plainriver music: yuichi hirakawa, drummer in new york city

ニューヨークで暮らすドラマー、Yuichi Hirakawaのブログ

Live @ Blue Note NY, 6月12日(日)

2005年04月30日 | 音楽
僕のバンドでブルーノートジャズクラブに出演することになりました。
6月12日の日曜日、ブランチタイムに演奏します。
(午後12時半と2時半の2セット)

ニューヨーク近郊にお住まいの方、是非お越し下さい。

献血、断られました

2005年04月22日 | ニューヨークあれこれ
東京に居るうちに献血しておこう、と午前中に献血センターに行った。献血そのものに意義があるからというのもあるが、普段アメリカで健康保険の無い身なので、献血後に貰える簡単な血液成分分析結果が知りたかったのです。

ところが、献血してくれませんでした。いや、行ってすぐできません、と言われたのなら何もブログに書きはしない。散々待たされ、問診表にアメリカ在住と明記し、問診医には在住期間を口頭で伝えた。採血もした。心電図も取った。その後、ダメだと。別に満員だったわけぢぁないすよ、その献血センターは。

問診表と口頭問診は一体何の為にあるのだ?待っている間に目に付いた貼り紙には指定された国に最近滞在した人は献血不可、と書いてあったから列挙された国名は全てチェックした。アメリカの名前は、無かった。実は別の張り紙に書いてあり、それは余り目立たない、階段の踊り場の壁にポツンと貼ってあった。貼り紙は僕の腰くらいの高さに、貼ってあった。ここまで来てもう異常に疲れたし、ムカついたし、呆れた。

問診で肝心なことを訊くのを忘れるほど間抜けなくせに、前回僕が行った時も全く同じ状況だったが献血したと言うと、「今のきまりがそうなんだから!」とムキになるおばあさんにムカつき、呆れた。献血者に対しての言葉遣いと同僚、後輩に対する口の利き方(年齢に不相応で、ハッキリ言って感じ悪過ぎ)がえらく違うおばはんに呆れ、苛ついた。

これは、もう、「木っ端役人」そのものである。暇過ぎて頭が逝かれた人たちである。吹けば飛ぶような事にはうるさく、大事なことはいい加減。「あなた方のような献血センター職員が居られる限り、日本赤十字社に明日は無い!」(組織名を個人名にし、対象を変えると、あるドラマの中の台詞そのものになりますね。)

ソメイヨシノ

2005年04月20日 | アメリカあれこれ
もう二週間くらい前の話になってしまうが、奈良に行ってきた。何百年も前からあった天益寺(てんやくじ)の、不審火で焼けてしまったお堂の復興コンサートを聴きに、帰国翌日に慌ただしく東京から出かけて行った。

桜がきれいだった。奈良盆地のど真ん中、平地の至る所に、そしてポコ、ポコ、と盛上がった丘の斜面に満開の桜が目を楽しませてくれた。僕が着く二日前程から急に咲き始めたらしい。この日も翌日も天気は快晴、NYの都会から飛び立って僅か36時間後の別世界だった。あまりの事に、送信するとメチャクチャ料金が高いプリペイド携帯電話で東京の友達と喋りまくってしまった。

しかし世の中、色々ありまして。コンサート後一週間ほどしてから関係者と話をした際、こんな事を聞いた。

或る年の春、天益寺の近くで、アマチュアカメラマンが撮った一本のしだれ桜がかなり良い感じに写ってた。これを見た地元民の一部が、「こらぁいけまっせ!!」とその桜に古めかしい名前をつけて観光パンフに載せたところ、翌春人だかりができた。企画した人々はもうウハウハ状態、トチ狂ってそのしだれ桜の周囲を舗装して遊歩道にしてしまったらしい。何百年も前からの木だから、根が土の中でとんでもなく広がってるのに、その上をコンクリ固めて大勢の人がその上を踏みまくったのである。それは、もう枯れるよ!その辺りには似たようなのが幾らでもあるのだ。今回の訪問の二日目に車で周辺を廻った。いくつもの美しい桜が咲き乱れていた。もうアホでしょ?

ドタバタとレコーディングしました

2005年04月18日 | 音楽
今回の帰国は文字通りの里帰り、仕事の予定は一本も無しで成田到着したのが先週末。

ところが急にレコーディングの仕事が入った。先週水曜日夜中の一時頃に仲良くしてもらっているサックス奏者Uから携帯に電話が来た。なんでもその日に録音した一曲がボツになり、急遽まったく別のアレンジでその曲を録音し直すことになったそうだ。「で、いつ録るの?」「え、いや今日だよ、今日の夜八時だってよ。」「あと20時間もないぢぁん!」「だからこんな時間に電話してんだよ!」「俺楽器持ってねぇよ。」「レンタルするから大丈夫だよ。」というような会話が。かなり急を要する展開になってきた。そもそもUにこの仕事の連絡が入ったのが前日水曜日の夜中十二時半。その後もUは段取りの電話の応対でほぼ徹夜。後から聞いた話によると、そのUを、会った事もないのに指名したレコーディングの音楽ディレクターB(米国人)も、十数時間後の録音の為に譜面を徹夜で仕上げていたらしい。

最近楽器を飛行機に持ち込むのは面倒になってきているし、日本でライブで演奏する予定も無かったので、今回本当になぁんも持って来なかった。東京の実家から持参できるのはスネアドラムとフットペダル、そして一組のスティックのみ。一ドラマーというより一太鼓叩き、という感じだ。演奏するのがバラードだった場合、ブラシが無いとシャレにならない、下手をすると数年前の二の舞いになるかもしれない(詳しくは2月27日の日記をご参照下さい)。スタジオ入りの当日数時間前にブラシと予備のスティックをアタフタと購入。(俺は本当にプロなのかこんなんで?)

その後ちょいと腕ならしという感じで新宿ピットインの昼の部に飛び入りさせて頂いた。これもUがお膳立てしてくれた。まったく持つべきは良き友である。因にU自身も飛び入り要員だったわけだが、そこはこの道20年、自分+1が乱入しても温かく迎えて下さる出演者を選んでのことである。ただ、ピットインのスタッフ全員には説明が行き届かなかったらしく、「え、(今から)この人、(ドラムを)叩くの?」と狼狽した声が背後で聴こえた。どうもお騒がせしましてごめんなさい。

その後、タモリが「ここの水餃子は日本一旨い」と言ったらしい新宿二丁目(或は3丁目)の中華飯店で腹ごしらえ。水餃子約4個と大盛りのザーサイソバでもうタップタップの腹を抱えてソニースタジオへ。会場の1スタには、僕が第一希望としてリクエストしたグレッチのドラムセットがセットアップされていた。NYでもいつもこうだったら良いのに。orz

ほぼ同時刻にミュージシャン全員がスタジオ入りをした。各々楽器を調整しつつアレンジの説明を受ける。と書くとなんかかっこいいが実際はディレクターBがヲームアップがてらに吹くブルースに、僕とベースのSさんが何となく伴奏して、Uは持って来た二本のテナーサックスのどっちを使うか吹きながら選んでいただけだ。

そのうちUが「あのさぁ、英語でオタクみたいな奴を何て言うの? nerdってそんな感じ?」とか僕に聞いて来た。nerdかぁ、大体こんな挙動する奴かな、と少~し目線が浮いて口を尖らせた奴の物真似をしたらUにバカ受け。「他になんかそういう変な奴の呼び名は?」ていうから"spooky"とか"wacky"とか"weird"とか教えたらその都度大笑い。気がついたら録音体制が完璧に出来上がっていた。

演奏するのは、ソニー系のレコードレーベルから二枚ほどアルバムを出したNEさんが歌う一曲。前日だか前々日にかなりポップな曲調で録音したらしいが、誰も気に入らず(だったら録るなよっと突っ込みたくなるが我慢)まるで違う、ジャズ風にしたいとのこと。要するにホーンアレンジがしっかり決まったビッグバンドスタイルだった。久しぶりに譜面を読みながらの演奏、良い経験になりました。

たまに帰ってきた東京でこんな貴重な体験ができるとは思ってもいなかった。Uには感謝感激である。今度寿司でもご馳走しますよ、えぇ。

New Visa

2005年04月13日 | ニューヨークあれこれ
霧雨の降る中、2時間のもどかしい待ち時間を経て、二度目のアーティストビザが貰えました。X線、金属探知機、空港でも遭遇したが、物々しい。極太バインダー2冊分のポートフォリオは1ページも見られることはなく、係のお兄さんの好きなドラマーが、ジャックデジョネット氏だったことが分かった。取りあえず安心しました。

今夜のおかず

2005年04月02日 | 食生活
本日の夕食は、以前ここで書いた肉屋で購入した、chuck steak。パウンド当り$1.99で$4.54だったから、ほぼ1キロ!

大皿からはみ出るほどの大きさ。固い筋が多い箇所もあったが、脂肪は程良くあり、味はやはりステーキだ。肉叩きで柔らかくもせず、店で包んでくれた油紙から、文字通り26センチ口径のフライパンに直行!さすがに塩と胡椒はしたけれど。
こういうボリュームで手早く用意できるのが、アメリカっぽくて良い。