時々このブログで紹介する「ねずさんのひとりごと」
今日は面白いことが書いてありました
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2606.html
明治の時、初めて電気が点った頃のお話
その電気を巡って激しいバトルがあったというのです
僕たちは生まれた時から電気のいうものがあって
それは当然の物だったけど
生まれてしばらくした後に初めて電気と接したとしたならば
それを素直に受け入れられたのだろうか
>当時の新聞を見るとおもしろいです。
「電気は危ない」、「電気は危険」、「電気は人々の生活を破壊する」、「電気のない安全な生活を」、「電気は大災害をもたらす」、「電気は経済的に非効率だ」、「電気は明かりの灯る者と灯らない者との間に差別をつくる」等と書かれています。
理由もおもしろいです。
当時の発電は、火力発電でした。
熱でタービンをまわし、電力を生み出します。
いかにも恐ろしげな猛火です。
そのような施設の猛火が、もし燃え広がったら、大火災になる・・・と、このあたりまでは、なるほどとうなづけます。
確かに得体のしれないものがやってくるということで市民の気持ちは大いに揺れたのだろうと思います
それまで無かったもの
それで足りてた生活
そこへ新しいものがやってきたら人はどんなことを思うのでしょう
やがて
こうして電力の普及とともに電信柱も増えてくるのですが、それとともに上に述べた「スズメは落ちないのに人は落ちる恐怖の電信柱神話」が、口裂け女の都市伝説よろしく全国に拡大します。
これに当時の新聞が悪乗りして便乗しました。
電信柱の事故が絶えないところへもってきて、明治政府への反発もあったのかもしれませんが、おもしろいことに、その最大反対キャンペーンを張った朝日新聞や時事新報などは、自分たちがその電力で会社の夜の照明を得ていながら、一方では電力反対の大合唱をしていたのです。
こうしたなかに、明治24(1889)年1月、最大の電力事件が起こりました。
新しく築造したばかりの国会議事堂が、漏電による出火で全焼してしまったのです。
当時の国会議事堂は、いまの永田町ではなく、いま経済産業省がある東京の霞ヶ関にありました。
ここに明治23年11月に国会(仮)議事堂が建設されたのです。
この議事堂が、我が国で初の国会である「第一回帝国議会」が開催された場所です。
電気が悪さをしました
ここで普及し始めた電気への拒否反応が起こります
各地の自治体が決まってたはずの電気の導入をストップする
でも、今の世の中を見たら電気なしではひと時も居れません
ここからねずさんのお話は原発へと進みます
のちの世から見たら、もしかしたら原子力発電などあたりまえの方法で
危険という文字は忘れられてしまってるものなのかもしれません
確かに今度の福島の大事故も大事故だったことは否定できないけれど
それによって直接亡くなった人は一人もいないはず
放射能というものはいったい何だろう
みんながわからないものだから、今度の事故を含めてデータを集めて
もっと知らなくてはなりません
事故の後、原発再稼働に賛成だけど、将来的には無くすべき
と書いたことがあるけど、もう一度考え直すべきかもしれない
1000年に一度 と言われたあの地震でももっと震源地に近い女川の原子炉はびくともしなかったではないか
原子炉はもっと当たり前の時代が来るかもしれない
鹿児島の判決と福井の判決
僕は鹿児島に一票です。
今日は面白いことが書いてありました
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2606.html
明治の時、初めて電気が点った頃のお話
その電気を巡って激しいバトルがあったというのです
僕たちは生まれた時から電気のいうものがあって
それは当然の物だったけど
生まれてしばらくした後に初めて電気と接したとしたならば
それを素直に受け入れられたのだろうか
>当時の新聞を見るとおもしろいです。
「電気は危ない」、「電気は危険」、「電気は人々の生活を破壊する」、「電気のない安全な生活を」、「電気は大災害をもたらす」、「電気は経済的に非効率だ」、「電気は明かりの灯る者と灯らない者との間に差別をつくる」等と書かれています。
理由もおもしろいです。
当時の発電は、火力発電でした。
熱でタービンをまわし、電力を生み出します。
いかにも恐ろしげな猛火です。
そのような施設の猛火が、もし燃え広がったら、大火災になる・・・と、このあたりまでは、なるほどとうなづけます。
確かに得体のしれないものがやってくるということで市民の気持ちは大いに揺れたのだろうと思います
それまで無かったもの
それで足りてた生活
そこへ新しいものがやってきたら人はどんなことを思うのでしょう
やがて
こうして電力の普及とともに電信柱も増えてくるのですが、それとともに上に述べた「スズメは落ちないのに人は落ちる恐怖の電信柱神話」が、口裂け女の都市伝説よろしく全国に拡大します。
これに当時の新聞が悪乗りして便乗しました。
電信柱の事故が絶えないところへもってきて、明治政府への反発もあったのかもしれませんが、おもしろいことに、その最大反対キャンペーンを張った朝日新聞や時事新報などは、自分たちがその電力で会社の夜の照明を得ていながら、一方では電力反対の大合唱をしていたのです。
こうしたなかに、明治24(1889)年1月、最大の電力事件が起こりました。
新しく築造したばかりの国会議事堂が、漏電による出火で全焼してしまったのです。
当時の国会議事堂は、いまの永田町ではなく、いま経済産業省がある東京の霞ヶ関にありました。
ここに明治23年11月に国会(仮)議事堂が建設されたのです。
この議事堂が、我が国で初の国会である「第一回帝国議会」が開催された場所です。
電気が悪さをしました
ここで普及し始めた電気への拒否反応が起こります
各地の自治体が決まってたはずの電気の導入をストップする
でも、今の世の中を見たら電気なしではひと時も居れません
ここからねずさんのお話は原発へと進みます
のちの世から見たら、もしかしたら原子力発電などあたりまえの方法で
危険という文字は忘れられてしまってるものなのかもしれません
確かに今度の福島の大事故も大事故だったことは否定できないけれど
それによって直接亡くなった人は一人もいないはず
放射能というものはいったい何だろう
みんながわからないものだから、今度の事故を含めてデータを集めて
もっと知らなくてはなりません
事故の後、原発再稼働に賛成だけど、将来的には無くすべき
と書いたことがあるけど、もう一度考え直すべきかもしれない
1000年に一度 と言われたあの地震でももっと震源地に近い女川の原子炉はびくともしなかったではないか
原子炉はもっと当たり前の時代が来るかもしれない
鹿児島の判決と福井の判決
僕は鹿児島に一票です。