木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

その言葉遣い

2022-06-06 00:44:25 | タイムマシン

気まぐれライブ「国会図書館に残された告知ページの謎」

 

依然として橋下・百田(陣営)対戦は続いております。(笑)

上の動画は長いですから興味のある方はご覧ください。そういう人にはめっちゃ面白いから。

高みの見物をさせてもらってますが、僕の感想も書いてみたいと思いました。そもそも一番の懸念点は日本の有数な大都市大阪市が発電事業を中国の国営企業に何故任せたのか? というところ。勿論そこは法律では規制できないということなのだが今日の中国の日本への侵食を思えば大阪市の大きな汚点ではないでしょうか?その結果その第一事案を足掛かりに日本では六個七個の上海電力案件が身を結び実際に山口県岩国市では市政が脅かされてるところまで来ているのです。そして中国の魔の手はその倍数の計画が着々と歩を進めているといいます。

そのことで今更橋下さんを追求できないのかもしれませんが政治家の仕事としては実に日本を貶める結果になりつつあると言わざるを得ません。

この結果があるからこそ百田氏や山口氏それに有本さんもその案件成立疑惑に声をあげているのでしょう。

色々疑惑があります。その疑惑にちょっとした解決点が見えると橋下さんは怒鳴るのです。

これが僕が橋下応援団から撤退したくなる大きな要因になっています。

年上の人も何もなく呼び捨てにしてバカ呼ばわりする橋下さん。

Twitterを見せてもらうと100年の恋もなんとやらの状態です。

 

こんなことを書いてしまうと顰蹙を買ってしまうかもしれませんが・・・

昔僕の中学校に被差別地域の子たちも通っていました。素晴らしい才能を持った子もとても優しい子もとても真面目な子もそれ以外の出身地の子と同じようにいましたからできるだけ同じように付き合ってきました。し、その結果僕の親友はその中の一人でした。僕の親友は違ってましたがその地域の子達には独特な言葉遣いがありました。それに対しては密かに聞かなかったことにしてるような自分がいました。勿論その言葉遣いを内心軽蔑のような感情を持って接していました。わからないようにね。

橋下さんはその環境の中で頑張って弁護士にもなったし立派な政治家にもなった。尊敬に値する人だと思ってました。

でも、Twitterでの言葉遣いに遭遇して昔を思い出してしまいました。

やっぱそうか。というよりもあなたはその環境で育った人たちまで愚弄しているのだと感じてしまいました。

残念だよ。

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74円の汗

2022-01-19 00:02:07 | タイムマシン
いつもは大須の楽器店でレコードを定価で買っていたのだが、安く買える店を見つけた。二割引の店だ。
中二の僕はちょっと焦っていた。
発売まもなくこのレコードは売れに売れていてもしかして売り切れかもしれない。
大須までの距離の二倍の距離があるその店まで
立ち漕ぎをして冬なのに汗をかきながらペタルを回し続けた。
そこは間口も狭く、注意してないと見過ごすような小ささ。
階段を上がって2階に売り場があった。
クラシックもジャズも眼中にない。
目指すものはこれだけ。
定価370円。

最初はこれ一発のグループだと思っていたが何とメンバーのその後の活躍は想像すらできなかった。

僕もギターを始めた。
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14歳

2020-09-19 00:39:21 | タイムマシン
カラオケ中に敬ちゃんからLINE
「コロワイドすごいじゃん」
「1500円近辺500株持ってたけどあんまり下がったんで8/3に1171円で300株買ったけど今日2038円で100株売ったよ」
「売ってなんぼだから、儲け出さないかん でももうできたら俺株から引退したんだけどね 67歳になるし」
「オレ、死ぬまでやるもんね でもすげーな14歳から付き合ってるもんなぁ」
中学生がじいさんになっちゃったよ(笑)

週の始めだったかお昼休みにNHKを見てたら映画の番宣があった
1968年作 「ロミオとジュリエット」
今日の13時から放送
その場でスマホを出してディーガに接続無事録画準備完了

15歳になって高校受験が終わり発表までのやや不安定ながらほっとした気持ちのまま
深夜放送で森本レオが絶賛してた映画を初めて見に行った
一人で入場券を買って始めた見た映画が「ロミオとジュリエット」
レオの「ジュリエットかわいいんだよね~」の言葉は本当だった

映画「ロミオとジュリエット」 監督フランコ・ゼフィレッリ、音楽ニーノ・ロータ


この動画の一番初めの処だけでも見てください
ジュリエットが初めて登場したところ
かっつん少年、お口あんぐり 
世の中にこんなに綺麗な人がいるんだ
Just fall in love (笑)

この時Juliet役のOlivia Husseyは14歳でした
えらい違いです。
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昔書いた言葉

2019-08-02 01:40:46 | タイムマシン
こみあげる思い・・・

誰かが好きで好きで堪らない っていう塊が

そうだなぁ 十二指腸くらいから喉元に込み上げるんだよ

全く別な関係ない作業をしてる時に

突然それは襲ってくる

でも勿論 不快じゃない

喉元過ぎると頭の中でほわ~んという幸せ感が残る

そんな経験ないかなぁ  あるでしょ?

でもちょっとくらい好きでは 経験できないよ




なつかしい・・
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ドラフト前夜

2018-10-25 01:12:53 | タイムマシン
あくまでも井の中の蛙の話として・・

プライベートでも友達と遊ぶのは野球だった
学校の前の小公園で集まって12・3人くらいかなぁ
そのくらいで雑草の茂ったグランドでやったまさしく草野球
ソフトボールを使ってた
あのデカい奴じゃなくてもう少し小さいボール

まずチーム分けから始まる
同じくらいの力量の二人がまず選らばれてジャンケンをする
A君とB君とする
まずA君がジャンケンで勝つと自分のチームに引き入れたい人を指名する
次にB君が誰かを選ぶ
またジャンケンしてB君が勝つとB君が誰かを選んで自分のメンバーにする
次はA君が選ぶ
言ってみればちょっとしたドラフト会議だ
さてここが井の中の話だが、第一回戦で勝った子が僕を選ぶ確率が多分70%くらいだったと思う
これはもしかしたら当時の友達に聞いたら違う結果になるかもしれないが
僕の記憶ではそういうことだ
大抵その次の指名されるのも決まっててG君が多かった
どう転んだのか 僕とG君が同じチームになってしまった時はほとんど楽に試合が出来た 記憶がある
実はG君はいわゆる優等生で勉強も運動も非の打ちどころのない子だった
これも井の中の話には違いない

5年生になった僕は晴れて一軍選手 それもいきなりレギュラーに抜擢される
草野球ではサードを守っていたが、野球部ではセンターだった
その時同級生の西村君はレフトの守備に就く

今野球放送はセンターから中継しているが当時の中継はバックネット裏からのそれだった
だからいつも見てるのと違う角度から 自分達の野球を楽しめた
最初の試合は 9番センター かっつん  から始まった(7番レフト西村)
初めてバッターボックスに立った時は足が震えた
なんとそれを相手のキャッチャーに見破られるという醜態をさらす

「おいおい、こいつ足震えてんど~」

「うっせー 黙っとれ! このクソキャッチャー」と大声で言い返した・・心の中で。。 



初めての試合は三振とフォアボールだけだった。。
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野球部入部

2018-10-24 01:17:52 | タイムマシン
別に何も書くことがない
そういう時は書かなきゃいいのだけどなんとなくパソコンを開いてしまうわけだ

昨日野球部のことを書いたんでそのことを振り返ってみようかな

僕たちの小学校で野球部に入れるのは3年生になってから
それまで同級生たちとやってる野球では自分のことをみんなよりはちょっとうまいんじゃないかと思ってた
まぁ小学生の感覚だから大目に見て欲しい
「野球部に入れてくださーい」
と友達数人で行った
もう一人同じ3年生で野球部にいるやつがいた

後に僕らの年代のキャプテンになる西村君
彼は従弟が一つ上にいて野球部とは繋がっていたからか、みんなより一足先にちゃっかりと部員になっていた

無事入れたもののやるのはまず玉拾い
3年だったか4年になってからだったか、校舎の塀の内側までボールを拾いに行って、ボールを拾う際に
塀の柱から出ている金属に頭をぶつけて出血したことがあった
頭から血を出すのが初めてだったので「死ぬんかなぁ」と思った記憶がある

それでも時々ノックを受けたり軽いトスバッティングなどはやらせてもらえるようになってたと思う
小学校の野球部だけれど生意気にも一軍二軍があった。
4年生になったある日、僕は一軍の選手になれた

6年生のレギュラーに5年生が一人だけ抜擢された
それが西村君の従弟だった
その後に控える全部で15人の中に入れたのだ
勿論上級生でもそこに入れなかった人が何人かいた

有頂天になっていた僕を襲ったのが扁桃腺だった
その手術をすることになり、何日間か休んでしまったて二軍落ち。

僕らの2年上の先輩は結構な強さで、中日新聞の大会で決勝戦まで勝ち進んだ
予選は名城公園の何面かある普通のグランド野球場で何試合かして勝ち進むと熱田球場での試合となる
ここはしっかりした本物の観客席のある野球場で僕らにとっては甲子園みたいなところだった

その決勝戦の前に監督さんに呼ばれた
「かっつん、お前今日の試合はベンチで見ろ」 二軍落ちした後だった4年の僕の晴れ舞台はベンチの人
それでもすごくうれしかった
因みに西村君は12番の背番号をもらって堂々とそこに座っていた。

残念ながら決勝では負けて準優勝だった
優勝した瀬戸のチームは確かテレビに出て、黒柳徹子さんに話を聞かれてたと思う
その試合のフィルムが流されベンチで姿勢を正して座ってる自分の一瞬を確認した(笑)

もう遅くなったので寝ます
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その座り姿

2018-05-27 00:13:44 | タイムマシン
19歳から24歳ころまで地元の文化センターで茶道をしてた
実にいろんな人を見ることが出来たと思ってる
当時の僕から見た叔母さんから同年代まで女性が多いのだが
その他にいる男性との付き合いも若かった僕にとってはいい経験だったと思っている

でもここで男性の話をしても面白くないので、印象的だった女性のことを少し
僕が20歳から22歳のころだったか同じ教室に実に美しい女性が来ていた
3・4歳年上の彼女の立ち振る舞いがその容姿以上に素晴らしかった
恋愛感情を持つという事さえ恐れ多い感じでただただ目の端で光り輝くその人が眩しかっただけ
それでもそこでは黒一点だった僕は大事にされていて叔母さま方達も同年代以下の人からも
そしてその人にもやさしくされていた記憶がある

この人Rさんのことをふと思い出したのは「西郷どん」を見ていた時だった
西郷どんは一度結婚してその女性が彼の家族とも馴染まなくてやがて離縁することになる
ちょうど江戸への呼び出しを受けた直後でそのための支度金に困りあちこち金策するが
思うようにならなかったとき
里帰りしていた嫁とその父親が来て手切れ金だと言って小判を置いてゆく
そのシーンを見ていて思った
嫁の座り姿がRさんにそっくりで
とてつもなく美しかった
こんなに綺麗に正座する人を久しぶりに見た気がした
物語上ここまでの彼女は「いけ好かない女」である
それが「すみません離縁してやってください」と頭を下げる父親の隣でこんなにも美しく座っていた

帰り道「ほんなこてこれでよかったとな?」と問う父親に「私はあげなやさしか男は見たことがございもはん・・・にっぽん一の婿殿をこっちから離縁してやりもした」と泣いた
いけ好かなかった女はいい女でこの物語から姿を消した

Rさんはそのお隣の熊本へお嫁に行きました
きっと今も幸せでいることでしょう
それ以外は考えられないのです。


「西郷どん」 8話 「不吉な嫁」
https://www.youtube.com/watch?v=NhKl_ZIO-po
3:30辺り

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卓球部

2017-11-20 23:58:58 | タイムマシン
小学校の6年1組だったころ、クラスのトップの女の子がHさんだった
彼女はいつも授業中にも自分を主張してて先生に何か言われて癪に障ると「もう、トサカに来ちゃう」って口走る
それだけ先生との隔たりが少なくて、僕らほかの生徒からは一線を隔した「上の存在」だったのかもしれない
彼女は先生から「トサカ」というニックネームを頂いたのだが、本人は多分気に入ってなかったはず・・・
僕は彼女があまり好きではなかった
嫌いではないんだが一段上の人だったから
でもそれを誰かに言うほど僕の存在感もなかったわけだ

やがて卒業をし同じ中学に進んだ
2年生になるとまた「トサカ」とおんなじクラスになった
小学校を卒業してからトサカを口にする友人もいなくなりその言葉は忘れられていた  が僕の心にはしっかりと張り付いていた
小学生だったころは中の上くらいだった僕の成績は中学になると少し上向き 2年の頃は上の下くらいになった
前期の学級委員が生徒会の副会長になったので、後期はその役が僕に回ってきた
そして副委員長がトサカだった
彼女はその時もまだ僕らの一段上にいる人だったからやりにくかった覚えがある

中二の担任は一風変わった美術の教師だ
「僕の好きな先生」のようにいつも美術室にいるってわけでもなかった
小柄でガニ股で柔道の顧問もしていた
先生に言われた中で一つだけ覚えている言葉がある
美術の時間に定規を出してビルを描こうとしていた僕に
「おい、直線だと思ってもそれを定規で描くな。いいか人間の手で描く線が一番美しいんだ」と
あんまり尊敬してなかった先生だがこの時は少し尊敬した

そのあまり尊敬してなかった先生はトサカに恋をした
恋をするのは自由だが結婚を申し込んだから話はややこしくなる
トサカはクラス全員の署名を集め出した 「M先生を辞めさせる署名」だった
いきなりそんなものが回って来て僕は面食らった
副委員長が委員長を差し置いてそういうことを始めたから
当時はそのカラクリには気付かず 僕はその署名を握り潰した
僕らは意味が分からなかったが先生は学校に来なくなった 

20歳を過ぎて、ある時今でも付き合ってるW君がYさんが好きだったから彼女の友達と4人で飲みに行こうと誘ってきた
そのYさんと共に来たのがトサカだった
そこで当時の署名の真相を初めて聞かされたのだ

30過ぎた冴えない美術教師が担当クラスの女子中学生を好きになって、口説いて失敗して職場を追われた
もしかしたら次の中学校へ行ったのだろうか

 
実はこんな話をするつもりはなかったのだが
2017 Swedish Op WD F HAYATA Hina(早田ひな) ITO Mima(伊藤美誠) - CHEN Meng(陳夢) ZHU Yuling(朱雨玲 CHN)


この試合を見てたら思い出してしまったのだ
彼女は当時卓球部だったからね

それにしても世界ランクの1位2位がペアになってる中国選手に完勝
素晴らしい
卓球女子の選手層の厚さよ








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雪上のネコ

2017-02-20 23:44:50 | タイムマシン
先週の土曜日、18日はニャミの三回忌(丸二年)だった
早いなぁ・・
今日娘から 携帯にあったニャミの写真 といって送ってきた

たしかここで紹介した写真もあった
まぁちょこっと親バカにつきあってやってくだせ~


靴下編んだぞぉ


イヌみたいだぞ~








幸せにやっとるかなぁ・・・・
  ち~~ん
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むかしの線路

2017-02-13 23:51:01 | タイムマシン
物心ついた時には家の前には鉄道が通っていた
まだ舗装もしてない埃が舞う前の通りの向こう側に土手があって
そこを蒸気機関車が走り一か所踏切があった
幼稚園に入る前頃だろうと思う・・・
今調べたら昭和32年に中央線の高架化複線化が動き出したと書いてあったんで僕3歳(笑)
よく覚えてるよね
今まであった土手の線路が取り払われその前に高架化複線化が成った今の線路が出来た

今朝の風景



先日伊代ちゃんと優ちゃんが踏切に入って始末書を書かされたというニュースを見た

ガードの向こう側に階段が取り付けてあって
実は僕は幼稚園の頃、友達とそこから上って線路で遊んでいた
あはは、今から考えると冷や汗ものだが線路に耳を付けて列車の音を聞いてたっけ
でも昔の子はみんなレールに耳を当てる位当たり前だったような気がする

ほら
貨物列車総集編 ~思えば遠くへ来たもんだ~ 海援隊

距離は遠くないけれど 時間は遠くへ来ちゃったね





ところで誰のか知らないけど部屋の隅にこんな写真が紛れ込んでた






危ないよ 誰の写真?

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みそかつ 矢場とん

2016-10-28 23:00:06 | タイムマシン
結構有名になった(と思ってるだけ?)名古屋のみそかつ
その発祥の店と言われる「矢場とん」
古い店だ
子どもの頃から母親から聞かされた話にそれは登場する
「お見合いをしてデートした時に矢場とんにご飯食べに行くとお父さんたくさん食べてね
 男の人ってこんなにご飯食べるんだ とびっくりした」
今もそのことは憶えているらしい
僕もその話は憶えていたがポタを矢場とんに連れて行くってなぜか今まで思わなかった
今日は金曜日だから どこ行こうかなぁ・・・久しぶりにみそかつ
どこかおいしいところ ってネットを開いたら 当然一番に出てくるのが「矢場とん」だった
そっか車ではせせこましくて行きづらい印象があったけどまぁ行ってみるか

 到着~~



ここは普通に原点のみそロースかつ定食2つにビール1杯
元気ならわらじとんかつに行くんだが多分半分食べてくれと向こうのカツがやってくるはずだから



ほれ!こんな感じです
まずカツを持ってきて目の前でみそだれをかけてくれます
「たっぷりかけてください」とお願いしたので最後まで味噌の海の中のカツをいただけました
ポタも最後の一切れは僕の皿の味噌を付けながら食ってました

なんかちょっと普通の食堂なんだけど、母親には懐かしさがプラスされているようでした
おいしいおいしい ビールも美味い ってさ

株式会社矢場とん

この動画の始めのところにこの店が出来た頃の写真があった

ここへ来たんだろうな・・・





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個人的若葉のころ

2015-12-22 23:51:52 | タイムマシン
中学の時「週番」って役があった
何をしてたのか忘れてしまったのだが、多分みんなより早く出てきて学校の雑務をしてたのだろう
一週間続くのだがこれが珍しく縦割りの人選なのだ
つまりその週は1年B組2年B組3年B組のメンバーが同じ仕事をする
3年B組の学級委員だった僕は2年B組の副委員長の美穂ちゃんと同じ仕事をした
クラスメイトが「美穂ちゃんかわいい 好き」って言ってたのは知ってて
「ふ~~ん」って思ってたのにいつの間にか僕も好きになってしまってた
中学生だったからそれはそこまでで僕の心の中以外は何も進展はしなかった
そうだ心の中では立派に進展していた
彼女の家は僕んちから速足で3分半くらい
本屋さんの前を通るからそれを目当てにやけに長い立ち読みをしたこともあった
B紙を丸めてそれをくるくる回しながらまるで鼻歌でも歌ってるみたいに楽しそうに歩いてゆく
そんな後姿を見てドキドキしていた

高校生になっても彼女のことが忘れられなくて日記を書き始めた・・・
以前の記事に書いたことがある


高校生の時「日記」を書いていた
ちょうど高校の一年生になった時くらいからだと思う
中三の時に縦割り週番で同じ役割をした中二の子が好きになって
何にも行動を起こさないまま高校生になった
美穂ちゃんのことを思ってつけてた日記だった
ばっかみたいだったけど、なんか一生懸命彼女を思って書いていた
見開き2ページに4日分の出来事が記せる
入学祝に誰かからもらった万年筆で縦書きに綴っていた
大きな文字の時もあったし、小さな文字で次の日の欄にかかることもあった
毎日ではなかったけど僕の想像は彼女を勝手により美しいものに変えていったのかもしれない
二年生になってラブレターを書いた
一回だけ一緒に近所の公園を歩いた
子供のころからの遊び場だった鶴舞公園は地に足がつかず一段上の空間を歩いてようだった
初めて女の子と一緒に過ごした時間は思い出すと今でも冷や汗が出てくる
こんなに苦しいなら一人でいた方がいいとも思った
思い通りに一人のまま・・・彼女とは二度と会うことはなかった


彼女の小さな家は僕が結婚するころまであった
でもきっと僕より先にお嫁さんになってしまったんだろう


これが僕の小さな恋のメロディーなんだな
  do do do do do dododo do・・・




若葉のころ  /  ビージーズ  歌詞



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思い出せば

2015-12-14 23:44:13 | タイムマシン
武田鉄矢の司会の歌番組を見てた
懐かしのフォークソング&ニューミュージック的なやつだ
どれもこれもそこそこの思い出がある
自分でやってたからってこともあるけど・・

1973年といえば僕はまだ19歳
部屋にギターはあったけど人前で弾くことは意識の中になかった頃

車を買ったばかりで敬ちゃんとその彼女(今の奥さん)、その友達と海水浴に行った
彼はその女の子を紹介してくれるつもりもあったようだったけど
まぁ、そこだけの友達にしといた
それは向こうの女の子もそういう気持ちだったに違いない
それからしばらくして今度は結構マジに女の子を紹介すると言ってまた彼女の友達と4人でドライブすることになった
この前の子とは違って・・・とにかく違ってた
敬ちゃんの彼女は当時スッチーを目指して専門学校へ通ってて、そこでの友達だった
ちょっと僕は緊張していた


その前日何かの拍子にカセットテープに入れた曲があった
良いから入れたのか入れて聞いてみたら良かったのか そこんところは詳しく覚えていない
ただポプコンのグランプリ いや世界歌謡祭のグランプリって紹介だったと思う
これがすごく良かった
そのテープを車に差し込んでON

敬ちゃんと彼女は後ろの席で僕の隣にはそのスッチーズエッグ
その彼女がこの曲をむちゃんこ気に入った
終わると巻き戻し聞く また巻き戻して聞く
何度もそれを繰り返し続けた

それがこの曲だった
どんなにかわいい子が歌ってるのか
僕もワクワクしながら彼女の手の動きに同調してた


あなた 小坂明子 Anata (You) Akiko Kosaka



現実の厳しさに直面した部分もあったが、彼女と二人で会う機会もできた
僕はまだ僕ちゃんで何の作法も身に着けてなかった
ある日の帰り暗くなってから彼女の家のそばの公園まで来た
それがどんな合図だったのか今なら想像はつくけれど
残念なことをしました
同い年の彼女は大人だったと思う
僕の心情はチャンスに後ろ髪はある だけれど、ない時もある(笑)
彼女はストライクだったけど外角低めのスライダーだった
見事な空振りだ
なんてことを思い出した「あなた」


付録ですが彼女は結局その職には就けず、日本IBMのOLさんになられました。
元気かなぁ・・・
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bento

2015-10-15 23:33:08 | タイムマシン


手料理はもう一つの故郷になる

そんなキャッチコピーの入るコマーシャルだけど
僕も分かるぞ
白いご飯に黄色い甘い玉子焼き、赤いウィンナー時々タコ模様
他の印象はあんまりない
でも僕にはそれがごちそうだったと思う
友達の弁当箱は華やかだったけど本当はそれほどうらやましいわけじゃなかった
母は仕事に家事に忙しかったから多くは望まなかったしね

僕の故郷はシンプルで今も此処に有る ってことだ 

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その時の・・・

2015-06-29 23:59:17 | タイムマシン
自分が離婚したってことはわかっているけど、その時々にどんなことがあったのか忘れてしまってる。
たまに古い日記を読み返してみる
やっぱり悔し涙を流した跡がある

2004年に3年生だった娘を連れて元妻は家を出た
娘と僕の関係は理解して、週末になると娘はいつもここにきてた
そして毎週日曜日の夜、彼女は母親の元に帰っていく


2005年12月04日


おおばかやろう

バカな父親かっつん いつもあーは母さんに迎えに来てもらって車で30分の別居場所へたどり着いてたと思ってた
でも違ってたんだ 勿論そういうときもある でも一週間に2・3回は僕に
「母さん迎えに来たから行くね」
そういい残して一人で地下鉄に乗ってむこうへ行ってた(帰ってたという言葉は使いたくないので)
きょうも7時に
「もう母さん向こうを出たか?」
「6時50分に出た様だから20分くらいには着くはずだよ」
そして7時20分に
「来たみたいだから 行くね」
そしていつものようにエレベーターまで見送り
「気をつけてナ また明日 おやすみ」
窓越しに手を振る
今日は車に乗り込むところ見てやろうと窓からのぞくと 彼女は一人駅に向かって歩いてゆく
 まさか・・ ひとりで??
すぐに携帯に呼びかける
「本当は母さんは迎えに来てないのか?」
「うん 大丈夫 帰れるから」

小学生を夜一人で地下鉄に乗せられないよ
すぐに迎えに行ってそのまま向こうのマンションに届けました
何回聞いてもその詳しい在り処を家内は話さなかったけど今日初めて見てきました
そしてそれを口止めされてるあーが手を振りながら入ってゆくのを確かめた
いつも 迎えにきてくれた って言いながら笑顔で出て行った娘の二回に一回は嘘だったなんて
僕は彼女がいじらしくてかわいそうで申し訳なくて
それに気付かない自分を責めながら帰り道泣きながら帰ってきました
勝手な行動してひどい女だ
人の言葉は絶対に受け入れない
話を聞いてあげる そういって家内に電話してくれた僕の友達二人
二人とも着信拒否されてしまってる

あー とうさんと暮らしたほうが幸せになれる  そう思うがなぁ・・・



今なら多分その時には仕事をしてたのか、どうしても離せない理由があったんだろうと察する余裕もある
娘はそのまま6年卒業するまで地下鉄に乗って1年生になった小学校へ通い続けた
それは僕の、そして兄有祐の通った小学校
その後 別居先の中学に入り、母親と暮らし 卒業した その間に離婚成立
そして高校生になって自分の意志で帰ってきた
幸せになれたかどうかはわからないが、この日記のような結果になった
ただ母親との交流は勿論続いているし、良好だと思う。
それでもやはり被害者にしてしまった感はぬぐえない
・・だから甘いんだよねぇ。。





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