木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

処理

2024-12-03 17:52:44 | ひとりごと
母の没後の処理。いろいろとやることがあって・・・
大変と書きそうになるのですがこれくらいと当然の仕事だと思ってます。
ゆっくりですが確実に一歩一歩進んでいるところです。まだ障害は出現してこないしこのままいくと思ってます。
役所戸籍関係、年金関係、退職金関係 これは母の分と僕の分です。マンション部分支払いの名義変更など。
まず一人でできることは順調に消化。
次は同じ相続者の妹にハンコもらう仕事あり。
多分障害にはならないはず。
また報告します。

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またやった

2024-11-26 01:45:55 | 忘れる
土曜日またショッピングセンターに大事なショルダーバッグを忘れてきてしまいました。彼女んちへついて荷物を下ろしたのだがそこで気づく。
慌てて15分くらいかかる店に向かいながら電話を入れた。
「バッグを忘れたみたいなんですが?」
「さっき「あかのれん」(洋品店)にショルダーバッグが届いてるという報告が来ています。」
それで店固有の電話に掛ける
「緑色っぽいショルダーバッグを忘れたのですが?」
「それらしいのが届いてますよ」
一安心しながら車を進めた。

あった。
届けてくれた方の情報はありますか?
「ないです」
ああ日本人でよかった。
ともう10回くらい思った。

それにしても忘れ過ぎ。お粗末。。。
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ヒトカラ風前の灯

2024-11-20 02:12:26 | 生活
そろそろ普段の生活に戻りつつありヒトカラも復活してきているのですが、また僕の行ってる店のルール改悪です。
なんと閉店時間が一時間短くなるとのこと。
普通の店は夜中までやってるのですがここは23時終了です。
これはこれで僕の生活にフィットしてると思って利用していましたが22時終了はいくらなんでも健全過ぎます。遊園地じゃないんだから(笑)
それで今日火曜日のヒトカラタイムを拒否しました。
ただでさえ閑古鳥が鳴いてる店。多分もうやる気がないんですね。
従業員の募集がままならないようです。
もともと音漏れという設備的に大きな欠点を抱えている店。他の設備は普通か少しいい方。それで前の経営時は17時から23時までのフリータイムが税込630円と激安だったのでそれ相当にお客さんがいたのですが今の会社に変わってどんどん値上げ。
1200円から1500円になり今は月〜木で1700円。
それでも彼女に励まされて通っていたのですがね。
河岸を替えたほうがいいかも。
少し悩んでみます。がこんなくらいの悩みとは申し訳ない話です。
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10日

2024-11-17 11:11:32 | 生活
10日経ちました。
いろんな手続きに翻弄されましたが、皆さん経験することで取り立てて騒ぐことでもないですね。
役所での色んな返納ですがいま、各区におくやみコーナーという部署が設置されていて保険証などの返却がとてもスムーズにできるようになっていました。ただ各部署には自分で持っていって順番待ちして手続きはしなくちゃいかんのですがこちらの情報が先に伝達されていて余計な作業なしに次へ次へと進んでゆきます。将来はそのコーナーだけで全部できるようになるかもしれません。役所も進歩しているようです。
まだ年金の処理、通帳の処理などいろんな作業が待ってますが相変わらず流れに任せてスイスイと進んでゆくのみです。

欠席をしたクラス会ですが時間があったので覗くだけ覗いてきました。
駅前のホテルの15階の会場。幹事に電話をかけたのですが通じなかったのでアポなしで行ってみました。そこはクラス会会場ではなく同窓会会場でした。僕は同窓生はまぁどっちでも良かったのですが高三の時の担任に一言言いたいことがあったので出席されてる情報の元短い時間でもいいので会いたかったわけです。
多分100人くらいかな会場は大賑わい。
高二の時のクラスの面々が集まっていて当時の先生もそこにいてこの高二のクラス会は年明けにあるのにもうここで集まっていました。
先生に母のことを報告したら「優しい人だったなぁ」と一言いただいたのですが先生憶えているはずないのに なんて思ってしまいました。(笑)
ただ常識的な一言を頂けただけじゃないかと思って。
その後高三のU先生を見つけて挨拶。
浪人している時に弟の急死で大学を諦めて家業を継ぐ決心をし、先生に報告したら 後悔せんようにな と言ってくれた。
「ただの一回も後悔せずに高卒のままここまできました。」
「そうかよかった」と熱い握手をしてくれました。
宴会苦手な僕はすぐその場を立ち去り。駐車場まで一緒に来てくれていた彼女と合流。

さて93歳お誕生日まであと10日で力尽きた母です。
もう10日頑張ったら昭和6年11月17日〜令和6年11月17日となるとこだったのに残念でした。。
でももしそうだったらこの10日は僕にとって厳しい10日だったに違いありません。僕に楽をさせるために母は決断したのでしょう。感謝しかありません。
みぃが明日お誕生日だからお母さん大好きだった鰻を買ってきてここで一日早いお誕生日会をしよう。と言ってくれました。
近所の鰻屋さん。認知が始まっていても一人でここを訪れてビールと鰻丼を楽しんでいた母。みんなで行った会計の時、母に向かっていつもありがとうございますと言われて、あの店員嘘ついてる と本気で怒っていた母。
その後、店のレシートを発見。店の人が正しかったことが証明されました。そんな大好きだった店の鰻丼弁当をお供えしました。
本当は肉とか魚とかお供えすべきじゃないのかもしれませんが多分母は喜んでくれていたと信じております。
坦々と過ぎた10日間。
感謝。

    
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ありがとうございました

2024-11-08 00:51:45 | 家族
いつものように朝食を終え母の部屋の仏壇の水を替えて見舞いに行こうかとしてる時にスマホが鳴った。
病院名を連呼してる。
やばいかもと思った。お母さんのお身体の変化が大きくなってきました。
ご家族とご一緒に来てくださいますか?
熱があり、手足は冷たくなって血圧が80を切ってきています。
すぐに亡くなるとかそういうことは言われませんでしたがかなり危険な状態には違いないようです。娘に声をかけ、息子に電話してすぐに病院へ行ってほしい旨を伝えました。
行こうと思ってたとこへの電話。また僕に気を遣ってこの時間まで待ってくれてたのかと思いながら病棟の受付に。
担当の看護師さんがちょっと緊張した顔つきで僕らを迎えてくれます。
息子夫婦もやってきました。
息が荒い、意識はない?ちょっとだけ苦しそうにも見えた。
廊下に出て看護師さんは母の状況を説明してくれます。
もう長い時間はないかもしれません.。
でもすぐにではないかもしれない。
普段は家族の付き添いは認めてませんが今夜から暫く1日か2日かあるいは一週間かわかりませんがベッドの隣に布団の用意をしますから泊まってください。強制はしませんがそうされたほうが悔いがないと思います。と。

昼過ぎまで娘と息子夫婦の4人で母の思い出話から自分たちの子供の頃の話を笑いながら話してた。きっと母は聞いてくれてたはず。それを僕は意識しながら楽しい話を繰り返した。母の息は荒い。荒いが苦しんでるようには見えなかった。いつまで続くかわからないので 息子達には仕事に戻るように言った。1時15分頃看護師さんが見えてお食事をして来てください。但し30分。と言われたので娘と部屋を出て1時40分頃に戻った。
母の息遣いが穏やかになってる。
もう息をしてるのかどうかわからないくらい。ただ喉の皮膚がピクリを動くので息があるのはわかった。
でも2時を過ぎた時にその喉の動きが止まった。
娘と顔を見合わせてナースコール。
僕や娘と一緒になって看護師さんは涙を浮かべながらその確認をしてくれた。2時3分くらい。僕と娘に見守られて穏やかに永い眠りに落ちました。
こんなに仏様みたいな優しい人はいませんでした。と。
たった二週間でしたが担当の看護師さんは一生懸命に尽くしてくれて送ってくださいました。
5月の外科病院から老健、グループホームそしてこの緩和病棟の担当者の皆さんは全部全部優しくしてくれて感謝しかありません。

付き添いの大変さを知ってる母は、付き添いなんかせんでいいよ
多分そう思ったに違いありません。
子バカと思われてもしかたあるまい。でもきっとそうです。葬祭場も半分決めていたホールではなく、同じ系列の一般ホールに否応なく決まった。
決めていたホールは最近リニューアルして高級路線に変更。それでも9日は無理だから10日と一度決めました。ところがいつもお世話になっている僧侶に連絡すると10日は県内の遠方の法事が決まってて難しいとのこと。9日なら問題なし。そう僧侶が葬儀社に連絡を取ったらホールの方でもどっちみち10日は無理だとなりました。
あっちはリニューアルしたので5割増の料金らしいからちょうどいいじゃない?と言われました。
これも多分母が決めたことでしょう。
お金がないから貧乏だからこんないい扱いをしてもらわなくていい 看護師さんがいつも言われてましたよ。
母はお金をとても大事にする人でした。
でもいつも上手な使い方をして僕も幸せな子供時代青春時代を送らせてもらったんです。
改めて感謝いっぱい。
みなさんずっと読んでくださってありがとうございました。
遺影はこれにしようかと思ってます。



昭和6年11月17日ー令和6年11月7日
母と二人だけの控え室にて。

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欠席

2024-11-06 11:25:20 | ひとりごと
11月16日に高校3年の時のクラス会がある。
この年代の同窓生はこの歳になって初めて
高二のクラス会は毎年あるのにです。
高三は男子クラスだったからかもしれません。
最初出席の意向でそのように連絡しておいたのだがその日の1ヶ月前にグループホームの主治医から あと一カ月くらいが山 と言われてしまったので参加費云々もゼロではないのだが気持ち的に落ち着いて参加できるとは思えなかったので欠席を通知し直してしまった。
僕らの高校はエリート達とは言えないまでも社会に出てそこそこの業績を残してるとも言えないこともない。そんな感じです。ノーベル賞受賞者も一人だけいるがこれは特別かな?
大学受験をしないでそのままここを最終学歴としている僕は少しの後ろめたさもあるのですがその割には幸せな人生を送らせてもらってるので今からどんな幸せな旧友に会っても堂々としている自信はあります。だから会ってみてもいいかなと思ったんですけどね。

母の様子と言えばゆっくりとそっちへ向かってます。
だんだん手足が冷たくなってきて回復という言葉とは無縁になってきました、
心の準備できているつもり。
経済処理的な準備はどうかな?


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瀬戸際

2024-11-01 17:49:03 | ひとりごと
日々衰えてゆく母を見ています。
小さかった母はより小さくなりまともな会話もできなくなりつつあります。
僕が隣に行くと何となく理解はしてくれてますが時には自分の弟の名前を問いかけることもあります。
息子だよと叫ぶとわかったと頷きありがとうと手を合わせてくれます。
ごめんなさい 目と鼻の辺りがボワンとしてきてしまいます。
細くなってゆく身体を見て食事はどうなってるかと看護師さんに聞くと食べると体に負担が来るので って
何も食してないってこと?
特別な治療はしなくていいという本人家族の意思は伝えましたが食べずに痩せるのはどうなんでしょう。
ベッドに寝た切りの今の生活は果たして母にとって良かったのかどうか?
もしかしたらあのままグループホームにいて時々車椅子でみんなと同じ食卓に着いたり、訪問看護の方が点滴をしてくださったようにそんな生活していた方が幸せだったのか?
否、早くここを出たいと言っていた母の言葉を尊重してよかったのかもと。
早よ死ななあかん と言っていた母の言葉を思い出すたびに僕のやってきたことは正しかったのかどうか・・


今月17日が来れば93になります。
なれないかもしれません。

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スイカバー

2024-10-28 17:56:30 | 家族
母は落ち着いてますが今朝も眠ったままあまり意識をこっちには向けてくれませんでした。
多分一瞬僕を見たのでわかってるとは思いますが・・すぐに忘れてしまうのでしょう。
まぁ苦しくなければいいです。
元気は無さそうに見えますが看護師さんには裁縫がやりたいと言ったようです。
今朝は衣装箱に服や写真や眼鏡、人形なんかを入れて持っていきましたがまさか裁縫道具とは気が付きませんでした。
おそらくやれはしないんじゃないかとは思いますが部屋を探してそれらしく物を準備するつもりです。


それから口が乾いたというときに小さなバーの先に凍らせた氷で口内を潤しているんですが甘い氷にしたら美味しいと言っていたとかで
好きな味の氷にしますから何がお好きでしょう?
第一声は スイカ でした。
コンビニで売ってるスイカバーがあったら差し入れしてくれますか? と言われました。
一生懸命母のために考えてくれて有難いです。
ただし、今スイカバーって売ってる時期なのでしょうか?
今夜にでもコンビニを覗いてみます。

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入院

2024-10-23 17:37:29 | ひとりごと
無事入院してきました。
娘の勤務を遅らせてもらって二人でグループホームへ。
もう介護タクシーの運転手さんが来てくれててすべてスムーズに進む。
今日は体調も悪くなくて車いすでも行けそうでしたがストレッチャーのお世話になり、
娘が隣で同乗してたので話をしながら・・・自分がどこに連れて行かれるのか不安そうでしたが何の問題もなく病院に到着。
僕は帰りもあるので一人で車に乗って行きました。ちなみにホームから病院まで20分ちょっとでタクシー代は8900円でした。(記録)


看護師さんも補助の方もドクターも親切そうで安心です。
まだ油断禁物を捨てきれてませんが多分大丈夫でしょう。
ここでは治療を目的にするのではなくいかに楽に過ごせるか
早速ありがとうとごめんねをくりかえして 優しいおばあちゃんだね と言ってもらってます。
上の入れ歯を忘れたのでホームから回収 明日また行ってみます。

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2024-10-20 14:30:06 | 家族
母は眠っていた。今朝はいつもの席で朝食を摂りちょっと疲れたと言ってベッドに戻った後僕が着いた。
10分15分その寝顔を見ていたがもう立とうとした時に目を開いた。
あーあんたか 
今芝居を見てた。長谷川一夫が出ててもうほんとに楽しかった嬉しかった
割子弁当も美味しかったし
ありがとな  幸せだ

息苦しさも寂しさも悪いものを全部追い出して
母は微笑んだ。
そしてありがとうと言った。

御園座で観劇している夢を見ていたのだろう
簡易保険の芝居を見れるコースにずっといたから何年も半年に一回くらいのペースで行かせてもらってた

またバスに乗ってどこかに団体旅行もしていたらしい
美味しかった、楽しかったを繰り返し、またありがとうを言う

楽しいことを経験するとこういう時にでも再経験できるのでしょう

なんか僕まで嬉しくなって目頭が熱くなった。
僕の方こそありがとうと思った。

もらったお土産がそこにあるから持ってってな。
別れる時に母は言った。

物は何にもなかったけどその気持ちこの胸にもらったよ。
あかあさん  ありがとう。。
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