時は昭和末期。
ぼくが大学1年生の頃の話です。
当校の関東大学1部リーグに所属する部は全部員が総合体育寮に入る規則でして
我がボクシング部の他にレスリング、バスケ、卓球、柔道、相撲、スピードスケート、アイスホッケーなどが入ってました。
そして各部ごとに多くの厳しい決め事があり
特に1年生には様々な当番が割り当てられました。
1年生が日替わりで行う日直の1日は朝の起床当番から始まります。
当時ボクシング部は6人1部屋で合計7部屋。
日直の1年生が朝7時の時報と同時に1部屋目のドアを開け限界に近い大声で
「おはよ~うございます失礼します、起床~願います、起床~願います」と叫び
終わると「押忍!」と叫び次の部屋のドアを開け、同じように起床をかけます。
これが7部屋続き、その後全部員で朝のロードワークが始まるんです。
参考までに先輩に話しかける時は「押忍〇〇先輩・・・」と必ず押忍をつける決まりでした。
日直は練習時間以外1日中当番部屋に閉じこもり寮の電話番をします。
だから日直はトイレに行くほんの数分間でさえ同期に代わりをお願いしてました。
当時はケータイもありませんでしたからね、当番日は授業に出る時間も無かったです。
さらに日直は終日絶対に横にはなっていけないルールもあったのですが
あるとき日直の最中に睡魔に負け、部屋の中央で昼寝していた同期が居まして
その姿を先輩に見つかり、サッカーボールのように蹴り上げられてました。
門限の夜22時にも起床時と同じ事が行われるのですがこれは
「こんばんわ失礼します、人員点呼に参りました~(以下復唱)」と、なりまして
それに対し、各部屋で待機している1年が欠員がなければ手で〇印を行うんです。
万が一欠員があった場合、部屋子の1年がそのベッドに向かって指をさし
点呼終了後に日直が主将にその事実を報告に行くシステムでした。
門限破りがその後どうなったかは推して知るべしという事で。
この他にも書ききれないほどの厳格な伝統と言うか決め事があったのですが
自分らの代になったら絶対にこういう風習は廃止しよう!と1年生同士で話してました。
結局ぼくらの1学年上の先輩が4年の時に続々と廃止になりましたが。
とにかく下級生の頃は・・・
競技と関係ない部分での苦労が多い日々を過ごした記憶があります。
競技と関係した理不尽もありましたけどね。
押忍