだけど、これこそ「愛は盲目」ってことなのかwww?
あの頃はまだ右も左もよくわからなかったし、ネットやマニュアル本に書いてあることを鵜呑みにして、「健康で元気なフトアゴはこうあるべき」という理想形のようなものを自分の中に作っていたと思う。
その後、病院に行って獣医の先生にいろいろな話を聞いたり、海外のサイトや論文なんかも読んで、自分の中にできていた"理想形"はだんだんと消えて行った。
加えて、学生時代からこれでもかこれでもかと経験してたはずの「個体差」ということを今更のように思い出した。ホント、なんでそんな基本的なことを忘れてたんだろうって感じなんだけど、これこそ「愛は盲目」ってことなのかwww?
儂の感じ方もあると思うけど、あの子の方も我が家に慣れてきたのもあるのか、めちゃくちゃ心配するようなことは少しずつなくなってきたように思う。
そして、この子の「元気形」のようなものもおぼろげながらわかってきた。もちろん、そんな確たるもんじゃないけど。
でも、その「元気形」のようなものを見慣れて来たら、今度はそれまであまり気にならなかったようなことが気になり始め、それが心配の種になってるということに気づいた。
結局、「元気形」なるもののレベルがどんどん上がっちゃってるということなんだと思った。心配性の儂らしいと言えば言えるけど、情けない。。。
一番大事なのは、この子が本当に健康で元気ということ。そしてそれを、客観的に間違いなく見極めることが必要なのに、ただ自分が心配か心配じゃないかが優先になってないかなと、反省した。
話は少し変わるけど、「少欲知足」という四字熟語がある。ネットで検索するとたくさん出て来る。例えば、
「わずかな欲望で、十分満ち足りていること。少ないものでも、それ以上を望まず、満足すること。」(goo辞書)。
話は少し変わるけど、「少欲知足」という四字熟語がある。ネットで検索するとたくさん出て来る。例えば、
「わずかな欲望で、十分満ち足りていること。少ないものでも、それ以上を望まず、満足すること。」(goo辞書)。
結局、ぼあちゃんのこともこれなのかなと、ちょっと思った。つまり、最初はこの程度なら大丈夫なのかなと思っていても、次第にそれでは満足できなくなって、さらに自分の思い通りにならないと、また心配になっちゃうということ。確かに際限がない。
ぼちゃんはもういないのに、今更こんな記事をアップしても意味がないと思った。でも、この「小欲知足」というのは、考えている以上に大事なことだと思っているので、あらためて載せてみた。特に3つのリンクは、是非とも読んでいただきたい。
儂が、人間が他の動物よりも優れてるわけじゃない思うのは、まさにこれが理由。多分、際限なく自分の欲求を満たそうとするのは、あらゆる動物の中で人間だけじゃないかな。そしてそれが、いろいろな弊害を生み出してるんだと思うんだけど、このことはまた別に書こうと思う。
あと、この日にアップしたぼあちゃんの記事も貼っておく。こういう状況でこういう風に心配して、先に書いたようなことを考えてたんだなあと思った。
そしてマリノスの話。
今、マリノスは絶不調。7月はあれだけ好調だったのに、もしかして8月は1勝もしてないのかな。でも、なんでもそうそう上手くばかりは行かないし、良い時があれば悪い時があるのは当たり前のこと。
調子が良い時って、ついつい、もっともっとと思ってイケイケドンドンになっちゃうんだよね。そして一度うまく行かなくなってくると、「こんなはずじゃなかった」、「この前まではもっとやれたのに」と思って、調子が良かった時のことばかり考えてしまう。多分これが、悪い流れにハマる原因じゃないのかなと思う。
まだ首位にいるわけだけど、選手もサポも、首位だとか優勝だとか、そういうことは忘れた方がいいと思う。上手くいってた時のことも、すっかり忘れた方がいいと思う。そして、目の前の試合に1つ勝ったらそのことだけを喜ぶ、また1つ勝ったらまたそのことだけを喜ぶ。これを繰り返していくことが必要なんじゃないのかな。つまり、今シーズンが始まった時の気持ちに戻ること、「初心に帰る」ということだね。
先週末の他のチームの試合の結果をみる限りは、まだ風は吹いてない。
で、マリノスのことと言えば、もちろん今日も、
宮市亮11
スタジアムのスロープを下ってる\(^o^)/
逆の足でもボール蹴ったんだね\(^o^)/
硬めの話の次は軟らかめの話。って言っても、儂が書く軟らかめの話って言ったら、トカゲかマリノスの事だけどねw。
まず、一昨日のACLの試合で、3点目を獲られて中継観るのやめ、そのすぐ後にリツイートしたツイートがこれ。
これ、この前の脱走トカゲの話ね。何度読んでもおもしろいw。どこのどういう某記者かは知らないけど、この程度のレベルの人が取材して記事にしてるんだねwwwww。
これを思えば、見当はずれなゾコーバの社説も、それほど驚くようなことでもないんだなと思ったw。
次に、レオパ達の事。
きょろちゃんは相変わらず。「出して~」からの遊び場→普通に脱走。特に昨日は「ぼあちゃんか」と思う位そこいらじゅうを歩き回った。一度見失って、一歩間違えば踏むところだったのはここだけの話w。
キッチンにて。
今日はまた夕方「出して~」になったので、もう面倒くさいからそのままリビングに出した。そうしたら、廊下を"スタスタスタスタ"して寝室一周。戻って来てママにケージに入れられた。
らぷちゃんは、実はこの1週間💩してなくて、そのせいもあったのか、元気がなくてほとんどシェルターに入ったままだった。昨日も一日中まったく姿が見えなかったんだけど、夕方出て来た。そして、本人はあまり乗り気じゃなかったみたいなんだけど、遊び場に出せば💩をするかなと思い(ここはトイレも兼ねてる)、エイヤーで出してみた。そうしたら、ほどなくしてちょっと多めに💩。儂、内心結構心配してたから一安心。
その後は廊下の遊び場に移し、結構ウロウロ。💩して楽になったのか、逆に調子が悪かったから💩が出なかったのかはわからないけど、少しフツーになった感じだった。
そして一旦ケージに戻したんだけど、また出たい風だったので、試しに紙製の卵トレーをハシゴにしてみたら、なんと登って来たw。
このままケージから出て来るかなと思ったんだけど、少しして降りていってシェルターに入っちゃった。残念w。
今朝は超久しぶりにシェルターの外で寝てた。でも、昼前に気づいたらシェルターに入ってた。夕方、出たそうに外を見てたので手を入れたら乗って来た。きょろちゃんは廊下⇔寝室コースを堪能中だったので、遊び場に出したら今日も💩。やっぱり溜まってたなw。その後、遊び場から出したら、リビングやキッチンを大探検。この子がこんなに外を歩いたのは久しぶり。
しおちゃんは相変わらずほとんどシェルターの中。夕べシェルターを覗いてみたら「なにごとなの?」っていう感じであわあわし、シェルターを出たり入ったり。その仕草を見て、「目が見えなくなってきて怖がってるみたい」と思った。一度病院で診てもらいたいなと思うんだけど、それもまたストレスだろうからなあ。。。ハァ~・・・
ついでに、去年の今日の【ぼあちゃんの飼育日誌】を貼っておく。
この記事からリンクしてる一昨年の【ぼあちゃんの飼育日誌】も見ていただけると嬉しいです。
そして、
宮市亮10
バス移動だけで固まっちゃうんだねえ😲。しかも術後4〜5週が勝負だって。
ムリせず頑張ってほしい。ウチのトレーナー、やっぱりスゴイ!
最初、硬軟取り混ぜて書こうと思ったんだけど、またムダに長くなりそうなので、分けることにした。
まず、ちょっと前の新聞の記事。やっぱりだんだん情けなくなってきるんじゃないか? 日本の科学技術。
「きっと日本は研究にお金使ってないんだろうな」と思ったら、「日本の産学官を合わせた研究開発費、研究者数はどちらも3位」だって書いてあって、じゃあなんで?って思った。
で、それは、「日本は横ばいが続き下げ止まっている(研究開発費や研究者数が?)が、研究への投資を増やしている国が上昇したため」ということらしい。
でもこれって、要するに研究開発費も研究者数もまだ日本の方が多いのに、研究そのもののレベルはすでに他国が日本を上回ってるっていうことじゃね?って思ったんだけど、違うのかな。。。
そして、「いかに研究者の研究時間を確保し、博士号取得者を増加させていくかが重要だ」とかいてあって、やっぱりレベルが低いということじゃんって思った。でも、研究機関で雇止めみたいなことが続いてる限りはムリだよね。
この前、シオノギのゾコーバの緊急申請が継続審議になった時に、「国産のコロナ治療薬を出すチャンスだった」みたいなことを言ってた社説があったりコメンテーターがいたけど、こんな状態でカッコだけつけてみてもしょうがないんじゃないかね。
自然科学の研究って、多分基礎的なことから地道にやっていかないとダメだから、長期的な目線じゃないとうまくいかないと思う。それに無駄なこともたくさん必要だと思うので、目先の利益だけを考えてる限り、どんどん沈んで行くんだろうな。
でもそうしたら、日本ってこの先どうやって食ってくの?
あ、でも、イーロン・マスクじゃないけど、日本はこのまま人口が減り続けたら、その前に消滅しちゃうかもね。
それから、ちょっと怖い研究結果。
どういうことかと言うと、核戦争が起きると地球上の相当数の人が餓死するという話で、パキスタンとインドの核戦争だと20憶人以上、アメリカとロシアの核戦争だと50億人以上が餓死するんだと。戦争の期間はどちらも1週間想定。ちなみに、2020年の地球の人口は77.5億人らしい。
これ、戦争の直接の犠牲だけじゃなくて、いわゆる核の冬とか食糧の輸出入が出来なくなるとか、そういうことも原因だって。核の冬についてはいろんな意見があるだろうけど、食糧の輸出入ができなくなるっていうのは、今のウクライナとロシアの戦争だけでも実感がある。
儂はこの分野は素人なので、この論文誌がどの程度の信頼性があるのかわからない。それに、日本でこのことを報道してるサイトに偏りがあるようにも思えるので、そのあたりも「ん?」ではある。。。
人間が自分達の都合で始めた核戦争で滅びるのは勝手。でも、人間が犠牲になるということは、当然他の動物も犠牲になるということ。
儂、ブログにも時々書いてるんだけど、地球は人間のものじゃない。人間は地球に住まわせていただいてるだけ。だから、勝手に壊して他の生物の生存を脅かす権利なんか絶対にない。これ、核戦争だけじゃなくて普通(?)の戦争だって同じこと。
ちょっと話が変わるけど、本当は敗戦の日に書きたかったことを書いてみる。
儂はもちろん戦争は知らない。でも、亡くなった父親(戦争中は中学生位だった)から、アメリカの戦闘機の機銃掃射を受けた時の話を聞いて、もうそれだけでそんなこと絶対経験したくないと思った。
場合によっては戦争やむなしと考えてる人も、一定数いるんだと思う。今現在はそれも仕方がない。だってまだ戦争が起きることを防げないから。でも、だからと言って、この先もずっとこのままでいいわけがない。
他の動物と違って人間には知恵があるって言うんだったら、まずそうならないようにしませんかね。そりゃあメチャクチャ難しいでしょう。でも、その難しいことを成し遂げられてこその人間じゃないんでしょうかね。
なんでもそうなんだけど、出来ない理由をあげつらったり「現実はこう」とか言って、「だからできません」って言うのはとっても簡単。日本の役人がよくやる手w。でも、それは順番が逆。まずヤルって決める。そしてそれが出来ない理由があるなら、それらを一つ一つ潰していく、どんなに難しくてもどんなに時間がかかっても(ここ重要)解決していく。「現実があああ」って言ってたら何も変わらないですわwww。そして、変わらないものは滅びるんですわ。
SFみたいに宇宙人が地球に攻めて来て初めて、地球人同士で戦争なんかしてる場合じゃないなんていうことに気づくんじゃあ、とても万物の霊長とは言えないよねえw。そんな生物が地球を“支配する”なんて、ちゃんちゃら可笑しい~。
もっとも、自分の国の人口すら増やせないでいるんだからねえ。。。
ここまでがちょっと硬めの話で、次は軟めの話の予定。
「パパ、難しい話は似合わないわよって、この前も言ったでしょ!」