plainriver music: yuichi hirakawa, drummer in new york city

ニューヨークで暮らすドラマー、Yuichi Hirakawaのブログ

2008年最初のポール・モチアントリオ/今と昔の同時進行

2008年01月16日 | 音楽
御年78歳のドラマー/バンドリーダー、ポール・モチアンのトリオを聴きにヴィレッジ・ヴァンガードへ。
ドラムスとピアノとサックスという、少し変則的なトリオ。開場直後に着席し、今か今かと待ったセカンドセット、つまり最初のシンバルの音が鳴ってから最後の曲後のメンバー紹介まで、の小一時間はあっと云う間に過ぎた。でも聴いた後しばらくは何度も何度も、各曲が頭の中で響いていた。

まず選曲と曲順が聴く側の関心をそそる。一つのテンポには収まらない不思議なリズムで奏でた、スタンダードっぽいオリジナル曲あるいは意訳したスタンダード曲の次は、ジャズ好きにはお馴染みのスタンダード(この日は"Our love is here to stay")やモンクのブルースをまっとうに演奏、そしてまた不思議リズムでという風に。聴いているとまるで現代的な摩訶不思議ゾーンと、古き良きジャズの世界を交互にタイムスリップするかのようだ。

ジャズビートの背骨的部分を低音で担うベース無しでも、このトリオは勝手にそして見事にスウィングする。ポール・モチアンがドラムを叩く限り、どれだけ違うスタイルのジャズマンがどの楽器を演奏していようがお構い無しでビートを刻み、ある時は緩やかに、またある時はいきなり音の強弱を変えながら音楽を創ってゆく。

彼の音楽的感性がそうさせるのだと言ってしまえば話は早いが、この場合リズム感、曲の理解力は云うに及ばず、長いキャリアに裏付けされた音へのこだわりとバンドリーダーとしての才覚が大きく反映されている。
その中で特筆すべきは、目まぐるしくテンポを変えるから通常の「ノリ」は感じられないドラムビート。そしてジャズドラマーなら誰でも知っているスウィングビート。この二つのビート、まるで性質が違うのだけれど、ポール・モチアンが叩くとどちらもサマになる。

2枚のライドシンバル、ハイハットシンバル、5つのドラムだけで奏でられる音色の幅広さは半端ではない。この日のドラムは、ベースが居る時と比べて若干低めの音になっていた。だから低いドラム音が出るのは勿論だけど、皮の端っこ緒と枠を同時に引っ叩くと甲高い音も出る。
いずれにせよ一発聴いただけで「あ、この人のタイコだ」と即座に判るところは、今も昔も変わらない。

年越し際の跡、そして・・・

2008年01月06日 | ニューヨークあれこれ
最初の画像にある傾いた標識、どう見ても車にぶつけられてヒン曲がったとしか見えない。年明け前にはこうでなかったから、きっとカウントダウン後にアホな運転した輩がぶつけたのだろう。



そしてこれはその後に寄ったガソリンスタンドの至る所に張られたもの。監視カメラに写っているから笑え、とある。これはアメリカンジョークの一つなのだろうか?

シダー・ウォルトントリオ@ヴィレッジ・ヴァンガード

2008年01月04日 | 音楽
ヴィレッジのアーサーズタバーンで僕が声を掛けたメンバーでライブをした後、ヴィレッジ・ヴァンガードにシダー・ウォルトントリオを聴きに。

ピアノにシダー・ウォルトン、ベースにデヴィッド・ウィリアムズ、ドラムスにルイス・ナッシュ。「息の合った」という表現はこのトリオのためにあるのではないか、というほどタイトでまとまりのあるジャズを聴かせる。曲は予め全て編曲したようで、始めから終わりまでキッチリした構成を持つ。その一方で各曲のアドリブ部分では三人の個性が光る。リズム的にはスウィング(日本語ジャズ用語では4ビート)だけでなく、ボサノヴァ、アフロキューバン、ファンクを織り交ぜていた。

リーダーのシダー・ウォルトンは40年以上前にニューヨークに移り住み、J.J.ジョンソンやケニー・ドーハムと共演し、1961ー64年にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズで、ピアノと音楽監督を担当。その後プレスティジレコードというジャズレーベルが1967ー69年に録音したアルバムの殆どに参加した。またその頃からリーダー作を発表し続けながら、後のイースタン・リベリオン、日本のジャズファンにお馴染みのタイムレス・オールスターズなどのビバップのバンドを結成。現在に到るまで正統的なビバップ(日本語ジャズ用語ではモダンジャズ)を主軸に演奏しているが、70年代半ばにはエレクトリック・ピアノを弾いてファンクバンドをやっていたりもした。

ベーシストのデヴィッド・ウィリアムズは、1983年頃からウォルトンの様々なバンドのベーシストでありつづけている。ここ20年くらいはジャズ一筋のようだが、70年代初期にはロバータ・フラックのバックバンドなどもしていた。

ルイス・ナッシュは、過去20年間で最も多くの仕事をし、最も稼いだジャズドラマーではないだろうか。まだ40歳代だけれど、ただ場数を多く踏んでいるのでなく、その一つ一つがいつも第一級なのだ。今回のライブでも、曲想を的確に捉えた上でシャープにスウィングするドラミングを全曲で披露していた。

ナッシュさんは知り合いでもあるので、演奏終了後挨拶しに楽屋を訪れる。オフィスとコップ洗い場を兼ねた楽屋では、トリオの皆さんとヴァンガード最古参のバーテンダーが、エルヴィン・ジョーンズは、どんなバンドに飛び入りしても、他人のどんなサイズのドラムセットを叩いてもモノ凄い演奏をしていた・・・なんてことを話している。
改めてニューヨークのジャズクラブに居るのだなぁと思いつつ、夜更けになると露骨に本数が減る地下鉄の最寄り駅へ足早に向かった。

新たな一年

2008年01月01日 | ニューヨークあれこれ
米国東海岸時間で2008年になりました。昨年はこのブログを見て頂き、ありがとうございました。
今年もまたよろしくお願いします。



上の画像は、ニューヨークではまだ大晦日だった昼間、買い物に出かけた時のもの。DUMBO(Down Under the Manhattan Bridge Overpass)と呼ばれているこのエリアに来たのは2年振りだった。その頃にはまだ整備されていなかった川沿いの公園を散歩する。そこからだったらマンハッタン橋を真下から見上げることができる。





ブルックリン側の主柱をこれほど間近で見たのは初めて。もっともつい最近までその辺りは荒れ地で近寄り難かったのだけれど。





気温は5℃。コートとマフラーは要るが、手袋と帽子は無くともなんとか居られる。橋の袂のチョコレート屋で買った濃厚なホットチョコレートを啜るには格好の寒さだった。