新型コロナ拡大で異常になってから初めて自宅近辺を陽が落ちてから歩いてみました。多くの飲食店が各店舗前の歩道に客席を設け、8時過ぎた辺りで店によっては繁盛していたり、大音量の音楽で景気良くしていても閑散としていたり。。。いずれにしても路上席で客が来られるのは夏のうちだけです。これからの商いさらには厳しくなるでしょう。
最後に自宅周りを歩いたのは3月中旬。今日歩いてみたらまるで半年間ここを留守にしていたかのように感じました。
ずっと同じ場所で生活していたのに、全く違う所にいるのではないかという錯覚をしたのかもしれません。
帰宅してからそのことを考えていたら13年前のちょうど今頃のある暑い日、アメリカ東部の大停電を思い出しました。
いきなり日常生活に異変が起き、一昼夜開けて電気が戻るまで長く感じました。
半年前からいつまで続くのかはっきりしない状況で停電当時自分が書いた記事を読むと、当時困惑した自分に「まだまだこんなもんでは異常では無いよ」と言ってやりたくなります。と同時に最近のこの先行きの見えない毎日を少し違う態度で過ごせそうな気がしてきました。
自然災害による停電はこの時ほど広範囲で起こったのはしばらくありませんが、毎年夏には台風で、冬には大吹雪であちこちで停電しています。つい先月も台風以下の規模の雷雨でブロンクス地区の一部で停電しました。停電とパンデミック、日常生活にどれだけ支障をきたすかという点で並べられるものではありませんが、心身ともに健全に過ごすための拠り所になるなら、このパンデミック時に停電発生時のことを思い出すのは悪くないかもしれません。もっとも今停電が起きたらたまりませんが。。。。。
以下2003年8月14日に起きた停電のことを書いた記事を少し修正して添付します。
「滅多に起きないことが起こった。殆どの人には絶対起こって欲しくないことが起きてしまった。13時間以上の完全停電。(予備のない民間レベルで)NY州は全滅、隣接州のニュージャージー、コネチカットから西はオハイオ州、北はカナダのオンタリオまでかなりの人たちが真っ暗な夜を過ごした。NY市では普段から使い慣れていない蝋燭が原因の火事が約60件、普段はエレベーターを使うところを階段を降りている時に心臓発作をおこして亡くなった人がいた。これは8月15日の現地時間午後2時17分での情報。
自分自身の経過はこんな感じだった。
14日の夕方4時過ぎニュージャージーの知人と携帯電話で話している最中に彼の家の電気が切れた。こちらから何回かかけ直しているとこちらの部屋の明かりが急に1/3ほどに暗くなり、1~2分その状態が続く。そのうち完全消灯。隣の住民がかけていた大音量音楽が止まったのは言うに及ばず。
この日は運良くというか何というか、夏の間毎週あった演奏仕事がキャンセルされていたので自宅にいた。もし仕事があってドラムセットを担いで地下鉄に乗っていたら、、、。運が良かった。夜になっても地下鉄はまだ動いていない。電力が復旧して6~8時間点検が必要なのだそうだ。
自宅で停電直前に洗濯物を乾燥機に移そうとしていた。無電のまま30分経過して乾燥はギブアップ。 濡れて重~い洗濯物を部屋中に拡げる。この日は風が無かったのでそんな部屋に居ると気が滅入りそうだったし夕食時間でもあったから散歩がてら徒歩で少し遠くの食堂へ。途中で喉が乾き、アイリッシュパブでビールを飲む。その店にはまだ氷が残っていたようで注文した瓶入りコロナはありがたく冷たかった。 アイリッシュビールは大抵サーバーで出されるからこの日は飲めなかっただろう。
近所の人は、表に出てラジオを聴いたりおしゃべりしたり。パブ内の照明は蝋燭の灯りと入り口から僅かに入ってくる日光だけ。暇そうな従業員とお客が近所で買ったサンドイッチを頬張っている。これではどの飲食店でも食事はできんだろうと思い、少し歩いてスーパーマーケットに。そこは非常灯に切り替わっていて、レジに並んでいる間に"We are closing in 15 minutes!!!"という放送が。危ない危ない、もう少しで今晩ひもじい思いをするところだった。この頃7時半。主要道路沿いに大勢の人が徒歩でマンハッタンからクイーンズの自宅へと帰宅しているのを見て911同時多発テロを思い出さずにはいられなかった。
帰宅してすぐに空が暗くなったので蝋燭を灯した。この晩はテレビ無し、ラジカセ無し、メール・ネット無し。本を読むにも少々灯りが暗い。スーパーマーケットで買った本日最後の冷えたビールを飲み、サルサとコーンチップスをボリボリ食べていたら眠くなった。
夜中2時に眠りが切れた。電気はまだ来ていない。復旧直後に過剰な電量が来るかもしれないからパソコンやテレビの電源プラグは抜いておいた。復旧したかどうか知るため枕元の電源に繋げた目覚まし時計の首を何度もひねってみるがダメ。室内は生乾きの洗濯物で湿気ていて暑苦しい。表に出ると光は100パーセント月明かり。地上に全く灯りが無いので、少し青みがかった夜空を久しぶりに見ることができた。そよ風が気持ちいい。
明け方5時半ごろ空もだいぶ明るくなった。うとうとしてるとファックス機が音を立てた。おぉ!やっと動いたか!うちの近所は比較的復旧が早かったようだ。周囲にはまるで復旧できてない世帯が多い。
発生時の市長声明で復旧まで数時間と発表された。原因は未だに確定されてない。ナイアガラの電力施設を巡ってアメリカとカナダが責任をなすりつけ合っていたのが見苦しい。 また多くの報道で何度も何度も原因不明なのに発生直後から一貫して「テロではありません。」と。相変わらず強がりの国だな、アメリカは。実際軍事力はすごいけれどさ、今の世界では。」
最後に自宅周りを歩いたのは3月中旬。今日歩いてみたらまるで半年間ここを留守にしていたかのように感じました。
ずっと同じ場所で生活していたのに、全く違う所にいるのではないかという錯覚をしたのかもしれません。
帰宅してからそのことを考えていたら13年前のちょうど今頃のある暑い日、アメリカ東部の大停電を思い出しました。
いきなり日常生活に異変が起き、一昼夜開けて電気が戻るまで長く感じました。
半年前からいつまで続くのかはっきりしない状況で停電当時自分が書いた記事を読むと、当時困惑した自分に「まだまだこんなもんでは異常では無いよ」と言ってやりたくなります。と同時に最近のこの先行きの見えない毎日を少し違う態度で過ごせそうな気がしてきました。
自然災害による停電はこの時ほど広範囲で起こったのはしばらくありませんが、毎年夏には台風で、冬には大吹雪であちこちで停電しています。つい先月も台風以下の規模の雷雨でブロンクス地区の一部で停電しました。停電とパンデミック、日常生活にどれだけ支障をきたすかという点で並べられるものではありませんが、心身ともに健全に過ごすための拠り所になるなら、このパンデミック時に停電発生時のことを思い出すのは悪くないかもしれません。もっとも今停電が起きたらたまりませんが。。。。。
以下2003年8月14日に起きた停電のことを書いた記事を少し修正して添付します。
「滅多に起きないことが起こった。殆どの人には絶対起こって欲しくないことが起きてしまった。13時間以上の完全停電。(予備のない民間レベルで)NY州は全滅、隣接州のニュージャージー、コネチカットから西はオハイオ州、北はカナダのオンタリオまでかなりの人たちが真っ暗な夜を過ごした。NY市では普段から使い慣れていない蝋燭が原因の火事が約60件、普段はエレベーターを使うところを階段を降りている時に心臓発作をおこして亡くなった人がいた。これは8月15日の現地時間午後2時17分での情報。
自分自身の経過はこんな感じだった。
14日の夕方4時過ぎニュージャージーの知人と携帯電話で話している最中に彼の家の電気が切れた。こちらから何回かかけ直しているとこちらの部屋の明かりが急に1/3ほどに暗くなり、1~2分その状態が続く。そのうち完全消灯。隣の住民がかけていた大音量音楽が止まったのは言うに及ばず。
この日は運良くというか何というか、夏の間毎週あった演奏仕事がキャンセルされていたので自宅にいた。もし仕事があってドラムセットを担いで地下鉄に乗っていたら、、、。運が良かった。夜になっても地下鉄はまだ動いていない。電力が復旧して6~8時間点検が必要なのだそうだ。
自宅で停電直前に洗濯物を乾燥機に移そうとしていた。無電のまま30分経過して乾燥はギブアップ。 濡れて重~い洗濯物を部屋中に拡げる。この日は風が無かったのでそんな部屋に居ると気が滅入りそうだったし夕食時間でもあったから散歩がてら徒歩で少し遠くの食堂へ。途中で喉が乾き、アイリッシュパブでビールを飲む。その店にはまだ氷が残っていたようで注文した瓶入りコロナはありがたく冷たかった。 アイリッシュビールは大抵サーバーで出されるからこの日は飲めなかっただろう。
近所の人は、表に出てラジオを聴いたりおしゃべりしたり。パブ内の照明は蝋燭の灯りと入り口から僅かに入ってくる日光だけ。暇そうな従業員とお客が近所で買ったサンドイッチを頬張っている。これではどの飲食店でも食事はできんだろうと思い、少し歩いてスーパーマーケットに。そこは非常灯に切り替わっていて、レジに並んでいる間に"We are closing in 15 minutes!!!"という放送が。危ない危ない、もう少しで今晩ひもじい思いをするところだった。この頃7時半。主要道路沿いに大勢の人が徒歩でマンハッタンからクイーンズの自宅へと帰宅しているのを見て911同時多発テロを思い出さずにはいられなかった。
帰宅してすぐに空が暗くなったので蝋燭を灯した。この晩はテレビ無し、ラジカセ無し、メール・ネット無し。本を読むにも少々灯りが暗い。スーパーマーケットで買った本日最後の冷えたビールを飲み、サルサとコーンチップスをボリボリ食べていたら眠くなった。
夜中2時に眠りが切れた。電気はまだ来ていない。復旧直後に過剰な電量が来るかもしれないからパソコンやテレビの電源プラグは抜いておいた。復旧したかどうか知るため枕元の電源に繋げた目覚まし時計の首を何度もひねってみるがダメ。室内は生乾きの洗濯物で湿気ていて暑苦しい。表に出ると光は100パーセント月明かり。地上に全く灯りが無いので、少し青みがかった夜空を久しぶりに見ることができた。そよ風が気持ちいい。
明け方5時半ごろ空もだいぶ明るくなった。うとうとしてるとファックス機が音を立てた。おぉ!やっと動いたか!うちの近所は比較的復旧が早かったようだ。周囲にはまるで復旧できてない世帯が多い。
発生時の市長声明で復旧まで数時間と発表された。原因は未だに確定されてない。ナイアガラの電力施設を巡ってアメリカとカナダが責任をなすりつけ合っていたのが見苦しい。 また多くの報道で何度も何度も原因不明なのに発生直後から一貫して「テロではありません。」と。相変わらず強がりの国だな、アメリカは。実際軍事力はすごいけれどさ、今の世界では。」