plainriver music: yuichi hirakawa, drummer in new york city

ニューヨークで暮らすドラマー、Yuichi Hirakawaのブログ

久しぶりの雪

2008年02月24日 | ニューヨークあれこれ
昨日12~3センチほど雪が降ったけれど、今朝の雨で半分くらいは溶けてしまった。今シーズンは例年の1/3くらいしか降っていないそうだ。降雪日数にしても全然例年以下で、東京の方が多い。でも1回に積る量はこちらがダントツに多い。ちなみに東京で一度に12センチ降ったら一体山手線が何時間運休になるのだろう?
外出時に雪景色を撮ろうとしたが、今朝方の雨で中途半端に溶けて泥と一緒くたに寄せ集められた雪の塊ばかりだったので気が進まず、代わりに数日前の晴れた夕方の画像をアップ。



画像的に映えなかろうがなんだろうが、生活する上では降ってしまった雪はすぐ溶けてくれるのが何よりありがたい。そして今シーズン中はもう、大雪の画像を撮ることにはなりませんように。
と書いていると、気温が急に落ちてまたちらほら雪が降って来た。どうか一度溶けた路上の水は凍らないで欲しい。



小さな小さなドラムの音量

2008年02月18日 | 音楽
画像に写っているのは、先日マンハッタンのレストランで演奏した時のドラムセット。只でさえ暗い店内でフラッシュ無しの携帯電話カメラで録ったから判りにくいかもしれない。画像上部の横長のドラムが小太鼓、その下に横たわっているのは普段は脇にセットする中音域のタムタム。

普段横たえて足で演奏するドラムの口径は20 inch、深さは14' または16'。ジャズだったら口径16'、深さ14'の時もある。上の画像のは口径13'、深さ9'。胴の容積が多いほど太鼓は低い音がする。皮を緩めることで音程は変わるが、それには限度がある。小さな13'ドラムの皮を震えなくなる寸前まで緩め、低いアタック音を強調するために小さい紙ナプキンを皮に貼付けた。ここまでして音量を落として音色を変えても仕事はしっかりできた。でも果たして素直に喜んで良いのやら・・・。持ち運びはとても楽だけれど。

音への理性と感性/本当だったらとうの昔に繋がっていなければならなかった二つのもの

2008年02月14日 | 音楽
AFM = アメリカ・カナダ音楽家連盟が発行する機関誌の今月号に、「現代の十二平均律では、各調にそれぞれ固有のムードがあるとは言えない」という趣旨の記事があった。全米・カナダ版の"Music in Science and Health"という項の中の一つだ。

何をいまさら、と思った。でもこの記事をけなしたって何も始まらない。なぜなら今日までの音楽状況、とりわけ教育分野で、呆れ返るほど音に対する主観と客観とが食い違っているから。でなければAFMの機関誌にわざわざ掲載されなかっただろう。

この記事はある事を前提にしている。つい最近まで、いや今でも行われているかも知れないが「ハ長調は色で云えば白で、素朴で安定感がある。」などという、各調に特定の色なり雰囲気を連想させるという教え方だ。主音によって構成音の音程を微調整する調律法でだったら、まぁそういうことも言えるよな、程度のもんである。それにしたって相当主観的だ。この音がこの色だなんて、一体全体どこの誰が決めたんだい、と言いたくなる。

有史以来、音楽の調律方法には試行錯誤が積み重ねられ、これまで様々な方法が生み出された。長い音楽史上、ピアノにあるどの鍵盤からでも「ド、レ、ミ、ファ・・・」と同じ調子で弾ける十二平均律は、極々最近考案されたもの。だから21世紀の今日でも音楽に携わる全ての人が十二平均律を良しとしている訳ではない。

移調・転調なんて日常茶飯事であるジャズを含め、今時の電気楽器を使う音楽を演奏している限り、十二平均律をどうこう、てことは一生考えたくない。しかし今まで何度か、違う調律法で奏でられた音楽を聴き、まるで別次元での音世界の片鱗が、フッと身の周りに姿を現したかのような体験をした。少人数の吹奏合奏、女性コーラスの民族音楽・・・。でも自分で実際に音を出しながら同じような体験をしたのは一度だけだと思う。

10年程前に、指盤を十二平均律以外の方法で分割したアコースティックギターを持っているギタリストに会った。彼はスライドギターを弾く時に、普段より鋭い音感を持ちたいがために、その練習用にと知り合いのギター職人にわざわざ特別に作ってもらったそうだ。記憶が正しければ、その時僕が触らせてもらったのは31平均律のギター。それの解放弦、多分D、を鳴らした直後に弾いた長三度のF#が、とてつも無く正しく、心地良く聴こえた。その後すぐ普通のギターを借りて同じDの解放弦を鳴らし、F#を弾いた時の、なんともしっくりこない感じもなんとなく憶えている。何がどうしっくりきたのかは理屈ではどうにも説明できない。そしてこのしっくり感、あくまで単音でしか感じなかった。その場で当然コードも弾かせてもらった筈なのだがもう憶えていない。多分しっくりこなかったどころではなかったのだろう。

言うまでもなく、音楽は人の感性、つまり主観そのものに多いに関わる。でもその主観が全人類普遍の美しさを持っていたら、客観になりうる。そのレベルに達するのに有効な客観的手法は最大限に活かされるべきでしょう。で、有効な客観的手法を見つけるのには主観的手段を使い・・・、より良き未来のためにこの二つの間を延々と往復する。でもこの二つがどうにでも良いから繋がっていなければ、往復すらできない。

今日のニューヨークのローカルニュースによると、中古車ディーラーから盗まれたベンツが、市警で盗難登録された後13枚も駐車違反切符が切られてレッカーされ、ついに清掃局の采配で廃車となってジャンクヤードで鉄屑になったそうで。どうやらニューヨーク市警と市清掃局は、まるで繋がっていないようだ。音楽でも色々と繋がって欲しいところがあるが、それよりもいち早く権力を持った所同士でしっかり連帯してもらわないとシャレにならない。

さて、もう2月

2008年02月03日 | ニューヨークあれこれ
毎年2月になると、もう新年を迎えて一月が経ったと実感せずにはいられない。もしかすると、時間の疾走感を一年間で最も強く感じる時期だろうか。

高速で走る車から見えるものと、自分の足で歩いている間に見えるものとの違いとは? クイーンズの自宅から少し離れた見慣れぬところを散歩した後、そのことをよく考えた。





ほんの僅かな区画に様々な文化、習慣を持った人達が生きている。








例えば看板にアラビア文字を書いた雑貨屋と、星条旗とアイルランド国旗を掲げた酒場と、テイクアウト専門の中華料理屋が同じ並びに数十メートルも離れずに営業している。



「なんだ、こんなこと当たり前だろ。」と簡単に思いたい。
でも今、本当にこんな狭いところで共存できているのか?

youtubeデビュー

2008年02月01日 | 音楽
自分の姿と演奏が含まれたビデオがyoutubeにアップされました。

If I Could Only Be Rich

ニューヨークという、一大観光地で演奏していると、勝手にビデオで録画されることが多いので、もう既にアップされている可能性はあるけれど、自分の知る限りではこれが初めて。撮影では全員が演奏している「フリ」をしている。たまたまこの曲のドラマーは僕だったので、自分の音に振り付けしていたことになる。

この歌を是非購入したい、という方はこちらからどうぞ。

Chixie Dix