木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

ありがとうございました

2024-11-08 00:51:45 | 家族
いつものように朝食を終え母の部屋の仏壇の水を替えて見舞いに行こうかとしてる時にスマホが鳴った。
病院名を連呼してる。
やばいかもと思った。お母さんのお身体の変化が大きくなってきました。
ご家族とご一緒に来てくださいますか?
熱があり、手足は冷たくなって血圧が80を切ってきています。
すぐに亡くなるとかそういうことは言われませんでしたがかなり危険な状態には違いないようです。娘に声をかけ、息子に電話してすぐに病院へ行ってほしい旨を伝えました。
行こうと思ってたとこへの電話。また僕に気を遣ってこの時間まで待ってくれてたのかと思いながら病棟の受付に。
担当の看護師さんがちょっと緊張した顔つきで僕らを迎えてくれます。
息子夫婦もやってきました。
息が荒い、意識はない?ちょっとだけ苦しそうにも見えた。
廊下に出て看護師さんは母の状況を説明してくれます。
もう長い時間はないかもしれません.。
でもすぐにではないかもしれない。
普段は家族の付き添いは認めてませんが今夜から暫く1日か2日かあるいは一週間かわかりませんがベッドの隣に布団の用意をしますから泊まってください。強制はしませんがそうされたほうが悔いがないと思います。と。

昼過ぎまで娘と息子夫婦の4人で母の思い出話から自分たちの子供の頃の話を笑いながら話してた。きっと母は聞いてくれてたはず。それを僕は意識しながら楽しい話を繰り返した。母の息は荒い。荒いが苦しんでるようには見えなかった。いつまで続くかわからないので 息子達には仕事に戻るように言った。1時15分頃看護師さんが見えてお食事をして来てください。但し30分。と言われたので娘と部屋を出て1時40分頃に戻った。
母の息遣いが穏やかになってる。
もう息をしてるのかどうかわからないくらい。ただ喉の皮膚がピクリを動くので息があるのはわかった。
でも2時を過ぎた時にその喉の動きが止まった。
娘と顔を見合わせてナースコール。
僕や娘と一緒になって看護師さんは涙を浮かべながらその確認をしてくれた。2時3分くらい。僕と娘に見守られて穏やかに永い眠りに落ちました。
こんなに仏様みたいな優しい人はいませんでした。と。
たった二週間でしたが担当の看護師さんは一生懸命に尽くしてくれて送ってくださいました。
5月の外科病院から老健、グループホームそしてこの緩和病棟の担当者の皆さんは全部全部優しくしてくれて感謝しかありません。

付き添いの大変さを知ってる母は、付き添いなんかせんでいいよ
多分そう思ったに違いありません。
子バカと思われてもしかたあるまい。でもきっとそうです。葬祭場も半分決めていたホールではなく、同じ系列の一般ホールに否応なく決まった。
決めていたホールは最近リニューアルして高級路線に変更。それでも9日は無理だから10日と一度決めました。ところがいつもお世話になっている僧侶に連絡すると10日は県内の遠方の法事が決まってて難しいとのこと。9日なら問題なし。そう僧侶が葬儀社に連絡を取ったらホールの方でもどっちみち10日は無理だとなりました。
あっちはリニューアルしたので5割増の料金らしいからちょうどいいじゃない?と言われました。
これも多分母が決めたことでしょう。
お金がないから貧乏だからこんないい扱いをしてもらわなくていい 看護師さんがいつも言われてましたよ。
母はお金をとても大事にする人でした。
でもいつも上手な使い方をして僕も幸せな子供時代青春時代を送らせてもらったんです。
改めて感謝いっぱい。
みなさんずっと読んでくださってありがとうございました。
遺影はこれにしようかと思ってます。



昭和6年11月17日ー令和6年11月7日
母と二人だけの控え室にて。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイカバー

2024-10-28 17:56:30 | 家族
母は落ち着いてますが今朝も眠ったままあまり意識をこっちには向けてくれませんでした。
多分一瞬僕を見たのでわかってるとは思いますが・・すぐに忘れてしまうのでしょう。
まぁ苦しくなければいいです。
元気は無さそうに見えますが看護師さんには裁縫がやりたいと言ったようです。
今朝は衣装箱に服や写真や眼鏡、人形なんかを入れて持っていきましたがまさか裁縫道具とは気が付きませんでした。
おそらくやれはしないんじゃないかとは思いますが部屋を探してそれらしく物を準備するつもりです。


それから口が乾いたというときに小さなバーの先に凍らせた氷で口内を潤しているんですが甘い氷にしたら美味しいと言っていたとかで
好きな味の氷にしますから何がお好きでしょう?
第一声は スイカ でした。
コンビニで売ってるスイカバーがあったら差し入れしてくれますか? と言われました。
一生懸命母のために考えてくれて有難いです。
ただし、今スイカバーって売ってる時期なのでしょうか?
今夜にでもコンビニを覗いてみます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024-10-20 14:30:06 | 家族
母は眠っていた。今朝はいつもの席で朝食を摂りちょっと疲れたと言ってベッドに戻った後僕が着いた。
10分15分その寝顔を見ていたがもう立とうとした時に目を開いた。
あーあんたか 
今芝居を見てた。長谷川一夫が出ててもうほんとに楽しかった嬉しかった
割子弁当も美味しかったし
ありがとな  幸せだ

息苦しさも寂しさも悪いものを全部追い出して
母は微笑んだ。
そしてありがとうと言った。

御園座で観劇している夢を見ていたのだろう
簡易保険の芝居を見れるコースにずっといたから何年も半年に一回くらいのペースで行かせてもらってた

またバスに乗ってどこかに団体旅行もしていたらしい
美味しかった、楽しかったを繰り返し、またありがとうを言う

楽しいことを経験するとこういう時にでも再経験できるのでしょう

なんか僕まで嬉しくなって目頭が熱くなった。
僕の方こそありがとうと思った。

もらったお土産がそこにあるから持ってってな。
別れる時に母は言った。

物は何にもなかったけどその気持ちこの胸にもらったよ。
あかあさん  ありがとう。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松木平優太

2024-07-09 02:01:20 | 家族
毎試合必死に応援していたドラゴンズだがこの頃は敬ちゃんから一緒に野球観に行こうとと言われても億劫になってしまった自分がいます。
それでも試合経過は別にして結果は気になっているので必ずチェックし、勝った日はYouTubeでハイライトを見るのが楽しみです。
今年も期待してたシーズン当初からいつもの指定席を窺う展開となりつつある。それでも昨年までと違うのは二軍の好成績です。
ここにはまだ選手としての登録をしてもらってなかったある投手がいて、彼の活躍(これまで9勝3敗)が一際輝いていた。
今年4年目で入団は育成選手扱い。育成選手とはまだ選手にはなれないってことです。しかも9人の指名の最下位。
でも実力は確実につけてきて今年は二軍監督から2軍の稼ぎ頭のスターになれと言われてきました。と言うことは一軍はまだ早いという意味。
その裏には打線低調なドラゴンズ、比較的優秀な投手陣の中に割って入る余地はない。ということでした。
でも大野が離脱、柳が離脱。左右の両エースが崩れてしまいました。
それでもまだまだと思っていたのですがやはりここは若い力が必要と首脳陣は判断したのでしょう。
彼は選手として登録されそのまま一軍に帯同することになったのです。
彼の名は 松木平優太。まつきひらゆうた
その名前を知ってもらいたくてたまらぬ彼の事情を下に転載しました。
10日水曜日に先発予定だとか。
応援してあげてくださいませんか?



https://dnomotoke.com/archives/20201214000045/

若狭アナ:
昨日、中日ドラゴンズの新人選手の入団会見が名古屋市内のホテルで行われました。

支配下選手6人、育成選手3人、合わせて9人の新人選手が金屏風の前にズラズラっと横一列に座りまして、

真新しいドラゴンズのユニフォームを着て、

マイクを持って自らの決意表明をしました。

ただ残念なのが、私も出席していたんですが、

コロナの影響で個別取材、対面取材、囲み取材が全てNGで、

ほとんどが代表質問だけの淡々とした入団会見になったんですね。

ただ、そんな中でも私がとても印象に残ったのが、

背番号206番、大阪・精華高校から育成ドラフト3位で入団した松木平優太投手のこの言葉です。

最後の最後の発言の機会に話していたんですが、

松木平:
世界中に「松木平」という珍しい名前を知らせたい。

という言葉だったんですね。

世界中!?

世界という言葉を使うものですから、

メジャー思考でもあるのかな?強気ハートの持ち主なのかな?と思って、

松木平投手、本人には話を聞けませんので、

彼を指名した関西担当の山本スカウトにどんな性格かを聞きました。

山本スカウト:
松木平はとっても素直で真っ直ぐな男です。

そう教えてくれたんです。

次の瞬間驚きました。

山本スカウト:
いや~…ちょっと入団会見、残念でしたね。

若狭アナ:
あらっ、何故ですか?

山本スカウト:
実は松木平は今日の入団会見の場で大きな発表をしようと思っていたんです。

昨日、私ども打ち合わせをしたんですが、

結局、発言の時間が少なくて言えずじまいでした。

残念です。

若狭アナ:
差し支えなければ、どんな発表をしようと思っていたんですか?

山本スカウト:
いずれ皆さん知ることなので、

もう今日、この場で言おう決めていたのは、

彼は両親を含めて今、身寄りがほとんどいないんです。

その事をこの場で告白しようと思っていたんです。

ひょっとしたら同じような境遇の子供たちもいるかも知れない。

その希望の星になるように、ここでその事を発表しようと言っていたんですが、

残念ながら出来ませんでした。

若狭アナ:
私は、その後も山本スカウトに話を聞いたと同時に、

入団会見に出席していた親戚の女性、

唯一の今、身寄りと言っても過言ではない彼女にも話を聞くことが出来ました。

その女性は厳密に言うと松木平投手のお爺さんの兄弟の娘さんです。

その2人に色々話を聞いたのをまとめます。

松木平投手はインドネシアのバリ島に生まれました。

お父さんがインドネシア人、お母さんが日本人。

大のお父さん子でもう四六時中、パパと一緒、

お父さんが大好きな優太少年だったのですが、

残念がら2歳の時にご両親は離婚しました。

大好きなお父さんとの時間は2年で終わって、

離婚後は音信不通になってしまいました。

そして松木平投手と1つ年上のお姉さんとお母さんの3人でお母さんの実家のある大阪に移り住みました。

その時に松木平というお母さんの旧姓を名乗るようになりました。

お母さんの実家にはお母さんの両親、つまり松木平投手のお爺さんとお婆さんがいて、

一家5人で暮らしていたんです。

ところが小学1年の時に今度はお母さんがお亡くなりになりました。

母の死を小学1年生で体験しています。

大きな悲しみを小さな体で必死に受け止めました。

そんな松木平少年を救ってくれたのが野球でした。

仲間と一緒に白球を追いかけるその時間が全てを忘れさせてくれました。

だんだん野球で力をつけてきました。

転機が訪れたのが高校2年。

彼は元々サードを中心に内野手だったんですがピッチャーに転向しました。

しなやかな腕の振りから繰り出されるストレートはプロのスカウトの注目の的になりました。

山本スカウトは高校の2年の夏からマークしています。

その他、オリックス、さらにはソフトバンクも注目するようになりました。

そうなると今度はプロ野球選手になる姿を育ててもらったお爺さんとお婆さんに見せたいと頑張っていたんですが、

去年、お爺さんが他界しました。

お婆さんは体調が急激に悪くなって今は千葉県内の親戚の家に住んでいます。

いよいよお姉さんと松木平投手だけになっています。

そしてたまたま近所に住んでいる親戚の女性、

入団会見に足を運んでいた親戚の女性が今、身の回りの世話をしているという状況です。

この全てを彼は入団会見で発表しようとは思っていなかったと思うんですが、

今の流れを少しコンパクトにまとめて、

「両親はいないけれども同じような境遇の子どもたちがいるかも知れないので、希望の星となるように頑張りたいと思う」、

そんな気持ちを彼は入団会見で言いたかったんだと思います。

ただただ最後の最後、僅かな発言の機会の時に何とか想いをねじ込みました。

その想いというのはこの松木平という名前が、

天国のお母さんに届けばいいな、お爺さんに届けばいいな、

千葉に住んでいるお婆さんに届けばいいな。

そして地球上の世界のどこかにいる、あの大好きなお父さんにいつか届くといいなと思って、

彼は最後の最後の発言の機会に思いっきり力んで、

めちゃくちゃ緊張して、

ただ気持ちを込めてこう言いました。

松木平:
(背番号)3ケタでもしっかり結果を残して、

1年でも早く若い番号を貰って、

そこでもしっかり活躍して、

この世界中に「松木平」という珍しい名前を知らせたいです。

若狭アナ:
お母さん、優太くん立派でした。

今後の松木平優太投手が楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二題

2024-07-05 16:39:45 | 家族
老健にお世話になって1ヶ月、月曜日の夜に戻してしまって大腸の方の様子が不安となり施設からの要請もあり、圧迫骨折で入院してた病院からの紹介の大きなE病院のO先生の診察を受けることにしました。
初めて行く病院なので右往左往、勤務が決まって最後の自由時間のある娘の力を借りて車椅子に乗った母と三人で行ってきました。
駐車場から待合室に行くまでも大変なことですが娘に任せ全て順調に進みました。診察も検査もそして診断もみーーんな順調。
まだ今のままの生活でいいでしょう。入院が希望なら受け入れますが無理しなくてもいいです。 ってな感じ。ですから無理はしません。
心の中では手離したいのではないかと勘ぐられる老健側より病院の方が安心じゃないかと思う反面、病室よりは施設の部屋がいいかもしれんと思うところもあり、老健に連れて帰りました。
そこで病院への行き来が負担な老健側からグループホームを紹介されたのです。で、その方向に進んでいこうと思っています。
すぐ出なくてもいいですからゆっくり探してください。
ですがいただいたリストから一件紹介したところを含めて数件娘と二人で施設の前まで行ってみました。一件は実際に飛び込みで中も見せてもらいました。
いい経験をさせてもらってます。
外から見たところではその位置と駐車場の具合など今空いてると言われたそこが一番良さそうな感じでした。
また一つ環境が変わりそうです。
以上ご報告でした。


書き始めたついでに都知事選への勝手な感想も。多分どちらかが当選するんでしょうが赤いきつねも緑のたぬきも大っ嫌いです。
国籍疑惑と学歴疑惑。どちらも普通は許されるべきではありません。
と言ってそれを打ち砕く勢力もないのですからどちらかを受け入れなければならない東京都民が気の毒でしょうがない。ごめんごめんこれは他所者の勝手な感想です。
今までやってきた小池さんに満足しているのだったらいいのですが普通に前回の公約を見てみたら次の4年信用できるんですかね?
無駄遣いもさることながら僕自身は新築建物には太陽光発電が必須って中国との繋がりから完全に邪推したくなってしまいます。
その手先蓮舫は言うまでもなく自分は中国人?台湾人?を宣言してる人。こんな人に任せられるか?


その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

中島みゆきさんも言ってます。
でもまだまだ熟成してない世間はどちらかを選ぶしかないのでしょうか?
門外漢の僕がもしその1票を投ずるなら
この人かな?


悔いのない清き1票を大切にしてください。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰りたい

2024-06-29 11:39:21 | 家族
週に3、4回母のところに面会に行ってます。
時間的には短いですが顔を見せるとそれなりに喜んでくれるので次へのエネルギーになるわけです。
それでも父が入院してた頃は毎日行ってましたからそれに比べれば僕も歳を取った分行動力が衰えているという事でしょう。
母のことは施設に任せ、そうはいうものの本人にとってはあまり嬉しいことではないに違いありません。寂しいを繰り返します。
一人部屋なので話し相手がいない。
このままだったらボケてしまう。と繰り返します。(笑)
まだ本人からしてみたらボケてないと思っているしある面ではしっかりしてるところもあります。ただたださっき言ったことは忘れてしまってる。それだけなのです。
だんだんとそれが顕著になってくるその過程を思うと恐ろしくなります。自分に置き換えると身の置き場がなくなってしまうような気になってくる。

でもそのことだけを考えていては自分の身が持ちません。
キッパリと自分の人生を歩いてゆかねばならない。
僕は残りの人生を楽しみます。

担当者に話す相手がいないから寂しがってます。もうで出たいと言ってます。何とか話し相手を探してやってください。
それだけ伝えておきました。

さてレックウザでも取りにいきましょう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

移ります

2024-06-06 17:32:07 | 家族
母は6月8日に外科病院から老健に移ることが決まりました。
着替えやらなんやらその準備が大変です。全部みぃに頼ってしまってます。申し訳ない。
思えば母はいろんな人に恵まれてここまできました。
彼女はもちろんですがデイサービスでも病院でも親切な人ばかりでした。
ありがとうとごめんねは最強の殺し文句かもしれません。


お世話になった近所の内科医先生。
デイサービスのHさん。
病気のあらましを報告しています。
この流れだともうデイサービスにお世話になることは無いかもしれません。
デイの運営に心血を注いでおられるHさんには特にお世話になりました。
上履きを受け取り、もうお世話になる可能性が少ないのが切なかったです。
今まで本当にありがとうございました。


本人がなんともないというので重視してなかったお腹のしこりをいち早く報告してくださったのに対応できなくてすみませんでした。




面会の条件が厳しくてなかなか行けなかった病院から比較的自由にお邪魔できる老健に移るのでもう少し顔を見せられることでしょう。
昨日みぃと二人で顔を見せたら破顔。
ヤクルトをビールのように美味しそうに飲んでいました。(笑)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内科的病状

2024-05-23 01:42:46 | 家族
今日は母の主治医に呼ばれて面談してきました。
記録しておかねばということで。
今年の2月近所の医院で血液濃度が低くなってるということで新しく薬を調合してもらったのですがその関連で話しが進みました。
だいぶ回復してそれ自体は心配ないですがちょっとベンに血液反応が出、検査の結果大腸によくないものができてしまってると。
レントゲン写真を見せられ結構な大きさのものがそれだと言われました。
ただ転移している様子はなく病状は落ち着いて食欲減退や痛み不快感は今のところ見られない。
普通は本人に告げるべきことなのですがまずは息子にということで母には何も言ってほしくないこと了解していただきました。
ここは外科で消化器科の他所の病院の先生の診立てなので詳しいステージだとか先の時間について教えてはもらえませんでしたがとにかく次の老健の方が受け入れてくれればこのまま続けていけばいいでしょうとのこと。僕もそれに同意しました。切除手術は改めてしない。もしこれのせいで苦しむ事があればその対処をしていただく、その折は診断してくださった先生の病院で診てもらえると確約をいただきました。

その後面会してきた。
自分が入院している事、本当の意味でわかってるか怪しい状態でした。
お金がかかるだろう。ごめんなごめんなと繰り返す。
そんなこと思わせてこちらこそ申し訳ないと思う。
僕が本当に息子かどうか確信はないらしいが名前を言ってごらんというとちゃんと答えてくれた。
最後まで苦しむ事がありませんように。ありませんように。。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経過

2024-05-10 08:34:34 | 家族
病院から連絡あり、今回の骨折は前回のより二つ上の背骨の圧迫骨折とのこと。
症状自体は多分前回よりも軽めのようでコルセットで巻かれた体でトイレなど一人で行ってるようです。それも勝手に行くのでは危ないので床のセンサーを看護師に通知がいくようでアシストしていただいています。
問題はこの後で退院しても今までのように基本一人で生活してゆくのは無理でアシストが必要とのこと。ショートステイなりグループホームなりの施設での生活を考えてください。と。
来週具体的な方法を考えましょうと提案を受けています。
僕自身が全てを投げ打って母の介護ができればそういう施設も必要ないのですがいまのところそうはいきません。
母にもゴメンねの気持ちであります。

また報告します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024-01-14 11:53:44 | 家族
母は少し食べれるようにもなったし落ち着いてきてはいます。
ただもう買い物とか散歩とか一人で行かせるには不安な状況は変わりません。
先週から弁当を週三で頼み始めました。午後の配達で夕飯のつもりでおります。一日一回くらいはなんとか自分で食べるくらいの食べ物は用意してありますから。
ただこのまま行ってもいいのかどうか迷っております。
例えばグループホームなどの施設にお願いした方が本人のためにはいいのかもしれません。
年末のショートステイでの生活になんの支障もなさそうだったから・・・
さっきも介護施設相談センターパンフレットで見た番号にかけてざっと相談してみました。
母の生活、しあわせ、それから施設利用料、僕の負担。いろんなものを天秤にかけつつまた進んでいこうかと思っております。

世間のいろいろな出来事、懸念や不安や希望や諸々のこと
気にはなりますがまずは母親のこと と。。。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心配

2023-12-04 01:08:51 | 家族
母が悪い。
92歳になった翌日18日19日と熱を出して寝込み、20日には一応熱は落ち着きその後平熱になるも食欲がなくなりそれによって体力消耗、床から出られない。21日には一度デイサービスを休んで23日27日と復活するも目に見えて体力がなくなってゆく。昨日今日と朝一度起こしてリビングに連れてゆくも直ぐに寝床へ戻る。今夜あれほど丈夫だった足腰が立たない。
明日のデイサービスは無理かも。
ケアマネージャーに相談して次の手を打ちます。
ありがとう 今日もまた母は僕に繰り返した。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一週間

2023-10-13 01:46:47 | 家族
5日に帰国した娘は12日にまた韓国へ向かった。
書くことから離れてしまってそれに慣れてしまった。
一週間いろんなことがあったけど世間的にはあまりいいニュースに接してなかったような気がする。サッカーもラグビーも負けてしまったし。ドラゴンズの弱さったら笑っちゃうほどだ。これはこの一週間の話ではなく一年か(笑)
戦争が始まった。他人事じゃない・・・。

でも個人的には悪いこともなかった。意外だったのは娘のポケモンGOの再開とその入れ込み具合。まだ38レベルなのだがみぃのおかげで思いがけずメルメタルを友達の分までゲットできたこと。一つ共通の楽しみができた。いつまた離脱するか分からんけどね。
また書くからよろしく。
鏡餅製作がまた本格的になってきた。有り難きかな。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰省

2023-10-06 08:04:50 | 家族
四ヶ月ぶりにWHで韓国に行っている娘が帰ってきた。
でも普通。
いつものように彼女の家に行って20時にセントレアに着いたという連絡
しばらくして21時に金山に着く予定の連絡。
それが来たのが35分。
25分で金山までぶっ飛ばす。
しっかり着いたわ。
そのまま松屋に行きたいというので連れて行ったら着いたのはすき家だった(笑)
牛丼食わせてすぐ帰宅ではなく近所のポケモンジムで共同攻略。
4軒攻略成功。でも今夜に限り入ったばかりのジムへの執拗な卑怯な攻撃(笑)
一軒攻略されてしまったところへ再度の逆攻略。
そんなこんなで家に着いたのが23時を過ぎてしまった。
帰国した娘を迎える父じゃないね(笑)
もちろん最近ポケモンに再度凝り始めた娘を迎えたからですけど。
そんなこんなでおかえり〜。
ジャニーズ関連のお話もこれから始まるかもですね。
ザ少年倶楽部のADだった情報の塊だし(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕食

2023-09-30 01:09:06 | 家族
先週の土曜日お墓参りに行ったのだがいつものように昼ごはんをみんなで食べることができなかった。僕がボウリング仲間との昼食の約束を忘れてしまってたから。息子家族といつもより早くお墓に集合して昼前に帰宅するパターン。それでこれで昼飯へ行ってくれと息子にすかいらーくの優待券3000円分を渡して帰ってきた。
僕は近所のお好み焼き屋さんへ行ってフータやピングーらとの昼飯とした訳です。
今週になって「ふみがじいじとご飯食べたいと言い出した」と思いがけない希望。「金曜日の夕方どうかな?」
「来週アズが韓国から一時帰国するからそのときのほうがいいんじゃないか?」という提案も却下された。 今息子は11月の初めに迫っている公演の準備でおおわらわ。その日しか予定が組めない。とのこと。
「この前の優待券返すから ステーキガストがいい。」
この辺は皆さまと違って庶民的でがんしょ?
で、今夜行ってきました。

今月は息子が半分くらいしか仕事場にいなかったから売上もガタガタですが、あんまり縛られずにマイペースでまるで趣味のように仕事をさせてもらいました。実は刃物の調子がイマイチで僕の仕事も思ったほど進んでない。
来月はどこかでまた鍛冶屋をやらなくてはならないでしょう。嫌なんだよね。熱いし暑いし、まだ夏ですもんね。それに近年は体力消耗が著しい。
熱く熱した鉄を叩き出して作る刃物。出来不出来があって使い出すまでその出来具合がわかりません。これは僕の未熟さの証です。どんだけやったら熟達するのでしょう。恥ずかしい限りです。

なお息子の公演は


よかったら見に来てやってください。無理か(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝

2023-07-22 01:53:33 | 家族
今朝母のところにパンや薬を持って行った。
部屋はまだカーテンがしてあって起きてないのかとも思ったが鍵が開いていたので一度は起きてるはず。
みると自分のベッドで寝転んでた。
マッサージ機で寛いでから声をかけてみた。
「今日はゴミを出す日だよ」
起きて来た母は浮かない顔をしている。
「心配 どうしたらいいのか。早く娘を嫁にやらんといかん・・」
「ん???娘?」
「あんたの妹だわ まだ結婚しとらんだろ?」
妹は23の時に結婚してて今は67歳だ。息子が二人いて孫も二人いる。
またふざけた悩みを抱えてるみたいだ。(笑)
この状況は世界初。
「心配せんでもいいよ。44年前にNさんと結婚してちゃんと孫もおるから」
「そうか安心した」
びっくりする悩みを持っていました。
「もうお母さんは悩まないかんことは全くないから大丈夫だ。何にも悩まんでもいいよ。」
エアコンのスイッチオンにして部屋を出たわけさ。

頭はこうですが、前日違うビックリを見ました。
全て準備してデイサービスの職員さんのお迎えを受けたのですが、その人が部屋に来る直前に靴下が気に入らなかったようで履き替えようとしていました。70代後半と思しきその人が玄関に入った瞬間に新しい靴下を履こうとするのですがそれを母は立ったまま履き替えたのです。
そのひとが「すごい 立ったまんま出来るの?」と言ったのですがその瞬間僕もビックリしてしまいました。
僕自身も立ったまま靴下を履くことはできると思いますがちょっとフラつきそうで。
どうも体の方はなかなか元気のようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする