わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから復帰中の父たまに娘が日々の出来事や想いを書いてます
ほぼはちゅ達時々マリノスたまに音楽医薬世の中のこと

今私たちが選択すべきは

2024-06-04 10:27:02 | 地球とか命とか
今朝はここ数日の中ではいいお天気。でも、結構ヒンヤリ。上空に寒気がいるせいなのかな。
そう言えば、昨日こんな記事を見つけた。
一瞬、「この夏は猛暑じゃなくなるの?」って思ったんだけど、これは世界的な話をしていて、日本はやっぱり猛暑になるんだよね? 難しくてよくわからないw。


これ、今月1日のXのポスト。
このKoichi Murata(村田浩一)さんという方、獣医さんでズーラシアの園長さん。いつもXにとても素敵な動物達の写真をポストされてる。

儂はこの通りだと思ってる。しかも、「かもしれない」ではなく絶対にそう。成長が前提になってるSDG'sなんて、どう考えても上手くいかない。
今の人間社会に一番必要なのは「成長することが当たり前」という価値観をきれいさっぱり捨て去ること。そしてそれに合った社会を早急に作り上げることだとずっと思ってる。
でも、こんなことは絶対に無理。
その一番の理由は、人間の欲に限りがないから。地球上の人間以外の生物は少欲知足で生きている。でも、人間は少欲では満足できない。なぜなら“知能”なるものがあるから。“知能”があるからこそこういうことを考えられるし、SDG'sのようなことも可能なんだという人もいるだろう。でも、それは違う。そもそも、こういう言葉があるということ自体が、人間は欲を押さえることができないという証拠。
残念ながら今の人間の“知能”はそこまで上質じゃないと思う。人間は“知能”のお蔭でここまで発展できたけど、その“知能” のために滅びていくんだろうと思う。それは自業自得だから構わない。でも、やっぱり他の命を巻き込むことだけはしたくない。。。


4年前の今日のぼあちゃん。






昨日のきょろちゃん。



先週の土曜日に2週間ぶりにコオロギ2匹を食べたせいもあるのか、ちょっと元気だった。
でも、食べるまではちょっと大変だった。食欲はあるみたいですぐにアタックするんだけど、それが失敗してコオロギを見失うとすぐにイヤになっちゃうみたい。
少し間をおいてからもう一度チャンレジ。そしてやっと食べれた。もしかしたら、目がよく見えてないせいなのかなとも思うんだけどね。。。


今日はブログを書くつもりじゃなかったんだけど、Xのポストをシェアしたくてつい書いてしまった。



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マイクロプラスチックとか

2024-03-09 10:57:20 | 地球とか命とか
今朝起きて来た時にはまだほとんど曇り空。エアコン調べのベランダの温度は5℃。相変わらず結露だし風は冷たかった。でも、その後だんだんと晴れて来てお日様も顔を出した。ベランダに出ると北風が冷たい。それでも陽射しに当たるとやっぱり春が近づいてるなと感じる。

昨日の記事で「びっくりしてちょっと衝撃だった」って書いたのはこれ。
今までも何度かリンクしたこのブログの主さんは岐阜大の脳神経内科の教授。いろいろな論文が紹介されていてとても勉強になってる。
細かいことはここに書いてある通りなんだけど、読むの面倒的な方もいると思うので、簡単にまとめてみた。
  • 頸動脈の動脈硬化で手術した摘出検体の58%からポリエチレン(=マイクロプラスチック)が検出され、12.1%から測定可能な量のポリ塩化ビニル(=マイクロプラスチック)も検出された。(この病気についてはここを読んでみて下さい。)
  • 摘出検体中にマイクロプラスチックが検出された患者は、検出されなかった患者と比較して、その後の、心筋梗塞、脳卒中、全死因死亡の複合リスクが高かった。
これは正式な臨床研究。つまり、事前に研究計画を作成してその通りの手順で実施。患者さんにはこれからやることをきちんと説明して同意を得、術後も最初に定められた一定期間観察を続けて得られた結果。
このサイトで日本語のアブストラクトが読めるので、興味がある方は是非読んでみて下さい。
儂も以前にこのブログでマイクロプラスチックのことを書いて、絶対身体にいいわけないよなとずっと思ってるので、プラスチックごみの分別もかなり真剣にやってるつもり。でも、具体的にこういう影響があるっていうのを読んだのは初めてなので、マジ衝撃だった。これはもう根本的に使うのを減らしていかないとダメかも。。。
ちなみに、geminiにマイクロプラスチックの影響を聞いてみたらこんな答えが返って来た。以下、「参考資料」までがgeminiの回答。
体内に入ったマイクロプラスチックが人体に与える影響はまだ完全には解明されていません。しかし、近年発表された研究結果から、以下のような懸念が指摘されています。

1. 腸への影響
マイクロプラスチックは、腸内環境を悪化させ、腸管の炎症や免疫機能の低下を引き起こす可能性があります。また、腸内細胞に取り込まれることで、栄養素の吸収を阻害したり、細胞死を誘発する可能性も指摘されています。

2. 肺への影響
マイクロプラスチックは、大気汚染物と一緒に肺に吸入されることがあり、肺線維症などの呼吸器疾患を引き起こす可能性があります。

3. 脳への影響
マイクロプラスチックは、血液-脳関門を突破して脳内に侵入する可能性があり、神経細胞にダメージを与えたり、神経伝達物質のバランスを崩したりする可能性があります。

4. 発がん性
マイクロプラスチックの一部には、発がん性のある化学物質が含まれています。これらの化学物質が体内に蓄積することで、将来的にがんを発症するリスクが高まる可能性があります。

5. 生殖への影響
マイクロプラスチックが、生殖機能に影響を与える可能性も指摘されています。動物実験では、マイクロプラスチックが卵巣や精巣にダメージを与え、生殖能力を低下させることが示されています。

6. 胎児への影響
妊娠中の女性がマイクロプラスチックを摂取すると、胎児に悪影響を与える可能性があります。動物実験では、マイクロプラスチックが胎盤を通過して胎児に移行し、発育障害を引き起こすことが示されています。

**マイクロプラスチックの影響は、その大きさや形状、種類、添加剤、体内に取り込まれた量などによって異なります。**また、個人差も大きいと考えられています。
**現状では、マイクロプラスチックが人体に与える長期的な影響はまだ明らかではありません。**しかし、上記の懸念事項を踏まえて、マイクロプラスチックの摂取量を減らすことが重要です。

マイクロプラスチックの摂取量を減らすための対策
  • ペットボトル飲料を避け、マイボトルを使用する
  • マイクロビーズ入りの洗顔料や歯磨き粉を使用しない
  • 洗濯時にマイクロファイバーが出る衣類を避ける
  • 食品ラップやプラスチック容器の使用を減らす
  • 魚介類を食べる際には、内臓を取り除く
これらの対策は、マイクロプラスチックの摂取量を減らすだけでなく、環境保護にもつながります。
マイクロプラスチック問題に関する研究は、現在進行中です。今後、人体への影響に関するより詳細な情報が明らかになることが期待されます。

参考資料
こういうことが人間だけに影響するならまだいいんだけど、どう考えても人間以外の動物にも影響するからなあ。もちろん家族として一緒に暮らしてる動物にだって影響するよね。
ホント、マジに考えないととんでもないことになるんじゃないかなと思う。
それと、この前異常気象のことを書いた時にも書いたけど、どこぞの国の大統領候補の人は、もしかして気候のことだけじゃなくてこういうことも否定しちゃうのかな。なにしろ経済最優先、古き良き時代よカムバックの人だからねえ。でももしそうだとすると、地球の未来は間違いなく真っ暗だね。。。


昨日ブログを書いてた時に、鳥山明氏が亡くなったというニュースが流れた。これまたかなりの衝撃だった。
本当に残念で悲しい。もちろん「ドラゴンボール」も読んでたけど、儂は「Dr.スランプ」が一番好き。

本棚から引っ張り出してきたんだけど、なぜか1~5巻が見当たらない。東北の地震の時にひっちゃかめっちゃかになって、いろんな所にバラバラのままみたい。捜さなくちゃ。


心より哀悼の意を表します。

そして今日はらぷちゃんの五七日。五七日のことはぼあちゃんの時に書いた通りで、閻魔大王のお裁きの日。でも、らぷちゃんもとてもいい子だったので、もう、ぼあちゃん、むくちゃん、オリハちゃんと一緒にお浄土にいると思う。


今日はせっかくサンキューの日なのにこんなことだけ書くのは悲しいので、3年前のぼあちゃんも貼っておく。





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月初から暗いです

2024-02-01 11:29:07 | 地球とか命とか
今朝は少し早起き。と言うか、目が覚めた時間はいつもとそんなに変わらなかったんだけど、いつもは布団の中でグダグダしてるところを、今日はさっさとベッドから出た。
もうずいぶん以前から、夜寝てる間に必ず一度は覚醒する。一度覚醒するといろいろなことが頭の中でぐるぐるし始め、なかなか眠れなくなる。それで薬を飲んでいたこともある。精神的な要因もあるけど、なによりこれが歳をとるということだなと思ってる。
起きて来たら新聞が雨除けのビニールに入っていたし、地面も湿っていたので、予報通り雨が降ったみたい。久しぶりに結露はまったくなかった。エアコンにベランダの温度を聞いたら10℃だったので、やっぱりねと思った。
6時54分の空はこんな感じ。


そしてこれが9時42分。


ベランダに出たみたら寒くない。今日は昨日よりもさらに暖かくなるらしい。でも、明日は真冬の気温らしく、今日と明日の最高気温の差が10℃で、今日の最低気温と明日の最高気温が同じ。そしてその先はずっと寒くて天気も悪いみたい。


ぼあちゃんがいたら、儂、発狂してたw。気温が低いのはレオパ達にもキツイけど、この子達は温度さえなんとかすればお日様がなくてもまあ大丈夫。
ただ、この気温でお日様がいないとエアコンを止められないので、我が家にとっては電気代がかなり厳しい。

今日から2月。と言う訳で、恒例のツク之助さんのカレンダー。

今月は、まあそうだよねっていうデザインw。
もう2月かっていう方が多いかなと思うけど、儂的にはまだ2月か、やっと2月かという感じ。これは多分、去年からずっと歯を治療中で、次の予約日を首を長~くして待ってるからなのと、はちゅ達のためにも早く暖かくなってほしいと思ってるから。平年より暖かいとは言え、冬、なげーよ。
もっとも、こんな日本で爬虫類を飼うこと自体が虐待だと、やっぱり思えなくもない。

昨日、今日と目にとまった記事。
なんか、まるで子供のケンカだなと思った。子供の頃ケンカした時って、「オマエが先にやった」、「いや、お前が先だ」みたいなこととか、自分が手を出すのが最後じゃないと我慢できなくて、やられたらやりかえすを延々と繰り返すことってなかった? 今の戦争ってまさにこれじゃんwww。
とりあえずヒズボラは米軍への攻撃を停止するらしいんだけど、今日の記事だと、アメリカは報復攻撃をしたらしい。これでまた「やっぱりやり返す」にならねければいいなと、マジ思うわ。
そして、これはずいぶん前に出てた記事。

さらに前の記事だけど、これはマジ怖い。
ウクライナとロシアの戦争も相変わらずだし、なんかもう地球上がキナ臭くなってきてると思うんだけど。そして日本国内を見ると、相変わらずの裏金の話やら何やらで、とにかく醜い醜い醜い
やっぱり地球上すべてがおかしくなってませんかね。。。

このままだと、いずれこうなるのかなと思うけど、やっぱり地球のためにはこうなる必要があるのかなとも思う。


新しい月の初めから暗いことを書いてしまった。。。
ごめんなさい。

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90秒

2024-01-25 19:23:34 | 地球とか命とか
今朝は晴天。でもかなりの寒さ。エアコン調べのベランダの温度は2℃。湿度が33%だったのにもかかわらず、今期最高かと思われるほどの結露。ワイパーで拭ったらいつもの倍以上の水がとれた。

しかも、拭ってから数分でまた結露し始めた。って、条件が大きく変わってるわけじゃないから当然と言えば当然w。その後、陽が当たり始めてやっと結露が収まった。

(ぼあちゃんの写真は3年前の今日)


昨日、こんな記事が目にとまった。
読んでみて、これだったら去年より短くなってるんじゃないのかなというのが、儂の正直な感想。
ウクライナとロシアの戦争は「永続的な終結は遠いもよう 」ということみたい。そして今のイスラエルとパレスチナの戦い(というより、もはやイスラエルのジェノサイドの様相)を発端にして、中東と欧米との戦争が始まるんじゃないかと思うようなことも起きてる。
儂、かつては「人類はそれほど愚かなじゃない」と思ってたんだけど、最近はどうしてもそう思えない。なぜなら、日本を含む世界中の権力者と言われる人達の多くが、自分達のことしか考えてなくて、自分達の欲のままに行動してるように思うから。
世界中のすべての人々が、あとちょっと少欲知足ということを実践すれば、いろんなことが解決するように思うんだけど、そんなことは望むべくもないんだろうな。
儂、もう何度も書いてるけど、地球は決して人間のものじゃない。人間以外のすべての生物は人間の従属物じゃない。人間はただこの地球に住まわせていただいているだけ。他の生物とまったく同じ立場。万物の霊長とか笑止千万。
その人間が、戦争やら自然破壊やらなんやらかんやらと好き勝手な振る舞いをして地球を壊すなんて、そんなことが許されるわけがないんだよね。人類全体がこれに気づけなければ、多分滅びる以外にないんだろうと思う。もし本当に摂理なるものが存在するなら、決して許されないだろうからね。


そして、

今朝のきょろちゃんと、


久しぶりのらぷちゃん。

らぷちゃん、状態はあまり変わってない。ずいぶん動くようにはなったけど、ひっくり返ると自分では元に戻れないのは相変わらず。でも食欲はある。

個人が爬虫類を飼うということについて批判があるみたい。儂もそれは理解できる。先に書いたように、あらゆる生物、つまり爬虫類だって人間の従属物じゃないからね。
これについては以前にも少し書いた(切れてるリンク多し)けど、またあらためて書くかも。



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いろんな意見があると思うけど

2024-01-09 10:22:21 | 地球とか命とか
今朝もいいお天気。でも雲が多めで、朝イチはまたもやお日様が出て来る所に大きな雲。こういうの多くて、「なんの意地悪なの?」って、ぼあちゃんがいた頃からよく思ってた。今でも思う。だって陽が当たらないとエアコン止められなくて電気代がかさむんだもんw。

昨日、Xでめっちゃ気分が悪くなるポストを見た。そのこと、書こうか書くまいかちょっと悩んだんだけど、気持ちのモヤモヤが収まらないので、ちょっとだけ書いてみることにした。
まず、これがそのポスト。内容は変えてないけど、言い回しを少しだけ簡略化してある。
勘違いしてるカスが多いので言っておく。犬猫は畜生。畜生の命の価値は人間の命の尊さと比べることは出来ない。同じ価値の命ではない。何よりも人命が優先される。
何のことを書いてるかというと、2日の羽田の事故で犠牲になったペットのことらしい。マスコミも含めて、亡くなった海保の方達よりもペットのことを酷いのなんのと騒いでる人達がいるので、どうも、その議論でのポストみたい。ただ、このポスト自体はその文脈にあったわけではなく、単独のもの。それに対して賛否両論いろんなコメントがついてた。

そもそも、貨物室で焼け死んだペットと亡くなった海保の方達を比較して論ずること自体間違ってるというのが儂の意見。なんでこういうことを比較して論じようとするのかな。儂にはそこが理解できない。
命の尊さとか価値って、いったい誰が決めるんだろう、誰が決められるんだろう。人間の命が一番尊いというのは、人間が一番優れている、一番偉いという考えから生まれたものに過ぎないんじゃないのかな。
何よりも人命が優先されるのはそうかもしれない。でも、それは優れているとか価値がどうのではなく、単に人間という同種の命だからじゃないのかな。どんな動物だって、まずは自分の命、そして同種の命を守ろうとするのは当たり前だと思うんだよね。
実際この人の他のポストを読んでみると、「人間は万物の霊長」という考えみたい。「この地球上で一番偉いのは人間で、地球は人間のもの」という思想の持主なのかなと思った(違ったらごめんなさい)。そうだとしたら儂の対極の考えw。儂は、こういう思想が今の地球沸騰化を招いたと思ってる。

この人、ネットで検索すると一応「作家」として引っ掛かって来る。経歴を見ると、西の方にある旧帝大を出てるみたいだし留学経験もあるみたい。国政選挙にも立候補して落選してるのかな? でも、申し訳ないんだけど、必ずしも頭がいいと思えないなというのが儂の率直な感想。何と言っても、本当に頭がいい人はこういう書き方はしないと思うんだよね。
この人の他のポストを見ると、とにかく極端な意見が多い。儂も若い頃はそうだったんたけど、極端な考えしかできない人は頭が悪いと思う。極端な意見て考えるのも表現するのも簡単だし、一見わかりやすくて誰でもすぐに賛否が言える。
でも、これって多分正しくない。儂は、中庸ということが一番重要だし、真理は中庸にあると思ってる。あの田中角栄も「真理は中間にある」って言ってるw。そしてこの中庸って、実はめっちゃ難しいしわかりにくい。でも、人間は高度な知能を持ってると言うのであれば、どんなに難しくてもこの中庸を考えないといけないんだと思ってる。
この人、4人の子供のお母さんでもあるらしいんだけど、こういう考えで育てられて大丈夫かなと、余計な心配をしてしまった。まあ反面教師ということもあるかなw。
これ、この人の昨日のポストの一部
ペットショップで家族を買ってきたり、道端で家族を拾ったり、道端で家族に糞尿をさせたり、挙句家族を去勢したり不妊手術したり、家族を貨物室に入れたりする人たち、
糞尿とか不妊手術のことは、正直、何と言っていいのか儂にはわからないんだけど、少なくとも、家族を買ってきたり道端で拾ったりするんじゃなくて、買ってきたり拾ってきたりして家族になるんじゃない?とは思った。
そして、儂だったらどんな状況でも貨物室には入れられないなと思う。
 

これ、Xで相互フォローしてる方が作ったもの。自由に使っていいって許可をもらったから貼ってみた。今日のテーマにピッタリw。

これからも時々使わせてもらうかもw。

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中東のこと

2023-11-11 10:47:11 | 地球とか命とか
「戦闘1日4時間休止」
米政府は9日、イスラエル軍が地上侵攻を強めるパレスチナ自治区ガザ北部で民間人非難のため1日4時間の戦闘休止時間を設け、北部から南部に移動するための「人道回廊」を2ヵ所に設置すると発表した。
(11月11日付神奈川新聞第三面)
儂、パレスチナとイスラエルの戦闘について、このブログに何回かちょっとだけコメント程度のことを書いた。前述のようにやっとやっと戦闘休止の話が出て来たみたいだし、今日はあらためて書いてみようと思う。
これまで、ひたすら「戦争なんかやめろ!」と思ってた。もちろんその気持ちは変わってない。
でも、儂、中東の対立のことはアバウトには知ってたけど、きちんと勉強したことがなかった。ちゃんと書くためにはやっぱり本当のことを知ってないとダメだなと思ったので、ちょっとググってみた。本当は本を読む方がいいんだけど、最近はついついお手軽に走ってしまう(イカンゾイカン。
まず、そもそも中東ってどこ?っていう話。こんなこともなんとなくしか知らなかった。
書き始めたばかりなのにいきなり話がずれるけど、儂、このWikiの「将来予測」の所を読んで愕然とした。
閑話休題。今回読んだ主なサイトはこれら。
儂、恥ずかしながら、「うーん、そうだったのかあ。。。」という感じだった。これらを読んで一番に思ったのは、今回の出来事は単純にどちらがいいとか悪いとかということじゃないなということ。それに、儂もそうなんだけど、多くの日本人にとって、特に感情的な部分ではなかなか理解できるようなことじゃないんじゃないかと思った。これには、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教という宗教が絡んでることも関係あるだろうけど、それだけじゃなくて、歴史も何もかもが儂らとは違い過ぎないか? 中東の歴史を読むと、日本はつくづく恵まれた国だなと思った。今更だけどねえ。
ちょっと前のNHK-TVの「クローズアップ現代」で、娘と息子がハマスの人質にとられているというイスラエル人の父親のことを紹介してた。この父親が「それでも休戦には反対だ。ハマスをせん滅した上で子供達を助けてほしい。」と言っていた。儂、この言葉は強烈に印象に残った。もちろんすべてのイスラエル人がそう思ってるわけではないだろうけど、多くの日本人にはとても言えることじゃないんじゃないのかな。
そして、一番の責任は、やっぱり欧米を中心とするいわゆる大国にあるんだなと思った。結局はこれらの国々が、自分達の利益だけを追求してきた結果が、今のこの状態なんだろうと思う。
この記事の最初に書いたことだって、アメリカ政府が発表したこと。これ、本当はおかしな話だと思う。当事者のイスラエル政府が発表するべきことじゃないのかな。でも、そのイスラエルはこれについて何も言ってないとか。もちろん、儂だってアメリカの支援があって戦争してることは知ってる。でも、そういうことが今のこの悲惨な状況につながってるんじゃないのかな。
と、今は責任とかそんなことを言ってるような時じゃなくて、とにかく戦争をやめることが先決。ただ、中東の歴史を考えるとそう簡単じゃないなと心底思う。おまけに、今回だって大国の身勝手な思惑やらなんやらが渦巻いてるからね。人道だのなんだのと言ってみても、所詮は自分達のことしか考えてないよね。日本もだろうけど。
でも、いつまでもこんなことが許されてていいわけないんだ。
もうこれは戦争ではなく、イスラエルの一方的な無差別攻撃、もっと言うとジェノサイドだよね。今回の事態が起きた最初の頃、イスラエル軍の報道官(?)が「最優先事項はハマスをせん滅することだ。」と言っていた。そのためにはあらゆる犠牲を厭わないということなんだろう。パレスチナ人がどうなろうと、ひいてはユダヤ人の人質が犠牲になっても、そんなことは些末なこと。ハマスをせん滅することだけが唯一絶対の目的なんだろうと思った。そして、実際、その通りになりつつある。

昨日のNHK-TVに、日本に住んでるイスラエルとパレスチナの人が出ていた。イスラエルの人は元イスラエル軍の軍人。その頃は、ユダヤ人やイスラエルという国を守るためには武力でパレスチナを叩くのは当たり前だと思っていたと。でも、日本に住んで日本で生活していてその考えが変わったと。対話で解決しなければいけないんだと思うようになったと。儂はこれを聞いて、日本てそれだけ平和なんだなと思った。「だから日本人は平和ボケなんだ」とか「現実を知らない」とか「頭がお花畑」とか言う人がいる。でも、いったいそれの何が悪いの? 頭がお花畑で何が悪いの? 戦争して人殺ししたいっていう人は別だけど、 戦争をしたくないんだったらひたすらそれを実現しようとするのが当たり前じゃないの?「現実があ」とか言ってたら何も変わらない。変わらないものは必ず滅びる。人間は万物の霊長と言うんだったら、四の五の言ってないでひたすら頭を使って理想を実現すべき。現実はこれこれだからできないじゃなくて、こうするって決めてそれを実現するんだよ。これは儂の持論。
と、また少し話がずれたけど、先の日本に住んでるパレスチナの人が、「今の戦争をやめさせるためには世界中の一人一人の力が必要。」と言ってた。儂もそうだなと思った。なにより大国の政府は自分達のことしか考えてないからまったくあてにならない。そういう政府を選んでるのも自分達だけどね。。。
国際社会がなんとかしないといけないと言われてるけど、この国際社会というのは各国の政府なんかじゃなくて、世界中の一人一人なんだと思った。でも、じゃあいったい何ができるんだろう、何をすればいいんだろう。儂にはまだそこまではわからない。
イスラエルには今すぐにでも攻撃をやめてほしい。でも、どうしたらやめるのか、やめさせられるのか。例えばアメリカが距離を置けばイスラエルも少しは考えるのか。もしそうなら、アメリカの世論がそっちに向かえばいいのか。でも、そんなことできるのか。。。

儂、最初にリンクしたNHKのサイトを読んだ時、真っ先にこれが思い浮かんだ。
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われに打ち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、恨みはついに息むことがない。

実にこの世においては、恨みに報いるに恨みを以てしたならば、ついに恨みの息むことがない。恨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

(岩波文庫 ダンマパダ 中村元訳 第1章 ひと組ずつから3と5)
だから、この先も、多分理屈だけじゃもうどうにもならないと思う。
そして、
すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

すべての者は暴力におびえる。すべての生き物にとって命は愛しい。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

(同上 第10章 暴力から129と130)
ちょっとググったんだけど、ユダヤ教やイスラム教にこういう教えがあるかどうかはわからなかった。でも、少なくとも「利他」という教えはあるみたいだった。そうであるなら、自国民や自分の国と同じように他の国やそこに生きる人々のことを考えるべきなんじゃないのかなと思う。

それと、ウクライナとロシアはまだ戦争してるのに、最近はほとんどパレスチナのことしか報道しなくなってる。こんなことでいいのかなあ。

とまあ、こういうことに関してまったくの素人が、にわか知識だけでただ思ったことを率直に書いてみた。
とにかく、戦争はやめようよ。失われるのは人間の命だけじゃないし、そもそも、もう人間同士で争ってる場合じゃないんだよ。もっとも、人間同士争って滅亡してくれれば、地球にとってはその方が良いのかもしれないけどね。

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「人は死なない」のこと #4

2023-11-01 19:25:22 | 地球とか命とか
人は死なない」に関連することを、ゆる~いテーマ毎という感じで3回ほど書いてきた。#4では、特にテーマはなく、後々思いついたことや考えたこと脈絡もなく適当に書いてみようと思って書き始めた。そうしたら、これが予想以上に大変だった。書けば書くほどわからないことが出て来ていろいろ調べる羽目になり、こんなに時間がかかってしまったw。しかも、書いてるうちに「自分は一体何を言いたいんだろう」状態になり、悪戦苦闘。そして、なんとかかんとか書き終えたのがこの記事。
と言う訳で、何が言いたいのかよくわからない内容になってますし、めちゃ長くなってしまいましたが、もしよろしければ読んでみて下さい。


今回はまず儂の体験談から。

自慢じゃないけど、儂は決して霊感が強い方じゃない(と思う)。そんな儂でも、これだけ生きてると「不思議だ」と思ったことが何回かはある。

直近では、母親の元家の片付けをしてた時のこと。
元家には、儂が子供の頃からあった大きなお仏壇があり、そこにご先祖様方のお位牌が祀ってあった。母親は施設に入ったのでお仏壇も小さなものに買い替えなくてはならなかった。そして、新しく買ったお仏壇が届く前に、いくつかのお位牌を母親の施設に持って行った。でも、その時は他の荷物もあったりして一度には持って行けなかったので、とりあえず先に大きなお位牌だけを持って行った。
そしてその夜のこと、寝ていた儂の上に何かが覆いかぶさってきたような重さを感じ、目が覚めた。周りを見回しても暗くてよく見えない。重い感じもそのままで身動きが取れない。「もしかして金縛りか?」と思い、何回かもがくようにして上に乗っている何かを跳ねのけようとした。そうしたら、フッと普通の状態に戻った。
儂は今まで金縛りのようなことはほとんど経験したことがなかったので、翌朝、この事がとても気になった。そして頭に浮かんだのがお位牌のこと。お位牌の中には父の両親が一緒になっている大きいものと、子供の頃になくなった父の兄と姉(つまり儂の伯父と伯母)が一緒になっている小さなものがあった。前日には両親の大きなお位牌だけ持って行って、伯父と伯母のお位牌は元家に置いたままにしてきた。お位牌を持って来る時には特に何も考えず、大きさだけで分けて持って来た。でも、伯父と伯母の物を残して来たことははっきりと覚えていた。そして、「もしかしてそれが原因か・・・」と思った。両親と離れ離れにされた伯父と伯母が寂しがったのかなと思った。その日、すぐに元家に行って残りのお位牌を施設に持って行った。その夜以降は同じことは起こらなかった。

そして次は儂が浪人生の時のこと。夜中に自分の部屋で受験勉強をしてたら、突然、自分の右後ろ上方から「XXくん」(XXは儂の下の名前)と言う女性らしき声が聞こえた。びっくりして思わず声がした方を見たんだけど何もなかった。この時はテレビもラジオもレコード(まだそう言う時代w)も、音のするものは何もつけてなかった。また、よく椅子なんかがキーキー音を立てることもあったりするけど、そんなことも一切なし。とにかくこの時はただひたすら静かに問題集に向かっていただけ。
この後、しばらく茫然と考えてたんだけど、特に気持ちが悪いとか怖いとか言った感覚はなかったことを覚えてる。そして、儂のことを「XXくん」と呼ぶ女性の声っていったい誰かなと考えてみた。思い当たるのは一人しかいなかった。それは母親の姉、つまり儂の伯母。伯母は儂が生まれてからずっと儂の事をそれはそれは可愛がってくれて、儂も母親のように伯母に懐いていた。ところが、伯母は儂が小学生になるかならないか位の頃に自死してしまった。ただし、儂はまだ小さかったので詳しいことはほとんど覚えていない。

これ以外にもいくつかあるんだけど、それはみんなワン様絡みの事。その中で一番衝撃だったのは、あと一歩で火事になったかもしれないという状況から間一髪救われたこと。ただ、儂はワン様絡みのこういう事は表立って言いたくないので、この話しはここまでにしておく。これって、#2で書いた、霊媒者の人が自分の霊能力のことは長い間口外することがなかったというのと、もしかしたら似たような感覚なのかなと思った。


儂が体験した「声が聞こえた」や「人を見た」(儂はこの体験はない)といったことは、この本にも記述がある。
著者は山をやる人らしく2度の滑落事故を起こしたとのこと。そして、2度目の事故の後、「もう山には来るな」というこだまのような声をはっきりと聞いたと書いている(P.118)。
また、著者はラインホルト・メスナーという登山家の話も書いている。
彼は1980年に人類初のエヴェレスト単独登頂に成功したとき、以下のような体験をしたと言っています。
「極限の疲労感の中で雪の上に一人で横たわっていると、突然自分の横に少女が座っているのに気付きました。自分が話しかけるとその少女ははっきりとした声で答えました。~中略~ 僅かに残った理性で否定しようとしても、彼女は語りかけてきました。~後略~(『地球交響曲第一番』)」
第三章「非日常的な現象」三の「メスナーの不思議な体験」(P.102)
なお、このメスナーについては、#2で書き忘れたんだけど、体外離脱のことも書いているので、ここで書いておく。
メスナーは、ディアミール壁を下降中に800m墜落した時、自分の体から魂が離脱したことを意識し、自分の体が山を転がり落ちていくところをはっきりと目のあたりにして、もう一人の冷静な自分がいることに気付いたと言っています。「人間は実は二つの違う次元を生きている。その一方は、ふだんは見えない。~後略~」と述べています(『地球交響曲第一番』)。
また、多くの墜落体験に関する調査でも、まったく同じような体外離脱体験が報告されています(ラインホルト・メスナー『死の地帯』)。
第三章「非日常的な現象」三の「メスナーの不思議な体験」(P.99~)
この「人間は実は二つの違う次元を生きている」は、もしかしたら#3でママが言っていたことと同じなのかなとも思った。

また、第四章「『霊』について研究した人々」(P.154)の最初には、
霊魂、霊的現象、霊についての理念、それらの研究を総称して、欧米ではスピリチュアリズムと呼んでいます。
と書かれている。
つまり、霊魂等のことを考えたり解明したりするのは、現時点ではスピリチュアリズムということになるんだろう。現在の科学ではとても太刀打ちできないもんねw。
そしてこう続く。
スピチュアリズムは、超越的、絶対的意思(摂理)とそれに導かれる霊魂の存在を信じるという点において、既存の宗教と共通した側面を持っています。しかし、スピリチュアリズムは特定の宗教に基盤を置くものでなく、~中略~ また、より広い普遍性、共通性を志向し、霊魂の存在を科学的に証明しようとする点でも、既存の宗教と際立った違いがあります。~中略~
欧米において近代スピリチュアリズムを主導したのは、後述するスウェーデンボルグをはじめ、ノーベル賞科学者を含む第一級の自然科学者だったという事実には興味深いものがあります。
確かに、スピリチュアリズムは、心理学、宗教学、文化人類学、医学、そして近年では量子物理学まで動員した研究といえます。
ただ、その背景には欧米における強固なキリスト教的価値観の伝統があったことは否めません。また、近代スピリチュアリズムは、東洋思想、特に古代インド宗教や仏教の経典からも多大な影響を受けています。~後略~
第四章「『霊』について研究した人々」一の「宗教とスピリチュアリズム」(P.155~)
さらにこの章の「スピリチュアリズムにおける霊魂と体の概念」のところで、著者が霊魂と体の関係をわかりやすく書いている(P.158~)ので、それを箇条書きでまとめてみた。
  • 人間はコンピューターを内蔵した着ぐるみのようなもので、電源を持った魂がコード(近代スピリチュアリズムではシルバーコードと呼ばれている)で着ぐるみと繋がっている。
  • 魂はシルバーコードを介して電気を流し、着ぐるみやコンピュータを操作したりメンテナンスをしている。
  • 着ぐるみが肉体、コンピューターが脳、魂によるコンピュータの活動が精神あるいは心。
  • 魂は他の魂や霊と交感することができる。お互いの姿も見えるし声も聞こえるし、自由に空間を移動できる。ただし、着ぐるみをまとうとこれらの能力は封じられる。「霊感、霊力が強い人」は着ぐるみをまとっても魂の機能が顕れる人。
  • 着ぐるみはそれだけでは動かず、魂が電源を入れて動かす。
  • 体外離脱とは、着ぐるみを動かす魂がシルバーコードを切らずに着ぐるみを脱いだ状態。
  • 死とは魂がシルバーコードを切って着ぐるみを捨ててしまった状態。魂を失った着ぐるみ(死体)は朽ち果てていくだけ。
これを読んで、儂、なんかちょっと「マトリックス」みたいだなと思ったw。同時に、本当にこの通りだったら面白いなと。いや、本当かもしれないけどw。

著者も書いているように、この類の話にはどうしても宗教が影響する。特にキリスト教の影響がかなり大きいと儂も思う。
儂の関心事は人間の霊と同じく、いや、むしろそれ以上に動物の霊のこと。でも、これにキリスト教的な考えが入り込むと、どうしても儂には納得がいかなくなってくる。例えば#1で書いたシルバー・バーチの霊訓。これ、是非読んでみていただきたいと思うんですわ。確かにここにはキリストのキの字も出て来なくて、ただ「神」とあるだけ。でも、どう考えてもこのベースはキリスト教、あるいはユダヤ教じゃないのかな。
儂は、例えば、「神が人間に動物を支配する権利を与えた」とか「人間と動物は違う」とか言ったキリスト教的な考えにはかなり違和感がある。そして、こういう考えがベースにあると、どうしても人間の霊>人間以外の動物の霊ってなるんじゃないのかなと。儂は、キリスト教にしてもユダヤ教にしてもまったく詳しくないので、見当外れなことを言っていたら大変申し訳ない。そう思っていろいろググっていたら、こんな記述も出て来てちょっとびっくり。聖書では何も触れられてないけど、聖書の諸書の一つにはこんなことが書いてあるらしい。もうどなたか、キリスト教やユダヤ教に詳しい方がいたら教えて下さいっていう感じw。なお、このWikiには他にも興味深いことが書かれているので、是非全部読んでいただきたい。だた、ここに書いてある「スピリチュアリズムにおける動物霊」は、儂的には違和感の塊だけどねw。

もし、霊魂のようなものが本当に存在しているとしたら、儂には人間の霊魂だけが特別とは到底考えられない。もちろん合理的な理由はない。儂はこの宇宙を創ったのは摂理だという考えには異論はない。でも、その摂理は宗教的な意味での“神”ではないと思う。著者も書いているように、もっと普遍的なもののはず。だから、人間だけを特別扱いするなどとはとても思えない。
でないと、今考えられている宇宙や地球の成り立ちとまったく合致しないんじゃないかなとも思う。太陽系や地球ができたのは45億年前であり、宇宙ができたのは138億年前。そして地球上にホモサピエンスが現れたのは30万年前。旧約聖書で触れられている人類誕生がこの頃のことだとしても、例えば、旧人類が現れた頃のことや、恐竜のことは触れられていないんじゃないかと思うんだけど、それはなんで? 
という話をママにしたら、「科学的な知見とキリスト教やユダヤ教を同一次元で考えるのはまったく無意味。」と一言で片づけられてしまったw。確かに仰る通りwww。ま、儂は科学主義からは抜けられないということねw。

あと、この本ではもちろん頷けることは多々あった。でも、儂の考えとは違うなと思ったこともいくつかあった。
そのうちの一つがこれ。
この全的な創造とその運用を司る大設計者、すなわち摂理の存在を甘受できるのは人間だけであり、人々は遥かなる昔からその存在を知っていました。
第五章「人は死なない」一「摂理と冷静」の「摂理」(P.194)
この、「摂理の存在を甘受できるのは人間だけ」というところに違和感を覚えた。儂は、逆に人間以外のすべての生物にとって、このことは至極当然のこと、つまり、わざわざ甘受するまでもないことなことなんじゃないのかなと思う。もちろんこれにも合理的な理由などないけど。

ここまで、この本はもちろんいろいろなサイト等を斜め読みしてきて、今のところ、霊魂や霊的な現象について儂的に一番しっくりきてるのは、前述したメスナーの言う、
「人間は実は二つの違う次元を生きている。」
ということかな。
もしかしたら二つではなくそれ以上なのかもしれないけど、それはともかく、体外離脱についてはかなり説明がつくように思うし、霊というのも、もしかしたらこの別次元の自分なのかなと思ったりする。
それに、これだと量子力学の「多世界解釈」にも当てはまる?なんてこともちょっと思った。いやいや、これは違うな。安易にこういうことを言うのは「スピリチュアリズム」ではなくただの「スピリチュアル」だw。


最後に、儂が斜め読みしたサイトのいくつかを貼っておく。

まず、これは著者自身が書いているもの。

そして、仏教のことを少しだけ。今の仏教が霊魂についてどう考えているのかは#1でリンクした通り。そして、↑ のサイトの中でも触れられている輪廻転生なんだけど、実は輪廻するのは霊魂ではない。「え?」と思われる方も多いかもしれないけど、私は、このサイト(↓)に書いてあることが正しいと考えている。と言うか、そのように学んだ。
このサイト、輪廻のことがとてもわかりやすくかかれているので、読んでみていただきたい。

それと、これは今回のこととは少しずれるんだけど、わりと面白かったのでついでに貼っておく。

この続きは気が向いたらまた書くかもしれないけど、予定は未定。

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8月6日

2023-08-06 10:45:11 | 地球とか命とか
今日は広島に原爆が投下された日。儂がこの日に広島の原爆のことを書くのは2019年以来みたい。最初はいつものようにはちゅ達のことと一緒に書き始めたんだけど、今朝、テレビで平和祈念式典の中継を見ているうちに考えが変わり、別にすることにした。

以前にも書いたように、儂がこの日に林光の「原爆小景」を聴くことは未だに続いている。そして、以前の記事では、福島県立会津農林高校合唱部の「水ヲクダサイ」の演奏を紹介した。技術的なことをはともかく、これだけ心を打つ演奏にはそう簡単に出会えないなと、今聴いても思う。音楽としては破綻している部分もあり、“やり過ぎ”と思うところもあるけど、これは文字通り心の叫びなんだろう。
でも、今年は、もしかしたらそれ以上の演奏かなと思ったこれを貼ってみる。

第一曲「水ヲクダサイ」

第三曲「夜」

さすがにプロの演奏だから技術的には素晴らしい。それと同時に、いつまでも深く心に刺さり、それがずっと残るような演奏だなと思った。
まあ、この曲や演奏の評論はどうでもいい。そして今更儂がこんなところで核兵器反対だのなんなのと書いても大した意味はない。それよりも、まずこの曲を聴いていただきたい、あるいはこの詩を読んでいただきたい。フツーに人としての心があれば、あるいは知性があれば、必ず何かを感じるはず。そう簡単に「現実は」なんていうことは言えないはず。

最初に書いたように、この記事を別にしようと思ったのは、このメッセージを聞いたから。
核抑止論を真っ向から否定して、すばらしいことを言われてる。
ウクライナが核兵器を放棄したから侵略を受けているのではありません。ロシアが核兵器を持っているから侵略を止められないのです。
あなたは、万が一核抑止が破綻した場合、全人類の命、場合によっては地球上の全ての生命に対し、責任を負えるのですか。あなたは、世界で核戦争が起こったら、こんなことが起こるとは思わなかった、と肩をすくめるだけなのでしょうか。 
これに対して、「ウクライナが侵略されたことと核兵器は無関係では?」というコメントをいくつか見た。確かにそうなのかもしれない。でも、ロシアが核兵器を持っているから、未だに多くの命が奪われ続けているのではないのか?
現実だのお花畑だのと言う人がいるけど、理想を追わなければいつまでも何も変わらない。いつも言うように、変わらないもの、変えられないものは必ず滅びる。そしてそもそも、理想を現実にできないようなら、人間が誇っている知恵なんて、なんの意味もないんじゃないのか? 
政治とかイデオロギーとか、そんなことは全く関係がない。考えなければならないことは唯一つ、「命」ということだけ。

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動物のこと2つ

2023-02-22 22:27:00 | 地球とか命とか
この記事、結構前から下書きで書いてあったので、少々昔の話になっちゃった。でもせっかく書いたし、今日は「猫の日」でネコちゃん⇒動物⇒命と、ちょっと無理矢理連想したのでwアップした。

まずこんなニュース。
やるな環境省の高級官僚w。正直、エライなと思った。環境省って「なんでそんなことやるんだよ💢」とか「なんでもっとやんないんだよ💢」みたいなことも多いあるけど、こういう大事なことをYouTubeなんかでわかりやすく発信するのは良いことだと思う。
記事の中からもリンクしてるけど、このニュース自体がなくなっちゃうかもしれないので、ここにもYouTubeのリンクを貼っておく。
とても大事なことを話していると思うので、ぜひ見てほしいな。
ペットの免許制もぜひお願いしたい。環境省の範疇なのかどうかは知らないけど、「命」という意味では同じことでしょ。


そして、Twitterのフトアゴクラスターの方が紹介してたサイト。
これねえ、儂、どうかと思うんだな。この記事の書き方も全体的には否定的だけど、「ちょっと禁断な気もする」っていう書き出し。儂はちょっとじゃないと思う。やっちゃいけないことじゃないのかなあ。
科学が発達していろんなことができるようになったからと言って、それを全部実行に移して良いっていうわけじゃない。
この記事の通りだとしたら、絶滅種とは別の動物を作ってそれを自然に放すっていうことでしょ。完全に生態系の破壊。外来種のアカミミガメを放すのと大差ないんじゃないのかな?
人間、今までやりたい放題やってきて今の地球の状況なんだから、いい加減もう暴走するのやめませんかね。
こういう研究でよく言われるのが「人間の○○にも役立つ研究」っていうやつ。これって、きわめて身勝手な謳い文句。人間だけが幸せになればいいんじゃないし、動物は人間ごときのために生きてるんじゃない。
何回も書いてるけど、

今人間が一番やらなくちゃいけないことは
地球の生態系の中に入ること

だと、強く思う。


P.S.
この記事では動物のことを書いたんだけど、最近、人間の命も軽くなってるなって感じるニュースが多くて、なんとも言えない気持ち。人間て、ホントダメじゃね?

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動物を飼うということ

2023-02-04 09:19:49 | 地球とか命とか
この記事、前々から書こう書こうと思って下書きしてたことなんだけど、この前ブロ友さんのブログでこんな記事を読んだので、ついにちゃんと書いてみたw。

今更儂がこんなことを言うと書くと「オマエがどの口で言うか手で書くか」なんて言われそうだけどw、実は儂、本当は人間がペット(やっぱりこの言葉は好きじゃないなあ)として動物を飼うのはいいことじゃないと思ってる。
「人間は自分の楽しみのために他の動物の命に介入すべきでない」というのが、儂の基本的な考え。
これはずっとずっと思ってること。ぼあちゃんをお迎えする前から思ってること。
「じゃあなんでぼあちゃんを飼ったんだよ」と言われると答えに窮するんだけど、一つはレスキューって言う気持ちがあった。ペットショップで初めてぼあちゃんと出会った時、ほとんどアダルトだなと思った(まさか2歳とは思わなかったけどw)。だから、このままだとヤバいかもと思ったのは決してウソじゃない。もちろん一番の理由はあまりにも優しい目をしてたからだけど😓。

いろいろな動物がペット用に繁殖されているのが現実。売る人がいなければ買う人もいない、なんて、もちろんそんなことは思ってない。その逆もしかり。そんなこと今言ってみても、何の解決にもならない。
そりゃあ理想的なことを言えば、どっちもやめればいいと思ってるけど、そんなこととても簡単にはできないもんね。
だったらどうしたらいいのか。まずできそうなことは、せめて、野生の動物を捕まえてきて、それを売ったり買ったりするのはやめるということじゃないかな。
これは爬虫類の話だけど、もし他の動物でも同じようなことがあるんだったら、もちろんそれも同じ。

ついでにこれも貼っておく。
あ、断っておくけど、儂、WWFの回し物じゃないからw。
でもね、儂はここに書いてあること、どれも頷けるんだわ。

こんなことも進んでるみたい。
少しずつかもしれないけどいいこと。

儂がなぜこんなことを思うのか、実は自分でもよくわからない。一つは仏さまの勉強をしてるのも関係してるのかも。それ以上に、生物ってスゴイという意識が強いからかもしれない。そして、その命を自分でも奪ったことがあることも関係してるかもしれない。もちろんペットの命じゃないけどね。
本音を言えば、ペット用に売買するための繁殖もやめた方がいいと思ってる。でも、先にも書いたように、それはほとんど無理。ただ、世の中に絶対はないから、その無理をいずれはなんとしないといけないと思う。今はどうしたらいいのかはかわらないけど。

そしてもっとすぐにできるのは、人間が飼った動物の命を最後まで責任をもって全うさせることじゃないかな。
でも今はそれさえやらない人がいる。そういう人は、人として下下下の下のそのまた下。どんな事情があろうと関係ない。例えば、飼い主の生活が危うくなってもう飼えないとなったら、まずやるべきことは今飼ってる子(達)が安心できる次の居場所を探すこと。自分のことを考えるのはそれから。そんなの当たり前のこと。

儂は見なかったんだけど、ちょっと前にテレビで、ぼあちゃんを診てもらっていた獣医の先生がこんなことを言ってたらしい。
人間の都合で飼わせてもらっているので、動物主体に考えてほしい。人間が動物を支えるという飼い方をしてほしい。
この先生、以前にもこんなことを言ってた。
人間は動物を飼わなくても生きていける。それをあえて飼ったんだから、その動物を最優先にするべき。
至極名言、と言うか、儂は本来当たり前のことだと思うんだよね。
飼ってる動物に癒されるということは当然あるけど、動物に一方的にそれを要求するのはダメでしょ。この先生が言うように、人間が動物のことを支えることだって絶対に必要。つまり最低でもお互いがWinWinの関係じゃなくちゃね。
だから儂は、動物は家族だと思ってるわけ。家族だったら支え合うよね。それもあってこんなことを書いたこともある。

ちなみに、儂は動物を飼うのを免許制にするのは大賛成。いろいろ問題はあると思うけど、まずは免許制にすると決めて、それからそれらの問題を一つ一つ潰していけばいい。新しいことを始めようとする時に、「こんな問題があるからできません」は絶対に違うから。そんなこと言ってたら何も変えられませんわw。

こういうことって、人間は万物の霊長で一番“偉い”という勘違いから始まってるのかなと、やっぱり儂は思ってしまう。これは今までも何回か書いてきたこと。ずっとこのブログを読んでいただいてる方は、「またその話か」と思わるかもw。でも、そうなんです、どうしてもこのことが頭から離れないんですわwww。

そしてこれ、この前 Twitter でフトアゴクラスターの方が紹介してた記事。いや~、これ読んでマジビックリしたわ~😲。
だんだんとりとめがなくなって来たのでここらでおしまいにするけど、やっぱり生物ってみんなスゴイんだわ。人間だけがスゴイわけじゃないんだわ。
ちなみに、このサイトからもリンクしてるんだけど、なくなっちゃうともったいないので、ここからもリンクしておく。
参考文献
元論文

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