僕はある時からずっとこの同じテンプレートを使っている。
なんかほのぼのとした家が描いてある絵が好きなのだ。
絵画に特に興味もなかったが今も記憶の底に残っている絵がある。
もしかしたら偽情報かもしれない。
長年の経過で本当が変化してしまってるかもしれないがそれは僕の悪ではなく記憶の衰退だと思う。
僕は19歳から25歳くらいまで名古屋の栄にある中日文化センターというところで週に一回茶道教室に通っていた。
名古屋に家元がある松尾流という流派だった。
先生には申し訳ないがこの流派が好きだったわけでもなく行こうと思った日が水曜日でそれが松尾流の日だったからに他ならない。
もし水曜日が表千家だったらそこに通っていただろう。
この数年間で女生との距離が縮まった気がする。
それまでGFの1人も居なかったのだから。
そんなことは今日はどうでもいい。
いつも水曜日の昼の部に行っていた。
13時から15時のクラスだ。
親に無理を言って昼間仕事をする時間から抜けて通う教室に行かせてもらった。
で、別に早く帰って仕事しろとも言われなかった。
今考えると恵まれていたという他ない。
15時に終わってそのまま帰ることはなく、同じ男性の歳は先輩お茶は後輩のY さんと過ごすことも多かったしそれに女性会員の人が加わることもよくあった。
人間的にいろんな勉強をさせてもらった気がする。
その時間の後とかその時間がない日によく三越の美術ギャラリーに足を運んだ。
8階だったかにその店というか美術品を揃えた場所があって画廊もあった。
大掛かりなものではなくそうだなぁ20枚くらいの絵が飾られていたのだ。
そこにお気に入りの絵がいつも飾られていた。
ほのぼのとした家の絵。
記憶が正しければ、斎藤真一の「星の里」
僕は何度も何度もそこに足を運び、何度も何度も堪能した。
確か28万円くらいだったのではないか。
この金額はとても僕の手の届く値段ではない という値段ではなく頑張れば手の届く値段だったのだが
なんか僕のものにしてはいかんような気になっていた。
勿論絵を買って自宅に飾る環境でもなかったのだけれど。
2年くらいは楽しませてもらったんじゃないだろうか
ある時ギャラリーのリニューアルがありあの絵は姿を消してしまった。
店員さんに消息を聞く勇気もなかった。
でもまぁ今も僕の脳裏にあの絵は鎮座している。
なんかほのぼのとした家が描いてある絵が好きなのだ。
絵画に特に興味もなかったが今も記憶の底に残っている絵がある。
もしかしたら偽情報かもしれない。
長年の経過で本当が変化してしまってるかもしれないがそれは僕の悪ではなく記憶の衰退だと思う。
僕は19歳から25歳くらいまで名古屋の栄にある中日文化センターというところで週に一回茶道教室に通っていた。
名古屋に家元がある松尾流という流派だった。
先生には申し訳ないがこの流派が好きだったわけでもなく行こうと思った日が水曜日でそれが松尾流の日だったからに他ならない。
もし水曜日が表千家だったらそこに通っていただろう。
この数年間で女生との距離が縮まった気がする。
それまでGFの1人も居なかったのだから。
そんなことは今日はどうでもいい。
いつも水曜日の昼の部に行っていた。
13時から15時のクラスだ。
親に無理を言って昼間仕事をする時間から抜けて通う教室に行かせてもらった。
で、別に早く帰って仕事しろとも言われなかった。
今考えると恵まれていたという他ない。
15時に終わってそのまま帰ることはなく、同じ男性の歳は先輩お茶は後輩のY さんと過ごすことも多かったしそれに女性会員の人が加わることもよくあった。
人間的にいろんな勉強をさせてもらった気がする。
その時間の後とかその時間がない日によく三越の美術ギャラリーに足を運んだ。
8階だったかにその店というか美術品を揃えた場所があって画廊もあった。
大掛かりなものではなくそうだなぁ20枚くらいの絵が飾られていたのだ。
そこにお気に入りの絵がいつも飾られていた。
ほのぼのとした家の絵。
記憶が正しければ、斎藤真一の「星の里」
僕は何度も何度もそこに足を運び、何度も何度も堪能した。
確か28万円くらいだったのではないか。
この金額はとても僕の手の届く値段ではない という値段ではなく頑張れば手の届く値段だったのだが
なんか僕のものにしてはいかんような気になっていた。
勿論絵を買って自宅に飾る環境でもなかったのだけれど。
2年くらいは楽しませてもらったんじゃないだろうか
ある時ギャラリーのリニューアルがありあの絵は姿を消してしまった。
店員さんに消息を聞く勇気もなかった。
でもまぁ今も僕の脳裏にあの絵は鎮座している。